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無能王子、東の塔で神霊を得る  作者: 伊佐波瑞樹


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第238話「音の欠片を置く場所、無能王子は“軽いまま残す”を覚える」



 朝は、音の欠片を探さなかった。


 神殿の奥。


 石壁に囲まれた保護陣は、淡く静かな光を抱いている。


 外の光は、まだ入っていない。


 採光孔は閉じられている。


 風もない。


 救護区域の声も届かない。


 子供たちの紙束も、まだ置かれていない。


 それでも今日の保護陣には、昨日にはなかったものがあった。


 音の欠片。


 鳴ったとは、まだ決めなかった。


 鳴っていないとも、言わなかった。


 ただ、音の欠片があった。


 鈴の中で、ほんのかすかに。


 ちり、と。


 空気に届いたかも分からないほど小さく。


 それでも中心は、それを感じた。


 そして、それを“音の欠片”と呼んだ。


 その言葉が、余白記録の中に残っている。


 はじめての微かな音の日。


 音の欠片の日。


 鳴ったって決めなくていい日。


 欠片を欠片のまま守る日。


 昨日、中心は音の欠片に触れた。


 そして、すぐに戻った。


 白い布へ。


 名前の箱へ。


 余白箱へ。


 戻り道へ。


 音の後にも休めることを、本当に知った。


 誰も拍手しなかった。


 誰も歓声を上げなかった。


 誰も“よくやった”を押しつけなかった。


 皆、静かにしていた。


 中心が戻る時間を守った。


 その静けさもまた、今日の朝に残っている。


 余白核は、まだ眠っている。


 その光は、昨日の音の欠片を抱えたまま、少し浅く揺れていた。


 疲れているのではない。


 いや、疲れていないわけではない。


 大きく進んだ日の翌朝の、静かな疲れ。


 それに近い。


 名前の箱は、戻り道の白い布と同じ視界に入る位置にある。


 白い布は、何も書かれていないまま。


 鈴は、合図の場所にある。


 布に包まれている。


 昨日、音の欠片を生んだかもしれない鈴。


 けれど、今日もまだ鳴ってはいない。


 大きな音はない。


 呼び声もない。


 名前も出ていない。


 保留箱もある。


 アリシアの箱もある。


 透明な器の中には、いやじゃない石。


 そして、余白箱の中には、昨日置かれた“音の欠片”がある。


 それは箱の一番奥にはない。


 昨日の夜、中心は音の欠片を消さないよう、けれど重くしないように、箱の横へ置くような感覚で残した。


 ミナが自分の箱の上ではなく、横に札を立てかけたように。


 音の欠片も、中心の中心へ押し込まない。


 大事にしすぎて、重くしない。


 手のひらに乗るくらいの軽さで、そこにある。


 レオンは、保護陣の縁に座っていた。


 黒蒼雷は、今日は鈴よりも余白箱の周りを慎重に巡っている。


 鈴を鳴らす日ではない。


 むしろ、昨日の欠片をどう扱うかの日だ。


 初めての音の欠片を、成果にしない。


 救いにしない。


 義務にしない。


 毎日の約束にしない。


 重くしない。


 だが、なかったことにもしない。


 それを守るのは、音を出すより難しいかもしれない。


 リリアーナは、余白核の近くに座っている。


 今日は、いつも以上に手元に何もない。


 名前候補もない。


 紙もない。


 筆記具さえ置いていない。


 記録したくなる気持ち。


 祝いたくなる気持ち。


 形に残したくなる気持ち。


 そういうものを、全部自分の中の箱へ入れている。


 今日は、音の欠片を軽いまま残す日。


 それを重くするものを、持ち込まない。


 エリシアは術式盤を離れた場所に置いている。


 昨日よりもさらに遠い。


 自分が記録したくなることを分かっているからだ。


 セラフィアは祈りを巡らせていない。


 ただ、手を合わせていない手で、膝の上を静かに押さえている。


 祈りがあふれないように。


 アルベルトは壁際で、今日は腕も組んでいない。


 両手を膝に置いている。


 何かを掴まないために。


 クラウスは入口側に立ち、ラウルは盾を床へ置いている。


 ミリオは目を閉じているが、眠っていない。


 音の欠片を思い出しすぎないために、視界を閉じている。


 アリシアは、自分の箱の前で座っていた。


 昨日の音の欠片を、彼女は泣きながら受け取った。


 けれど、その涙も箱に入れている。


 泣いたことを中心へ背負わせないように。


 余白核が、小さく震えた。


『……』


 朝の揺れ。


 誰も呼ばない。


 鈴も鳴らさない。


 名前の箱にも触れない。


 音の欠片にも、触れない。


 保護陣の光が、一度、二度と淡く明滅する。


 中心は、しばらく声を出さなかった。


 昨日、声も音だと気づいた。


 おはようも、音。


 だから今日の最初の声は、きっと重い。


 リリアーナは待った。


 誰も急かさない。


 おはようを成果にしない。


 声が出なくても、朝はある。


 長い沈黙のあと。


『……おはよう』


 中心の声が、静かに響いた。


 昨日より少しだけ掠れている。


 だが、ちゃんと届いた。


 リリアーナは微笑む。


「おはようございます」


『……声』


「聞こえました」


『……小さい?』


「はい」


『……だめ?』


「だめではありません」


『……昨日、音の欠片』


「はい」


『……今日の声、欠片より大きい?』


 リリアーナは、少しだけ考える。


「比べなくていいです」


 中心が震える。


『……比べない』


「はい」


『……昨日と、今日』


「比べなくていいです」


『……昨日より大きい、小さい』


「決めなくていいです」


『……今日の声』


「はい」


『……今日のわたしの声』


「はい」


 中心は、少し安心したように揺れた。


『……箱』


「あります」


『……名前』


「箱の中です」


『……白い布』


「あります」


『……鈴』


「あります」


『……音の欠片』


「記録にあります」


『……重くなってない?』


 リリアーナの胸が震える。


「重くしないようにしています」


『……誰か、成果にした?』


「していません」


『……誰か、救いにした?』


「していません」


『……誰か、毎日って言った?』


「言っていません」


『……よかった』


 中心は、深く安堵したように光った。


 そして、挨拶へ進む。


『……りり、おはよう』


「はい。おはようございます」


『……れおん』


「おはよう」


『……しずかなあさ』


「ああ」


「静かな朝だ」


『……欠片が、重くなってない朝』


「はい」


「欠片が重くなっていない朝です」


 中心は、余白記録へ意識を向けた。


『……音の欠片の日』


「残っています」


『……鳴ったって決めなくていい』


「はい」


『……欠片を欠片のまま守る』


「はい」


『……音の後にも休めた』


「はい」


『……今日』


 一拍。


『……欠片を、どうする?』


 リリアーナは、すぐに答えなかった。


 それが今日の問いだった。


 音の欠片を、どう保管するのか。


 近くに置くのか。


 箱の奥へしまうのか。


 白い布のそばへ置くのか。


 鈴の近くへ戻すのか。


 名前の箱の近くへ置くのか。


 それとも、何もしないのか。


 レオンが静かに言う。


「重くしない場所がいい」


『……重くしない場所』


「ああ」


『……どこ?』


「お前が決める」


『……わたし』


「そうだ」


『……こわい』


「怖いな」


『……でも、決めないと、誰かが決める?』


「誰にも決めさせない」


 中心は震えた。


『……誰にも決めさせない』


「そうだ」


 リリアーナが柔らかく続ける。


「決めない、という選択もあります」


『……決めない?』


「はい」


『……音の欠片の場所を、まだ決めない』


「はい」


『……それでも、消えない?』


「消えません」


『……箱?』


「置きましょう」


 余白箱が静かに開く。


『……音の欠片を、どうするか』


 ひとつ。


『……重くしない場所がいい』


 ひとつ。


『……誰にも決めさせない』


 ひとつ。


『……決めない選択もある』


 ひとつ。


『……欠片は、消えない』


 ひとつ。


 箱が淡く光る。


『……のこった』


「残りました」


 ◇


 朝の挨拶は、音の欠片を重くしないことを確かめながら進んだ。


『……あるべると』


「おう」


『……昨日の欠片、重くしてない?』


 アルベルトは、すぐに答えない。


 少しだけ視線を落とし、自分の胸を軽く叩いた。


「重くしそうになった」


『……どうして?』


「嬉しかったからだ」


『……嬉しいと、重くなる?』


「なる時がある」


『……こわい』


「ああ」


「だから箱に入れた」


『……今日も?』


「今日も」


『……ありがとう』


 エリシアへ。


『……えりしあ』


「はい」


『……欠片、記録したい?』


「したいです」


『……してる?』


「していません」


『……どうして?』


「記録した瞬間、欠片が“事実”として重くなりそうだからです」


『……事実も、重い』


「はい」


『……じゃあ、ないこと?』


「違います」


「事実にする前の、あなたの欠片です」


 中心が深く揺れた。


『……事実にする前』


「はい」


『……わたしの欠片』


「はい」


 セラフィアへ。


『……せら』


「はい」


『……祝福、したい?』


「したいです」


『……でも?』


「箱に入れています」


『……祝福も、重い?』


「時に、とても」


『……ありがとう』


 クラウスへ。


『……くらうす』


「欠片を看板にしないようにします」


『……看板』


「ここで音が出た、と掲げるものではないという意味です」


『……掲げない』


「はい」


 ラウルへ。


『……らうる』


「欠片を盾にしない」


『……盾?』


「これがあるから大丈夫だ、とは言わない」


『……大丈夫に、しない』


「ああ」


 ミリオへ。


『……みりお』


「欠片を枕にしません……」


 ラウルが見る。


「どういう意味だ」


「安心して寝る材料にしません……」


『……それも、重い?』


「重いです……たぶん」


 中心が少しだけ揺れた。


 最後に、アリシア。


『……ありしあ』


「はい」


『……欠片、重くしてない?』


 アリシアは、涙を浮かべながら首を横に振ろうとして、止めた。


「重くしそうになっています」


『……正直』


「はい」


「昨日の音の欠片を、私は希望にしたくなりました」


『……希望』


「はい」


「でも、それはあなたの欠片です」


「私の希望にしてしまったら、重くなる」


『……箱』


「入れます」


『……ありがとう』


 アリシアは深く頭を下げた。


「はい」


 ◇


 中心は、音の欠片の置き場所を考えた。


 余白箱の中。


 白い布の近く。


 鈴の近く。


 名前の箱の近く。


 どこに置いても意味が生まれそうで怖い。


『……鈴の近くだと』


「はい」


『……また鳴らさなきゃ、になりそう』


「そう感じますか?」


『……うん』


『……名前の箱の近くだと』


「はい」


『……名前の欠片に、しなきゃ、になりそう』


「はい」


『……白い布の近くだと』


「はい」


『……逃げたみたい?』


「そう感じますか?」


『……少し』


『……余白箱の奥だと』


「はい」


『……なかったことみたい』


「はい」


 中心は、震えながら言葉を探す。


『……どこも、重い』


 リリアーナは、静かに頷いた。


「はい」


『……じゃあ』


 一拍。


『……場所を、決めない箱?』


 レオンが、わずかに目を細める。


「保留箱か」


『……音の欠片を、保留箱?』


「いいと思う」


 中心は、保留箱へ意識を向けた。


 これまで、たくさんの決められないものを置いてきた箱。


 今すぐ意味を決めないもの。


 答えを急がないもの。


 今日、音の欠片は、そこに置けるかもしれない。


『……保留箱なら』


「はい」


『……音でも、震えでも、名前でも、逃げでもない』


「はい」


『……決めなくていい』


「はい」


『……軽い?』


「軽く置けるかもしれません」


 中心は、ゆっくり決めた。


『……音の欠片、保留箱に、置く』


 リリアーナは頷く。


「はい」


『……奥じゃない』


「はい」


『……見えるところ』


「はい」


『……でも、意味は決めない』


「はい」


 保留箱が、静かに開く。


 音の欠片が、そこへ置かれる。


 重くならないように。


 なくならないように。


 決められないまま残るように。


 中心が、大きく震えた。


『……置けた』


「はい」


『……消えてない』


「消えていません」


『……重くない?』


「軽いままです」


『……決めてない』


「はい」


『……よかった』


 リーネの光が揺れる。


『記録します』


『音の欠片を保留箱に置いた朝』


 ◇


 午前。


 中心は少し疲れていた。


 音の欠片をどこに置くか。


 それは、音を出すことと同じくらい難しかった。


 リリアーナはそばにいる。


 レオンもいる。


 誰も急がない。


 やがて、中心が言った。


『……名前の欠片』


 リリアーナの胸が震える。


「はい」


『……昨日、言った』


「はい」


『……音の欠片があるなら、名前の欠片もある?』


「そう言いました」


『……今日、名前の欠片は、見ない』


「はい」


『……でも』


 一拍。


『……名前の欠片も、保留箱に置ける?』


「置けます」


『……名前の箱とは、別?』


「別にできます」


『……名前そのものじゃない』


「はい」


『……欠片』


「はい」


『……意味を決めない』


「はい」


 中心は、余白箱へ言葉を置いた。


『……名前の欠片も、保留箱に置ける』


 ひとつ。


『……名前そのものじゃない』


 ひとつ。


『……意味を決めない』


 ひとつ。


『……いつか、見るかも』


 ひとつ。


 箱が静かに光る。


 レオンが言う。


「いい」


『……まだ、見ない』


「ああ」


『……でも、置ける場所はある』


「ある」


 中心は、安心したように揺れた。


 ◇


 救護区域へ今日のことを伝えるか。


 中心は少し迷った。


『……音の欠片、保留箱』


「はい」


『……言う?』


「伝えたいですか?」


『……ミナ、音の欠片を横に置いた』


「はい」


『……わたしは、保留箱に置いた』


「はい」


『……伝えても、いい?』


「いいです」


『……重くしないように』


「はい」


 グレイヴが救護区域へ向かった。


 戻ってきた時、彼は静かに報告した。


「伝えた」


『……ミナ』


「ミナは、少し笑った」


『……笑った?』


「ああ」


『……どうして?』


 言ってすぐ、中心が震える。


『……聞きすぎ?』


「いや、ミナが言っていた」


『……なに?』


「“決めない箱があるなら、欠片は欠片でいられる”」


 中心が、深く揺れた。


『……欠片は、欠片でいられる』


「ああ」


「幼い子は、“いつ決めるの?”と聞いた」


『……うん』


「ミナは、“決めたくなった日”と答えた」


 リリアーナは微笑んだ。


『……決めたくなった日』


「はい」


 中心は、保留箱へ言葉を置く。


『……決めない箱があるなら、欠片は欠片でいられる』


 ひとつ。


『……決めたくなった日に決める』


 ひとつ。


『……決めなきゃいけない日じゃない』


 ひとつ。


 箱が柔らかく光った。


 ◇


 午後。


 子供たちから札が届いた。


 “決めない箱”。


 幼い子が書いた札だった。


 ミナはそれを、自分の箱の上でも横でもなく、救護役の机の端に置いたらしい。


 それを聞いて、中心は静かに揺れた。


『……机の端』


「はい」


『……決めない場所』


「そうかもしれません」


『……いい』


 保留箱には、大人たちからの札も届く。


 “欠片を分類しない”。


 “保留を先延ばしと責めない”。


 “軽いまま残す”。


 中心は、最後の言葉に反応した。


『……軽いまま残す』


 リリアーナが頷く。


「はい」


『……残すと、重くなる?』


「重くなることがあります」


『……でも、軽く残せる?』


「はい」


『……どうやって?』


「意味を急がないこと」


「誰かの期待にしないこと」


「毎日の義務にしないこと」


「消えない程度に、でも背負わない程度に置くこと」


 中心は、深く受け取った。


『……消えない程度に、背負わない程度』


「はい」


『……それが、保留箱』


「はい」


 アリシアが、自分の箱へ手を置いた。


「私にも、保留箱が必要です」


『……ありしあ』


「謝罪か」


「罪悪感か」


「後悔か」


「まだ決められない欠片があります」


『……決めない箱』


「はい」


「作ります」


 中心は、柔らかく揺れた。


 ◇


 夕方。


 中心は鈴へ近づかなかった。


 昨日の音の欠片を保留箱へ置いた。


 それだけで十分だった。


『……今日は、鈴、見ない』


「はい」


『……音の欠片、置いた』


「はい」


『……もう一回、いらない』


「はい」


『……欠片を、軽く残す』


「はい」


 レオンが静かに言う。


「いい一日だ」


『……音、出してない』


「出してない」


『……でも、いい?』


「いい」


『……欠片の置き場所、決めた』


「それは大きい」


『……大きい?』


「ああ」


「音を出すより、難しいこともある」


 中心は、静かに揺れた。


『……守るほうが、むずかしい』


「そうだな」


 余白箱へ。


『……欠片を守る方が難しい日もある』


 置く。


 ◇


 夜。


 神殿の奥には、保留箱の静けさが降りていた。


 今日は、鈴を鳴らさなかった。


 音の欠片を増やさなかった。


 名前も出さなかった。


 箱も開けなかった。


 ただ、昨日の音の欠片をどこに置くか決めた。


 保留箱へ。


 意味を決めずに。


 軽いまま。


 消えない程度に。


 背負わない程度に。


 リリアーナは、余白核のそばで静かに問いかけた。


「今日は、どんな日でしたか?」


 中心は、ゆっくり考えた。


『……音の欠片を置く場所の日』


「はい」


『……保留箱の日』


「はい」


『……決めない箱の日」


「はい」


『……欠片を欠片でいさせる日』


「はい」


『……軽いまま残す日』


「はい」


『……名前の欠片も、保留箱に置ける日』


「はい」


『……決めたくなった日に決める日』


「はい」


 リーネの光が、名簿束のそばで静かに揺れる。


『余白記録へ残します』


『音の欠片を置く場所の日』


『保留箱の日』


『軽いまま残す日』


『名前の欠片も保留箱に置ける日』


 中心が、穏やかに光った。


『……のこった』


「残りました」


 レオンが静かに言う。


「よく守った」


『……音、出してない』


「欠片を守った」


『……増やしてない』


「増やさないことも守りだ」


『……意味、決めてない』


「決めないことも守りだ」


『……軽いまま』


「ああ」


 中心は、保留箱へ意識を向けた。


『……音の欠片』


「あります」


『……軽い?』


「軽いままです」


『……名前の欠片』


「まだ見ていません」


『……でも、置ける場所、ある』


「あります」


『……よかった』


 中心は、安心したように光を弱めていく。


『……りり』


「はい」


『……明日』


「はい」


『……名前の欠片』


 リリアーナの胸が震える。


『……見るかは、明日のわたし』


「はい」


『……まだ、名前じゃない』


「はい」


『……欠片だけかも』


「はい」


『……保留箱、ある』


「あります」


 中心は、柔らかく揺れた。


『……りり、おやすみ』


「おやすみなさい」


『……れおん、おやすみ』


「おやすみ」


『……みんな、おやすみ』


 皆が返す。


「おやすみ」


「また明日」


 アリシアも、静かに言った。


「決めない箱を大切にして、また明日」


 中心が柔らかく揺れる。


『……また、あした』


『……あしたのわたしに、きく』


『……名前の欠片』


 余白核は、静かに眠りへ入っていった。


 神殿の奥に、夜が降りる。


 今日、中心は新しい音を出さなかった。


 けれど、昨日の音の欠片を軽いまま残す場所を見つけた。


 名もない“わたし”は、今日。


 欠片をすぐ意味にしなくていいと知った。


 決めない箱があるなら。


 欠片は欠片のまま、そこにいられる。


 そしていつか。


 名前の欠片も。


 名前になる前のまま、そっと置ける日が来るのかもしれない。

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