おうちにあいさつ
はあ、と隣を歩く男が何度目かの溜息を吐いた。
「そんな緊張、する?」
志麻子が揶揄う。
絹川が志麻子を恨めしそうに睨んだ。
「普通、するだろ。…彼女の家族に会うんだから」
「うふ」
絹川に彼女、と言われるとウフが出て来る。
でも。
「うちの家族に会うのに緊張してたら損だよ」
ポンと絹川のコートの背中を叩く。
「後で、俺の緊張を返せって言われても返さないからね」
「何言ってんの、志麻ちゃんはもう。はあ…」
絹川が志麻子の家の前まで来たことは何度もある。
絹川は志麻子に甘くて、デートの後、バス停まで、志麻子の家の最寄りのバス停まで、どうせだから志麻子の家の前まで…と、付き合って何度目かのデートの結果、結局いつも家の前まで送ってくれるようになったのだ。
でも、今日は志麻子の家族が揃う家に絹川を連れて行く。
何故なら一番上の兄の雄馬が、「志麻子、いい加減彼氏、紹介しろ」と言い出し、それを聞いた二番目の兄の翔人が「えー!志麻子、彼氏いるんか!!」と驚きのあまり飛び上がって、「準備する!」と体を鍛え出したからだ。
こうなると鯨井家で止められる人間は、いない。
「はあ。俺、身だしなみおかしくない?」
「おかしくないけど、溜息の度に色気が出てるよ」
という志麻子の忠告はまるっと無視して、「髪の色戻しとくんだったかな…」と自分のアッシュグレーに染めた短髪を摘んで見る。
「そんな畏まらなくていいって」
絹川はなんと、スーツだ。
「畏まるよ。家族に気に入られないと、志麻ちゃんと…」
「あたいと?」
「なんでもない。間違えた。ええと…なんだっけ。はあ、なんでもいいや。とにかく、志麻ちゃんの家族に失礼のないようにしないと」
「そげんたいした家族でねえでな」
どっかの方言を出してみたが、絹川の緊張は解けない。
絹川を見てたら、志麻子もちょっと緊張してきた。
母親が朝のままスウェットだったら、どうしよう…。
「ただいまー連れて来たよー!」
志麻子が玄関で叫ぶと、ドタドタと各方面から足音が響いた。
「いらっさい」
気の抜けるような声でリビングから顔を出したのは母親。思わず志麻子は「ナイスニット」と親指を立てた。
「時間通りだな」
長兄の雄馬が階段を降りて現れる。志麻子はギョッとした。
「ゆうにい、なんでスーツ?!」
「はっはっは!」
大笑して、「勿論お前の彼氏がパーカーにデニムで来た時に圧を与えるためだ!」
「訳の分からないことを」
志麻子が呟いた。雄馬は唖然としているスーツの絹川を見ると
「やるな」
と呟き、
「志麻子の兄の雄馬です。どうぞ入って」
と急に礼儀正しくなった。
「あ。…絹川洸季と申します。本日はお休み中お邪魔します」
あ、の一言だけで立て直した絹川が、如才なく挨拶する。
「…キヌカワくん。こちらこそ、急にお招きしてすみません」
雄馬が言って、母も
「本当にねえ。志麻子と付き合うだけでお疲れ様でご苦労様なのに、すみませんね」
などと言う。
「どういう意味よ。…あれ?お父さんとひろ兄は?」
「お父さん、小林社長に呼ばれちゃった」
「ええ〜」
「代わり頼んでた熊谷先生がドヤされて泣いちゃって使い物にならないんだって」
可哀想に…。
志麻子の父は司法書士だ。顧問会社の俺様社長にピンチヒッターで呼ばれて急遽仕事に行ってしまったらしい。
「翔人は上で着替えてる」
「まだパジャマだったの?」
「いや、俺の格好見て揃えようと思ったらしい」
「しょーもな!」
志麻子はつい言った。
絹川をチラリと見ると、笑顔のまま固まってる。
「大丈夫?洸季」
リビングに入りながらコッソリ聞く。
「ギブの時サインしてね」
「大丈夫」
ギブとかないし、サインってなんだよ。と言いたいけど言えない顔で絹川は頷いた。
「ご飯なーに?」
キッチンの母に聞く。
今日は絹川も一緒にお昼ご飯を食べることになっていた。
「ハンバーグとか」
「やったあ!」
と言ったのは降りてきたスーツの翔人だ。
「やったあじゃないよ。ほら、ご挨拶して」
母が呆れる。
「こんにちはー!鯨井翔人です!」
幼児のように挨拶をして、絹川が反応する前に、
「目玉焼き乗せて!俺のやつ、目玉!」
と母親に強請る。
「順番!」
と怒られて、慌てて絹川に、
「ハンバーグに目玉焼きを乗せますか?」と聞く。
「そういうことじゃない…」
母と志麻子が同時にガックリした。
「絹川君は建築学科か。そっちに進みたいの?」
「はい。出来れば、建築士になりたいと思ってます」
「へえ。建築士か。楽に取れる資格じゃないぞ」
「ですね。今はバーでアルバイトしてますけど、本当は建築事務所のアルバイトを探してたんです。でも平日昼は授業があるんで、中々難しくて」
「一級を目指してるの?」
「とりあえずは二級ですけど。夢ではありますね、一級は」
「一級は実務経験必要なんだっけ」
「ちょっと、ちょっと」
面接会場か?というような質問の応酬に、志麻子がやっと口を挟む。
「ゆうにい、就職面接じゃないんだからさ」
「お父さんが不在の今、俺が家長代理だ」
絹川の正面に座る雄馬が悪びれずに言い返した。
「またあの四兄弟が竜になる小説読んだ?」
「あの名作は、いつも心の中に」
と胸を押さえる。
家長代理なんて言うけど、本物の鯨井家の家長は穏やかなタイプでこんな圧迫面接はしない。
「志麻子と付き合う男を厳しく審査するのは当然だろう」
「偉そうに。すみれちゃんの家で半べそかかされたくせに」
長兄の恋人の名前を出すと、
「だからだ」
と胸を張った。全くもう…。
「審査はともかく、絹川くんご飯食べられないじゃないの、雄馬」
母親が叱る。絹川が慌てて、
「あ、いえ、戴いてます…、すごく美味しいです。志麻ちゃんから聞いてた通り」
と言った。
「いい子ダナー!」
母がオチた。その横で翔人が悲しそうに
「お母さん、目玉焼き無くなった…」
「目玉焼きだけ食べるなとあれ程」
翔人はトレーナーに戻っている。昼食のメニューを聞いて、服を汚すことを恐れて一瞬で着替えたので、全く着替えた意味がなかった。
「絹川くんは、モテそうだね」
唐突にその次男が言った。
「は、あ、いえ。そんなにモテないです」
「嘘だ」
「嘘だよ」
と翔人と志麻子。
「志麻ちゃん」
横に座る志麻子を困ったように絹川が見る。志麻子は口を尖らせた。
「だってこないだもナンパされてたじゃん、barrelの店員さんですよねって」
「ナンパはナンパだよ。モテるのとは違うの」
「俺もどっきりヤンキーの店員さんですよねって言われたこと、ある!」
翔人が元バイト先で好きが長じて社員になったファミレスの名前を出して張り合う。
「それは確認でしょ」
「お前だけだからな、マニュアル通りに“ステゴロ四名様にカチコミ頂きました〜ごあんなーい!”とか“メンチ切って頂いてありがとうございます!ご注文ですね”とか言うやつ」
「人をマニュアル人間みたいに!」
そこが気になる翔人は憤慨する。同時に絹川が咽せた。
「大丈夫?洸季」
「だいじょ…」
震えている。どした?
「…もしかして、一番町のどっきりヤンキーですか?」
何とか持ち直した絹川が水を飲んでから斜め向かいの翔人に尋ねた。
「そうだよ、来たことある?」
「あります…あれ、お兄さんだったんですね…」
耐えられないというように絹川が片手で顔を覆った。
食事が終わると、母以外全員で片付けをする。
「作ってもらった人が片付けるルールなの」
「なるほど」
絹川も手伝ってくれた。
「さて」
片付けが終わって、母がコーヒーとお菓子の準備をしてくれる。
「やるか」
とリビングのソファに絹川と志麻子を座らせて、自分はローテーブル挟んだ向かいの床に翔人と座って、雄馬が言った。
「何やるの?」
「何がいい?」
「ウノ!」
と翔人。
「えー」
志麻子は顔を顰めた。
「大富豪がいい」
「間を取って、ドンジャラにするか」
「全然間じゃない!」
翔人と志麻子の声が揃った。
「このアホども」
いつの間にか母がキッチンから出て来て、雄馬と翔人の後ろから耳を引っ張る。
「いたた!」
「あんた達ね、自分が彼女の家に行ったらまずどこに行きたい?」
耳を離して問う。
「彼女の部屋!」と長男。
「彼女の部屋のタンスの中!」と次男。
途中まで合ってた。
タンス?
全員が翔人を見た。
翔人は決まり悪そうに「間違えた」と言って、
「クローゼットって言いたかったんだ」
と訂正した。
クローゼット…?
「…とにかく」
母は聞かなかったことにした。
「志麻子、コーヒー淹れたら呼ぶから。絹川くん連れて部屋に行きなさい」
「あ、そうか。洸季、部屋行こ」
「あ、うん」
絹川は何故かまたちょっと緊張したような顔をして、腰を上げた。
「ここだよ」
志麻子の部屋は二階の東側にある。
六畳ほどの広さで、ベッドと小学校の頃から使っている学習机がある。
「狭いけどね」
絹川はドアを閉めると、志麻子の部屋を見渡して「はあ」と溜息を吐いた。
「どうした?疲れた?…座って座って。ベッドしかないけど」
「…うん。いや」
絹川は言われるままベッドに座ると、部屋をまた見渡して、
「なんか、感無量」
と言って黙る。
「なに?」
「志麻ちゃんの部屋、どんなかなって、毎日妄想してたからさ」
「えー!」
学習机の回る椅子に座って絹川の方にくるりと向き直った志麻子は椅子の上で飛び跳ねる。
「言ってくれたら写真送ったのに!」
「うん。…いや、あの…片思いだった時期からだよ」
「うん。言ってくれたら写真送ったのに」
「…志麻ちゃん…」
絹川が睨む。
「あのね、男に部屋見たいって言われて、ほいほい写真撮って送っちゃダメだよ」
叱られた。
「あ。ハイ」
「まさか誰かに送ってないだろうね」
「送ってない!そんなこと、言われたことないし」
志麻子が慌てて首を振ると、
「男は全員思ってる。好きな子の部屋見たいって」
「クローゼットも?」
「…」
絹川が両手で顔を覆った。
「…も、マジでさ、志麻ちゃんの家族ってさ…」
震えてる。
「マジで志麻ちゃんの家族だった」
何を言ってるの?
絹川は声もなく笑いながら、
「俺…俺、笑うの我慢しなきゃって、ずっと自分で自分の足踏んだりしてたよ。死ぬかと思った…っ」
「そんなに?」
志麻子は決まり悪げに、
「ひろにいでしょ。ちょっと変わってるの」
「翔人さんもだけど…雄馬さんも、あの顔で…ハンバーグに目玉焼き2個乗せてって駄々こねてたし、さっきも最初からセイトンセイヤのドンジャラ準備してたしさ…」
言いながら思い出して笑い出す。
「お母さんもご飯作りながら変な歌歌って…ハンバーグの裾野に広がる我が挽肉よ、とか」
「あー!」
志麻子は真っ赤になった。
三兄弟の卒業した小学校の校歌の歌詞を変えて母が歌うのは、我が家では日常過ぎて、全く違和感がなかった。
絹川はベッドの上で脇腹を抑えて笑い続ける。
「ま、まずね…まず、玄関に入ったとこに飾ってある写真がね…」
「え、写真?」え、まだあるの?
「むすびまるとのツーショット写真…家族分五枚飾ってあったけど…ふ、ふつう、全員揃った写真飾るだろ?…」
絹川がひーひー言ってベッドの上に崩れ落ちた。
「そ、そんな笑う?」
「…ご、ごめん…も、限界で…」
自分を抱き締めるように笑い転げる。
志麻子は口をへの字にして笑う絹川を見ていたが、
「ねーえー、笑いすぎじゃん?」
と、絹川の頭の上らへんに座って、絹川の頭を撫でた途端に、
「…っわ?!」
上体を起こした絹川に押し倒された。
足をベッドの下に投げ出した状態で、志麻子は自分を押し倒した男を見上げる。
「こうき…」
「志麻ちゃん、愛してる」
志麻子の前髪を撫でながら掻き上げる。
志麻子のおでこにキスを落として、それから唇に押し当てる。
「…っ」
ちゅ、ちゅ、と唇を奪って、我慢できなくなったように舌を入れた。
「…ん、ん…」
ペロペロ、舌を舐め合う。
「んぅ…」
変な気分になってくる。
「…ん、こうき…ン、ぅ、ね、だめ…はあ、だーめ…」
「ん」
絹川が渋々、唇を離す。
「…はー。志麻ちゃん…。このベッド、志麻ちゃんの匂いがして…たまんねー」
「え…に、匂う?」
「すごいイイ匂い。俺ここに住みたい」
そう言って、ベッドに斜めに横たわる志麻子の横に寝そべると、志麻子を抱き寄せてぎゅうっと抱き締めた。
「すげー…。やばいわ。俺、志麻ちゃんのベッドで、志麻ちゃん抱っこしてるとか」
「なに…?」
「高校時代の夢が全部叶っていく。…こんな幸せでいいのかな、俺」
「き、君の幸せお手軽すぎないだろうか」
志麻子がちょっと心配になって言うと、絹川が再び志麻子に上半身覆い被さって、頬を撫でる。
「どこが?最難関だったよ…。志麻ちゃんはこの世に一人しかいないのに、俺は志麻ちゃんじゃなきゃ幸せになれないんだから」
蕩けるように微笑んで、また志麻子の唇を塞ぐ。
「…は、…ぁ、…ん、ン…」
「…ん、あー、やばい」
絹川が起き上がって、ベッドから足を下ろして部屋の天井の角を見つめて大きく息を吐いた。
「こうき…?」
「…ちょっと待ってね。ちょっと…」
両手を合わせて唇に当てて、部屋の角らへんを見続ける。
「え、なんかいるの、そこ」
怖い。
志麻子も起き上がって同じ方向を見ると、絹川が「何もいないよ」と頭を撫でて微笑んだ。
「気を逸らしてただけ」
「何から?」
「志麻ちゃんから」
「どゆこと」
「今度、俺の部屋で教えてあげる」
と無駄に色気を撒き散らした。
「ところで…。志麻ちゃん、机、どうなってんの」
「机?」
志麻子は自分の机を見る。
「あ、小学生の時買ってた雑誌の付録のシールね、ベタベタ貼っちゃって…」
「いや、いや、違くて」
絹川が立ち上がって、机の板を指す。
「すごい刃物の傷が…それになんか、血みたいなん染みてるけど」
「あー、それか」
志麻子はイタズラが見つかったような顔をして、
「彫刻刀にハマった時期があって…机全体に火影を彫ろうとして、ザクっと怪我しちゃって」
「マジか」
絹川が咄嗟に志麻子の両手を取って見る。
「もう残ってないよ〜」
「良かった。危ないよ、志麻ちゃん」
「そうなの!」
志麻子は頷く。
教材用に渡される木材と違って、既製品の机は硬く、削りにくい。そして滑る。全国の小中学生に伝えたい。学習机は、彫るな。
「お母さんに死ぬほど怒られたんだよ」
「志麻ちゃんのお母さんは大変だ…」
絹川が途方に暮れたように呟いたが、あの母の娘も結構大変なのだと志麻子は言いたい。言おう。
「お母さんだってねー」
と志麻子が言い掛けた時、ドアがノックされた。
「なに?」
ドアを開けると兄二人。
「絹川くんに話がある」
雄馬が真面目な顔でそう言った。
「座って」
と絹川を学習机の椅子に座らせて、兄二人はフローリングに胡座をかく。
志麻子はベッドの上で何故か正座した。
雄馬が真顔で口を開いた。
「…四年前だったか、播磨佑都くんを虐めてたキヌカワは、君か?」
「あ!」
そう声に出したのは志麻子で、雄馬に睨まれて口を押さえる。
高一の夏。
播磨の動画を消させるために雄馬と翔人に協力を頼んだ。
あの時は結局赤堀の家にしか行かなかったが、絹川の名前も出してしまったような――
絹川は青褪めたが、キッパリと
「…はい、俺です」
と答えた。
「そうか」
雄馬は続けて、
「そのくらいの時期に、志麻子が何度か部屋で泣いていたことがあったが…君のせいか?」
「…っ」
絹川がバッと志麻子を見る。
絹川の方が泣きそうな顔で、「志麻ちゃん」と呟く。
「ごめん。志麻ちゃん…ごめん。俺…」
「そ、そんな泣いてないし!洸季のせいというか…まあちょっとだけ洸季のせいだけど…あ、でもどっちにしろ、ほら、アレがアレだったわけだから…」
嘘告の話は兄にはしていない。志麻子は失恋とか嘘告とかのワードをどうにか出さないように、絹川を宥めた。
「違う、俺が馬鹿なガキだったせいだ…。泣かせてた。やっぱり泣かせてた。志麻ちゃん、ごめん。ごめん…」
「もう、いいんだって。…ゆうにい」
志麻子が睨むが、雄馬は怯まない。
「過去の話をしたいんじゃない。志麻子が許してるならいい。でも、過去は消せないし、自分のせいで誰かが泣いていたのは知っておくべきだと俺は思う。…それが、好きな女なら、尚更」
雄馬が真っ直ぐ絹川を見て言う。
「それから…妹が泣いてるドアの外側で、俺たちがどんな気持ちでいたかも、想像してみて欲しい」
「…はい。すみません」
絹川はフローリングに膝を突くと、土下座した。
「洸季!」
「お、おい、土下座なんて―」「土下座はいかん」
「二度と妹さんを泣かせません」
宣言する。
「何からも、誰からも志麻ちゃんを守ってみせます。どんなことをしても、幸せにしてみせます」
絹川の誓いが、六畳間に響く。
志麻子の胸が熱くなった。
「だから、志麻ちゃんを、俺にください」
「は」
三兄弟の時が止まった。
「……」
「……」
「……」
「……」
沈黙が降りる。
絹川がそろりと顔を上げて、片手で顔を押さえた。見たことが無いほど真っ赤になっている。
「…さ、先走りました…」
「デショウネ…」
それまで無言だった次男が呟いた。
「コーヒーはいったよおーん」
階下から母の気の抜けるような声が響き、長兄と次兄がノロノロと立ち上がる。
「まあ…その…。さすがに、父がいるときにしてくれるか」
雄馬も釣られて顔を赤くして言った。
「お邪魔しました。ご馳走様でした」
そう言って頭を下げる絹川を、家族総出で玄関先まで出て来て見送る。
「またおいで」
雄馬が言い、
「また一緒にスラブラやろうな!」
小学生のような約束を次兄が取り付ける。
「あ!そうだそうだ、待って待って」
母が何か思い出し、一度家に戻って、手紙を手に戻ってきた。
「これ、読んだら燃やしていいから」
「何コレ?」
絹川の手に押し付けられた手紙を志麻子が覗く。
「お父さんが、仕事行く前に急いで書いてた手紙」
「えっ」
絹川が慌てて両手で押し戴くようにして手紙を掲げた。
「えっ、お父さん何書いたの?」
「さあ〜。娘の彼氏に宛てる手紙だから…」
「果たし状か」
どっきりヤンキー所属の次兄が口を挟む。
「お父さんが?なにで戦うの?」
「なんだろ。腕力じゃ負けそうだな。まあでもうちの父は四天王にして最弱だからな、絹川くん」
負ける前に言われている。
「は、あの、後で。家で拝読します」
「ハイドクなんてしなくていいよ〜!テレビ点けてゲームしてポテチ食べながら斜め読みして」
母が酷いことを言い、次兄に「翔人、拝読って言葉知ってる?」と変な確認をしている。
「私、バス停まで送ってくから」
と言って挨拶を終えた絹川を志麻子が連れて行った。
「お父さんいなくてごめんね」
「いや、いいよ。仕事じゃ仕方ないし、俺もうお腹いっぱい」
バス停に着くと、息を吐いて絹川がベンチに座った。
「疲れた?」
「いや…緊張はしたけど、楽しかった。また行きたいな。…」
「ん?なあに?」
隣に座る志麻子の顔をじっと見る絹川に、首を傾げる。
「キスしたい」
「にゃー!」
志麻子は鳴いた。赤くなる。
「ダメだよ、ここド近所だかんね!」
「わかってる。あーあ。…あの家から、一人で帰るの、キツイわ」
絹川が不貞腐れたように呟いた。
「志麻ちゃんのお父さん、家に帰るの毎日楽しみだろうな。いいなあ。家に帰って、あんなオモロい息子達と奥さんと、可愛い志麻ちゃんがおかえりって言ってくれるの、最高だろうな」
「くふふ」
志麻子は笑って、
「結婚したらウチみたいな家にする?」
と絹川の顔を見る。絹川は途端に背筋を伸ばした。
「うん」
ちょっと大きな声で言って、口元を手で覆う。
「やばい…俺今日死ぬかも」
「えっ」
「今の、俺のさっきのやつの返事でしょ?いや、絶対そう。絶対そうだ。やばい。志麻ちゃんと結婚出来るとか、やばい。うわ、うわ、やばい」
絹川が志麻子をガバッと抱き寄せた。
「こ、…こうき、だ、だめだって…!」
「無理。もう俺の奥さんだもん。…うわ、奥さんだって、やば」
「こ、こ、こうき…!」
志麻子がぎゅうと抱き締められて足をバタバタする。
「ダメだよ、取り消し出来ないからね。結婚式もしよ、すぐしよ。皆に見せびらかしてぇし。いや、やっぱ稼げるようになったらちゃんとしよ。そんで一緒に住…はあ、やばい。志麻ちゃんと一緒に住めんの。やばい。好き。好きすぎてやばい。俺の奥さんを好きすぎてやばい。…うわ。奥さんだって」
話がループしてる。
志麻子は突っ込みたいところが山程あったが、とりあえず、
「洸季、ば、バス来、きましたよ…!?」
角を曲がって来るバスを見つけて必死でもがく。
「乗らない。次ので帰る」
「ええー」
「てか暗くなってきたし、奥さん家まで送って帰る。…はあ、やばい。奥さんって…」
「洸季〜っ」
送ってきたのに、送り返すと言う。なんだか見覚えのある絹川のポンコツ化。
「はあ、連れて帰りたい。志麻ちゃん…、あ、乗らないです、すみません」
本当にバスを断って、絹川は再び志麻子の髪に顔を埋める。
「愛してる…今度は婚姻届、持ってくるな」
「う、ちょ…洸季、い、色々、気が早い…」
「あー…連れて帰りたい。今日はマズいよなあ、流石に…。早く一緒に暮らしたい、志麻ちゃんが家にいてくれたら毎日スキップで家帰る」
「んふっ」
絹川のスキップを想像して志麻子が吹き出した。
「んふふっ、も、洸季、ふふ」
志麻子は笑い出す。
「ん、なーに?何が面白かった?うっわ、笑顔、超可愛い」
「何じゃないよ、もう…!ふふ、もう。洸季は私のことが好きだなあ」
「好きなんてもんじゃないよ、好き」
何を言ってるのだか。
「志麻ちゃん、俺の全部だから」
「ん…、あのさ、でもさ…、そ、そろそろ離れてくれないと…ほんとに知り合い来ちゃう…」
「うん。…あー…キスしたい。抱きたい」
キスからレベルアップしてる。
絹川は渋々志麻子を離すと、
「志麻ちゃん、明日は会える?」
「明日?…明日は洸季がバイトでそのあと学部飲みじゃなかった?」
「行かない。断る。志麻ちゃん、泊まりに来て」
「わあ、ばか。駄目だよ、ドタキャンなんて」
「明日は腹が痛くて無理だ」
駄々をこねる。
「もう…。家で待ってるから、飲み会行っといで」
「来てくれんの?やった!乾杯したら帰るわ」
「ダメだっつーの」
絹川はそれからバスを二本見送り、本当に志麻子を家まで送って上機嫌で帰って行った。
その夜。
――お義父さんからの手紙、読んだよ。
志麻子のスマホにメッセージが届いた。
お義父さんって…。
――非常に心に沁みる果たし状だった。割り箸ペンで書いた?ような感じだったのが不思議だけど。よろしくお伝え下さい。
果たし状だったん?
割り箸ペンて、懐かしい。父が使ったのは多分、志麻子が昔お小遣いで旅行先で買ってあげたガラスペンだ。大事に使ってくれているが、筆跡は割り箸ペン。
手紙の内容を聞いても絹川は性格的に教えてくれないに決まってるので、帰って来たら父に聞こうと決意していると、またピロンと通知音。
――おやすみ、奥さん。
まだ続いてる。
志麻子はクフフと笑いながら、乗っかることにした。
――おやすみなさい、あなた。
既読になってちょっと待ったが、反応がないので志麻子はスマホを放置してお風呂に入ることにした。
自分の軽率なメッセージで、恋人が爆死して床に突っ伏しているのも知らず…。
その男の手には、ダイイングメッセージのように未来の父親(仮)からの手紙が握られていたという。
***
長い夜のしじまを越えて出会った
親指握る小さき白い手に
生まれし意味を見出せるかな
男親の出来ることは
稼ぐことと願うこと
子の往く道に
一片の害も毒もありませんように
子の人生にただの一人の悪人も現れませんように
そしていつの日か
腕を組んで渡る
白いバージンロードの先にいる男を
俺は殴る
四兄弟が龍になる話は田中芳樹先生の創竜伝です(あー最後までまだ読んでない…)
むすびまるはご存知仙台発のトップアイドルです。
読んでいただいてありがとうございます。
何も投稿せずにいる間も、感想やメッセージやコメントいただけて、幸せでした。
心からの感謝を。