五話 『 今、制止した世界が 』
「父様! 母様!」
ミーナはあまりにも大量で種類の違う感情に押され、自分がいまどんな言葉をかけて良いのか、自分がいまどんな行動を取ればいいのか分からなかった。
だから、ただその存在を呼ぶしか出来なかった。
両親は互いの顔を見合わせると、座りこんだままのミーナに近づき、父が右手を、母が左手を握って笑顔を作る。
「立派になったね、ミーナ」
「それになんだか大人っぽくなったわ」
そして、左右からそっとミーナを抱きしめた。
「父様、母様……ッ! あ、ああ……あああああああああああああああああああっ!」
再会。十か月ぶりに感じる父と母のぬくもりがあまりにも温かすぎて、ミーナの口から零れる言葉は涙にけぶり、父と母はそんな娘を抱きしめる。
だがその泣き顔を見て、両親は悲しみを目元に僅か浮かべることを止められなかった。
自分の肉体だからこそ、分かってしまう事がある。
「……ごめんね、ミーナ。本当なら、もっともっと、これからも沢山お喋りしていたいのだけれど、肉体の損傷は相当で、もう時間はないんだよ」
「だからあたしたちは……もう行かなくちゃならないの。せっかく会えたのに直ぐにお別れだなんて寂しいけれど、あたしとお父さんの娘だもの、へっちゃらよね?」
しかし言われたミーナは泣き顔のまま頭をふるふると振って見せ、放すもんかと両親の腕を強く掴む。
「い、いやだよ! 一緒が……一緒が良いよ!」
それでも、父も母もその言葉にはただ苦く、とても寂しそうに笑っただけだった。
ミーナは、二人のその顔がどんな意味をしているのか知っていた。どうしようもないことにも拘らずミーナが聞き分けられない時、父と母は決まってこの顔をしていたのだ。
「一緒が……一緒に、ねぇ……父様、母様」
ミーナは口をへの字に曲げて、ぽろぽろと涙をこぼす。
その涙をぬぐうには父の手も母の手も血で赤く染まり過ぎていて、叶えられない願いに、二人はただ口を噤んでぎゅっと抱きしめるしか出来る事がなかった。
最期の力を振り絞って、父は言う。
「本当なら、最後のこの魔法は発動してほしくなかった。魔力循環の強制による一時的な意識の起動……やはり〝黒の猟犬〟は私たちを傀儡にして操ったか。それも、ミーナたちを攻撃する狂戦士としてなんて……ッ。本当に済まない、ミーナ」
ぼろぼろの体、ぼろぼろの表情でミーナの手を取る父は、しかし。
「けれど、こんな私が願うのも、願う相手として娘を選ぶのも間違っているかもしれないことだが……どうか、〝尾を飲み込む円環の大蛇〟を守ってほしい。あれは禁忌の法だ。伝説の中に埋もれていなければいけないんだ。何故とはミーナにも教えられないけど、最後にこれだけは私と約束して……お願いだ、私の、ミーナ……おねがい だ 」
そして、父がずるりとすべり、力なく地面に倒れた。
「! 父様っ!」
慌てた様に叫ぶミーナ。
今度は母が、最期の力でぎゅっと抱きしめて、こつんと額をミーナの頭に置いた。
「ふふ、この人ったら、最後まで迷惑を残して……でもね、ミーナ。お父さんを許してあげてね。ミーナには迷惑かもしれないけど、お父さんがすることはみんな人々を守る為なんだから。でも……あたしからも、最後の約束をさせて……?」
息を切らせるように一拍おいて、そして。
「ミーナ、生きてちょうだい。死んだら駄目なんだからね? ぜったい、ぜったい……駄目、なん……だから、ね 」
そして母も、ずるりと体から力が抜けて地面に倒れた。
「かあ、さま……!」
ぐうぅ……と漏れでる嗚咽で喉を鳴らして、左右に倒れた両親の手を強く握る。
寒さに震えるように肩を揺らして、悲しみに歯を食いしばる。
「なんでぇ……せっかく……なのに、なんでぇ……?」
ぽろぽろと涙が頬を伝い、それはとめどなく流れていった。
――と、そこに。
ぱちぱちと、小さな拍手が聞こえてきた。
ロアラ・ガルバン・マグティーノ。
「いやあ、本当に驚きました。驚き過ぎて、三文すら払いたくない醜態劇を最後まで見てしまったじゃないですか。しかし、ふむ、〝空転の歯車〟による狂戦士製造は、魔力循環の阻害によって精神を根こそぎ狂わせるもの……まさか、あんな抜け道があるものだったとは。今度からは違う方法で――」
「下衆が」
マグティーノの言葉に割り込んだのは、静かな怒りを湛えるジョイズ・モントレーだ。
「人の想いが奇跡を起こしたことに気づかんとは、ほとほと呆れ果てる」
折れた大剣を鞘に戻し、動きを止めているマグティーノ達から距離を取る。
マグティーノはジョイズ・モントレーが言っている事の意味が理解できず、ため息を吐いた。
「奇跡? 奇跡ですって? 何を馬鹿な。これまで少なくとも数百人の命を刈り取ってきましたが、それでも今まで奇跡が起こって標的が生き残った事なんてないのですよ? それなのに、奇跡ですって? 笑わせないでください。初めて取り逃がした生き残りも、この通り戦闘意欲さえなくして、薄汚れた死体の手を握っているじゃありませんか」
ああ、みっともない。マグティーノはそう呟くと苛立たしげに首を振る。
「結局は私が殺すのです。偶然にも十か月だけ寿命が延びたことは認めますが、しかし、それでも奇跡なんて起こるはずがないのですよ」
「そーかい」、と呆れた様に、疲れた様に、溜息でも吐くようにそう言ったのは、アグニである。アグニは肩をすくめると、ジョイズ・モントレーとは反対方向に離れていく。
「けどな、テメェは人の中で、一番触れちゃならねぇとこに触っちまったよ」
「触れてはいけない所? そんなもの、今から死ぬ人間にある訳がない。それはあなたもそうですよ? アグニ・セイティフス」
言われて、アグニはもう一度「そーかい」と零した。
アグニはミーナの、両親の手を握って俯くミーナの小さな背中をそっと撫でて、ジョイズ・モントレーに声を投げる。
「でもよぉ、おっさん。こんなに静かな場所なら、下衆にも聞こえるかもしれねぇな」
「かもしれん。人の想いに無下な者も、地獄に近い此処ヘルズネクトなら、あるいは」
そのとき。
小さな風がミーナを撫で、マグティーノに向かって吹き抜けた。
瞬間。マグティーノは、とても小さな言葉が自分の耳にするりと入ってきた様な気がした。
「……ん? なんですか、今のは」
するともう一度、今度は先程より強い風が谷底を吹き抜け、また言葉が届けられる。
今度ははっきりと、怒りの旋律を持って、強烈に。
「――許さない」
次回 「 強さを孕んで進化する 」




