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一話 『 谷底を埋め尽くす狂気 』

「――――あなた方は私と戦いますか? それとも、殺されていただけますか?」

 人を殺すことに楽しみを見いだす者の享楽的な響きが、その声には含まれていた。

 一騎当千の三人が、たった一人の暗殺者を前に、気圧される。

 はっきり言って、危機的状況から抜け出せていなかった。

 それどころか、より一層危機的状況になっていた。

 だからアグニは、奥歯をかみ砕かんばかりに喰いしばっていた。

 視覚と嗅覚が潰されて、苛立ちを煽られながら戦わされていた先ほどとは戦闘環境という点で改善されているし、暗殺者の連中もヘルズネクトに住む奇怪な魔物や獣たちも襲ってこずにいて、どこかにどんな方法かを使って隠しているのだろう切り札も、切り札と言うくらいだからそこまで数多くないはずなのだが、たった一つの石ころで、切り抜けたと思った状況を覆されてしまった。その上、アグニ自身の魔力が底を突きかけていて、本当ならば、ここで戦うのはジョイズ・モントレーだけで十分な戦力差になっているはずだったのに、そうはならなかった事実が焦りを植え付けてくる。

 アグニが魔力を解放させる前にマグティーノに言った『お前の言葉を信じてみようと思ってな』という言葉は、マグティーノ自身が言っていた『まさか〝黒の猟犬(ブラックハウンド)〟が半数、せっかく時間をかけて作った狂戦士も残すところ切り札のみになってしまうとは』という言葉の戦力差を考えての事だった。

 なのに、実際に改善されたのは環境だけ。原因はアグニの残存魔力量やミーナの戦闘意識もそう、究極にはマグティーノが持っていた、たった一つの石ころだ。

(アホか……ッ! もし神様ってのがいるなら考えなしにも程があるッ!)

 ミーナと出会ってからの十か月で最大の焦りが躰を焼く。

(プリズム鉱石、だと? 伝説は伝説だ、伝説のままで良いじゃねぇか!)

 常の様に自分の斜め後ろに引っ付いて顔を青くしているミーナに視線を向け、くそっと声に出さずに毒づくアグニ。見ればジョイズ・モントレーの顔にも一筋の汗が流れている。

 それほど、今という状況は圧倒的に不利だった。

 それこそ、どうしていいか分からずに体を固める程度には。

 けれど、焦ってばかりではどうしようもないのが現状で、危機的状況を打開する為に思考しなければならないのが戦場だ。このまま焦っているだけなら自殺志願者と変わらない。

アグニは強く拳を握って、焼け付く心に風を通す為に息を吸った。

マグティーノを睨んだまま思考を強引に切り替えていく。

(本当にろくでもねぇ状況だ。ろくでもなさ過ぎて笑えてくる。けど、笑ってる場合じゃねぇのが今の状況だ……ッ!)

 そして、完全に思考が切り替わった。

(確か、あの伝説には太陽の光が重要だと言われていたはずだ)

 アグニはちらと、上空の雲に空いた穴を見上げ、

(プリズム鉱石は、地中で溜まった特殊な魔力が日光にぶつかると反応して性質変化を起こし、其処に人体から発生される魔力を通す事によって伝説上の効力は現れる……それがこの伝説の通説だったはずだ。それがどこまで本当かなんて伝説だからこそ分からねぇが、あの野郎がプリズム鉱石の現物を見せ付けてまで挑発してくる程度の事実はあるんだろう。――けど、ヘルズネクトはあまりに深い谷の底で、視界に映る範囲でいうなら太陽光は直射して来ていない。なら、挑発以上の意味があるとは考え難い、はずなんだが……)

 アグニは視線をマグティーノへと戻し、訝しげに眉を寄せた。

(けどだとしたら、どうして奴はこの状況であの石(、、、)を取り出した? 挑発する為にしても変だろ。いや、挑発する為だけならなおさらだ。ここには日光が入ってきてない。陽の光がなきゃ、あの伝説は発動しないってのが通説で、通説ってくらいだからそれは本当なんだろう。俺たちと奴との距離は目測で五十レートルぐらいしかないし、この程度の距離ならおっさんの攻撃範囲内だ。広場で感じた抜剣時の圧力はアレが本気じゃない事を教えるようなもんだったし、今攻撃しようと思えば当たるかどうかは別にしても攻撃は届く。さっきまでの戦闘でそれは奴にも感じ取れているはずだ。なのにどうして……待て、日光?)

 そのとき、グロウス城下で露店を開いていたおばちゃんの言葉が、ふと脳裏を過った。

『陰干しから天日干し。要するに、お天とさんには目に見える光と目に見えない光があってね、その両方を当てるから、うちの魚は美味いのさ』

 つまり。

(目に見える光と……見えない光…………ッ!)

 つまり――直射日光だけが太陽光ではない。

 直後、頬が最大限に引きつり、咆哮とも思える叫びが放たれた。

「おっさん、〝魔連隊の召喚石(あの石)〟を砕け! 早く!」

 突然の言葉に、一秒にも満たない一瞬の戸惑いがジョイズ・モントレーの体を縛った。けれどアグニの裂帛と言っていい言葉に押されて戸惑いの鎖を引き千切り、王国騎士の師団長はその巨体から繰り出される一歩を信じられないほど大きくだすと、自身の肉体と大剣を力強い夕焼け色のアウラに包んで――一閃。


煌煌抜(こうこうばっ)(けん)、七の型――〝轟束(ごうそく)一矢(いっし)〟』


 雷鳴轟くような凄まじい音と共に放たれたのは、空間を歪ませ奔る真空の矢。

 それは、その矢に触れれば無残にもぼろ布の様に敵を屠る必殺の技だ。

 しかし、そこで。

「気付くのが少しばかり遅いですね。アグニ・セイティフス?」

 プリズムが、光る。

 透明にしか見えない虹色という矛盾をはらんだ〝魔連隊の(サメントプリズム)召喚石(レジメント)〟独自のアウラの光が、強く強く明度を上げて一帯を塗りつぶしていく。

「太陽光には人の眼が認識できる色以外の光が数多く含まれているそうです。それを何と言うのか私には分かりませんが、本当の所、そんなことはどうでも良いのですよ。そう、大事なのは――直射日光だけが太陽からの恩恵ではないということですから!」

 光の中で言葉が続く。

「内心、びくびくしていたのです。このプリズム鉱石はね、一定以上の光量――辺りがしっかりと見渡せる程度の光量で発動できるものなのですが、発動までに時間は掛かるし、光の中で三分は外気に晒しておかなければならないし、なのにあなた方は森の中でしたし。けれどほら、アグニ・セイティフス。あなたのお陰で森も、空を覆っていた雲も、綺麗になってくれましたのでね。これはまさかあなたに感謝しなければならないのでは、と考えてしまった程ですよ」

 ふふふ、と嫌な笑い声が響く中で、光が収まっていく。

 眼球を刺すような強烈な光が収まって、それでも眼を眩ますような透明な虹色の残滓が消えたとき――そこには、絶望と言って遜色のない光景が広がっていた。

次回 「 悪臭の色 」

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