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第六章 進化する真価

 更地に変えられたヘルズネクトの谷底は、荒野以上に荒涼としていた。

 周囲にあった気味の悪い木々も、グチャリとぬかるんだ地面も、降っていた雨さえも、アグニの魔力解放によって今は遠くに押しやられ、そこには三人以外に何もなかった。

 だから。

 ミーナは全部終わったと思っていた。

 隠された『秘密』である〝尾を飲み込む(リング・オブ・)円環の大蛇(ウロボロス)〟は見つけることが出来たし、自分が求めた真相も知ることが出来た。その真相に打ちのめされていないとは言えないし、グリフォンが居なくなったから相当の時間が帰り道に掛かるとしても、あとはグロウスの王様の所へ報酬を貰いに行くだけだと、本当にそう思っていたのだ。

 なのに。

 アグニはまだ、頑張れと言う。

 アグニはまだ、戦いがあると言う。

 ミーナは、からかわれているのかと思った。

 いつもの様に自分の事をからかって、オコチャマンと馬鹿にされるのだと思っていた。

 だって、周りには何もないじゃないか。

 だって、周りには誰もいないじゃないか。

 けれど。

 アグニの言葉は間違ってなかった。

 アグニはからかってなどいなかった。

 ミーナはいま、自分がどんな顔をしているのか分からずにいた。

 自分がいま何を考えて、自分がいまどんな気持ちで、自分がいまどんな思いで、自分がいまどんな声を出そうと――いや、出しているのかさえ、分からないでいた。

 呆然と自失だけではない、目の前の光景すべてを拒絶してしまいたいという願望。

 忌避すべき現実だと、受け入れてはいけない映像だと、体が全身で訴えてもいる。

 だと言うのに肉体は意識を保ったまま、目蓋を閉じる事さえ許しはしなかった。

 これがお前の生きる世界だと、逃避することは許さないと、真実が笑っていた。

 ミーナの体のどこかがガタガタと激しく揺れて、今にも何かが崩れそうだった。

 崩れた端から白く変色して、砂の様にさらさらとどこかへ流れていきそうだった。

 でも、それを必死で阻止するものが確かにあった。

 繋ぐ手から伝わる温もり。

 掛かる言葉が支える想い。

 アグニが、ジョイズ・モントレーが、ミーナ自身を殺させないようにと懸命に踏み止まらせていた。

 ミーナは壊れたいと思っているのかもしれななかった。

 こんな現実から抜け出せるなら、どうなっても良いと思っているのかもしれなかった。

 でもそれは許せないから、アグニ達はミーナの死ぬという希望を打ち砕いていく。

 わなわなと揺れるミーナの唇。

 がちがちと震えるミーナの顎。

 視界の先に映るものは、手を握りつつも狂戦士の攻撃から自分を守ってくれているアグニの横顔。

 視界の先に映るものは、無骨長大な大剣を振るい、今のこの現実を作り出した暗殺者であるマグティーノの集団と戦うジョイズ・モントレーの巨体。

 戦闘が始まってどれほどの時がったっているのだろうと考えることも出来ないミーナの口から零れた言葉は、今の状況を語るには最適で、とてつもなく最低の物でしかなかった。

 だって、震える喉が紡ぎ出した現実は、あまりにも慈悲がないものなのだから。

「 ―― ?」


†††


 目測で五十レートル先の地面を盛り上げて出てきたのは、泥に塗れた一本の腕だった。

 そこから植物の芽が出てくるように抜け出してくるのは、半分以上を欠いた赤と緑の面と、その下にある線の細い顔。

「いやはや参りました。まさかですよ。ええ、本当にまさかという思いで一杯ですよ」

 グロウス国営商会会長改め、暗殺者集団〝黒の猟犬(ブラックハウンド)〟は頭領。

 名を――ロアラ・ガルバン・マグティーノ。

 かけた面から覗く顔に、やはりきっちりとした笑顔が張り付くマグティーノは、適当に泥をはたきながら言葉を続ける。

「アグニ・セイティフス。あなたにここまでの能力があるなんてね。誤算もここまでくれば、逆に感心してしまいます」

「そりゃどーも。驚かすことが出来たんなら万々歳だ。どうやら他の暗殺者はどっか飛んでったみてぇだし、これでテメェの言う〝切り札〟ってのもなくなってりゃ良いンダがなぁ?」

「その事を含めて、本当にまさかですよ。まさか、彼らが私を守るために身を挺するなんて。私たちは暗殺者集団ですから、頭首なんて肩書きはあってないようなものだと思っていましたのに。まあ、そのおかげで私は無傷。多少体につく泥が不快ですが、切り札も守れました」

「チッ……そうかよ」

 思わず言葉に苛立ちが滲み、隣で腕にしがみ付きながら驚いた表情を作っているミーナを無意識に窺って、苦虫を噛み潰したような顔を作ってしまう。

 アグニの中に、生まれた迷い。

 頑張れと言った自分の言葉を曲げてでも、ミーナの眼を塞ぐべきか――と。

 替わって、ジョイズ・モントレーは隙なくマグティーノを観察し、鞘にもどしてある大剣の柄に軽く手を添えながら尋ねた。

「それで如何するのだ、マグティーノよ? 我らは貴様に〝尾を飲み込む(リング・オブ・)円環の大蛇(ウロボロス)〟を渡すつもりは毛頭ない。王の(めい)があることもそうだが、それ如何(いかん)にかかわらず、貴様はもとい、己の欲求でしか動かぬ者に指輪は渡せん。さらに言えば、この開けた視界と、戦いやすい更地。貴様がどれ程強かろうが、暗殺術に長けた者と我が騎士としての力量では、少なく見積もっても雲泥の差が有ることを教えておくぞ」

「それは、そうでしょうとも。私も案外に暗殺者ですが、一対一で王国騎士の師団長殿に敵うなどとは思っていません」

 マグティーノは簡単にそれを認めて、しかし薄く嫌な笑みを線の細い顔に浮かべる。

「ですがね、師団長殿。私もただあなたの国で十か月をのうのうと過ごしていたわけではないのです――例えば、そう」

 そう言いながら懐から何かを取り出した。

「これを手に入れる為に働いていた、とかね?」

 黒ずくめの装束の中から取り出した物は手のひらサイズのとある石。

 それを掲げる様に持ち上げてうっとりと目を細める。

「師団長殿、これが何かお分かりですか?」

 ジョイズ・モントレーは眉を顰め、五十レートル先からでもわかる石の名を口にした。

「プリズム、であるな? それがどうし ―― まさかッ!」

 直後、息が詰まった。

「気付きましたね?」

 マグティーノは薄笑いの皺を深め、ニタニタと表情を崩して見せる。

 そう、プリズム(、、、、)鉱石(、、)

 それは人工物なら数多く存在するクリスタルの模造品だが、天然鉱石として出回る物ならば、とんでもない貴重価値が付加される事をジョイズ・モントレーは……いや、この世界に暮らす者は知っている。

 アグニのこめかみが不気味に蠢き、

「冗談だろ、おい……」

 ミーナの顔から血の気が引いた。

「……嘘、だよ。きっと」

 だが、この状況で偽物を出す意味が無いなど、この場の誰もが分かっている事だった。

「残念ながら、これは本物ですよ」

 駄目押しとばかりにマグティーノは笑った。

「天然プリズム鉱石。通称〝魔連隊の(サメントプリズム)召喚石(レジメント)〟。この鉱石一つが持つ力は、地中で自然と蓄えられた特殊で膨大な魔力によって作り出される、数多い分身体。その数は数百、多ければ千を超える物もある――〝この世界の伝説の一つ(、、、、、、、、、、)〟。まあ、使用条件が限られているので万能という訳ではありませんが、それでもこの物量は圧倒的でしょう。さすがの師団長殿も手を焼くのではないですか?」

 半分以上割れた面の下からククッと喉を震わせて、さらに続ける。

「本当に苦労しましたよ。幾ら私が商会長のポストに居たからと言って、世界に伝説と認知される品を手に入れるのは、ええ、思いのほかに大変だった。それに……それにね、師団長殿。私には切り札があると言ったではないですか。もちろん、このプリズムの他に。だからね、今度は私からお尋ねしますよ」

 言う割には存外気楽に伝説の鉱石を手の中で遊ばせるマグティーノは、笑みを深くするような間を、一拍。ニタァと笑って。

「あなた方は私と戦いますか? それとも、殺されていただけますか?」

次回 「 谷底を埋め尽くす狂気 」

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