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一話 『 感情と責任と大きな背中 』

 命掛かる戦場に響く、ミーナの悲鳴。

「それでも、一気にドカーンって……」

 アグニは僅か動きを止めて、肩ごしに後ろを見た。

 そして、やっと気付いた。

 ミーナに限界が迫っている事に。

「アグニィ……」

 魔力が底を突きかけている訳ではない。

「あたし、もう無理だよ……」

「ミーナ――」

 人が人を殺す事に対して、ミーナの覚悟が尽きかけているのだ。

 戦争によって多くの人間を殺した兵の中には、心を壊す者もいる。

 生存本能より、社会に生きる人間としての尊厳や罪の意識が(まさ)ってしまう瞬間だ。

 殺さなければ殺されるからという理由づけは、生き残る上で正しいかもしれない。

 けれど、他人を殺してまで自分が生き残る価値があるのかと考えてしまえば、思考の壁に突き当たってしまうのが人間だ。死にたくないという一心で〝銃火器精製魔法(イグニティア)〟の撃鉄を振り下ろし続ける自分の行為が、とても醜く思えてしまい、だから、一気に終わらせようとミーナは懇願していた。

 それは、疫病に侵された村の人間を一人一人殺すのではなく、村ひとつを丸ごと焼き払い、たった一度眼を強く瞑って終わらせようとする行為の様に。

 もう、人を殺したくない。

 けれど、殺されたくもない。

 ならば一気に――それがミーナの答えだった。

「ねぇ、お願いだよ……」

 谷と森の深さに加え、気味の悪い枝葉に覆われた天井の、さらに上を厚く覆っているだろう暗い雲によって作られる、未来まで喰いつきそう深い闇ではっきりとは見えないが、新緑色のアウラに陰るミーナの表情は、目を逸らしてしまいたくなるほどボロボロだった。

「アグニ……!」

 しかし――それでも。

「……駄目だ」

 アグニは生きる事への悲鳴を聞いて、それでも願いを聞き入れる事は出来なかった。

「俺はお前を生かす為にここに居るし、お前も望んでここまで来た。もし、死ぬかもしれない賭けに出るくらいなら、初めからお前に『ついてこい』なんて言ってねぇ」

「でも、あたしは――ッ!」

「何も出来ねぇならしなくていい! 死ななきゃそれで十分だ! お前が望んだ『親の死の真相』は突き止めたんだ。これ以上、辛い思いなんか……しなくていいんだッ」

 アグニは飛びかかってくる蜘蛛の様な蝙蝠を叩きつぶして続ける。

「けど、その事と諦める事はイコールじゃねぇ。生きる事を『もう無理』なんて言うんじゃねぇよ。せっかく父ちゃんが誕生日を祝ってくれたんじゃねぇか。(つら)い事は全部俺が引き受けてやる。俺がとるミーナへの責任は …… 」

 アグニは途中で口を噤んだ。個人の覚悟や責任は他人にひけらかす物じゃない。それをしてしまったら、ただの愚痴か恩着せがましい奴になってしまう。

「いいから、俺から離れずについて来い。この作戦が成功すれば金も爵位も手に入ンだ。そうすりゃ、お前はこんな世界を見ないで済む温かい陽だまりに戻れンだからよ」

「それって、どういう……?」

 ミーナの疑問に、あるいは困惑に、しかし答えを返さないアグニは、ミーナを狙って飛び掛かってきたモンスターを叩きのめすことで会話を終わらせた。殴られた巨大な蟻の様な鼠という不思議なモンスターは、薄いガラスが砕ける様な儚げな音を響かせて、アグニの拳が纏う深紅のアウラに煌めきながら消滅していく。

 その瞬間、ミーナの眼に薄ぼんやりとした確信が映り込んだ。

「あ……」

 そのときにはもう、新緑色のアウラが描く魔法陣から種々様々な形で生み出されていた銃火器の撃鉄は、錆びついたように動かなくなっていた。悲しく寄る眉根と、むっと引き結ばれる唇。俯くその表情には、一体どんな感情が押しとどめられているのか。それは本人にも理解できない事だったが、それでも〝銃火器精製魔法(イグニティア)〟を完全に消すことが出来なかったのは、〝もしも〟を考えてしまうから。殺すことは嫌なのに、死ぬこと、アグニが殺されることも嫌だと考えてしまうから、消しきれない。薄ぼんやりと見えてしまった確信に動揺しても、それは変わることがないもので、だからこそ、暗闇の中でも大きく見えるアグニの背中を、悔しそうに見詰めるしか出来なかった。

(あたし、オコチャマンだ……ッ)

 アグニは、その視線に気づいていない風を装いながら、ミーナを挟んだジョイズ・モントレーに声を投げる。

「おっさん、もうちっと踏ん張ってくれ。この状況をひっくり返せる何かを、きっと思いついて見せるからよ」

 ジョイズ・モントレーは何か飲み込むような一呼吸の間を開けて、言葉を返した。

「……、そうか。なれば我は、お前の姫様もついでに守り切って見せよう。陽だまりに返り咲く花は、多分に可憐であろうからな」

「俺の、かどうかは別にして、こいつが可憐な姫様? ンな馬鹿な」

「何を言う。命に重きを以って己が行いを見つめる事が出来る。それは可憐であろう」

「いじらしいって?」

「岩山に萌える草木の様に、とでも評そうか」

 言葉を交わしつつ、ジョイズ・モントレーは先ほど仕留めそこなった敵を切り裂きながら頷き、アグニがその言葉に下らない冗談を聞いてしまったような笑いを零した。

 闇の中からねっとりと、しかしどこかきっちりとした、型にはまった様な言葉遣いの声が聞こえてきたのは、この時だった――。


「ああ、求めるとは儘ならないものです。ねぇ、アグニ・セイティフス?」

次回 「 黒の猟犬 」

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