五話 『 夢とうつつの狭間 』
聞こえた声。
間違えるはずがない。
「父、様……?」
呟きが漏れた。けれど返事はなかった。
姿のない父からの言葉だけが、ただ続いていく。
『と言っても、いま私の目の前でミーナは可愛い寝顔を見せてくれているから、変な気分ではあるけどね。――本当なら、こんな魔法など使わずに直接言いたかった。けど、もしこれをミーナが聞いているのなら、きっとミーナは私が死ぬ理由を突き止めてしまったんだね。そしてミーナは、真相を突き止められる程に強く立派になって、なによりも生きているんだね。それが私にはとても嬉しいよ』
ミーナは声を聞きながらゆっくりと辺りを見て、音がどこから聞こえるのか探った。
そして気付く。
今まで周りのアウラの色と同調して忘れていたネックレスの銀板が、より強く輝いていることに。
『これは、ミーナが今持っているだろう〝尾を飲み込む円環の大蛇〟を包む封印球と、ネックレスの銀板が一定以上の距離に近づくと再生される様に仕掛けたものだ。ネックレスにはもう一つ魔法をかけてあって、これは本当なら発動しない方がいいのだけれど、万一の為にもネックレスは無くさないようにね……それから、えっと、そう! 銀板にかけてある魔法の原理はといえばそれこそ複雑な! ……あー、いや、それはどうでも良いか。魔法の事になると、どうもね……』
悪い癖だ。そう言って〝声〟は寂しそうに笑った。それはきっと、娘の寝る枕もとだからこそのものだったのだろう。そしてその寂しそうな〝声〟は、そのまま続いていく。
『そうだ、ミーナ。これを聞いている時、傍に友人はいるかい? お腹を空かせてはいないかい? きっと、ミーナをいまの状況に追いやった私は、心配する権利さえないのだろうけど、親とは不思議なものでね。ミーナの寝顔を見ていると、これまでやってきたことが間違いだったのではとさえ思えてくる。高貴なる人間の務め――私は捕らわれ過ぎていたのかもしれないね。我が子の寝顔さえ、危険にさらそうというのだから』
「父様……」
未来で聞いているかもしれない娘に向けての言葉は所々で時間を越えた物になっていたが、姿は見えずとも確かにそれには悔しさが滲んでいて、ミーナは、自分の父親がそんな声を出すなんて思っていなかったからか、驚きも半分、表現に難しい痛切さを感じていた。
『でもね、ミーナ。私は、私の意思でここまで来た。引き返せはしないし、引き返すつもりもない。これはお前の所為なんかじゃ決してなくて、私と母さんの〝お前に生きていてもらいたい〟という我が儘だ。だから、ミーナ。お前も、お前の信じる道をどこまでも進みなさい。これを聞けるほどに立派になった娘に言う事ではないのだろうけど、それでも親として『強く自由に生きなさい』と言わせておくれ――そして、きっと直接言えなくなるだろうから、これを最後に残して置くよ』
〝声〟はそこで一拍の間をおいて、今までにない優しい響きで、こう言った。
『ミーナ、十八歳の誕生日、おめでとう。良く、大きくなったね。――ありがとう』
そしてその優しい響きがフツと途切れた時に、父親からの言葉は終わった。ネックレスの銀板から明度高く上がっていた露草色のアウラがすぅと消え、手に持った封印球が空気に溶ける。
十か月ぶりの父の言葉が耳の奥で残響して、ミーナの胸に何かを残す。
手のひらに転がる指輪と、色を失った銀板を見つめ、ミーナは口を閉ざした。開いてしまったら大切な物まで零れてしまいそうで、開くことが出来なかった。
指輪と銀板を胸元で強く握り、目蓋をぎゅっと閉じて、それでも我慢しきれない想いが、細い肩を小さく揺らす。
もう二度と聞けないと思っていた声からの『おめでとう』と『ありがとう』は、最後に聞いた『生きるんだ』という必死さが垣間見える叫びではなく、とても穏やかで優しい、ミーナの知っている父親の物だった。
今、ミーナは何を思っているのか。
泉の縁に立つ男二人には、ミーナという女の子の背中が、どう映っているのか。
ただ一つ言えることは、泉の中央から漏れ聞こえる小さな嗚咽は、アグニが以前に聞いた悲しみだけが広がるものとは、少し違うというだけだった。
次回 「 開戦の号砲としては懐かしい得物 」




