三話 『 危うい強さと支えの強さ 』
だって――それは、そうだ。
今の話が本当なら、こんなにすごい事はない。
そのものは世界のだれもが一度は考えるだろう死の恐怖を、克服してしまえる途轍もないアイテムだ。
欲するのは権力者だけじゃない。死ぬことが救いだと考えるどこぞの賢者以外の人間すべてが、喉から手が出るほど欲しがるものだ。
だから伝説なのだ。
故に禁忌なのだ。
死の軛から解放され、永遠の生を謳歌できるのだから。
でも、だからこそ考えてしまう。
これは――如何しようもない事だ、と。
確かに、アルマディウス侯爵からの手紙をはじめから信じていれば、何らかの策は打てたかもしれない。他国の貴族というしがらみがあったとしても、グロウス王の後ろ盾ありきではあるが、グロウス国への移住などの方法で家族が殺される事はなかったかもしれない。
だとして、手紙の内容を鑑みれば、グロウス王が信じられなかったのも無理はない。
『伝説の魔具〝尾を飲み込む円環の大蛇〟をバナコーラ王が見つけてしまった』
そう言われて、簡単に信じられるはずがないのだ。
それは、王という立場だからというだけではなく、どれだけ多くの人々に信じられている伝説であっても、『本当に在る』、『本当に見た』という言葉だけは信じられないのと一緒だろう。
伝説とはそういう物だ。
実際、魔障に穢された森の中にある結界の中というこの場所に立っている自分でさえ、俄かには信じられる話ではない。泉の中に留まる気泡と、その中の指輪らしきものを目にしていても然りだ。
言ってしまえば、例え信じなかったという非があったとしても、グロウスという王様にも目の前のおっさんにも罪はないと、アグニは思えてしまう。これはどうしようもない事だった、と。
でも。
そうだったとして、ミーナはどうだろうか?
ミーナはどんなふうに今の言葉を受け取るだろうか?
助かる可能性は確かにあったのだ。
にも拘らず王は動かなかった。
であれば――『お前たちが父様の言葉を信じてくれないから、みんな死んじゃったんだ!』
そう考えることの、どこに不思議があるだろうか。
親は、子にとっての縁だ。雑多な事情で愛せず愛されない親子もいるにはいるが、それでも全体的に見れば、互いの笑顔を大切だと思う者達の方が圧倒的に多いはずだ。頬を張られ、抱きしめられ、生きろと言ったあの時の親の顔を、アグニは今も容易に思い出すことが出来る。
ならば、ミーナもそうなのだろう。
そう考えると、ジョイズ・モントレーの告白は、ミーナにどう伝わったのか。
アグニは自分でも気づかない僅かの不安を感じ、故にミーナの様子を窺っていた。
(それに、死の理由が見えたとして、その結果に繋がる軌跡がまだ見えて……)
だがその時――「たはは……」、と。
今にも何かが決壊しそうな、ミーナの声が聞こえてきた。
「仕方が、ないですよ……それは。だって、伝説ですよ? どっちかって言えば信じる方がどうかしているし、それに、あんな大きな町にいる王様が簡単に伝説を信じちゃダメだって分かりますもん。それより、ほら、えっと……侯爵の爵位を持っていたとしても、他国の人間である父様からの手紙を、王様が読んでくれた。それだけで凄い事でしょう? だから、うん……モントレーのおじちゃんが謝る必要なんてないし、もちろん……グロウスの王様だって……悪くないですよ」
もう一度「たはは……」、と。
眉は困ったように寄り、目じりには悲しみを刻み、口もとはぷるぷると震えていた。
けれど。
ミーナは。
列記とした笑顔を作っていた。
だから、この時だった――。
「だって、それは――」
ミーナの手を振りほどき、アグニの足が前に出た。
「――父様の」
アグニの行動を察したジョイズ・モントレーは、口を噤んで目を閉じた。
「自業自得で――」
言葉が終わる直前に、ダンッ! と。
大きく踏み込むアグニの体から瞬間的に深紅色のアウラが溢れ、その拳はジョイズ・モントレーの顔面に強く、めり込んでいた。
「――ッ!」
ズゴオォン……ッ! と。人間を殴った時に発生する音とは到底思えない硬い音が鳴り、ゴーレムのような巨体がぐらりとよろめいて、地鳴りのような音と共に倒れる。
「え……?」
突然だった。だからミーナはその光景に呆けた様な驚きを零すしかなかったし、何が起こったのか分からないと言った表情で、二人を見つめるしかできなかった。
「あ、あれ? なんで……?」
殴った格好のままのアグニと、倒れたまま動かないジョイズ・モントレー。
それは、思い切りの良い一発だった。あるいは、一般人なら即死しているほどの一撃だった。
だと言うのに。ミーナの見ている先で、アグニは殴った感触を振り払うように手を振ると、気まずい雰囲気など微塵も感じさせない動きで、ジョイズ・モントレーに手を差し出していた。
「悪ぃ。毒虫がいた、気がしたんだ」
「そうか」
出された手を掴み、ジョイズ・モントレーは起き上がる。
「なら、仕方がないな」
「ああ、しかたねぇさ」
言って、二人の男は口角をひん曲げた。
そんな気味の悪い男二人に、怪訝な目を向けて眉を寄せるミーナは、さっきまでの泣きそうな笑顔をどこかに置き忘れたように慌て始める。
「って! 仕方ないじゃないよ、アグニ!」
ミーナはポケットから小さな布きれを引っ張り出すと泉で濡らし、ジョイズ・モントレーに駆け寄って自分の目線からは随分上にある頬に押し当てた。
「アグニがあんな思い切り殴ったら、モントレーのおじちゃんが痛いでしょ!」
もう、これだから喧嘩馬鹿は! と、ぶつぶつと文句を言っている。
ジョイズ・モントレーは自分の顔に押し当てられる気遣いを感じながら、少し驚いたような表情を作り、アグニに視線を泳がせた。
「これは、何とも……」
「そういう奴なんだよ」
「ああ……だから」
「オコチャマンなんだ」
肩をすくめて応じるアグニ。ジョイズ・モントレーも肩から力が抜けていた。
年長者であるジョイズ・モントレーは、オコチャマンと言われて文句を言うミーナと、それをからかいながら笑うアグニを見下ろして、納得のため息を鼻から抜く。
(無慈悲な現実に飲み込まれて一年ほどしかたっておらぬというのに、ミーナよ、それでも笑顔を作れる程度は懸命に生きてこられたのだな)
幼さがその瞳に、危うさがその言動に垣間見えるミーナの、一体どこにそのような強さがあるのか。不思議で仕方もないが、それはおそらく、隣にいるこの男に要因があるのだろうと年長者は思うのだった。
次回 「 懐かしい声 」




