第4話 今日はソラの為の日
「まだ間に合うから。少しだけ急ぐよ」
ミナはそう言って、前だけ見て歩く。
角をいくつか曲がって大通りを渡ると、壁の古さが途切れた。
石畳が均され、道幅が少し広い。
長く列のように露天が続いている。
果物や香辛料の隣に、細い指輪や飾り紐。櫛や石鹸。
その先に、肉屋があった。
焼けた脂の匂いが通りに広がって、店先には肉がずらっと吊られている。
客が列を作って、紙包みを抱えて笑っていた。
俺は立ち止まることはなく、ただ目で追った。
子どもが母親の袖を引いて「ねえ」とせがみ、母親は小さく首を振って笑う。
道の端では、カップを片手に立ち話をしている人達がいる。
旧市街の朝には、あまり見なかった光景だ。
俺が黙っていると、ミナが前を向いたまま言った。
「ここから先、普通の市街区」
「……へえ」
道が少し開けて、白っぽい石造りの建物が見えてきた。
壁に沿って外向きの窓口がいくつも並び、そこで受付をしているらしい。
窓口の前に列ができていて、札を受け取った人が順番に中へ通されていく。
登録の手続きは、建物の中でやるようだ。
入口に人が並んでいて、カウンター越しに札が渡されているのが見えてきた。
「ほら。ここが組合だよ」
「……ここか」
入口の看板は大きい字と小さい字が混ざっている。
ミナは迷わず列の一つに並んだ。
短い会話をして。係の人が何かを確認して、板切れみたいな札を出す。
ミナは腰の小袋を開けて、金色のコインを三枚、窓口の台に置いた。
金属の音が小さく鳴った。
「行こ」
ミナが札を受け取って、扉のほうへ向かう。
中に入ると、空気が静かだった。
人の声はあるのに、どれも小さくて、 代わりに紙の音と、咳払いと、靴の音がする。
並んでいる人たちも、少し落ち着かない顔をしている。
ミナが俺の手を離した。
列の端に立たせて、肩を軽く叩く。
「ここで大丈夫。多分そんなに待たないよ。飲み物飲む?」
「……うん」
ミナは鞄を探って、皮の水筒を取り出した。
水筒の栓を抜き、そのまま俺の手元へ寄せる。
しばらく待っていると、係の声で呼ばれた。
窓口ではなく、脇の通路へ案内される。
通路を進むと、 突き当たりが一つの部屋になっていて、扉の横に兵士が立っていた。
ミナが扉を開けて俺を促す。
二人で中に入った瞬間、横の兵士が低い声で言った。
「審査官の前へ!」
奥の机に、銀の長髪の男が座っていた。
椅子に深く座っているのに背が高いのが分かる。
顔立ちは整っていて、年も若い。
目は知的で鋭く、こちらを一度なぞっただけで空気が締まった。
その机の前に立っただけで、ここが合否を決める場所だと分かった。
審査官の、静かだが通る声が届いた。
「札を出せ」
ミナが外の窓口で受け取った札を差し出す。男は受け取って目を落とした。
「登録、転生者か」
声は低く、抑揚がない。
男は俺を見た。
「名前は」
俺は一瞬詰まって言った。
「…ソラ、です」
「仮名か」
「…はい」
男は目を細める。
「年齢は」
「たぶん、十六か十七」
「たぶん?」
「…たぶん」
沈黙。
男の視線が俺の顔に刺さる。
ペン先は動いたまま、声だけが落ちてくる。
「仮名。年齢も“たぶん”か」
ミナが一歩前に出た。
「転生したばかりなんです。記憶が戻ってなくて、名札の字も読めない状態で…でも!」
男は淡々と返す。
「この世界に慣れてからでいいだろう」
それだけ言って、また俺を見る。
「所属は」
ミナが即答した。
「ラピス・ギルド」
男のペンが、そこで一瞬止まった。
顔は変えない。声も事務的なまま。
「旧市街の」
「そう…です…」
旧市街という言葉に明らかにミナが反応して声が落ちた。
男は一度だけ顔を上げて、ミナを見る。
「……君は?」
「ラピス・ギルドの長、ミナです」
男はふっと息を吐くように言った。
「そうか」
そして帳面に書き込みながら、何か呟いた。
「……似ている。サラには借りがあったな」
声は小さく、2人にははっきり届かない。
それでも、その瞬間、空気が少しだけ変わった。
疑いの目が消えるわけじゃない。けど、結論が出たようだ。
男は帳面を閉じた。
さっきの木札を手に取って、無駄のない動きで判を押す。
乾いた音が一つ。
木札を俺のほうへ滑らせた。
「合格だ。行け」
それだけ言われて、俺は木札を受け取ったまま固まった。
さっきまで空気が重かった、頭が追いつかない。
ミナも一瞬止まって、次の瞬間、ぱっと笑った。
「……っ、やった……!」
声は弾んだのに、息が少し乱れている。
ミナが俺の腕を掴む。
その手が震えていることに気づいた。
「合格だって。……ね、合格」
ミナの 潤んだ瞳から、ぽろっと涙が落ちた。
俺はそこで、何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。
昨日、今日の事が一気に頭に戻ってきて、俺は…
ミナの肝心なところをちゃんと見てなかった気がした。
俺は、 ただ、頷いた。
扉の横にいた兵士が低い声で言った。
「次。能力検査に進め!」
ミナの手はまだ少し震えている。
「……行こ、ミナ」
俺がそう言うと、ミナは小さく頷いた。
ミナがようやく離れた。
次の瞬間、何事もなかったみたいに俺の手を取って、前を歩き出す。
俺は木札を握り直して、指示された通路へ足を向けた。
通路は細く、突き当たりにまた部屋があった。
扉の横に札がかかっている。俺には読めない。
兵士が扉を開けて、顎で中を示した。
中は小さな部屋だった。
机が一つ、椅子が二つ。壁際に水晶板みたいなものが置かれている。
その水晶板の前に、長い三つ編みの女性が立っていた。
姿勢がきれいで、目線が落ち着いている。
女性は一礼した。
「宮廷魔術師のリン・セピアです。能力検査を担当します」
声は穏やかで礼儀正しい。けれど、場がきゅっと引き締まる感じがした。
リンは淡々と説明を始めた。
「本来、能力検査は十二歳で市民全員が受けます。才能に応じた道へ進んでもらうためです」
「転生者の方も同じです。いまのあなたには、まずそれが必要になります」
「十二歳で…」
俺はミナを見た。
「ミナも受けたの?」
ミナは肩をすくめる。
「旧市街ではね。お金がなくて、誰も受けてない」
それから少しだけ声を落とす。
「私は、ずっと小さいころにママがやってくれたけど。才能なし、って」
リンの瞬きが一度だけ増えた。
穏やかな顔は崩れないのに、目だけがわずかに動く。
「……お母様が検査を?」
声は丁寧なまま、確認する音だった。
ミナは当たり前みたいに言う。
「うん。ママは魔術師だったから」
「失礼ですが、お母さまの所属はどちらですか?」
「ラピス・ギルド」
リンの表情が、ほんの一瞬だけ変わった。
驚きが顔に出そうになるのを、押さえたように感じた。
「サラ……サラ・ラピスの娘なのですか」
問いというより、確かめるような声だった。
ミナは小さく頷くだけ。
リンはそれ以上踏み込まなかった。
一礼して、話を戻す。
「ごめんなさい。話がそれてしまいましたね」
「検査方法は“貸与”です。私が一時的に力を貸します。その間にステータスを表示してください」
リンは水晶板の前へ移動した。
「立ってください」
俺は言われた通り立った。
リンが片手を上げる。
空気が急に重くなる。
目に見えないものが、体の周りを撫でるみたいな感覚。
「……今、貸しました」
リンが言う。
「落ち着いて、頭の中で“ステータス”と念じてください」
(ステータス)
視界の端に、薄い板みたいなものが浮かんだ。
自分のものなのに、自分のものじゃない感じがする。
「……出た」
ミナが俺の肩を押さえつけて身を乗り出す。
「出た!?」
板には短い文字が並んでいた。
【名前】ソラ
【適正】工作・細工
【スキル】カウントダウン
「やっぱり!スキルがある」
「それに適正が2つも!」
ミナの顔がぱっと明るくなる。
リンは淡々と言った。
「適性は、向いている仕事の方向です。工作と細工ですから手先の作業に向きますね」
「スキルについては、説明を開いてください」
「説明?」
「スキルの詳細です。あなたが望めば表示されるはずです」
俺が視線を動かすと。文字が増えた。
読めない俺の代わりにリンが読み始める。
スキル、カウントダウン
【効果】目を凝らして見た対象物の“残り”が時間で見える
さっきの赤い数字が、頭に浮かぶ。
リンが続けた。
「使い方は対象を凝視すること。慣れれば更なる発展があるかもしれません」
リンが指を下ろした。 空気が軽くなりステータスが消えた。
「以上です」
リンは机の上の紙に何かを書き、滑らせた。
「あなたのスキルに興味を持つ依頼主は多いでしょう。私からも推薦しておきます」
ミナが反射で喜ぶ。
「ほら! 稼げる!」
リンは表情を崩さず、丁寧な口調を続けた。
「依頼は所属ギルド宛に届きます」
リンは小さな薄い板を手に取り、俺のほうへ差し出した。
番号が刻まれている。登録の証明だと分かる。
「これがあなたの登録証明カードです。無くさないように」
「……はい」
俺が受け取ると、ミナがすぐ俺の手元を確認してから頷いた。
落とさないように、って感じだ。
「おめでとう、ソラ!今日は美味しいもの作ってあげる」
ミナが俺の袖を引く。
扉へ向かった、そのときだった。
「……ミナさん」
リンが、ミナを呼び止めた。
声は変わらないのに、空気が少しだけ私的になる。
ミナが振り返る。
「なに?」
リンは少し間を置いてから言った。
「少しだけ、お話させて頂けませんか?」
「い…いいけど」
リンは一礼してから、俺のほうを見て言った。
「ソラ君には少しお待たせします。出口を出てすぐに喫茶店がありますので、そこで休んでいてください」
「喫茶店…?」
「私の名前を出せば通ります。飲み物も出ます」
ミナが俺をちらっと見る。
「先に行ってて。すぐ戻る」
俺は頷いて、言われた通り部屋を出た。
リンは机の端に手を置き、背筋を正してから言った。
「サラ・ラピスと、私は、長年の友人でした」
ミナの目が少しだけ動く。
「ギルドを作った後、すぐに亡くなったと聞いていました。娘さんがいたとは、知りませんでした」
「……そうなんだ」
ミナは視線を少しだけ逸らす。笑顔で誤魔化して、何かを避けているように見えた。
リンは踏み込みすぎない距離で続けた。
「先ほどの貸与は、魔力の放出量がとても大きい魔術で、宮廷魔術師でも扱える者の少ない高等魔術です」
「は…はぁ」
「普通は、近くにいるだけで空気が重く感じるものです。ソラ君がそうであったように、息が詰まるように感じます」
リンの目が、ミナを静かに捉える。
「けれどあなたは、まったく反応しなかった」
言い切りはしない。確認するような丁寧さで続ける。
「それは、高い魔術素養がある方にしか出来ない反応です」
リンは慎重に丁寧に続けた。
「誤解をしないでください。あなたのお母様の検査を疑うわけではありません」
「…へ…へぇ」
「ただ、あなたも一度、正式に検査を受けてみてはどうかと」
「私が?」
「はい。才能がないと決めるには、早いと思います」
その言葉が落ちた瞬間、ミナの笑顔が止まった。
静かに息を吸ったのが分かる。
「…勝手なこと…言わないでよ」
声が、いつもの明るさじゃない。
抑えてたものが、押さえきれずに漏れるような音だった。
「ママは……宮廷魔術師だったんでしょ?」
「……」
「あなたと同じ、宮廷魔術師。しかも、たぶんあなたより凄かったんでしょ?」
ミナは言いながら、自分でも止められないみたいに続ける。
「だったら……私の検査を…私の検査を、間違うわけないじゃない」
「ミナさん」
「間違うわけないの!」
声が跳ねた。
すぐに息を呑んで、でも止まらない。
「手紙にね、書いてあったんだよ」
ミナは胸元を押さえつけるみたいに手を握った。
そこに手紙があるわけじゃないのに、握りしめるみたいに。
「“ミナには何の能力もない”って。はっきり」
「……」
「だから……残したお金は、それ以外のことに使って幸せになってくれって」
言葉が一度詰まって、ミナは唇を噛んだ。
目が潤むのに、瞬きで押し返そうとして失敗する。
「……それなのに」
小さく、声が震えた。
「それなのに、いまさら」
ミナは顔を上げる。
怒ってるのに、泣きそうで、どっちも隠せていない。
「好き勝手言わないでよ……」
言い終わると、ミナは自分で驚いたみたいに口を抑えた。
言ってはいけないものを出した、みたいな顔。
リンは 穏やかなまま、短く頭を下げる。
「失礼しました」
「ただ、可能性があると見えた。だから申し上げました」
ミナは視線を逸らしたまま、絞るように言う。
「……可能性とか、いらない」
そして次の瞬間、いつもの声に無理やり戻すみたいに息を吸った。
「あなたはママを知ってるんでしょ。私は違う。知ってるのは手紙のママだけ。
それが唯一のつながりなの、だから、ごめんね!それに…」
ミナは言いかけてやめた。
「それに?」
「…それに、今日はソラの為の日だから。私もそのうちね」
リンはそれ以上は追わなかった。
「分かりました。気が向いたら、いつでもいらしてください」
部屋の外に出ると、ミナは出口へ向かって速足で歩き始めた。
一人になったリンは、語りかけるように呟いた。
「相変わらず、私は下手ですね……サラ」
しばらくの間、俺は喫茶店の前に立って待っていた。
中からはカップの音と小さな笑い声が漏れてくる。
やがて組合の扉が開いて、ミナが出てきた。
目が合うなり、いつもの笑顔で俺のほうへ来る。
「おまたせ!行こ」
「うん」
すれ違いざま、ミナが小さく呟いた。
「それに…そんなお金…どこにあるのよ」
ミナが何か言ったが、よく聞き取れなかった。
俺はカードを握り直して、遅れないように後を追う。
二人でそのまま組合を後にした。




