第3話 ちゃんと見なさい!
「ソラー! おいでー!」
階段を降りた瞬間、ミナの声が飛んできた。
もうソラと呼ばれるのが当たり前のように感じる。
一階は相変わらず、鍋の匂いと椅子の音で動いていた。
食堂兼受付。掲示板の紙も増えている。朝から人の出入りがある。
ミナはカウンターの向こうから皿を出して、俺の前に置いた。
「はい、朝ごはん」
昨日と同じ…じゃない。
具が見えるスープ。
皿に、白いパンと焼いたソーセージが二本乗っている。
「ソーセージ?」
「うん。昨日働いたから。あと今日、長いからね」
「長い?」
「私と登録にいくの!」
言い切ってミナはニコッとした。次の皿をもう用意している。
「食べて。冷めちゃうよ」
「うん」
ソーセージは、噛んだ瞬間に肉の旨味が広がった。
熱と脂と塩気が、やけにくっきりと分かる。体が若いせいか、味が刺さるみたいだった。
俺は思わず、もう一口いってから息を吐いた。
「……うまい」
「でしょ。うちの自家製」
「特別なんだからね。今日はソラの登録の日だから」
この街で、たぶん肉は簡単に出るものじゃない。
昨日、食堂を見回しても肉を食べてる人は一人もいなかったのを思い出した。
「あ……ありがとう」
どうやら俺はこの言葉を言い慣れていないらしい。
それを聞いてミナは、右手のおたまの先をこっちに向けた。
「ど、どういたしまして!」
少しだけ耳が赤い気がして、口元は笑っている。
ひょっとしてミナも、この言葉を言われ慣れていないのか。
そういえば、前にも同じような事があった気がする
「転生者さんは稼げるんだから、先行投資だから」
「先行投資……」
「うん。あとで回収するからね」
現実的すぎて笑いそうになる。
でも、こういう現実は嫌じゃない。
俺は最後の一切れを口に入れて、皿を空にした。
スープも飲み干して、息を吐く。
ミナが手を叩いた。
「よし。上着着て。外、寒いよ」
「……うん」
ミナがカウンターの奥へ目をやる。
ナルは受付に、にこやかな笑顔で座っていた。
「ナル、あとお願いね」
「はーい」
外に出ると、旧市街の朝は冷たい。
石畳が少し湿っていて、靴の裏が鳴る。
歩き出してすぐ、壁沿いに青く光る細い管が走っているのに気づいた。
家の壁を這って、窓の下を通って、角を曲がって一本が二本に、二本がまた分かれて、いろんな家に伸びていく。
「……なにこれ」
俺が足を止めると、ミナが振り返った。
「あー、それ。魔力管」
「魔力!?」
この世界に来て初めて、それらしい単語を聞いた気がする。
「うん。街が魔力を配ってるのよ。決まった量までは好きに使っていいの」
配ってる。
言われてみれば、管は壁を伝って家の中へ消えている。
「じゃあ、明かりとか……」
「うん。明かりもコンロも暖炉も、全部これ」
ミナは当たり前みたいに言って、また歩き出した。
通りの人も、魔力管のことなんて気にしていない。
避けもしないし、見上げもしない。そこにあるのが普通なんだ。
大通りに出ると、景色が変わった。
店が増えて、人の流れも多くなる。
魔力管も、一本だけやけに太いのが通っていた。青い光も強い。
「……ここから分かれてるんだ」
見上げると、細い魔力管が枝みたいに伸びている。
俺はつい、太い管に手が伸びそうになった。
「だめ!」
ミナが即座に俺の手首をつかんで引っ込めた。
「触ったら捕まるよ。ほんとに」
「触っただけで?」
「うん。街の管理物に手を出したらアウト。衛兵が来る」
ミナは太い魔力管から俺の手を遠ざけたまま、言った。
「ただでさえ最近、魔力漏れの事故が多くてさ。みんなピリピリしてるの」
「……事故」
「旧市街の管は古いから、たまに漏れちゃうのよ。つい数日前に怪我人が出てさ。だから余計にね」
「……怪我人って」
「火傷らしいわ。近かったんだって」
火傷。
青い光が、急にきれいに見えなくなった。
ミナは俺の手を離さず、そのまま前を向く。
「もう。何をするかわからないんだから」
そう言って、手を引いて歩き出した。
「ほら、行こ」
「うん」
俺は手を引かれたまま、ミナの後ろをついていった。
大通りから一本入った路地に入る。
近道らしい。角を曲がると、路地の先が少しだけ開けていて、小さな広場みたいになっていた。
そこに屋台が何台か出ていて、人が溜まっている。
湯気と匂いに引かれて、立ち食いの客が列になっている。
広場といっても通り道は肩が当たるくらい狭い。
荷車がその隙間を縫って進み、体に対して大きな桶を抱えた子どもが何人も行き来していた。
その子どもの一人が俺の左横をすり抜けた瞬間、壁ぎわがふっと視界に入り継ぎ目の金具が目に留まった。
壁沿いに走る細い魔力管。その継ぎ目に、金具が繋がれている。
目の高さくらいの位置だ。
そのときだった。
視界の端に、赤い数字が浮いた。
《00:58》
「……え?」
数字が減っていく。五十七、五十六。
俺は反射的に目を凝らした。すると数字がくっきりする。
目を逸らすと薄くなる。
(見てる物だけ……?)
《00:44》
継ぎ目のあたりが、ほんの少しだけ湿って見えた。
透明なのに、光ってるみたいな濡れ方だ。
《00:37》
向こうから荷車が来る。
荷台には箱が積まれていて、端に鳥かごが揺れていた。
小さな鳥が中で首を動かしている。 荷車は屋台の列のすぐ脇を通る。
《00:30》
意味は分からない。でも数字が短いのが怖い。
怖いから、口が勝手に動いた。
「ミナ」
「ん?」
「この魔力管……なんか、やばい気がする」
ミナの顔が一瞬で切り替わり、すぐ引き返してくる。
「どれ?」
俺は金具を指さした。
《00:18》
ミナは金具を一目見た瞬間、表情が変わった。
一歩引いて、すぐ声を張る。
「離れて! ここ、漏れてる!」
「え?」
《00:10》
ミナは目の前にいた子どもを抱き上げた。
子供が持っていた桶が落ちて中の水が飛び散る。
同時に、もう一人の子どもの背中を押して俺のほうへ寄せる。
「ソラ、その子! 抱いて!」
「え、あ――」
ミナは子供を抱えたまま広場に向けて声を張った。
「離れて! 魔力管が漏れてる! 下がって!」
《00:06》
俺が一瞬固まると、ミナがこっちを見て叫んだ。
「早く! 動いて!」
ミナの声が広場に跳ねると、誰かがすぐ復唱した。
「魔力漏れだ! 下がれ!」
次の声が重なり、また次が重なる。
「下がれ下がれ!」「離れろ!」
広場の人波が、同じ方向へじわっと動き始めた。
《00:03》
広場の空気が一気に変わった。
人の波が引くみたいに、みんなが同じ方向へ下がっていく。
屋台の前がすっと空き、荷車も止まったまま取り残される。
《00:01》
――パンッ。
乾いた音がして、継ぎ目から白いものが噴き出した。
蒸気みたいに上へ抜けない。地面すれすれを横に広がってくる。
熱い風が足元から来て、反射的に目を閉じた。
「うわっ!」
椅子が倒れる音、皿が割れる音、誰かの悲鳴。
白い漏れは路地の床をなめるように広がり、屋台の足元を支配した。
漏れが弱まったころ、俺は目を開けた。
荷車の男が青い顔で立ち尽くしている。屋台の客も固まっている。
ミナは抱きかかえた子どもを降ろし、落ち着いた声で。
「もう大丈夫。お家に帰りなさい」
俺も抱きかかえた子を降ろし
子どもたちは走って帰っていった。
荷車の端の鳥かごが目に入った。
さっきまで動いていた鳥が、もう動かない。
羽が縮れて、籠の底に落ちたままだ。
荷車の男がかごを見て、顔を引きつらせる。
誰も手を出せない距離のまま、視線だけがそこに集まって、すぐ逸れた。
それからミナが俺を見る。
「ソラ、今の……どうして分かったの?」
「分からない……でも、数字が見えた」
「数字?」
「赤い数字が見えて。数字が減って、ゼロになったら……こうなった」
俺が指さした場所には、もう数字は出ていない。
ミナは一瞬黙って、次の瞬間、目を見開いた。
「なにそれ!転生特典じゃん!」
「転生特典?」
「そういうのがあるの! 変なスキル! やったー、当たり!」
「当たりって……」
「当たりだよ!ソラはきっと沢山の人を助けるよ」
ミナは心底嬉しそうだ。
屋台の親父が叫ぶ。
「おいおい、聞いたか!? この兄ちゃんの一声で、みんな助かったらしいぜ!」
「ほんとかよ!」
「やばかったぞ、今の!」
周りから声が重なって、路地がざわっと沸く。
「兄ちゃん、何者だ!?」
「転生者か!?」
「すげぇ!」
「そっちの姉ちゃんも知らせてくれて助かったぜ!」
一斉に賞賛の声や拍手が上がった
「どもども~。ほらほら、それ以上近寄らないでね。おさわり禁止よ~」
ミナが声援にこたえるようにひらひらと手を振った。
俺はというと、視線の置き場がなくなって、急に胸が痛んだ。
俺一人だったら、絶対に何もできなかった。
数字が見えただけで、どうすればいいかも分からなかった。
褒められたこと、人の役に立てたことが、嬉しい。けど。
「いや、俺は……」
言いかけたところで、ミナが俺の袖を引いた。
それから、俺の目を覗き込むように目を合わせてきた。
「ソラが助けたんだよ。君のおかげ」
「……でも、俺は」
「でもじゃない。助かったって言われてたでしょ。ちゃんと見なさい!」
ミナは俺の頭を両手で挟むように持って、上に昇げた
俺の視線に皆の顔が飛び込んでくる。沢山の気持ちが流れ込んでくる、そんな気がした。
さっきまで、俺は何を言おうとしていた?
なにか、ずっと心に残っているものが、また遠ざかっていくように感じた
「ほら、行こ。組合、遅れるよ」
ミナは俺の手を取って、そのまま引いて歩き出した。
引っ張るんじゃなくて、迷わないように連れていくみたいに。
「……う、うん」
歩き出した瞬間、胸の奥がふっと緩んで、目の奥が熱くなった。
慌てて瞬きをしてごまかす。
泣くようなことじゃない。
俺はわざと別のことを考えた。
赤い数字。あれは何だ。転生特典ってやつなのか。
歩きながら、俺は何気なく身の回りの物を目で追ってみた。
看板の留め具、屋台のランタン、荷車の車輪。
目を凝らすと、いくつかに赤い時間が浮く。
ただ、どれもずっと先だ。何年も先。
さっきみたいに短いのは、あの継ぎ目の金具だけだった。
変な能力だと思う。
でも今日は役に立った。
それだけは、確かだった。




