第2話 皿洗いで始まる異世界生活
階段を降りると、ギルドの一階は落ち着きがなかった。
湯気の立つ鍋の匂い。皿が重なる音。誰かの咳。
椅子が鳴って、人の声が飛んで、足音が行き来する。
厨房の奥で男が鍋を回し、皿を次々と出している。
忙しそうで、にぎやかで活気があった。
入口のそばに掲示板があって、紙がびっしり貼られている。
その奥が食堂で、右手のカウンターが受付。
カウンターの向こうには鍵束と帳面、木札が並び、片隅には食器が積まれている。
ここは飯も、泊まりも、仕事も、まとめて回っている場所らしい。
「ソラ! こっちこっち!」
ミナがカウンター越しに手を振った。片手にはお玉を持っている。
目だけはこっちを見てるのに、体は別の仕事をしている。忙しさが分かりやすい。
「……朝からすごいな」
「こんなの普通だよ。ここ、ギルドだもん」
一見すると、食堂と宿のロビーを合わせたみたいな場所だ。
でも、空気が少し違う。
壁の掲示板には依頼の紙がびっしりで、腰に刃物を下げた連中が平然と飯を食っている。
笑い声の中に、報酬の話と、ケンカ腰の言い合いが加わる
それに混じって、買い物帰りっぽいおばちゃんや、パンを抱えた子どももいる。
「ここ、誰でも入っていいの?」
「うん。ギルドの食堂は街の人も使うよ。特に旧市街は、こういう場所がないと困るから」
言いながらミナは、俺の前に布をぽんと置いた。
「まずそれ巻いて」
「……え?」
「エプロン。似合うよ。はい」
似合うかどうかは置いといて、俺は言われた通り腰に巻いた。
するとミナが、当然みたいな顔で言った。
「じゃ、皿洗い。右の桶ね」
「いきなり労働かよ」
「いきなり泊まり部屋も、朝ごはんも出したでしょ? バランス!」
なるほど。飯の分だけ動けってことか。
俺が桶に手を突っ込むと、水が冷たかった。
泡立つ匂い。皿のぬめり。現実の感触。
なんか思ってた異世界と違うな...
そんなことを考えていると、背中から声が飛んできた。
「お、転生者か?」
「また拾ったのか、ミナ」
「今度のは逃げなさそうだな」
食堂の端の席から、でかい声の男たちが笑っている。
からかい半分、様子見半分。
でも、悪意だけじゃないのが分かる。ここではこういうのが挨拶なんだろう。
ミナは手を止めずに、声だけ飛ばした。
「逃げないよ! うちの常連予定だから!」
「予定かよ!」
「予定は大事でしょ!」
笑いが起きる。
俺は皿を洗いながら、手は止めずに一階の様子を目で追っていた。
食事の注文が飛んで、受付では依頼書が開かれ、帳面に書き込みが増えていく。
掲示板の前では誰かが依頼を見比べている。
二階には泊まり部屋があって、ここで寝て、ここで食べて、また出ていく人もいるようだ。
そのとき、受付のほうで怒鳴り声が上がった。
カウンターの向こうで、小柄な女性が帳面を抱えたまま相手をしている。
「昨日の依頼、報酬が足りねぇ!」
「依頼書に書いてある通りです」
「だったら最初から言え!」
ミナが俺に目だけで合図する。
「ソラ、ちょっと水持ってきて」
「水?」
「喧嘩は喉が渇くの。冷えると落ち着く」
意味が分からない理屈だけど、ミナはもうカウンターの向こうへ出ていってしまった。
俺は言われた通り、木のコップに水を注いで運んだ。
ミナは小柄な女性に声をかけた。
「ナル、受付お願い」
見ると小さな列ができていた。
「は、はい!」
ナルが帳面を抱え直して対応を始めた。
受付にいる男は鼻息が荒い。
ミナは笑顔のまま、半歩だけ距離を取って水のコップを差し出した。
「はい、お水。まず飲んで」
「……いらねぇ」
「いらなくない。飲んで。話はそれから」
押しが強い。
男がしぶしぶ水を受け取って飲む。
その間にミナは依頼書を取り出して、指でトントン叩いた。
「ここ。金額。ここ。追加条件。読んでないでしょ?」
「……読んだ」
「読んでない顔してる」
男は黙った。
「分かった。次から私が読み合わせしてあげる。だから今日はこれで終わり」
「……ちっ」
「はい終わり。次の人ー!」
ミナが切り替えると、周りの空気も一緒に切り替わった。
揉め事が、揉め事のまま長引かない。
これがこのギルドの回し方なんだ。
俺が水のコップを下げて戻ると、ミナが小声で言った。
「ね? 受付も食堂も忙しいでしょ?」
「忙しいな……」
「さっきの人ね、字が苦手。旧市街はそういう人が多いの」
「……そうなんだ」
「だから私が読む。で、こういうのが一日に何回もある」
ミナはもう次の声のほうへ体を向けた。
「だから人手がいるの。ソラも洗い物ができるなら立派な戦力」
立派な戦力。
その言葉に、反射的に戸惑った自分がいた。
なぜか少しだけ救われた気がする。
ここでは...俺は無用じゃないと言われた気がした。
昼前になると、食堂はさらに混んだ。
パンの追加、スープのおかわり、依頼書の張り替え。
人が出入りして、椅子が鳴って、笑い声が飛ぶ。
その合間に、ミナは俺に小さな仕事を足していった。
「その桶、こっち運んで」
「はい」
「次、床拭いて」
「はい」
「掲示板の紙、落ちたら拾って」
「はい」
気づけば、俺は返事が少し早くなっていた。
身体が若いせいか、動ける。
頭の中はまだ追いついてないのに、手足だけが先に馴染んでいく。
昼のピークが過ぎたころ、ミナが俺の前に小さな皿を置いた。
今朝と同じ黒いパンに具は殆どないけどいい香りのスープ。
「はい、まかない」
「……食べていいの?」
「働いたでしょ。食べて。あと、そんな疲れた顔しない」
そんな顔してたのか、と思って口をつぐむ。
言い返せない。
俺はパンをちぎって口に入れた。
さっきよりうまい気がした。気のせいじゃない。
ミナは椅子に腰を下ろして、帳面をぱらぱらめくった。
「ね、ソラ」
「なに」
「明日の段取り。登録しよ。ここ、ギルドだから」
「……登録?」
「うん。登録しないと、できる仕事も限られるし、変なのに絡まれやすい」
ミナは顔を上げて、いつもの明るさで言った。
「泊まり代、後払いって言ったけど、いつまでもは無理」
「登録して、できる仕事を見つける。ギルドなんだからそれができる」
仕事。
その言葉が、腹の奥に重く落ちた。
「俺、まだ何も……」
「大丈夫。できる仕事からでいい」
ミナは肩をすくめた。
「ほら、今日だって動けたでしょ。皿洗いできる転生者さん、貴重だよ」
褒め方が雑だ。
でも、胸の奥が少しだけ軽くなる。
外の光が傾いて、食堂の騒がしさがひと段落した。
いつの間にか「本日の食事はここまで」と書かれた木札が受付に立ち、掲示板の前にいた人も減っていく。
椅子の音が減り、足音が落ち着き、鍋の火が小さくなる。
ミナが最後の皿を数えて、帳面を閉じた。
俺は桶の水を捨てながら思った。
この世界に来てから、まだ一日も経っていない。
それなのに、今日は「いる場所」と「やること」があった。
受け入れたわけじゃない。
でも、受け入れられている感じはした。
ミナがカウンターの向こうから声をかける。
「ソラ!今日はここまで!明日は登録しよ!」
「……登録」
「うん。ギルドにいるなら、まずそれ。逃げないためにもね!」
逃げないため。
その言い方は、たぶんミナなりに気を使ってくれた言い方に感じた。
俺はエプロンを外して、皿を並べた。
知らない世界の一日が、音を立てて終わっていく。
まずは、明日。
それだけ考えればいい。
そう思った。




