アスター王子、公爵に別れを告げる
誤字報告ありがとうございました。
公爵の弁舌はいよいよ調子づいていく。
「おや? 先ほど殿下はご自身が呪いを解いたと仰った。よく元気な娘と会っているとも。これはおかしい。私が数え間違っているのでしょうか? ベラドンナは呪われた年齢についてなんと証言していたか……確か、恐ろしくて覚えていないと。はて、暴れられては困るので、眠っている間に釘を打ち、起こして初めの命令をした記憶があります。その後は呑気に眠っていましたが、恐ろしかったねえ」
「何が言いたい」
「もうお気づきでしょうに! そうですあれはベラドンナではないのです。娘の死体に潜りこんだ悪鬼悪霊悪魔の類、得体の知れぬ化け物なのです。人間のふりがいつまで保つか、想像するだに虫唾が走る。ご注意くださいアスター殿下、奴はあなたを狙っています。いずれあなたの魂を食らい、成り変わるやもわかりませんぞ」
「証明できなければ妄言に過ぎない」
アスターの反駁を予想していたように公爵の表情がさらに明るくなった。
「呪術師が逃げおおせたから立証は不可能だとお思いですね。しかし残念、侍女のライアも同じ時期に呪いました。彼女にはお尋ねにならなかったのですか? 妻の知人の引き出しを探りましたか? きっとどこからか末の息子がいじめられなくなったことを喜ぶ手紙が出てきます。日付はなくともやりとりを並べれば時期は特定できるでしょう。とはいえ、はっきり申し上げると、証拠が出ず欺瞞と断じられようとも私は構わないのですよ。あれが怪物である可能性をあなたに知っていただければ満足なのでございます」
「なぜそれを裁判で言わなかった。ベラドンナの証言の正当性を崩せたものを」
「それはもちろん、あなたのためですよ」
親切ごかした猫なで声に鳥肌が立つ。
「あそこで私は口を噤みましたので、これはここだけの秘密になりました。つまりあれの首をいつ刎ねるかの決定権はあなたに委ねられたのです。たとえば十年、二十年後、恋の熱病が冷め、老いた女の欠点ばかり目につき、なぜこのような醜い存在に輝かしい若木の季節を費やしてしまったのかと後悔に苛まれたあなたが、咲初めの蕾のような若い女の肌に夢中になり、その女を王妃として迎えたいと考えたとしましょう。そのときあなたは思い出すのです。私がベラドンナをいつ呪ったか。そしてあなたは高らかに告発するのです。あな恐ろしや、我が最愛はすでに失せ、ここに残るは怪異宿りし抜け殻なり!」
公爵は歌うように言いながら両手を広げ、それから糸が切れたようにがくっと落とした。
「公衆の面前で私が正直に話してしまえば、あなたは同情すべき被害者になってしまい、これができなくなってしまう。そんなのはつまらない。一度は愛を誓ったその口で、ベラドンナを廃棄すると宣言してもらわなければ。隠し金庫にこのことを記した手紙を残しておきました。さらに証拠がご入用になった場合に備えて呪術師と連絡をとる方法も書きました。鍵の場所をお教えしますから、どうぞいっときの感情で破棄することなく大事に保管してください。ああ、ですがどうか誤解なきように、それでも私はあなたを憎んでなどいませんよ。これはあなたではなくベラドンナを名乗るあの化け物への復讐です。そして恋という、肉欲と支配欲とを麗々しく繕ったに過ぎない愚かしい感情への報復なのです」
公爵の双眸が妙に爛々として見えて、彼の眼窩が以前より落ち窪んでいると遅れて気づく。
こうしている間にも首に縄がかかる瞬間が刻々と近づいてるとなれば、いくら彼であっても心理的な負担は大きいのだろうと解すのが妥当なのだろう。
しかし公爵から読み取れるのは、追いつめられた者特有の、せめて誰かを道連れにしてやらねばとの焦りや必死さではなく、せっかくだからこの機を最大限に活かしてアスターへ嫌がらせをし、盛大に徒花を咲かせてやろうとの前向きな悪意だけだ。
寝不足を示す隈もないのだ。彼が痩せたのは単に食事が口に合わないせいではなかろうか。
何にせよ公爵の性格が最悪なのは間違いない。こんな人相手なら話してもいいかとアスターは口を開いた。
「僕にとってのベラドンナはあのベラドンナ以外にいないから、お前の娘を哀れに思うが、それだけだ。強いて言えば……そうだな、人間ではないのなら、ベラドンナは僕のせいで妃として冷遇されても子供を持てなくても気にしないかもしれない。彼女に嫌われる可能性が減るなら僕は嬉しい。もし彼女が正体を隠したがっているのなら、彼女が僕に飽きてしまったときはそれで彼女を脅せる。彼女は僕に沈黙の誓いを守らせるために僕の隣で一挙一動を監視せざるを得なくなる。口封じに殺されたとしても彼女の心にはきっと不愉快な記憶として僕が残る。つまり、彼女はどうあっても僕から逃げられなくなるんだ。朗報だな。教えてくれてありがとう」
晴れ晴れとした開放感。胸のうちを正直に曝け出したことによる、ついぞ覚えのない開放感を、アスターは味わった。一方の公爵は、笑みを引っ込めて、楽しみにしていた料理がまずかったかのような顔をした。
「恋も一種盲目の呪いか。つまらん」
「期待に応えられずすまないな。どうやら僕は女も男も化け物も好きだぞ」
「まさか。女以外を抱いて確かめたわけでもあるまいに、自惚れるな」
「なあ、それでも僕はベラドンナに愛を乞うぞ。僕はお前たちの呪いに抗おう。恋を示し続けよう。片思いは楽しいんだ。ベラは一生僕と同じ思いを返してくれないかもしれないけど、命を預けてくれる程度には、僕を特別扱いしてくれているのだから」
「家族として愛されようが恋が報われなければ瞬く間に倦むだろうよ。人は強欲だ。ひとつ満たされると次が欲しくなるのが生まれついての性なのだ」
「そう思うなら恋愛に関して何かこう、ないのか。参考になる話は」
今度は眉を寄せ片頬を歪め、喋る豚でも見たような公爵。アスターは素直に、失礼な人だなと思った。
「アスター殿下、類稀なる創造性をお持ちのお方。私には到底できない発想でございますな、父親に娘あての恋文を書かせてそっくりそのまま読み上げようとするなんて」
「違うぞ! 好きな相手への口説き文句を人から借用するわけがないだろ。しかもよりにもよってお前から、父親ではないとはいえ」
「よりにもよってと言いながら助言を欲しがる神経が理解できん。節操がない」
「避けるべき悪手がわかるだろう」
「正面から真摯に告白しろとでも言ってやろうか」
「僕たちの恋が破れるのを見たがっているのはお前たちだ。そのためにはまず恋が成就せねばならないのだから、お前は知恵を絞るべきだ」
「これが報いか? こんな、脳みそが乏しい小僧に絡まれるのが」
公爵はあれこれ喚いていたが、アスターが聞く耳を持たないでいると、ついには眉間を押さえて諦めた。
「女は本能的に己の価値が女としての体にしかないことを理解している。だから子宮より女の真心のこもった口づけやくだらない物言いを求めているかのように振る舞えば、この男は機能ではなく自分を望んでいるのだとのぼせ上がるから、そこできちんととどめを刺してやるんだ。そうすれば今度は女の方から子供を産みたがるだろうよ」
「やっぱり悪例じゃないかお前」
「私は常識的な見解を述べているだけだ。異常だと感じるならおかしいのは貴様だ。そも、あの怪物はお前にぞっこんなんじゃないのか? あれの手紙はすべて読んでいたが女とは思えない話題ばかりだった。そうやって幼稚な趣味のお前を接待して気を引こうとしたのだろう?」
「あれは親友同士のやり取りだ」
何度この定型文を述べただろう。例によって公爵は半笑いとしか形容できない表情をした。
「お前は暇人の頻度であれに手紙を書いていた。あれが学園に入ったときには犬のように会いに来た。東屋にいるあれを手の届かない餌のように眺めていた。一声で異常を見抜き、運良く呪いから解放し、王宮に部屋を与え、裁判の手筈を整え、化け物という秘密を守った。男女でここまでされてまだ互いの間にあるのが友情だけだと信じる幼児など存在するのか? お前の援助に対し臣下として感謝すると線引きしなかったのならば、それはお前の恋情を容認したのだろうよ」
「男は女から、女は男から裏のない厚意を受けることはできないのか?」
「そうだ。人心の扱いに気を払うべき立場にあってまだご大層な寝言をほざきおって」
アスターは考える。
公爵の意見を好意的にこねくり回すと、アスターが手当たり次第に恋人と子供を産んでくれる人を欲しがっているのではなく、ベラドンナという女性だけを一心に求めているのだと伝わるようにすべきらしい。
やはりそれが基本にして王道なのだ。一人頷いて、アスターは抱いた疑問を口にした。
「そういえば、お前は臣下の娘はよせとは言わないのだな」
「ハッ、馬鹿馬鹿しい。私はこの国を私の遊興の場にするはずだったのに、なぜ国制など案じなければならんのだ。王族など下層民どもと好きに混血するがいい。それで下層民どもが王侯貴族が神に近い存在ではなく同じ人間だと気づいて支配に疑問を持とうが大反乱を起こそうが、それが私の死後ならば、私は寛大に許そう。後の世など知ったことか。国が滅んで異教の王が立とうが、私の墓に浮浪人が汚物をたれようが骨を犬の玩具にされようが私は一向に構わない。名誉も財も生きている内の華。死ねば終わり、それがこの世の絶対の理よ。違うと言うなら精々些末事にかかずらって国のために時を浪費するがいい。手始めに貴賎結婚をやめるべきだな。そうして重ねた虚しさが、いずれ自分は何が楽しくて生きているのだという問いになり、貴様の首を絞めるだろうよ」
アスターは微笑んで応じた。
「では自分のために時間を使う第一歩として、僕は去ろう。さようならコルチカム公爵。あなたは人殺しだが僕を助けてくれた人でもあった。今もなんだか励まされたよ」
「馬鹿の不愉快な珍説を二度と聞かなくてすむと思うと俄然死ぬのが楽しみになってきた。さようなら戯けた小僧、貴様が過去の自分を裏切ることを心から願っている」
ふんぞり返り、顎で退室を指示する尊大な態度。それがアスターが見た公爵の最期の姿だった。




