(12) 関係バランスと逆上と衝動
心臓を握られた。凍てついた手でぎゅっと。
フロラスは俺を嫌っているようだが、なぜアスターはという奴の疑問自体は客観的なものだ。そして認めたくないが、図星だ。
俺がアスターにしてあげたことなんかない。幼いころの窮地を救ったのは、あのろくでなし公爵だ。俺とアスターを引き合わせたのも。
俺は、出会ったときからずっと、アスターに助けられるばかりだった。
子供のころ、俺は、口調は俺なりに精一杯女子らしくしていたつもりだけど、行動でぼろは出まくっていた。
本物のベラドンナとベラドンナの家族のためにも、ちゃんとした女の子にならなきゃと頭ではわかってても、どうしても自分らしさを捨てられなかったんだ。
可愛いと褒められるのは好きでも、大股で歩き、踝が見えるくらいスカートを捲って走り、腹を抱えて笑いたい。姿勢が悪いのは現代人ならそんなもんだし椅子に膝を立てて座りたいときもある。そばに人がいるのがうざったい。日焼けなんてどうでもいい。映画も動画もなんもなくて暇だから歌や楽器はするけど、美術にも刺繍にも興味はない。
この世界の基準でいえば、女のなり損ないか山猿でしかない俺を、受け入れて普通の友達として扱ってくれたのがアスター、シオンだった。
飾らない素のまんまの自分を肯定してもらったシオンとの思い出が、別荘から出たあとも、貴族の令嬢として生きねばならない俺を支えてくれた。
生粋のお嬢さまであるミモザでさえ息苦しく感じる雁字搦めの暮らしに、根本から育ちが違う俺が何一つ不満なく順応できるはずがない。だが悩みは誰にも相談できなかった。俺と立場を同じくする人や、その立場に仕えている人にとって、俺の望みは異端であり、物事の道理を弁えていない幼稚な駄々と見なされ、呆れられるだけだとちゃんと理解していた。
そして内容も悪ければ相談相手もいない。ミモザならあるいは繊細な問題を打ち明けられるかもしれなかったが、結局俺はそこまでの関係を築けなかった。最も頼れるはずの肉親さえ、ただでさえ本物のベラドンナではない引け目がある上に、ベラドンナに対する情が薄い。ほぼ間違いなく俺のせいで呪われている侍女に助けを求められるわけもない。
引きも切らない葛藤と不満と孤軍奮闘する生活で、俺が投げやりにならなかったのは、ひとえにシオンのおかげだった。
大きくなって再会したあの日もアスターは女の子だからと細かく線引きしないで普通に接してくれた。
たとえば所作だ。俺は背筋を伸ばして足を閉じて綺麗に飲み食いできるようになった。それは人として上品になったって話であって断じて女らしくなったわけじゃない。アスターはそこを取り上げて、俺が女として成長したなんて口にしなかった。口を開けて笑っても女のくせに下品な奴と嫌な顔をしなかった。
アスターの前でなら、俺は楽に息ができる。令嬢ごっこで遊んでいるままの俺でいられる。本当の俺に限りなく近い俺をそこに避難させられるから、他の場所でも自分らしさを削られて違う何かに変質していく恐怖に囚われず、この世界の常識に馴染んだふりができている。
掛け値無しに感謝しているからこそ俺は、俺ばっか得をしてる関係に飽き足らず、お前なら呪いを解いてくれるよなと一方的にアスターへ期待を背負わせている自分が、本当はずっと後ろめたかったのだ。
わかってた。厚かましいとはまさにこのことだって。フロラスの言う通り、俺にアスターにこれ以上何かしてもらう価値はないって。
だけどそれって、アスター本人じゃないフロラスなんかに謗られなきゃいけないようなことか。自分と友達の父親の命がかかってるのに。俺にはアスターしかいないのに。そのアスターが、俺に諦めるなと言ってくれたのに。
せっかく救いの手を伸ばしてくれる人がいるなら迷惑とかうだうだ考えないで全力で救われにいかなきゃ嘘だろ。一人でどうにかするんじゃなくて、恩返しするって決めて頭を下げるのがこの場面にふさわしい覚悟だろ。
大体俺が身を引いても、どうせお前はそこで満足して代わりに助けてくれたりしねえんだろ。尻拭くつもりがねえなら横から口出すなよ。唯一無二の親友でアスターに相談されてるってならまだしも、俺の外見なんてくっだらねえ言及するあたり、アスターから俺たちの思い出は何も教えてもらってないんだろ。その程度のやつが、アスターの親友面でこの俺に偉そうな口をきくんじゃねえよ。
フロラスもソレルもゴルなんとかも、どいつもこいつもどの立場からものを言ってんだよ。
何も知らないくせに。知る気もないくせに!
「最低! なんでそんな」
「どうして?」
間近の双眸に問いかける。
「何にもわかってない自覚があるくせに、どうしてあなたたちはいつもいつも私の邪魔をするの」
呻くように詰りながら、さらに後退する。徐々に心臓が熱を取り戻していく。血が煮えていく。
「毎回、毎回、お前が悪いと、異口同音に」
「ベラドンナ様……」
同情的な響きに俺はアイリスをつい睨んだ。
わかってる、わかってるけどさあ、こいつのことも正直憎いよ。
俺を女らしくないだのなんて言うフロラスはじゃあなんでアイリスがアスターと仲良くすんのは許容してるんだよ。
アイリスと俺へのその差は何だ。
俺ことベラドンナは後継ぎに悩む必要のない金持ちの娘だ。親に怒鳴られたって泣かれたって怖くない。あんなの親だと思わない。女らしくないって嗤われてもそもそも男。結婚できないって脅されても、中身はだから何だって平気で流せる時代に育った俺だ。
退学さえ回避すれば、俺だってアイリスみたいにアスターと過ごせただろ。アイリスみたいに友達とたくさん思い出作れただろ。
アイリスは、呪いのせいで学園生活の半分を棒に振らなかった、あったかもしれないもしもの俺だろ。
たかがダンスの誘いすらミモザは躊躇ってるのに、アイリスだけたくさんの人にもっとすごいことを許されてるじゃん。庶子ってそんなに自由でいいのか? なんで他の皆はダメでこいつだけ扱いが違うんだよ。
俺だって父親さえあんなんじゃなければ、こんな呪いさえなければ、俺だってもっとアイリスみたいになれただろうが!
身の内に飼っていた苛立ちが急速に膨れ上がって爆発する。そしてでっかくあいた噴火口からは嫉妬という名のマグマまで噴き出す。
俺が比喩じゃなく火山だったらここら一帯焼け野原にしてやれたのに、実際に俺の口から飛び出したのは火の玉ではなく絶叫だった。
「揃いも揃ってわからず屋のバカばかり! あなたは一人だけ何もしないで救われるのに、どうして私だけ必死に足掻いてもフロラスなんかに見下されなきゃいけないの!? 何が違うの、あなたと私のどこが違うって言うのよ! どうして私は、私が……!」
発作的に鋏を握っていた。
鳥の嘴よりも細く尖った刃の輝きを見せつけるように構えてやれば、フロラスがアイリスを背に庇う。
どうせそうすると思ったよ。お前らの肉体を傷つけるつもりなんてない。せめて心をひっかいてやりたいだけだ。
マントをむしり取って鋏を自分に向ける。剥き出しの肌を撫でる冷気がいっそ心地よい。
「何を……」
「ベラドンナ様!」
俺の奇行に顔色を変える二人が滑稽だった。
ざまあみろフロラス。お前の差し出口で自傷に走った人間を目に焼きつけておけ。お前だって、アスターと仲のいい男友達って点で、妬むべきもう一人の俺なのだから。
俺は勢いよく胸を突いた。




