(13) 流血と危機と
ベラドンナ編は残り5話か6話で終わる予定です。
「っ、どっちがバカだバカ女!」
「痛っ……!」
フロラスに乱暴に腕を引かれて俺は鋏を取り落とした。けたたましい音と痛みに顔を顰めたが、手加減されず、今度は後ろから二の腕を押さえられ、背を丸められない姿勢で立たされる。
すかさず目の前に飛んできたアイリスはハンカチを握っていた。
「血、血出てるかも、失礼します!」
「くうっ」
圧迫のとき悲鳴が漏れたのは、小さい刺し傷の痛みより、その近くに存在する異物を押し込まれる違和感のせい。
そしてその感覚はハンカチ越しでもアイリスの手に伝わるはずだ。
元々にっちもさっちもいかなくなったらこうするたもりだったんだ。こいつらへの鬱憤晴らしはおまけだけど、釘の位置を教えるだけの一石一鳥だったのが三鳥落とせたってもんだ。
内心笑う俺の狙い通り、アイリスの眉が動いた。そう、そのまま釘を抜け! そしたら俺の勝ちだ!
快哉を叫んだはずが、気づけば俺の踵がフロラスの爪先を踏みつけていた。
緩んだ拘束を振り払い、流れでアイリスを突き飛ばす。
二人の間から転げるように抜け出して鋏を拾い、俺は自分の首に刃の先端を突きつけた。
「来ないで!」
二人が固まる。心の中の俺も。
何してんだよ、もうそういうのはいいだろ、やめろよおい!
頭で怒鳴るもむなしく、足はじりじり距離をとり、すっかり冷えた左手がぎこちなく小さな穴の開いた胸元を探る。
嘘だろ、抜こうとしてる! なんでだ釘が見つかったから? アイリスは指摘も何もしてないじゃん、俺がバレたと思ったらダメだったのか!? みみっちく保険かけやがってカス公爵! 嫌だ! 狂う!
「やだ、いやだ、シオン……っ!」
こんなときでもお前の名前を呼んでしまう俺って。
今さら警鐘が耳をつんざく。まるで俺に駆け寄るように音が大きくなる。
指先が釘をつまむ。
もう終わりだ。
絶望に眩んだその瞬間、背後から腕が伸びてきた。
大きく硬く熱い手に両手首をつかまれた。そして軽々と下ろされ、片手でまとめて押さえこまれる。そんなに力を入れているように見えないのにびくともしない。全力でもがいてもボタンと香り入れらしき丸い何かに当たる俺の背中が痛いだけ。 背後の体は小揺るぎもしない。
肉体は自動的に暴れる。視界も滲むけど、これはもう恐怖のせいじゃない。この腕の主が誰で、何をしたいかわかったから。
直感を裏付けるように、俺の胸元へ指が潜った。そして出てきた血に汚れた指の間に、俺を苛んできた釘が、いともたやすく抜かれてあった。
思い出したように全身が震える。俺は俺の意思で鋏を捨てた。
「遅くなってごめん。もう大丈夫だよ」
アスター!
はぐれた親と再会した子供のように、物も言わず無我夢中でアスターの胴に抱きついた。ネックレスやらいろんなものがめり込み息まで苦しいくらいに力を込めないと、皮膚の下にこびりつく絶望を押し出せない気がした。
「大丈夫、大丈夫。怖くない」
なだめるように囁かれても力の加減ができない。むしろ額を押しつけてしまう。いつかの舞踏会で知ったアスターのにおいがそのときより濃く香る。
「アスターアスターアスター」
「うん」
「遅い! かっこつけた登場してないでもっと早く来い!」
「散々な言い様だな。仮にも恩人だろ」
「うるさい。本当に死ぬかと思ったんだからね」
「僕もだ」
「わっ」
抱きしめられた。俺を腰からへし折る気かよ。
踵がちょっと浮いてるし、アスターの心臓が走ってるのが直に伝わってくる。びっくりしてアスターを押し返そうとしたら、さらに絞められて思わず背中を拳でぶっ叩いてしまった。
アスターが小さく笑う。
「こんなに乱暴で偉そうで勝手で我が儘な君がいなくなったらどうしようかと思った……」
偉そうは余計だし勝手と我が儘って一緒だろ。ひとつ残らず悪口じゃねえか。
文句が頭の中を駆けてったのに、アスターの感極まったって感じのいろんなものが詰まった声を聞いたら、なんかだめだった。
どっと目が濡れる。喉の奥が痛む。もう一度しっかりアスターにしがみついて首筋に顔を埋めた。
アスターのこの熱がわかるのは、俺が生きているからだ。
「ありがとう、ずっと待ってた……!」
「ありがとう。諦めないでくれて」
俺のセリフだよアスター。




