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黒猫王子はメイドと踊る  作者: 河津田 眞紀
第4章 彼女の目覚め
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6.外した鎖のその先は

先に言っておきます。前回までのほろ酔いな雰囲気とは打って変わって、どちゃくそ重いです。

でも、彼女が前に進むために必要な話ですので、諸々覚悟して書かせていただきました。

前作含めて描かれていなかった彼女の過去が、明らかになります。

 



 眠る意識の片隅で。

 嗚呼、これは夢だ、と。

 そう、認識しながら見る夢。


 "明晰夢(めいせきむ)"。


 これはまさに、その(たぐい)だった。




 声が聞こえる。

 泣きながら帰ったあたしを、いつも抱きしめてくれた。

 優しくて、大好きな、あの声。



『──この世界にはたくさんの色があるけれど、

 中でも不思議な色があるの。

 一つは青。一つは緑。

 そしてもう一つは……

 フェレンティーナ。あなたの、赤い色。

 その三つが重なると、どうなると思う?

 明るく輝く、光になるの。

 隣の家のベスの眼は青いでしょう?

 向かいのキャロルは緑色ね。

 この世界にはいろんな色を持った人がいるわ。

 みんなが青でも、みんなが緑でも

 光は生まれない。


 だからね、フェレンティーナ。

 あなたの赤い色はとっても大事で、

 とってもすてきな色なのよ。

 だからもう、泣かないで──』



 泣かないで、フェレンティーナ……




 ぼんやりと光る、真っ白な世界で。

 大好きだった母の、声がする。

 もう二度と聞けない、母の声が。

 それから。



『……そう。あんたは、母さんのことが大好きだった』



 母とは別の女の声が、頭に降ってくる。



『赤い髪、赤い瞳。まるで血みたいだっていじめられる度に、母さんはあんたを優しく包み込んでくれた』



 ……そう、そうよ。それがなんだっていうの?



『……なら、何故あんたは、母さんのことを忘れようとしているの?』



 え…?



『これを見て』



 女の声が聞こえた後、急に目の前の景色が切り替わる。

 ここは……あたしの、家だ。孤児院に入る前…母が存命だった頃に住んでいた、小さな木造の家。

 その、玄関の風景。

 懐かしさと、もう戻れない寂しさに、涙が出そうになる。


 ふと、なんだか美味しそうなにおいが漂ってきた。

 これは…母が夕食を作っているにおいだ。学校から帰ると、いつもこんなにおいがしてきて、たまらず家に飛び込んだっけ。

 あの頃と同じように、あたしは思い切って家の扉を開け、中に入る。廊下を抜けると、小さなキッチンがあって。

 そこに、



『おかえりなさい。フェレンティーナ』



 母は、いた。

 まだ元気だった頃の姿で、こちらを振り返った。



『学校は、楽しかった?』



 母は手元に視線を戻しながら、そう尋ねてきた。スープのコトコト煮える音と、食材を刻む包丁のリズミカルな音に、えも言われぬ安心感が押し寄せてくる。

 あたしはとりあえず「うん」と答えた。それに母は、



『そう、よかったわね』



 と返してから。

 ごほっ、ごほっごほっ。

 と、発作のように激しく咳き込み始めた。

 あたしは「大丈夫?」と声をかけ、背中を丸める母の代わりに鍋の火を消した。



『ごめんね。大丈夫よ、ありがとう』



 そう言って母は、弱々しい笑顔を浮かべた。




 そうだ。思えば母は、この頃からもう既に病に侵されていたのだ。

 なのにあたしは、『大丈夫』という母の言葉を鵜呑みにして、医者へ連れて行くことをしなかった。



『それだけじゃない。まさかそんなに状態が悪いだなんて…信じたくない気持ちも、あったんでしょ?』



 再び、母とは別の声がそう言ってくる。

 …そうかもしれない。母はあたしの側にずっといてくれるって、根拠もなく信じていた。けど、子どもならみんなそうでしょ?だから、まさかあんな…



 咳と共に血を吐き出すほどに病状が悪化していただなんて、思わなかったのよ。




 母の口から溢れた真っ赤な血を見て、さすがにあたしも気付いた。

 母さんを、お医者さんのところへ連れて行かなきゃって。

 あたしを育てるため毎日のように働いていた母だったけれど、自分でも「まずい」と思ったのだろう。すぐに医者へ駆け込んだ。

 診てもらった結果、母は即入院することになった。

 病はもう、取り返しのつかないところまで進行していたのだ。


 その病気は、明確な治療法が確立されていなかった。

 全身の筋肉が徐々に衰え、抵抗力が低下し、だんだんと動けなくなってゆき。

 そして、体全体を刺すような痛みに四六時中襲われる。そんな、悪夢のような病気らしかった。


 この病にかかった者の末路は決まっている。

 筋肉の一つである心臓がやがて止まるか、感染症にかかり治癒できずに死ぬか。


 全身の痛みに耐えきれずに、自殺するか。



 そんなことを、母の担当医から聞かされた十歳のあたしは。

 絶望を通り越して、現実から目を背けることを選んだ。 



 学校帰りに毎日入院先へ立ち寄り、その日あったことを母に話す。

 明るく、楽しげに、笑いながら。

 まるで、あの二人暮らしの小さな家の中で話しているかのように。

 毎日毎日毎日毎日。

 ただただ、話す。いつものように、話す。

 たとえ、母の返事がなくなっても。

 たとえ、母が身じろぎすら出来なくなっても。



 そうして、一年と半年が過ぎた頃。

 あたしはその日も、いつものように入院先の病院を訪ねた。

 どんよりとした雲が立ち込め、今にも雨が降りそうな天気だった。石造りの病院が殊更(ことさら)冷たく、薄暗い雰囲気に感じられた。

 母のいる病室のドアをくぐり、一番奥の、カーテンで仕切られたベッドへと向かう。

 カーテンを、勢いよく開けると。

 そこには、いつも通りの姿の母が、横たわっていた。

 家にいた頃と変わらない、母の姿。あたしは、ニコッと笑みを浮かべると、



「母さん、ただいま!今日はね、学校で絵画コンクールに出す絵を描いたの。テーマは『家族』。もちろんあたしは、母さんの絵を描いたわ。先生にも『素敵に描けているね』って褒められたんだから。家に帰った時に、いつも美味しい晩ご飯を作ってくれる母さんの後ろ姿を絵にしたのよ。あたし、料理をしている母さんの姿を見るのが大好き。ああ、家に帰ってきた、って。あたしの居場所はここなんだって。母さんの背中を見るとね、そう思えるの。だから…」



 くしゃっ、と。

 広げていた、その絵の端を握りしめて。



「……早く、うちへ帰ってきてよ。母さん」



 目の前でベッドに横たわる母に、震える声でそう言った。

 いつものように、返事はない。そう、思っていた。

 しかし。その日は、少し違った。

 母の口から、微かに動く。



『…フェ…ティー…ナ』



 久しぶりに、母に名前を呼ばれた気がした。



「なぁに?どうしたの?」

『………して』

「よく聞こえないよ。もう一度言って?なにをして欲しいの?」



 記憶の中の、十二歳のあたしがそう尋ねる。

 それを今の、十六歳のあたしが、後ろから見ている。


 だめ。それを聞いては…

 そう、止めようと手を伸ばすが。



 母は、声を振り絞るように。

 言った。




『……ころ、して…おね…がい…』




 それを聞いた瞬間。

 十二歳のあたしと、今のあたしの意識が重なる。

 目の前のベッドに横たわっているのは、あの、優しくて美しかった母…ではなく。


 毛髪は抜け落ち、歯は欠け、肌は浅黒く変色し。

 骨と皮だけに痩せこけた。

 そんな、変わり果てた姿の、母だった。



「あ…あぁ……」



 ずっと、見て見ぬフリをしていた。

 母は死なない。うちへ帰ってくる。あの頃と同じ、元気な姿で。

 そう思い込みたくて、病に蝕まれゆく母の本当の姿を、見ないようにしていた。

 それが。



『………コロシテ…』



 あの、気丈な母が、絶対に言うはずのない言葉を耳にして。

 瞳に映る光景が一気に、現実のものとして認識され。



 殺して?母さんはあたしに、母さんを殺せって言っているの?

 そんなこと、出来るわけない。いくら母さんの頼みだからって、それだけは叶えられるわけがない。


 嘘だ。母さんが、こんなこと言うわけがない。



 嘘だ。嘘だ。嘘だ!!




「ああああああああっ!!」



 あたしは逃げ出すように、その病室を後にした。

 家に帰り、誰もいない部屋で、毛布にくるまり声を殺して泣いた。


 その次の日は、母の見舞いには行けなかった。

 あれを見るのが、怖くて。

 また、あの言葉を言われることが、怖くて。

 そして。


 その晩、母は息を引き取った。







 ……どうして。


 どうして、忘れようとしていたのに。

 こんな光景を、あたしに見せたの?



『必要なことだから』



 必要?過去なんか必要なんかない。あたしは、今を生きているの。一人でちゃんと、前を向いて生きてきたの。



『一人で?ちゃんと?本当に一人で強く生きてこられたなら、あんたはとっくに魔法を使いこなせていたはずだよ。あのコみたいにね』



 あのコ…

 アリーシャ・スティリアムさんか。



『そう。あんたのそれは強さじゃない。ただの"逃げ"だ。見たくないものに蓋をして、それを踏み台に背伸びをして、大きくなったつもりでいるだけ』



 ……じゃあ、どうしろっていうのよ?

 母さんは、死んでしまった。

 あたしは、何もしてあげられなかった。

 怖くて、悲しくて、逃げ出して。

 死に目にも会えなかった。

 ……この事実は、どう足掻いたって変えられないじゃない。



『そうね。母さんが死んだ事実は変えられない。けど、受け止め方は変えることができる』



 受け止め方?



『そう。あんたは、ちゃんとわかっていたはずよ。どうして自分に、こんな能力が備わったのか』



 あたしの、能力…?

 人が持つ再生機能を刺激し、治癒…ではなく、破壊に導く力。



『それは、あんたが望んだ力だよ』



 嘘だ。望んだ覚えなんかない。

 こんな、人を死に至らしめるような力、望んでなんかいない。



『…あんたは、母さんをどうしてあげたかったの?』



 どうして、あげたかったか…?

 そりゃあ、救ってあげたかったよ。

 痛みを少しでも取り去ってあげたかった。



『母さんが死んだ時、どう思った?』



 ……悲しかった。絶望した。絶望しすぎて、母さんを胸の内で責めることもした。

 「なんで死んじゃったんだ」って。「なんで、あたしを一人にしたんだ」って。



『母さんのことが、憎い?』



 ……そうかもしれない。

 けど、それ以上に。



『自分が、憎い?』



 そう。

 あたしは、あの時のあたしが憎い。

 母さんから逃げた、何もできなかった自分が、憎くて憎くて。

 忘れてしまいたかったんだ。




 あたしの中の、十二歳のあたしが。

 膝を抱えて泣いている。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 母さんを、あの暗くて冷たい病室に残して。

 たった一人で死なせてしまった。

 あたしは、悪い子だ。

 自分が傷付くことばかりを恐れた、親不孝な子。


 ごめんなさい。ごめんなさい。



 そうか。この子(あたし)、ずっと。

 ここで、独りで泣いていたの。





 その時。


 ふと、誰かがあたしの髪を撫でた。

 そのままふわりと、その腕に抱きしめられ。

 溶けてしまいそうなほどの優しい声で、言った。



「君は、悪くないよ」



 知っている声。

 囁くように甘く、鼓膜を震わす声。



「……よく、頑張ったね」



 そう言われ。

 あたしの目から涙が一筋、瞬きもしないままに流れた。




 こんな風に、誰かに言って欲しかった。

 あの時のあたしを、嘘でもいいから肯定してほしかった。

 けど、本当は。


 誰よりもあたしが、あたし自身を認めてあげなきゃいけなかった。

 怖かったよね。嫌だったよね。

 母さんを憎んだことなんて、本当は一度だってなかったよね、

 「殺して」と言われたことよりも、言わせてしまう程の痛みから救ってあげられないことのほうが、何倍も辛かったんだよね。


 そうだ。

 あたしの力は、"救う力"。

 母さんを救うための力。

 傷を癒すこともできる。死を望むなら、それを与えることもできる。


 嗚呼、そうだったんだ。あたしは、ただ。

 母さんの望みに応えられる"いい子"になりたくて、この力を授かったんだ。


 そうでしょう?




『……そうだよ』



 先ほどの女の声が、再び脳内に響く。



『再生と破壊、生と死は表裏一体。それこそが、あんたの力の本質』



 淡々と答えるその声に、あたしは最初から抱いていた疑問を投げつける。

 あなたは一体…誰なの?



『あたし?あたしは』



 フッ、と。

 真っ白な世界を背景にして、目の前に一人の人間が現れる。

 それは…その姿は、




『あたしは、あんたの思念そのものだ。

 人はそれを"精霊"と呼ぶけどね』




 まるで鏡に映したように、あたしと同じ顔と身体を持つ人物が、そこに立っていた。

 精霊は、あたしの思念そのもの…?



『そう。そのことに自分自身で気が付かなければ、自分の能力を使いこなすことはできないんだ。だから』



 にこっと。

 目の前の人物は、あたしの顔で、嬉しそうに微笑んで。



『合格だよ。これで本当に、契約成立。

 自分の力を信じて、その手を振るってごらん』



 その言葉を最後に。

 もう一人のあたしは姿を消し。




 あたしは、目を覚ました。


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