2.燻る距離感
あの夢を見た日から、十日後。
「はい、ではここからは演習時間にしましょう」
あたしは今日も、クロさんの講義を一番後ろの端っこの席で聞いていた。例のアリーシャ・スティリアムさんのいる、新入生の授業だ。
入学式からまもなく一ヶ月。この頃は生徒の力の差が徐々に明確になってきたと、素人のあたしが見てもそう感じる。
魔法の力加減を意のままに操れるようになった者、中には呪文の詠唱なしに『署名』だけで魔法を発動させることに成功した生徒も数名いる。
しかし。
やっぱり、アリーシャさんは別格だった。『署名』のみで魔法を操ることは当たり前、今は生み出した氷をどのような場面で・どう扱うことが有効なのか、より実践を見据えた演習へと進んでいた。
そして今日も彼女は、教壇の前の演習スペースへと降り、無言でその手を振るっている。そこを中心に蜘蛛の子を散らすように、他の生徒たちが彼女との距離を取っていた。
アリーシャさんの孤立化は、ますます進んでいる。ずば抜けた才覚への妬み嫉みに加え、友人を作るつもりは毛頭ないかのような寡黙な振る舞いが、「お高くとまって」と殊更に反感を買っているようなのだ。
あたしはその様子を眺めながら、
「…………」
クロさんに気に入られていることへの嫉妬心とは別に、「このままでいいのかな」と心配する気持ちも日増しに強くなっていた。
そんなあたしの気持ちを知る由もなく、クロさんは相変わらずアリーシャさんばかり見つめている。
クロさんのその贔屓な態度も彼女の孤立化を助長しているということに、彼は気付いていないのだろうか。それとも、稀有な才能を磨くためには彼女自身の人間関係なぞ知ったことではない、ということなのか。
嗚呼、彼がこの仕事をしている限り、こうしたもやもやはずっと続くのかなぁ。
なんて、小さくため息をついた……その時だった。
演習スペースの端で、魔法で生み出した『氷の鎌』を振るい、動きを確かめるように演習していたアリーシャさんが…
その鎌の大きさと重さによろめいたのか、後方へと倒れかけた。
が。
彼女が倒れる直前、その背中に回り込み後ろから抱きとめるようにして支えたのは。
他でもない、彼女をずっと注視していた……クロさんだった。
「ふぅ、危ない危ない」
安堵したようにそう言うと、彼はそのままアリーシャさんを後ろから抱くような形で腕を掴み、
「自分の力で扱える得物を見極めろって、いつも言ってるでしょ?これじゃあかえって隙だらけになっちゃうよ。もっと力を抜いて」
そう、言ったのだ。
『クローネル教授』ではない、普段通りの口調で。
それに騒ついたのは、あたしの胸中だけではなかった。教室にいる学生たち…特に女子生徒たちが、其処彼処でひそひそと話し始める。
「今のカンジ…やっぱりあの噂は本当なんじゃない?」
「放課後に特別に、個人指導しているってやつ?」
「なにそれ、ヤラシ〜」
近くに座っていた女子三人が、声をひそめてそう話すのが聞こえてくる。
いや、正直あたしもそう思うよ。だって、だって……
なにあの距離感!当たり前のように後ろから抱きとめているけど、いつもそんなことしているの?!近すぎ!今すぐ離れて!!ていうか、そんな素のかんじで話しているのも嫌!好青年キャラ貫きなさいよ!!
やばい…抑え込んでいた嫉妬心が、ここへきて爆発しそうだ。
胃のあたりで熱いものがぐつぐつと煮えたぎるのを感じながら、しかし生徒がいる手前声を上げることも出来ず。
歯がゆい気持ちで二人を眺めていると、アリーシャさんは相変わらず感情の読めない表情のままクロさんから離れ、
「……すみません」
ぽつりと、そう呟いた。
講義が終わった後、いつものように理事長室へ戻ったクロさんとあたしだったが。
「…クロさん」
「ん?」
「…今日もどうせこの後、学院に残る用事がありますよね」
「どうせ、って…うん、まぁ」
「じゃあ、あたし気分が優れないので。今日はこれで失礼させていただいてもよろしいでしょうか」
「いいけど……大丈夫?」
「はい。では」
というやり取りをして。
あたしは早々に、理事長室を出た。
「………はぁぁああぁ」
廊下に出て、すぐに後悔する。
今のは、最高に可愛くなかった。クロさん、きょとんとしていたもの。そりゃそうだよね、彼に悪気はないんだし。
なんでもっとこう、「ヤキモチ妬いちゃうから、ああいうことやめてほしいナ…くすん」みたいな、可愛い伝え方ができないのかな。
…もっとも彼の場合、可愛く言ったところでまともに取り合ってはくれない気もするが。
それでも、怒りに任せて喚き散らすよりは良かったと、そう思うことにしよう。一旦距離を置いて、頭を冷やさねば。
肩を落として、廊下を歩き出す。今日もルナさんのところへ行く約束をしている。その前に、『体術』のゲイリー先生からまたプリントをもらおう。
よし、と気を取り直そうとするが。
アリーシャさんを抱きとめ、そのまま素の口調で指導するクロさんの姿が、脳裏に焼き付いていて…
うう…あたしなんかここしばらく触れてすらいないのに。あの子とは今日もこの後、あんなゼロ距離レッスンをするかと思うと…
「…………」
ちょっと、涙が滲んでくる。
これまで、「お仕事だから」と個人レッスンについて深く考えないようにしていたが。
今日、二人のあの距離感を見てしまって…
もう、この嫉妬心を無視できなくなってしまった。
たぶんクロさんは、アリーシャさんに恋愛感情は抱いていない…と、思いたい。
あくまで、あの才能のみに惹かれているのであろうことは、なんとなくわかる。
けど、それすらも嫌だ。嫌になってしまった。
クロさんは、あたしのだ。あたし以外の娘に、触ってほしくない。
だけど…
「……それってやっぱり、あたしのわがままになるのかな…」
なんて呟いたところで、ゲイリー先生の研究室の前に着いた。
ゆっくりと深呼吸をしてから、口角を無理矢理上げて、ノックをする。
ここを訪れるのは、もう四度目だ。学院内で見かける度に気さくに声をかけてきてくれるので、すっかり顔見知りになってしまった。
いつものように「はーい」という声が中から聞こえ、あたしは「失礼します」と研究室へ入った。
「フェレンティーナさん、いらっしゃい」
「こんにちは、ゲイリー先生。すみません、お言葉に甘えて何度も来てしまって」
「いえいえ。今日もプリント、用意していますよ」
ゲイリー先生は爽やかに歯を光らせながら、早速講義用のプリントを差し出してくれた。
うん、いつ見ても本物の好青年スマイルである。
「ありがとうございます。本当に助かります」
「お役に立てて嬉しいです。魔法の調子は、いかがですか?」
「うーん…普通に使えてはいるのですが、強さの加減がやっぱり難しくて。あ、そういえば先生」
「なんです?」
あたしは持っていた手帳から、折りたたんだ紙…先週ゲイリー先生からもらったプリントの内の一枚を取り出す。
「先日いただいたこちらなのですが、一箇所わからないところがあって」
「どれどれ」
プリントを広げるあたしに、ゲイリー先生がぐっと顔を寄せて覗き込んでくる。
それに少しだけ「近いな」と思うが、とりあえずそのまま質問を続ける。
「この、空所問題になっているところです。『戦闘において、相手の動きを封じるのに有効なのは』…の後に二つ空欄があるのですが、わからなくて」
「なるほど。では、答えをお教えしましょう。まず、一つ目は…」
す、っと。
ゲイリー先生は、あたしの首筋に手を添え、
「呪文を唱えるための、喉。そしてもう一つが…」
と、今度はあたしの左手を持ち、両手で優しく包むようにして、
「『署名』をするために必要な、手です。この二つを制することができれば、魔法の発動そのものを防ぐことができますよね」
にっこりと微笑んで、そう言った。
…なんでいちいち触られたのかわからないが。
「そっか。声や手の動きを封じることができれば、戦況を有利に運べますね。納得しました。ありがとうございます!」
あたしは、明るいトーンでそう返した。
しかし左手は、何故かゲイリー先生に包まれたままであって。
「……あのー、先生?」
手を、離していただけますか?と、やんわり目で訴えると、
「…フェレンティーナさん。何か、嫌なことでもありましたか?」
「え?」
突然そう尋ねられ、少しドキッとする。
「今日はなんだか元気がないようなので、心配で…大丈夫ですか?」
な、なんと…
先ほどまでの負の感情を、極力押し殺したつもりだったのだが…見抜かれてしまったのか?
それとも、上手く笑えていなかっただろうか。
ゲイリー先生は、本当に心配そうな眼差しでこちらを見つめている。
あたしは首を横に振って、
「い、いえ。特に何も。いつも通りですよ」
「…理事長と、なにかあったのですか?」
ぎくっ。
あたしとクロさんが恋人関係にあることは、学院内の人間には知られていないはずなのだが…
……この人、どういう意図でそれを聞いているんだ?
「…ああ、そういえばさっき、仕事のことでちょっと怒られちゃったかも…それが顔に出てたのかな?でも全然気にしていないので、平気ですよ。心配していただき、ありがとうございます」
などと、とにかく早く手を離してほしい一心で適当なことを言ってみる。
だって、大きくて温かい手に包まれながら、じぃっと優しく見つめられているもんだから…
その気がなくったってなんだか緊張してしまって、罪悪感というか気まずいというか…
傷心のあたしには、とにかく毒だ。
愛想笑いを浮かべるあたしを、ゲイリー先生は暫し見つめてから、
「…そうですか。なら、良いのですが」
と言って、ようやく手を離してくれた。
ふぅ。最近気付いたことだけれど、何かと距離感の近い人だなぁ。
「今日はもう、お仕事はおしまいなのですか?」
「はい。もうお暇をいただきました。なのでこれから、また魔法の特訓です」
帰り仕度をしながら、ぐっと拳を握ってみせる。ゲイリー先生は目を細めて笑って、
「偉いですね。勉強熱心な秘書さんをお持ちで、理事長先生が羨ましいですよ」
なんてことを、真っ直ぐに言われて。
「………あ、ありがとうございます」
返す声が、少し震えてしまう。
だめだ、また涙が滲みそうになる。
思いがけず、褒めてもらえて。
でも本当は、そんな風に褒めてほしい人は、この人じゃない。
たった一人、クロさんだけなのにって。
そう思って、心がじわじわと溶け始める。
いけない。早く部屋を出なきゃ。
「そ、それじゃあ。またよろしくお願いします」
あたしは涙を浮かべた瞳を見られぬよう、ゲイリー先生の方を見ることなく研究室のドアを開け、足早に廊下へ出た。
…せっかく笑顔を取り繕っていたのに、最後の最後で不自然な帰り方をしてしまったな、と思ったが。
「………」
やってしまったことは、もう仕方ない。それより次は、ルナさんの部屋に行くのだ。また、心を落ち着かせなきゃ。
そう言い聞かせ、再び息を吐いてから。
あたしは静かに、廊下を歩き出した。




