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黒猫王子はメイドと踊る  作者: 河津田 眞紀
第3章 眠り姫たちの秘密
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4.湯気に紛れた独り言 II

 



「──あれは殿下が、十五歳のお誕生日を迎えられる少し前のことでした」




 ぴちょん、と天井から雫の落ちる音が響く。


 広い広い浴場の中、ベアトリーチェさんは"独り言"を語り始めた。

 あたしは湯船の(へり)に腰掛け、洗い場で身体を流す彼女の言葉に耳を傾ける。



「精霊の力を授かってから一年が経とうというのに、魔法を上手く使いこなすことができず…殿下は日に日に悄然(しょうぜん)とされてゆきました。

 そんな殿下を励まそうといつも気にかけてくださったのが、幼馴染であり、近衛兵長のご子息でもあるルイスさんだったのです」



 ベアトリーチェさんの身体を覆っていた石鹸の泡が流され、キラキラと光りながら排水口に吸い込まれていく。

 その様を、横目で静かに眺める。



「その日も、彼は夜中にこっそりと殿下を連れ出し、ご一緒に城の庭で星を眺めておられました。

 "魔法音痴"の姫君であることの後ろ暗さから、昼間人前に出ることも忍ばれていたので…殿下にとって唯一の、心が安らぐ時間だったことでしょう」



 言われてあたしは、このお城の庭園を思い出す。手招きされるような甘い香りに満ちた、あの美しい薔薇園を。

 あんな場所で、想いを寄せる人と夜空を眺められたら…それはどれほど素晴らしい時間だろう。



「……しかし。そんな殿下の安らぎを、踏み(にじ)るような事態が起こってしまったのです」



 身体を洗い終えた彼女が、あたしに並んで湯船の淵に座り、足先だけを湯に浸す。



「それは、殿下の御身を狙う者たちによる襲撃でした。

 門兵を突破し、城内に乗り込んできたところ、運悪く殿下とルイスさんだけでいるのを見つかってしまったのです。

 ルイスさんは殿下を護るべく、たった一人で応戦されました。その戦闘の音を聞きつけ、他の兵たちもすぐに駆けつけたのですが……

 あと一歩というところで、敵の放った剣が、ルイスさんを貫きました」



 ルイス隊長が、刺された…?

 思わず口元を押さえ、息を飲む。



「その時点で大多数の敵はルイスさんによって粛清されていたので、残党を捕らえることは容易でした。しかし、問題は…そこではなく」



 ぴちょん、と。

 また、水滴の落ちる音がして。



「目の前でルイスさんが倒れるのを見た殿下が……

 『精霊の暴走』を起こしてしまったのです」



 その話に。

 あたしは、自身の身にもまったく同じことが起こったのを思い出す。

 隊長が目の前で刺され、感情が昂り、精霊が暴走してしまった時のことを…



「ご存知の通り、殿下の魔法は『眠り』の力です。それが暴走した結果…この城と、周囲に広がる城下町の半分以上の人間が深い眠りに就き、その後三日間に渡り目を覚まさなかったのです」

「え……」



 そんな…この城内だけでもすごいというのに、街の人々にまで魔法の効力が及ぶだなんて……

 数百、いや、数千は下らない数の人間が巻き込まれたことになる。



「遠方の視察から戻った兵たちがすぐに対処してくれたので、ルイスさんの命は助かりましたが…殿下自身も眠りに落ちてしまい、ご自身がなされたことの重大さを知ったのは、目を覚まされた三日後のことでした。

 ちょうどその頃は戦が起こる直前、隣接する国々との関係が最も緊迫した状態にあったため、国王陛下はこの事態を重く受け止めました。国の中枢が、三日間もその機能を停止してしまったのですから。

 後からの調べで、殿下を人質に取ろうと襲撃してきたのはルイアブック民国の者たちだということも分かり、各国が戦争に向けて動き出していることも露見しました。そこで…」



 ベアトリーチェさんは一度言葉を止め、目を伏せてから、



「国王陛下は、殿下とルイスさんの接触を禁じたのです。

 本来であれば姫君を危険に晒した罪に問われてもおかしくはなかったのですが、ルイスさんが殿下にとって心の拠り所となっていることも、陛下は重々承知でいらっしゃいました。だからこそ、罪を問わない代わりに、二人を引き離すことにしたのです。

 殿下のお心が再び乱されるようなことがあっては、この国自体の存亡が危ぶまれます。愛する人というのは心に平穏をもたらしますが……時にはその心を大きく掻き乱す存在にもなり得るということを、王妃を亡くされた陛下は、痛いほどに知っておられたのでしょう」



 なるほど、それで…二人は、会えなくなってしまったのか。

 心を乱すくらいに想っている相手だからこそ。

 心を乱してしまっては、国そのものを危険に晒しかねないから。

 だから……会えない。


 そんなのって、切なすぎる。

 もし、自分が王女じゃなかったら。

 もし、自分の魔法が眠らせる力じゃなかったら。

 自分のせいで、ルイス隊長が、国が…って。

 きっとそんな風に、ルナさんはどんどん自分を責めて、どんどん自分が嫌いになっていったんだ。



「……と、長い長い独り言を呟いてしまいました。申し訳ありません、フェレンティーナさん。うるさかったですよね」

「いいえ。あたしは何も、聞いていませんから。…ありがとうございます、ベアトリーチェさん」

「あら、独り言に対して『ありがとう』だなんて。おかしな人ですね」



 言って、顔を見合わせて笑う。


 あたしは、ルナさんのことが大好きだ。

 あんなに純粋で汚れのない人を、あたしは他に知らない。その真っ白な心に、こちらまで洗われるようで、もっともっと話していたくなる。

 そんな彼女の幸せを、願わずにはいられない。

 だけど、あたしに…



「あたしに……何ができますか?」



 そう、思ったままに尋ねてみる。

 今の話を聞いた上で。

 権力もない、魔法の知識もない、だけどルナさんのことが大好きな自分に、何かできることはないかと、縋るように尋ねてみる。

 するとベアトリーチェさんは、



「……これまで同様、時々ルイスさんのお話をして、一緒に『魔法の特訓』をするご友人でいてあげてください」



 にこりと微笑んで、そう返した。



「そ…それだけで、いいのですか?」

「それだけ、だなんて。充分すぎるくらいです。フェレンティーナさんに出会ってから、殿下のお顔には笑顔が増えました。やはり、貴女と引き合わせたことは正解でしたね。殿下は最初、遠慮していたのですが…わたくしが半ば強引に、ルイスさんを知る貴女をお連れしたのです。たまには主人(あるじ)の意に背くことも、大切ですね」



 と、小首を傾げて上品に笑う。

 嗚呼、きっとこの人も、あの純真無垢なお姫様のことが大好きなのだ。



「ルナさんが魔法を上手くコントロールできるようになったら……それを国王陛下に認めてもらえたら、ルイス隊長に会うことを許されるでしょうか?」

「さぁ、どうでしょうね。でも、可能性はあるかもしれません。ルイスさんも此度の戦で功績を上げ、中将にまで昇進しましたから。陛下はきちんと、彼の実力を認めていらっしゃるようですよ」



 おお、そうだったのか。ルイス隊長、最近『中将』に格上げされたばかりだったのね。

 なら、やはり残された問題は、ルナさんの魔法の安定のみだ。



「よーし…クロさんに代わって、あたしがルナさんの先生になってやる!そんで二人で魔法を使いこなして、あの人をぎゃふんと言わせてやるんだから!」

「まぁ、頼もしい」



 ざぶっ、と立ち上がって言うあたしに、ベアトリーチェさんが横で微笑む。



「ところで…フェレンティーナさんは、クローネル指揮官とはうまくいっているのですか?」

「へ?」



 唐突に話の矛先を自分に向けられ、間の抜けた声が出てしまう。

 ベアトリーチェさんは頬に手を当てながら続けて、



「未だに信じられないのです。あの、他人にまったく関心を示さない、精霊の研究以外には執着を見せないクローネル指揮官が、わざわざ隣国から女の子を連れてくるだなんて」



 なんてことを言ってきて。



「く、クロさんて、そんな感じなんですか?」

「ええ。なにぶんあの容姿と雰囲気なので、引く手はあまたなのですが…来る者拒まず去る者追わずで、何人もの女性が泣かされているのを見てきました。それが、国王陛下に直談判してまで(ここ)に住まわせようとしたのですから…よっぽどフェレンティーナさんに惹かれているのでしょうね」



 う…前半の情報は、正直あまり知りたくなかったが……

 後半のは、なんていうか…泣きそうなくらいに、嬉しい話だ。



「で…実際のところ、どうなのですか?あのクローネル指揮官とお付き合いするのって」

「そ、そうですね…うーん…」



 聞かれて、湯船の(へり)に再び腰を下ろしながら考える。


 どうかとあらためて聞かれると…どうなのだろう。

 確かに、わざわざ国から連れ出されて、隣の部屋に住まわされて、毎日一緒に過ごしている。


 けど。

 こちらに来てから三週間余り、恋人らしい時間は、ほとんど取ってもらえていない。

 このお城に着くまでの、あの馬車の中以来…キスだって、一度もしていない。

 まさに、『釣った魚に餌をやらない』状態なのだ。

 あったことと言えば、理事長室での膝枕と、先日の…

 あの、"痴女パン"事件くらい…


 ……そうだ。



「……あの、ベアトリーチェさん?」

「はい?」



 ちら、と。

 あたしは、彼女の豊満なバストを盗み見して、




「……色気って、どうしたら出ると思います?」




 そう、聞いてみた。

 ベアトリーチェさんは二、三回、目をぱちくりさせてから、



「…指揮官と、何かあったのですか?」



 少しだけ、わくわくした様子で聞き返してくる。

 あたしは慌てて手を振り、



「いや、その……いちおう恋人なので…それっぽい雰囲気になることって、あるじゃないですか」

「えっちな雰囲気、ということですか?」



 べ、ベアトリーチェさん!人がせっかく遠回しに言っているのに!!



「そ…そういう時にですね。こっちはすごく真剣なのに……クロさんてば、笑うんですよ」

「笑う?」

「はい。微笑む、とかじゃなくてですよ?吹き出して、『あはは』って声出して、楽しそうに笑うんです」



 酷くないですか?

 そう言おうとして、彼女の方を向くと。


 ベアトリーチェさんは、目を見開いて。

 文字通り、絶句していた。

 信じられないものを目の当たりにしたような顔をして、あたしを見返して、



「声を出して、笑う?」

「……はい」

「あの、クローネル指揮官が?」



 え、なに。そんなに信憑性のない話なのか?これ…



「……想像できません。彼が笑うのなんて、人を騙す時か、人を嘲笑う時だけでしたから…」



 おい。一体どんな悪行を重ねたらこんな風に言われるんだ、あの人は。



「それが、楽しげに声まで上げられるとは…やはりそれだけ、フェレンティーナさんは特別ということですね」

「それなら嬉しいんですけど……でもあんまり笑われると、あたしってそういう魅力ないのかなぁ、って」

「だから、『色気ってどうしたら出るのか』、と」

「はい」



 ふむ、と考えるように彼女は自分の顎に手を当てると、



「…何を『色っぽい』と感じるかは、人それぞれです。だからこれは、あくまでわたくし個人の意見ですが…」



 す、っと。

 その切れ長の目を少しだけ細めて。



「『口ではなく目で語ること』、ですかね」

「目で…?」



 聞き返すと、彼女は「はい」と頷く。



「『目は口ほどにものを言う』と申すでしょう。こと恋愛において、ペラペラと多く語るのは野暮であったりします。口を(つぐ)んで、沈黙を楽しみながら、『目』を遣うのです。言葉にすると陳腐なことも、目で伝えれば『色気』を纏ったものになるのですよ。例えば…」



 そこまで言うと、ベアトリーチェさんは。

 湯船の(へり)に手をついてあたしの方へと身体を寄せ。

 ぐっと瞳を覗き込むと、



「……『抱いて』、と」

「…………!」

「そう、目で訴えるのです。下手な小細工をするよりも、よっぽど効果があるはずですよ」



 女のあたしが卒倒しそうなくらいの色気を放ちながら、そう言った。

 あ…あぶない……危うくその胸に飛び込んでしまいそうだった。恐ろしい人…


 しかし、なるほど。『目で語る』、か……

 クロさんに何かされると、二言目にはだいたいツッコミを入れてしまっていたな…今度からは口ではなく、目で訴えてみよう。

 そんな機会、あるのかすら微妙だが。



「ありがとうございます。すごく為になりました。参考にさせてもらいます」

「ふふ。いいですね、こういうの。『恋バナ』って言うんでしょうか。普段なかなかできないお話ができて、楽しかったです。また、進捗を聞かせてくださいね」



 そう言って、嬉しそうににこにこ笑う。いつもはあたしとルナさんのお喋りを黙って見守っていることが多い彼女だが…案外、こういう話がお好きなようだ。



「さて、長湯させてしまいましたね。そろそろ上がりましょうか」

「いえ。こちらこそすみません」



 ベアトリーチェさんに続いて立ち上がり、脱衣場へと向かう。

 引き戸を開けた彼女の背に…

 ふと浮かんだ疑問をぶつけてみた。



「そういえば…ベアトリーチェさんには、恋人や、好きな人はいらっしゃるんですか?」



 その質問に、彼女は振り返り。

 人差し指を唇に当て、ミステリアスにこう言った。




「──秘密、です」


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