7.掩蔽の保健室
掩蔽 と書いて えんぺい と読むそうな。
さて、保健室はどこにあっただろうか。
なんて、教室を出てからはたと足を止める。
この学院、なんと言っても広い。四階建ての校舎が全部で三棟、それぞれが連絡ブリッジで繋がっている。
今いるのは一号館の四階、一番奥の教室だ。
確か…一階にあったような。こんなことなら、クロさんにちゃんと校舎案内をしておいてもらうんだった。
ひとまず一階を目指し、階段を降りていく。クロさんもアリーシャさんも、大丈夫だろうか。あのままでは、凍傷を起こしてしまう。直接皮膚を裂傷しているのならば、あたしの魔法で治癒できるが…氷自体を溶かすことは、恐らくできない。
そしてクロさんにも、それができないのだろう。彼の能力は"影"を介して対象物に侵入し、魔法を飲み込んでいくというものだ。人体に纏わり付いてしまった物体への侵入は、その人間そこものにも影響を及ぼしてしまうのかも知れない。
ただの氷ならばお湯などでいくらでも融解できるが、魔法で作られたものとなると、一体どうすればよいのか…
などと考えている内に、一階へ着いた。廊下に出て右、左と首を振ると、左側のすぐ手前に『保健室』の看板があった。
ほっと息をついてそちらへ向かうと、ちょうどそこから白衣を着た眼鏡の女性が出てきて、
「じゃあ、クローネル先生。あとはよろしくお願いします」
と、一度保健室を振り返ってから、去って行った。
今のは…所謂、保健室の先生か?そりゃそうか、学校だもの。魔法の訓練で怪我をした生徒のための専門医くらい、いるに決まっているか。
ということは、二人は無事治療を終えたのだろうか。
半分開いたままのドアに近付き、ノブに手をかけ、
「失礼しまー…」
開けかけた、その時。
「──ごめんね、僕が刺激するようなこと言ったから」
そんなクロさんの声が中から聞こえて。
思わずあたしは、手を止める。
「いいえ。私が未熟なだけです。先生にもご迷惑をおかけして…申し訳ありませんでした」
クロさんの言葉に答えたのは、淡々としたアリーシャさんの声だ。
ということは。
『刺激するようなこと』というのは、先ほどクロさんが、彼女に耳打ちした"何か"…?
あの時、彼は何故笑い。
そして、彼女に何て言ったのだろう。
盗み聞きなんてはしたない真似、したくはなかったが。
あたしは何故かそこから、動くことができなかった。
「未熟だなんてとんでもない。この短期間でよくあれだけのことができるなぁって、感心しているんだから。飛び級してもいいくらいだよ。魔法の強さは、心の強さとイコールだ。君は、とても芯の強い子なんだね」
そう、優しい『クローネル先生』の声で、彼が言う。しかし、それに対するアリーシャさんの返答は聞こえてこない。
しばらくして、再びクロさんが、
「僕はね、君に期待しているんだ。その才能と強さ…恐らく卒業と同時に、いや、ひょっとしたら卒業を待たずして、軍部から声がかかるだろう。いきなり士官クラスの階級を貰えるくらいの力はあるんじゃないかな。そうしたら君の家の人たちも、喜ぶだろうね。軍部としても優秀な戦力を得られてありがたい。君だって、軍部に見初められたくてこの学院に入学してきた…そうでしょう?」
「…………」
「……もし、君さえよければ」
そこまでで、一度言葉を止めてから。
ギッ、と椅子の軋むような音が聞こえて。
「これから、放課後に個人レッスンしてあげるよ。コツさえ掴めば、きっとすぐにコントロールできるようになるはずだ。さっきのあの、悔しそうな顔……早く魔法を使いこなせるようになりたいんだよね?」
クロさんの、囁くようなその声に。
あたしは、胸がズキンと傷むのを感じた。
個人レッスン…?
ただでさえ忙しいのに。あたしとの時間も、なかなか作ってもらえないのに。
その子には、自ら望んで、時間を割くというの…?
「どうかな。悪い話じゃないと思うけど」
「………」
心臓が、吐き気を催すくらいに加速する。
いやだ。そんなの、絶対にいや。
なんて、心の中でそう叫ぶが。
「………お願いします」
クロさんのお気に入りの彼女は、やはり無感情な声音でそう答え。
あたしは、目の前が暗くなるのを感じた。
「そう、よかった。じゃあ、今日から早速残ってやってみようか。さっきの教室で、後で…ね」
「わかりました」
そのやり取りを終えると、どちらかが立ち上がる音が聞こえたので。
あたしは慌てて扉から離れ、壁に添うようにして姿勢を正す。
静かにドアを開け出てきたのは、アリーシャさんの方だった。右腕の氷はすっかりなくなり、痕も残っていないようだ。
彼女はあたしの方を見向きもせず、目の前を通過し、階段の方へと去って行った。
「……………」
あたしは、なにをコソコソとやっているのだろう。
こんなの、先生と生徒なら当たり前の会話じゃないか。優秀で向上心のある生徒に、先生も力を入れて指導する。何も変なことはない。彼は、職務を全うしているだけ。
そう。これは、ただのやきもちだ。醜い嫉妬だ。
だから、隠さなくちゃ。彼に、悟られないように。
「……クロさん!」
勢いよくドアを開け、保健室の中に入る。彼はベッドの脇にある椅子に腰掛け、あたしを見るなり「おー」と間延びした声を上げた。
「大丈夫でしたか?怪我は…」
「ああ、大丈夫。もう治してもらったよ。ちょっと冷たかったけど」
「よかったです……アリーシャさんは?」
「彼女も大丈夫。処置が早かったからね。これに懲りずに、邁進してくれるといいんだけど」
と、クロさんは先ほどまで半分氷漬けになっていた右手をひらひらとさせる。その呑気な姿に、あたしはかえって安心感を覚えた。
よかった。やっぱり、やましいことなんてないよね。ただ『先生』として、『軍部』の人間として、やるべきことをやっているだけだよね。
そう、自分に言い聞かせて。
「今日はこの後…どうしますか?予定では、次の講義の準備をしておしまいですが…」
「ああ、そうそう。レンちゃんにお願い」
クロさんはそう言って、白衣の内ポケットから、折りたたまれた紙の束をあたしに差し出す。
「これ、ルナのところへ持っていってあげて。いつものやつ、って言えばわかるから」
それは、クロさんが新入生向けの講義のために作成した資料だった。そういえば先日も、似たようなものを渡していたような…
「クロさんは、直接お会いしないのですか?」
「うん。僕は急用が入っちゃったから、まだしばらく学院に残るよ。レンちゃんもそのまま、今日は帰っていいから」
「……わかりました」
"急用"。
それって、何ですか?
そう尋ねたら、彼は素直に教えてくれるのだろうか。
…いいや、だめだ。やきもちはナシナシ。
あたしはにっこりと笑顔を浮かべて、
「それじゃあ、お疲れさまでした。あ、今日こそはちゃんとお夕飯、食べてくださいね!」
「わかってるよ〜」
クロさんの適当な返事を聞きながら。
あたしは、最後まで笑顔を取り繕って、保健室の扉を閉めた。
と、もやもやを残す形で。
第2章「魔法学院編」は終幕です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
このあたりがちょうど折り返し地点になる、はず。
後半戦も楽しみながら書かせていただきますので、みなさまにも最後まで楽しんでいただければさいわいです。




