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黒猫王子はメイドと踊る  作者: 河津田 眞紀
第2章 王立エストレイア魔法学院
12/45

6.狭霧の教室

 



 教壇の上で揺れる白衣。

 それを眺めながら、あたしは


「……はぁ」


 もう何度目かもわからないため息を吐いた。




 あの日から、一週間。

 彼は何事もなかったかのように、また淡々と仕事漬けの日々を送っていた。

 恋人らしい進展はナシ。

 あたしだけが、あの夜の熱情を。

 未だ消火できないまま、胸の奥で燻らせている。


 ……ていうか。

 冷静に考えてみたら、恋人が下着姿(それも下はスッケスケ)で目の前に立っているのに、それを見て吹き出すって、あり得なくない?えっ、あり得ないよね?

 挙句、あたしを散々言葉で辱めて……

 また、放置。


 ローザさん…これが、"恋愛の緩急"ってやつなのでしょうか。

 であれば、それを楽しめないあたしは、まだまだ子どもで。


 "大人の色気"には、ほど遠いってことなのでしょうか。


「…………」


 ふと、自分の胸元に目線を落とす。

 お世辞にも大きいとは言えない、しかし全くないわけでもない、謙虚なサイズ感の二つの膨らみ。


 ……やっぱり男性は、大きい方がお好みなのかしら。

 これであたしがお色気むんむんのグラマラスボディだったら、あの時の展開も違ったのかしら。


 そう聞いてやりたい相手は、今日もあの白衣を着て、黒板の前で教鞭を執っている。

 模範的な、聖職者の仮面をつけて。




「──と、このように、精霊の性質によって使い方をよく考えなければいけません。戦闘の場においても、先陣を切るのに適しているものもあれば、サポートや防御に徹した方が効果を発揮するものもあります。そもそも戦闘に不向きな力だってあるでしょう。どんな性質であれ、皆さんは自身の能力をきちんと理解し、受け止めなければなりません」


 魔法学院内の、一番広い演習教室。

 その、階段状の座席の一番端っこで。あたしは今日も、クロさんの講義を見学する。

 新入生向けの授業は、こんな風にまだまだ基本の考え方を教えている。恋人としてのもやもやを抱えつつも、受講者としては真剣にそれを聞いていたりするのだ。


 悔しいことに、『先生』としてのクロさんも、普通にかっこいい。

 程良いテンポで淀みなく、わかりやすく話すその姿は、理想の教師そのものだ。見た目が美青年なだけあって、かなり様になっている。女子生徒たちからも人気があるようで、噂されているのをよく見かける。


 こんなに清廉潔白そうなクローネル先生が、下着姿のあたしを、あんな言葉で辱めるだなんて…

 一体誰が、想像できるだろうか。

 そう思うと、なんだかまた、うずうずと…


 いけないいけない。講義に集中集中。



 魔法の体得へのアプローチ方法はいくつかあるようで、体術だったり、先人の知恵…つまり歴史学だったりと、講義の内容は教授ごとに様々だ。

 その中でもクロさんが担っているのは、どうやら精神面からのアプローチ方法らしい。


 入学式の式辞の時点からそうだったが、彼は一貫して『自分自身を見つめ、認めること』の大切さを学生に説いている。

 魔法の能力は千差万別、人の数だけ種類がある。そういった意味では確かに、他者と比べるのではなく『自分自身』と向き合うことこそが、能力の向上において最も効率的であるというのは理解できる。


 しかし。

 恐らく彼のこの理念には、二面性があって。

 それはきっと、言葉を選ばずに言うのなら。


『使える奴は使えるし、使えない奴は使えない。自らの分を弁え、さっさと進退を決めろ』


 ということなのだろう。


 彼は軍部の重役も担っている。学生たちの能力が軍にとって、国にとって使えるのか否か、それは努力だけではどうにもならない部分があることを、彼はよく知っているのだ。

 授けられた精霊の能力。いくら自在に操れるようになったとしても、こと(いくさ)や自衛において不向きと判断されれば、それまでである。


 彼の講義は、とても優しくて、とても残酷だ。


 軍部と学院、彼のどちらの顔も見ているからこそ、そう感じるが。

 ここにいる生徒たちは、果たして何時(いつ)そのことに気がつくのだろう。



 入学式から二週間。

 生徒たちも学院生活に慣れてきたのか、友だちと戯れる姿を度々見かけるようになった。講義の間、隣同士で座るグループみたいなものも決まりつつあるようだ。

 しかし、その中で。

 一番前の席にポツンと一人、座る少女。

 先週のこの時間、巨大な氷の柱を生み出し周囲を驚愕させた…

 アリーシャ・スティリアムさんだ。


「はい。ではここからは演習時間です。みなさん、自由に移動して構いません」


 クロさんがそう言うと、学生たちは演習スペースへ降りたり、机に残ってノートを取ったり、友だちと話し合ったりと、思い思いに行動し始める。


 ふむ。

 あたしの魔法は戦闘ではなく治癒…つまりサポート向きだったはずなのだけれど、実際にはその性質は、攻撃性の高いものだった。

 上手く使えば、戦闘にも活かせそうな気もするが…どう使っていくのが、一番効果的なのかな。

 先日、わざわざ下着姿にしてまであたしのことを調べた『先生』に聞けば、教えてもらえるのだろうか?

 なんて、胸の内で悪態をつきながら教壇の上にいる彼を見ると。


「…………」


 彼は、真剣な眼差しで、一点を見つめていた。

 その視線の先にいたのは……

 例の、アリーシャさんだった。

 彼女は先週に引き続き、教室前方の演習スペースに立っている。実践的な演習をしたいのだろうか。白く細い指を静かに動かし、自身の名を宙に署名し始める。その口元を見るに、呪文を唱えている様子はない。

 また詠唱もなしに、あの巨大な氷が生み出されるのではないか?そう思ったのだろう、周りの生徒たちが彼女と距離を取り始める。クロさんもそれを懸念してか、はたまた単純に興味があるのか、教壇の端から彼女の指先の行方を注視している。


 しかし、そんな周囲の予想とは裏腹に。

 今回は彼女が署名を記し終えても、何も起こらなかった。

 それを見届けた生徒たちは、安心したように各々の演習を始める。


「…………」


 やはり、前回のはマグレだったのだろうか。あたしも、おそらく他の生徒たちも、そう考えていた。

 しかし、


 ギリ…ッ。


 アリーシャさんは、自身の拳をきつく握り。

 悔しげな、もどかしげな…"怒り"とも取れるような表情を浮かべたのを、あたしは見てしまった。

 無表情な印象の彼女があんな顔をするなんて、少し意外だった。そんなに悔しかったのだろうか。そんなにも早く、魔法を体得したいのだろうか。

 ふと、クロさんの方を見る。すると彼も、アリーシャさんのその表情に気がついた様子で。


 ほんの一瞬だけ。

 にやりと、嬉しそうに笑ったように見えた。


「え……?」


 彼が、どうしてそんな風に笑うのか理解できず。

 あたしは、なんだか胸の辺りがざわざわと騒ぎ出すのを感じた。


 その胸騒ぎをさらに掻き立てるように、クロさんは一直線にアリーシャさんの元へ近付くと…

 彼女に何かを耳打ちするように、口の横に手を添えて話しかけた。当然、ここからでは何と言っているのかわからない。

 彼の言葉を聞いたアリーシャさんは目を見開き、クロさんを見る。彼はそれに、にこりと微笑みを返した。

 そして。

 彼女はじっと、自身の手のひらを見つめてから。

 再び、宙に『書名』をし始めた。その動きには、迷いがない。

 そのままその手を、前方に掲げる。

 すると…


 ピシピシッ、と何かが軋むような音を立てながら、長く鋭利な、槍のような形状の氷が出現した。

 それを目の当たりにした周囲の生徒たちが、一斉に後退りする。その目には驚愕と…畏怖の念が浮かんでいた。


「……すごい」


 あたしは思わず声を上げる。前回よりも制御された大きさの氷を生み出せている。自分の手で、扱えるくらいの。それって、なかなかにすごいことなはずだ。

 それは、クロさんが耳打ちした"何か"のおかげ…なのだろうか。

 アリーシャさんは、宙に浮いたままのその歪な氷槍(ひょうそう)をしばらく無言で眺めてから。


「…………」


 右の手で、ぐっと掴んだ。

 女の子が扱うには(いささ)か長大だが、槍としては十分に機能しそうである。つまり彼女は、無尽蔵に武器を生み出せる、ということか。体術も会得すれば、かなり有能な戦士になり得るだろう。

 なんて、クロさんのが移ったのか、つい上から目線で考えてしまうが。

 ……と、


「………っ!」


 表情が乏しいアリーシャさんの顔色が突如、焦りと恐怖が入り混じった色に変わる。

 見れば、槍を掴む彼女の右手が、指先から徐々に凍り始めているのだ。

 それはあっという間に手首、そして肘へと進んでゆき…


 まずい。やはりまだ上手くは制御できていないようだ。あのままでは氷が、全身に回ってしまう。

 あたしが思わず立ち上がった…のと同時に。


「…うっ……」


 動いたのは、彼女の傍にいたクロさんだった。氷の行く手を妨げるように彼女の腕を掴み、小さな呻き声を上げる。

 彼の手も少しだけ氷に侵されたが…いつの間にか出現した彼の"影"によって槍が食い尽くされ、氷の侵食はそこで止まった。


「……ふぅ」


 安堵の息を吐き、凍りかけた手を離すクロさん。アリーシャさんの右腕も、肘のあたりまで凍ったままだ。彼女は無言のまま、クロさんの方を不安げな目で見つめている。


「…こんな風に、魔法の扱いに慣れない内は自分自身に牙を剥くことさえあります。みなさんも、気をつけるように」


 と、自身の手が凍ったことなどまるで気にしていない様子で生徒を見回すと、


「僕は彼女を保健室まで連れて行きます。残りの時間は、自習に当ててください」


 そう言って、促すようにアリーシャさんの背中に手を当て、二人で教室を出て行った。

 あたしもついて行かなきゃ、と急いで荷物をまとめ、後ろ側の扉から出ていこうとすると、




「……なにアレ。わざと?」

「クローネル先生の気を引きたくてやったんじゃない?まじウザい」

「『自分は優秀です』アピールの次は、『か弱いです』アピール?魔法が自在に使えるとそんなこともできるんだ〜。羨ましい」

『ねぇー』




 そう言って笑う、女子生徒たちの会話が聞こえて。


「…………」


 あたしは、思わず足を止めた。


 …正直に言うと、あたしも先週からアリーシャさんには嫉妬心を抱いている。

 クロさんに興味を抱かせる天才少女。珍しいだけのあたしなんかよりも、ずっと役立ちそうな能力を持った有望な人材。


 だけど、あれは。

 あれは、わざとではなかった。本当に、上手く制御ができなかっただけだ。

 そしてそれは、今嘲笑している女子生徒たちもわかっているはずだ。


 お(いえ)のため、より良い身分と階級のため。

 一族の繁栄を背負いここへ入れられた、貴族の家の子どもたち。

 それが、僅か数週間でこれほどまでに歴然とした才能の差を見せつけられては。

 こう言いたくなる気持ちも、わかる。

 だけど……



 嫉妬。焦り。劣等感。

 それらの負の感情が、教室の中を濃霧のようにどんよりと漂うのを感じて。


「…………」


 学院(ここ)は、思ったよりも怖い場所なのかもしれないと。

 そしてそれは、自分自身も同じなのだと。

 そう感じながら。


 あたしは教室を、後にした。


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