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わたし達のデリバティブ・ウォーズ  作者: 摩利支天之火
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31. LTCMショック

 登おじさんは、わたしの話を聞き終わってもじっと身動きをしなかった。

 それは自分の考えを整理するため?

 いえ、何か言うべきか、言わないべきか、迷っている様子にも見えた。


 「おじさん、ひょっとして八重山の親族の誰かが金融派生商品(デリバティブ)に嵌って、破産したとか、そんなことがあったの?」


 思い切ってわたしは登おじさんに水を向けてみた。

 たとえば、わたしの知らない誰かがそれで自殺したとか・・・・。


 「い、いや、破産したことはないね」


 登おじさんは顔を上げわたしの目を見ながらそう言った。

 ・・・と、いうことは、おじさんは本当のことを話す気になったらしい。

 わたしは知っている。

 経験則的に知っている。

 男性の場合、嘘を言うときは大抵目が泳ぐ。

 わたしの目をじっと見つめているおじさんからは、嘘を言う雰囲気がまったく感じられなかった。


 「本当は紅葉(もみじ)ねえさんに・・・君のママに話すのを止められているんだが・・」


 登おじさんはそう言ってコーヒーをひとくち口に含んだ。

 コーヒーが運ばれてからもう大分経っている。

 多分、そのコーヒーは冷めきっているに違いない。


 「さくらちゃん、君はママから、パパのことは何か聞いているかい?」


 登おじさんは、深刻そうに眉をひそめながら私に聞いた。


 「いいえ、ほとんど何も。東京でセールスマンをしていて、そのうち仲が悪くなって、離婚したとだけ」


 これは本当だ。

 ママとパパは私が小さな頃に離婚している。

 でも、その当時のことはあんまり覚えていない。

 パパと暮らしていたころの断片的な記憶が所々にある。

 遊園地で一緒に遊んだ記憶。

 家でクリスマスパーティーを開いていたころの記憶・・・・。

 でも、当時のパパは忙しくて、ほとんど家に居なかったらしい。

 その代りに、よく遊んでくれたのが登おじさん。

 おじさんは毎週のようにやってきて、わたしをあちらこちらに連れて行って、遊んでくれた。

 パパが何のセールスの仕事をしていたかはママに聞いていない。

 だって、パパのことを聞くと、必ず悲しそうな顔をするんだもの。

 でも、おじさんの言葉ではっきりした。

 ママがデリバティブを嫌いな理由。

 それはパパの仕事に関係があると。


 「そう、きみのパパは東京に支店のあるロングターム・キャピタル・マネジメントの投資部門のトレーダーだった」

 「ロングターム・キャピタル・マネジメント?」


 その名前は聞いたことがなかった。

 わたしの顔を見て、登おじさんは説明を続けた。


 「ロングターム・キャピタル・マネジメントは当時の一流の投資専門会社。ヘッジ・ファンドだった」

 「ヘッジ・ファンド!」


 わたしは大声を上げた。

 周りのお客さんが、何事かと驚いてこちらを振り向くのが分かった。

 ヘッジ・ファンド。

 金融関係をググると必ず出て来る言葉。

 夢見先輩はこのヘッジ・ファンドについて、何か言っていなかったっけ?


 「ヘッジ・ファンドは、銀行や保険会社とも違う金融派生商品(デリバティブ)などを専門に扱う投資会社なんだ。世界中の大金持ちから資金を集め、それを国債や商品先物などに投資する・・・いや、投機する会社のことだよ」


 登おじさんは、最初は投資と言ってから投機と言う言葉に言いかえた。

 投資と投機の違い。

 その言葉なら正確ではないかもしれないけれど、意味は分かる。

 投資は会社などの株を買い、その会社が成長し利益を上げることで会社も自分も共に利益を得るためのもの。

 でも、投機は売りと買いを繰り返しその差額での儲けを狙う物。

 投機は誰かが得をすれば誰かが損をする、いわばゼロサムゲーム。

 賭け金をみんなで取り合うギャンブル。


 「さくらちゃんのパパは、そのヘッジ・ファンドの、かなりの地位にいた」


 パパがヘッジ・ファンドに勤めていたというのは、わたしに取って衝撃的だった。

 だって、わたしはもう金融派生商品(デリバティブ)とそれに関連する仕事は、全て悪いものだと思っていたからだ。

 カジノのディーラー。

 悪の組織のプレーヤー。

 ギャング組織の中の中ボス。

 それが、わたしのパパなの?


 「きみのママは、最初はパパのその仕事を知らなかった。単なる外資系の銀行に勤めているサラリーマンとしか思っていなかった。だけど、さくらが紅葉姉さんのお腹に居る時に、その事件は起こった」


 えっ?

 事件?

 今、おじさんは、事件って言ったよね。

 話は一気に、きな臭くなっていった。

 事件なんだ。

 事故ではないんだ。


 「その事件は、当時はLTCMショックと言われていた」


 LTCMショック?

 何だろう、聞いたことがない。

 リーマン・ショックなら聞いたことがあるけれど・・・。

 わたしがきょとんとした顔をしていたせいか、登おじさんが言葉を続けた。


 「LTCMとは、ロングターム・キャピタル・マネジメント社の頭文字を取ったものだよ。さくらちゃんのパパがいた会社」


 おじさんの顔は真剣だった。

 何と言うか、言葉を選び選び喋っている。

 なるべく、わたしにショックを与えまいという気遣いが感じられる喋り方だった。


 「LTCM社は1994年に設立され、その会社の重役にはFRBの元副議長などが名を連ね、ドリームチームと言われたヘッジファンドだったんだ。たちまち、世界中から巨額の資金が集まった。資産家はもとより、シンガポールの政府系投資会社やイタリア銀行、そして日本では住友銀行などがそこに大量の資金を預け、当初の運用益は40%もあったそうだ」


 40%!!

 その数字は、つい昨日聞いたばかりだった。

 1720年台のフランスはパリ。

 不世出の銀行家・・・あるいは詐欺師であるジョン・ローが設立したインド会社の配当率が、確か40%。

 その信じらないほどの巨額の配当率で、ジョン・ローの成功はゆるぎないものになるかと思われた。

 だが、そこからジョン・ローの転落の物語は始まった。

 そして、LTCM社の配当率40%もまた、転落の序章になったであろうことは、想像に難くなかった。


 「当時、LTCM社は世界最先端のノウハウを持っていた。今のヘッジファンドが使っているありとあらゆる手法の先鞭をつけたのがLTCM社だった。金融工学と言われる統計学の応用によるリスク計算、債権の空売りの手法、実際の手持ち資金の何十倍も運用できるレバレッジの利用、そして極めつけはコンピューターを使った大量の株のこまめな売買だった。ほんの数セントの利益しか出ない株の売買も、コンピューターを使い、瞬時に売買を繰り返すことで、結果的に大きな利益を出すことができた」

 「ええっ、コンピューターでですか?」

 「そう、あらかじめ株式の価格を始めとする外為の動き、石油価格や金価格の値動きなどの複雑な動きをプログラムで判断し、瞬時に売買を行う。その回数は1秒間に数千回の売買だったと言われている」


 そんな凄まじい売買をしていたら、他の投資家たちは手も足も出ないだろう。

 なにしろ、株が値上がりしたので売ろうと思っていた時には、LTCM社は既に大量の株を売って、一番高値で売り抜けることが出来るからだ。

 パパ、なんて会社にいたのよ。


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