悪意の底に残されたもの(10) ~悪意の仕掛けた罠~
「……ク、クリーチャーです!」
マイミは舌を噛みそうになりながら絶叫した。
プーティンが素早くフラッシュライトを振り、下水路の奥に光を当てる。
「……いつの間に」
光が切り裂いた闇の奥から、こちらを見据える無表情な目。
瞬きをすることのない、ガラス細工のような眼球。
それは爬虫類の目だった。
アリゲーター、それも陽光を浴びないせいで皮膚が白くなった白子症。
ニューヨークの地下に住むと信じられている“下水路のアリゲーター”だった。
頭部から尻尾まで、目測で三メートルは超えている。
「くそ、応戦しろ!」
プーティンはそう叫ぶと、担いでいた軽機関銃の狙いを定める。
下水路に残っていた隊員たちもまた、それぞれの火器でアルビノ・アリゲーターを狙った。
つんざくような発砲音が、狭い下水道の中で激しく反響する。
マイミは膝まで汚水に浸かったまま、耳を塞いだ。
アリゲーターは銃撃を避けるように水の底へ潜り、滑るようにマイミ達の方へ突っ込んできた。
先頭にいた隊員の何名かが、弾き飛ばされる。
体長三メートルを超える巨大ワニは大型トラックに匹敵するほどの質量を持つ。激突されれば、ただではすまない。
「畜生、照らせ、照らすんだ。奴を見失うな」
見えない位置からの襲撃が最も危険だった。
誰かが、発炎筒に着火して放り投げる。バチバチと激しいストロンチウムの炎が焚かれ、下水路の中を照らした。
水路を行き来するワニの背中が見えた。
「いたぞ!撃て、撃て!」
その直後、水の中から飛び出した巨大な顎が、一人の隊員のどてっ腹に食らいつく。
悲鳴を上げる暇も無く、水中に引きずり込まれた。
「くそ!何て速さだ」
プーティンが喚き声を上げた。声には微かに恐怖の響きが混じっている。
「こちら、ドニーだ」
マイミはハッとなった。上着のポケットに突っ込んでいた携帯無線機が、自分を呼んでいたからだ。
「はい、こちらは霧崎です」
「マイミ、君たちが襲撃を受けているのは理解している。だが、こちらも待ち伏せを受けた」
ドニーの声の後ろからも、銃声が聞こえた。
傍らのプーティンがうめき声をあげる。
「……畜生、俺たちが二分されるのを待ってたやがったんだ」
無線機の向こうの声は続いていた。
「マイミ、君たちは退却しろ。我々は一階ロビーに釘付けになっていて、君たちの救援に向かえない。それに、よくないニュースがもう一つ……」
「くそったれ!」
プーティンの叫び声が会話を遮る。
目の前で、派手な水しぶきを立てて、また一人隊員が水の中へ引きずり込まれた。
今や、水路は血の色で真っ赤に染まっている。
「銃弾が効いてない。あのワニの鱗は鎧みたいに硬いんだ」
もはやプーティンの声色は絶望に支配されていた。マイミは激しく動き回るクリーチャーの姿を見る。下水路のアリゲーター。都市伝説の産物。どうやったら殺せるのか。
もし、グレイだったらどうしたろうか?
下水路に残された隊員は次から次へと犠牲になり、今やプーティンとマイミしか残されていない。
巨大な顎は、狙いをマイミたちに定める。
「これは……これはマズいぞ」
プーティンが身構えた。大きく開かれた口蓋は、直径二メートルはありそうだ。
絶体絶命のその時、マイミは誰かの声を聞いた気がした。
その皮肉な調子には、聞き覚えがあった。
「……そうね」
つぶやくと、プーティンのベルトにぶら下げられた破砕式手榴弾に目をやる。
「あなたはそうやって、ノヅチを倒したんだったわ」
手榴弾をひっつかむと、安全ピンを引き抜き、レバーを離す。
もう何度も繰り返してきたような、滑らかな動作だった。
「何をやってる!マイミ!」
プーティンが叫ぶ。アリゲーターが尾を畳み、突進のための力を蓄えた。
マイミは手榴弾を投擲する。起爆まで残りコンマ数秒。
いいフォームだった。
手榴弾は突進するアリゲーターの口内にまっすぐ吸い込まれ、そして起爆した。
爆音。
アリゲーターは無理やり膨らませた風船のように膨張し、一瞬で弾け飛んだ。
肉片と、血と、内臓が飛び散る。
至近距離で起きた爆発により、マイミたちは壁に叩きつけられた。
凄まじい音響のせいもあって、しばらく耳が使い物にならなくなる。
「……のか?…イミ!」
しばらくあって、無線が自分たちを呼んでいることに気が付いた。
「……はい、こちら、霧崎です」
「聞こえていたか?マイミ。こちらドニーだ。繰り返す、悪いニュースだ」
マイミは頭を振った。まだ耳の奥がワンワンしていて、ドニーの声が聞き取りづらい。
「はい……なんでしょう」
「一階のロビーから表通りが見えた。ゾンビを満載したトラックが向かっている」
「ゾンビ?トラック?……向かってるって、いったいどこに?」
ドニーの声の向こうで、再び銃声。上での銃撃戦はまだ続いているようだ。やや間があって、再びドニーが通話に応じた。
「トラック、スクール・バス、モーターホーム。ゾンビを詰め込んだ大型車が、ドラッグストアの方面に向かってる。奴らはこちらの作戦に気付いていたんだ。お前たちは急いで戻って守りを固めろ!民間人が危ない」
マイミとプーティンは、顔を見合わせて絶句した。
※※
「何てこった……」
プーティンが間の抜けた声を上げた。
「こんな場所でロック・フェスティバルが開かれるなんて、聞いてないぜ」
マイミもまた、同じ光景を目撃し戦慄していた。
ドラッグストアの周囲をグルリと取り囲むように、歩く屍の大群が押し寄せている。
百や二百ではきかない数だった。
ゾンビは低い呻き声を上げながら、ドラッグストアのシャッターや塞がれた窓を叩いている。その中に獲物がいることを承知しているようだった。
「……どうします?」
マイミはプーティンを見上げる。
二人は通りの反対側にある雑貨店に身を潜めていた。
「そうだな……何しろ、半端な数じゃない」
そう言うとプーティンは目を細めた。
「それにほら、見ろ。あれは増援だ」
示された方角に目をやったマイミは、通りをこちら側に向かってのろのろと走る冷凍車を目にした。側面にピザのイラストが描かれたその車は、ドラッグストアの前に停車しているスクールバスに激突して停止する。その衝撃で冷凍庫の扉が開き、中からドサドサとゾンビがこぼれ落ちた。
「……何なのよ、あれ」
「誰かがゾンビを車に詰めて、こっちに配送してるんだな」
「デリバリー・ゾンビ? そんなの頼んでないわ」
「何にせよ、こっちの手は全て読まれてると思った方がよさそうだな。下水路からの侵入も、ドラッグストアに立て篭もっていることも、敵さんは全てお見通しだ。どうやったのかは分からないが……」
その言葉を聞いたマイミは、ふと思いついた。
もしも自分がアレクサンドルの側だったら……。
「……マイミ」
無線機から聞こえてくるドニーの声が、思索を断ち切った。
「そちらの様子はどうだ。ドラッグストアは無事か」
その声の背後から銃声は聞こえなかった。どうやらU.S.バンクタワーに侵入した面々は最初の戦いに勝利したようだった。
「残念ながら、無事とは言えない状況です。途方も無い数のゾンビに囲まれていて、あたしたちだけじゃ手出しができません」
「なるほど。君とプーティンだけでゾンビを片付けるのは無理だろう。交戦を避けて、中の人たちを救出する方法を考えた方がよさそうだな」
「でも……建物がグルリとゾンビに囲まれてるんです」
「ゾンビは音に反応するはずだ。何かで注意を引き付けることはできないか?」
マイミはプーティンと顔を見合わせた。
自分たちがいる雑貨店の中をグルリと見渡し、クラシックなデザインのラジカセを発見する。本物のカセットテープを再生することかできる、八十年代の骨董品だった。
イジェクトボタンを押し、中にテープが入っていることを確認する。
ゴブリンというバンドのアルバムが入っていた。
「こんなやり方で本当にうまくいくのかしら」
そうつぶやきながら、マイミは店内の壁掛け時計を取り外すと、乾電池を抜き取ってラジカセに入れた。
「だが、やるしかないな。ドニーの言う通り、俺たちだけであの数のゾンビを片付けるのは不可能だ」
そう言うとプーティンは軽機関銃を操作し、薬室に装填されていた銃弾を排出した。その一発に口付けをすると、戦闘服の胸ポケットに押し込める。
「……うえ、弾にキスするなんて気持ち悪い(それは何の儀式?)」
プーティンはマイミをジロリと睨んだ後で言った。
「レンジャーのまじないだよ。最後の一発を別の場所に取っておくと、戦地から無事に帰れるんだ。弾を使い果たすことがないからね」
「……そうなんですか」
それだけ言うとマイミはドラッグストアに向き直った。建物に群がる無数のゾンビを見ていると、そうしたまじないにすがりつきたくなる気持ちも分かった。
絶望、という表現では足りない光景だ。
奥のほうで、ガラスが割れる音がした。
「マズいぞ」
プーティンがつぶやき、マイミがうなずいた。いよいよ窓が割られたのだ。マイミたちは身を低くして、移動を開始した。
つづく




