暗黒大陸で見る夢は
赤茶けた大地が広がっている。
マイミは肌を焼く強い日差しと、奇妙な空気の匂いに顔をしかめた。
ここは日本ではない。これまで自分が一度も訪れたことがない土地であることは明白だった。
アリゾナで見た砂漠ともまた違う、荒涼とした大地。
「そうか、アフリカか……」
ふと気づくと、傍らに少年が立っていた。
薄汚れたTシャツに、サイズの合っていないジーンズ。靴は履いておらず、手には黄ばんだポリ袋を提げている。
黒い肌にたかる蝿を追い払おうともしない。
「君は、誰?」
そう問うたマイミは気付きかけていた。
これは夢なのだ。
少年は問いに答えることなく、虚ろな目でこちらを見ている。
マイミは頭を巡らせて辺りの様子をうかがった。荒涼とした大地には、見渡す限り樹々の一本さえも無く、人が住んでいる気配がしない。
この少年はどこから来たのだろうか?
目を戻すと、少年の隣に小さな女の子の姿があった。妹なのだろうか。ポリ袋を握りしめるのとは反対側の手で、女の子の手を握っている。
マイミはなぜか、焦燥感を感じた。二人の小さな子供たちから死の気配を感じたからだ。本来であれば生命の躍動と、将来への希望に満ち溢れていなくてはならない幼い子供たち。だが二人から感じるのは、暗く垂れこめる死の気配。
再び視線を巡らせ、この二人が帰るべき場所を探そうとした。
二人が五人になった。
幼い兄妹と同じ年頃の子供たち。マイミが目を離すたび、子供たちの数が増えていく。
この夢はマイミに何を伝えようとしているのだろうか。
その時、マイミは気づいた。ポリ袋を提げていたはずの少年の手が、別の物を握りしめている。強い太陽の日差しを浴びて、鈍く鉄色に光る小銃だった。地球上でもっとも多くの人命を奪ったと言われる、カラシニコフ自動小銃。
マイミは少年の目を見た。虚ろなその目の奥には、微かな衝動が隠れていた。
生きたい。
それはささやかな、本当にささやかな欲求だった。
生き物として、最低限の欲求。
それ以上に複雑な思いは少年の中には存在しなかった。
マイミはぎゅっと目をつぶる。何も与えられない子供がこうなることを、よく承知していたからだ。たくさんのことを親から与えられ、子供は人になる。愛を、知識を、価値観を。
それらを十分に与えられなかった人間は、どこかに欠損を抱えて成長することになる。
マイミの欠損は、言葉を通じて人と分かり合えないこと。
人の心を読む共感性に優れたマイミは、幼くして父を失い、それを肥大させていった。その結果、普通の人と同じように、言葉のキャッチボールでコミュニケーションするのが極端に下手になった。一方的に相手の心を読み、先読みした議論をふっかけ、ズタズタに切り刻む。
それを本当に望んでいるわけではない。
もっと人と分かりあい、共感し合い、仲良くできればいいのにと思うこともある。
だがしかし……。
そこまで考えて目を見開いたマイミはぎょっとなった。
子供たちの数は数十人にまで膨れ上がっていた。
その誰もが虚ろな、木に開いたうろのような目つきをマイミに向けていた。
※※
目を覚ましたマイミは、隣の席でグレイがうなされているのに気づいた。
「グレイさん?」
手をかけて、相手を揺さぶる。二度、三度とその体を揺すると、やがてグレイが瞼を開いた。
「……夢か」
「うなされてましたよ」
「ここは……どこだったかな」
「カンパニーの指令機、ライジング・サンの中です。そろそろモガデシュ上空に到達します」
マイミとグレイは機体中央部にある座席に座っていた。甘粕や牧村、多古忍たちは前方のコクピットと指揮所にいる。
グレイはシートベルトで座席に縛り付けられた状態のまま、天井を仰いだ。
「ひどい夢を見ていたみたいだ」
「グレイさんでもうなされることがあるんですね」
「滅多にない。というより、記憶にある限りは初めての経験だ」
記憶にある限り、という言葉について考えながら、マイミは相棒の端正な横顔を眺めた。
グレイには2011年より前の記憶が無い。土砂の中で死にかけていたところを救出されたのが最も古い記憶であって、それより以前の記憶は欠損しているのだ。
「どんな夢を見ていたんですか?」
マイミの問いに、グレイはしばらく答えなかった。窓の外に広がる赤茶けた景色を眺めている。
「この国の夢だったのかも知れないな」
窓の外に広がるのは、ソマリアの首都モガデシュだ。
ソマリアは、九十年代から無政府状態が続き、永遠に繰り返される内戦によって焦土と化した、アフリカ大陸で最も危険な国。
暫定政府、イスラム原理主義者、土着勢力と、あらゆる利害がぶつかりあって、無限の武力衝突を繰り返している。
国土の全地域が最高危険度であるレベル四に指定され、退避勧告が発令されていた。
「ソマリアに来たことがあるんですか?」
「記憶にある限りは、無いな。“ブラック・ホーク・ダウン”で観たことはあるが」
「ゾンビがわらわら湧き出てきて、倒しても倒しても囲まれる映画ですよね?リュック・ベッソンの奥さんの……ジョボジョボなんとかみたいな名前の女優さんが主演してるやつ」
「それはたぶん、“バイオハザード”だな。それとミラ・ジョヴォヴィッチはリュック・ベッソンとは離婚して、バイオハザードの監督のポール・アンダーソンと再婚してる」
「詳しいんですね」
「休みの日は大抵、映画を見てるからな。まぁ、いずれにせよ、“ブラック・ホーク・ダウン”は観ていて気分のいい映画じゃなかった」
そう言うとグレイは再び窓の外を見た。
「この場所に沈殿した悪意の量は、相当なものなんだろうな」
マイミは口を閉ざした。
ノリリスクで遭遇した龍は、島根沖に現れたものの数倍の大きさがあった。龍が悪意の総量によってその姿を変えるのだとしたら、アフリカ大陸に巣くう龍は相当なスケールに違いない。
“そろそろ着陸姿勢に入るぞ、シートベルトを締めるんだ”
機内アナウンスが聞こえた。甘粕の声だ。
マイミは腹のあたりを探って、シートベルトを確認する。
「いつも思うんですけど、飛行機のシートベルトって何で必要なんですかね」
「どういう意味だ?」
「自動車じゃあるまいし、飛行機でアクシデントがあったが最後、まず助かりませんよね?こんな申し訳程度のベルトで体を縛ってても、高高度からの墜落に対して効果はないと思いますけど」
マイミがそう言い終えるか終えないかのタイミングで、サイレンの音が聞こえた。
甘粕が機内アナウンスのマイクを切り忘れていて、コクピットの音声がこちらに届いているのだ。
「えっ?なにこれ……」
窓の外を見ていたグレイが、ぎゅっとこぶしを握り締める。
「これはミサイル接近警報装置の音だ。おそらく、地対空ミサイルに追われている」
同時に、機内アナウンスから甘粕の声が聞こえた。
“……くそっ!追尾されてるぞ”
マイミは目を剥いた。
「ミサイルってどういうことですか。モガデシュは暫定政府が制圧していて安全なはずじゃないんですか?」
「さあ、どうだろうな。少なくとも三日前まではそうだったが……」
グレイは窓から目を離さなかった。崩れ落ちたビルの瓦礫と、その隙間を縫うように建てられたバラックの屋根。建物のいびつな高低差が生み出す影には何が潜んでいてもおかしくない。
「例え政府軍が制圧していたとしても、携帯式の地対空ミサイルであれば、あのバラックの脇からでも狙い打てる。着陸しようと失速している大型機は容易な標的だろう」
次の瞬間、グレイとマイミは座席に押し付けられた。ライジング・サンが急加速したのだ。
コクピットでわめく甘粕の声が、切り忘れたマイクを通じて聞こえてくる。
“機長、ミサイルを振り切るんだ!”
“無理です!こんな短距離で撃たれたんじゃっ”
“あれは赤外線追尾式だ。フレアを放て”
“戦闘機じゃないんだ、そんなもの積んでるわけがないでしょう!”
“いいから回避しろ”
“できるわけがない”
“じゃあ俺に替われ!”
ややあって、甘粕が機内アナウンスのマイクを手に取った。
“諸君、これから回避運動を行うぞ。全員何かに掴まれ。少し揺れるが何も心配することはない”
これほど逼迫した状況だというのに、甘粕の声は落ち着き払っていた。
マイミとグレイは顔を見合わせる。
「きれいな嘘ですね」
「ああ、さすがは政治家だ」
次の瞬間、強烈なGによってマイミたちは体をシートに押し付けられた。
ライジング・サンが急旋回を始めたのだ。
「何を……するつもりなんですか……ね」
「赤外線追尾式のミサイルは、航空機の熱源を追ってくる。急旋回することで、熱源となるエンジンを機体の影に隠そうとしてるんだ」
「……こんな大型のジェット機で、そんなアクロバティックなことができるんですか?」
「もちろん、無理だな」
グレイの返答と同時に、マイミは体がガクンと揺さぶられるのを感じた。
体が天井に向かって引っ張られる。必死でシートベルトにしがみついた。
「まずいぞ、これは機体が失速してる」
「何が起きてるんですか!?」
「このままだと、墜落する」
次の瞬間、機首が下を向いてライジング・サンが降下を始める。マイミの座席の周りで、様々な小物が浮き上がって天井へと激突した。
「くそ、エンジンを切ったんだ」
「何のために?」
「エンジンが熱源だからさ」
ライジング・サンは巨大なエアポケットに吸い込まれるように自由落下の状態になった。マイミはシートにしがみついたまま、思いつく限りの念仏をと唱え始める。
「これ、勝算があるんですか?私たち、助かるんですか?」
「わからん……だが一つだけ救いがあるとしたら」
「あるとしたら?」
「死ぬ時は一瞬だ。無防備な姿のままで、無法地帯であるソマリアに投げ出されることはない」
機体が風を切る音が変化した。窓の外に赤茶けた大地が垣間見える。ライジング・サンは高度を失い、瞬く間に地上に近づいている。
強烈な衝撃が機体を揺らす。
マイミは悲鳴を上げた。
機がバラバラになるかのごとき衝撃に続いて、金属製の何かが破砕する音、そして凄まじい揺れ。
その直後に、後方で何かが爆発する音が聞こえた。
マイミはつんのめったように、前の座席に叩きつけられる。
前歯の二、三本は折れたんじゃないだろうか。
やがて揺れが収まった。
機内にこだましていたサイレンは鳴りやんで、遠くの方でカラカラと何かが回転する音が聞こえる。
顔を上げたマイミは、鼻の辺りがべっとりと汚れているのに気づいた。
それが鼻血だと気づくのにしばらくかかった。
誰かがマイミの肩をつかむ。
「……霧崎さん」
グレイだった。
「ひどい血だぞ、顔全体が聖飢魔Ⅱのメイクみたいになってるが、大丈夫か」
「大丈夫なわけないじゃないですか」
立ち上がろうとしたマイミは、シートベルトが胴体を締め付けているのに気づいた。もつれる指先でバックルを外したマイミにむかって、グレイが声をかける。
「ほら、大切だろ?」
「何がですか?」
「シートベルトだよ。こういうことがあるから、シートベルトはしておかないと」
マイミは片方の鼻の穴を押さえると、フンと鼻血を噴き出してからグレイに白目を剥いて見せた。
「……モガデシュの上空で地対空ミサイルに撃墜されかけるなんて出来事が、そうそうあるわけないでしょっ!」
グレイは肩をすくめて見せた。
つづく




