怪奇!N村湯けむりの事件簿(9) ~土蜘蛛が来る理由~
建物の奥で女性の悲鳴が響き渡る。
全員が、一斉にそちちらを見た。佐倉さんの寝室の方角だった。
「妻が!」
佐倉さんが叫ぶ。
「グレイさん」
マイミが呼ぶと、台所の片隅にいたグレイが振り向き、頷いた。手には買い物に使う籐かごを持っている。
「やれるだけやっみてよう」
裸のまま、籐かごを手に走り出す。
マイミと、佐倉さんと社員たちが後に続いた。
巨大な蜘蛛が寝室の壁を突き破り、毛むくじゃらの脚で獲物を探っている。佐倉さんの奥さんは恐怖のあまり腰が抜けたのか、ベッドの下に転げ落ちたままで身動きが取れない。
「蜘蛛の目は動く物しか捕捉できない。無暗に動くなよ」
グレイは低く呟く。
「グレイさん、あいつは何だと思いますか」
「あれは多分……土蜘蛛だ」
「土蜘蛛?」
「山に籠って旅人を襲う妖怪の類だ。だが時代を辿ると、歴史の初めにおいて、土蜘蛛は蜘蛛では無かった」
喋りながらグレイは籐かごの中からカセットボンベ式のガスバーナーを取り出した。
「語源は土籠り。中央を離れ、地方で土に籠る者という意味だ。それが意味するのは……」
「朝廷に反逆する者?地方豪族ですか」
「その通り。古来より、日本の怪奇・妖怪の類の正体の多くは、中央での権力闘争に敗れ、地方に落ちていった敗北者たちだ」
マイミがその言葉の意味を考え始めた瞬間、グレイが潤滑油のスプレーを取り出した。バーナーとスプレー、その二つの組み合わせの意味するところは明白だった。
「グレイさん、分かってますか?」
「何が言いたい」
「放火は重罪ですよ」
だがグレイは躊躇せずに着火した。バーナーの火が勢いよく飛び出した潤滑油に着火し、炎の霧が土蜘蛛に吹き付ける。
土蜘蛛は大きくのけぞった。
「潤滑油のスプレーは想像しているより凶悪な武器だ。炎で炙るだけじゃなく、燃料も吹き付けるんだからな。敵を確実に火だるまにできる」
炎に炙られ、土蜘蛛が退いた。グレイがその後を追ってベッドの上に飛び上がる。
「グレイさん、効いてますよ!」
興奮したマイミも、グレイとともにベッドの上に飛び乗る。
「凄い!グレイさん。凄いです」
土蜘蛛が身もだえた。なぜ自分が焼かれているのか理解してないようだった。
「あぁ……グレイさん、もっと激しく!」
「……う、うん。あ……くそ…」
グレイがうめき声を漏らす。
「ダメだ……」
勢いよく屹立していた炎の柱が、しゅるしゅると弱まり、やがて火炎放射器が沈黙した。
「えっ?」
マイミが目を剥いた。
「まさか、もう終わりなんですか?」
責めるような口調で、グレイの肩をグラグラと揺さぶる。
「ちょっと、幾らなんでも早くないですか?もう終わっちゃうなんて」
グレイはベッドの上で、裸のままうなだれている。
「もうちょっと頑張ってくださいよ、添え木を当てれば何とかなる」
「これ以上は……ダメだ」
「そんなぁ、こんなに早く終わっちゃうなんて期待外れだわ」
「霧崎さん……ちょっと言い方を考えてくれないか。男は傷つく」
その時、佐倉さんが叫んだ。
「二人とも、危ない!」
火に炙られ、怒り狂った土蜘蛛の一撃がベッドを打ち砕いた。間一髪、グレイがマイミを抱えて飛び退く。
「くそ、みんな下がれ。もう一度、退却するんだ」
グレイが指示を出した。一行がもたもたと廊下へと出ていく。
「くそ、こんなことを繰り返してたら、いずれは隠れる場所さえ失ってしまう」
「グレイさん、後どのくらいであれば持ちこたえられますか?」
「土蜘蛛を怒らせてしまった。夜明けまで持たないかもな」
だがその時、マイミはとある音が近づいてくるのに気付いた。
「……どうした、霧崎さん。なぜ、バリ土産のお面みたいに気持ち悪い顔で笑っている」
マイミは言い返さなかった。まっすぐに玄関へと向かう。
事態を打開するための突破口が、すぐそこまで来ていたからだ。
つづく




