第41話 裁定者は、処刑人ではない
剥き出しとなった黒紫の心核。
あと一秒、術式を維持すれば――リーゼロッテの肉体も魂も完全に削り落とされ、この世から消滅する。
広場を囲む誰もが、私による冷酷な「処刑」の瞬間を固唾を呑んで待っていた。
チ、チ、チ。
銀の懐中時計が、最後の一秒を刻んだその瞬間――。
パチン。
私は静かに扇を閉じ、全ての弱体術式を完全解除した。
「……え?」
ガルドが呆気にとられたように声を漏らし、国王も勇者も目を見開いた。
ドサリ……ッ!
術式の供給を断たれた巨獣の残骸が、黒い灰となって夜風に溶け崩れていく。
立ち込める煙の奥から石畳の上に転がり落ちたのは――異形の角も装甲も失い、ボロボロの衣服を纏った、ただの一人の人間の少女だった。
生命力、残り『一』。
人としての輪郭を取り戻し、死に至る直前の極限で、私は寸分の狂いもなく損耗を止めていた。
「ハッ……ヒューッ……ゲホッ、ゲホッ……!」
冷たい石畳の上で、リーゼロッテが激しく咳き込みながら必死に呼吸を繰り返す。
全身の魔力を完全に枯渇させ、ただの無力な罪人として地に伏す彼女は、震える瞳を私へと向けた。
「な……なぜ……? なぜ、殺さなかったのよ……! 私を憎んでいたはずでしょう……! あんなに侮辱して、追放させた私を……!」
憎悪と屈辱で声を震わせるリーゼロッテを見下ろし、私は静かに懐中時計を胸元へ収めた。
「憎悪などで、ノクティスの天秤は動きませんわ」
私の静謐な声が、夜の広場に澄み渡る。
「ノクティスは裁定者です。――処刑人ではございません」
「な……」
「私はただ、貴方が身勝手に乱した因果の拍を元に戻し、積み上げた負債を清算しただけ。……私情で他人の命を奪うなどという野蛮な真似は、いたしませんわ」
私は扇の先端で、呆然とするリーゼロッテの足元を指し示した。
「貴方を裁くのは、私の術ではありません。……この国の法と、貴方自身が積み重ねてきた罪そのものですわ」
私情の復讐ではなく、絶対の理と法による断罪。
ミリアは胸元に聖杖を抱きしめ、深い安堵と万感の敬意を瞳に滲ませて私を見つめていた。
勇者は自らが抜いた聖剣を見つめ、「力で叩き斬ることしか知らなかった俺とは……背負うべきものの格が違う……」と己の浅薄さに打ちのめされて頭を垂れた。
国王陛下も近衛騎士たちも、息を呑んでその高潔な矜持に敬礼を捧げた。
その時だった。
カラン……。
倒れたリーゼロッテの脱力した指先から、小さく乾いた音を立てて転がり落ちたものがあった。
彼女の胸から抜け落ちた、脈動の止まった黒曜石の結晶片――《厄災の核片》。
「……お嬢さん、これを見な」
ガルドが剣先でそれを拾い上げ、眉をひそめて示した。
結晶の台座部分に、微かに刻印されていた紋章。
それは神殿の聖印などではない。
――宰相家(クライン家)の、秘密の裏家紋だった。
「……やはり、そうですわね」
私は冷ややかに目を細め、広場の回廊の奥――青ざめて立ち尽くす宰相オズワルドの姿を射抜いた。
チ、チ、チ。
八百年の長きにわたる全ての欺瞞に終止符を打つ、真の最終幕が始まろうとしていた。
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