第10話 これにて終曲ですわ
四十七時間五十八分。
呪詛谷に、三度目の夜明けが訪れていた。
朝霧を貫く一条の光が、荒れ果てた谷底を照らし出す。
ドサッ……。
地響きとともに、モルゴスの巨躯が完全に膝をついた。
かつて黒鉄のように輝いていた呪殻は、十八重の継続損耗に侵されて灰のように崩れ落ち、超再生の脈動はすでに停止している。
――《生命視》。
総生命量――残り二十。
損耗レート――毎秒五百。
私は銀の懐中時計を掌に載せ、静かに秒針を見つめた。
チ、チ、チ。
四十七時間五十九分五十八秒、五十九秒――
カチリ。
ちょうど四十八時間ゼロ分ゼロ秒を指した瞬間、モルゴスの最後の生命力ゲージが静かに「0」へと沈んだ。
巨獣の身体が光の粒子となって霧散し、谷底に完全な静寂が戻る。
パチン。
私は扇を胸元で閉じ、静かに一礼を捧げた。
「お疲れさまでした。これにて――終曲ですわ」
谷底には、泥と汗にまみれながらも、ドレスに傷一つ負っていない私の姿があった。
そしてその足元には――二十度叩き潰され、それでも二十度引き戻された、泥と血まみれの大男が転がっていた。
「……お、終わった……のか……?」
地面に顔を埋めたまま、ガルドが掠れた声で呟く。
「ええ、ガルド様。宣言通り四十八時間、誤差ゼロで討伐完了いたしましたわ。あなたの尊い二十の犠牲に、心より感謝申し上げます」
「二度とやらねえ……絶対にやらねえぞ……!」
ガルドは恨めしそうに呟きながらも、どこか誇らしげに小さく息を吐いた。
◇
パチ、パチ、パチ。
静寂を破り、ゆっくりとした拍手の音が響いた。
断崖を駆け降りてきたヴァルテン女辺境伯が、側近たちを引き連れて歩み寄ってくる。
その背後に控える辺境兵たちは、もはや私を「王都の温室育ちの無能」と見る者など一人もいなかった。
畏怖と敬意。三度挑んで壊滅した無敵の呪獣を、生身で四十八時間踊りきって解体してみせた調律の魔導士への、本物の敬礼が並んでいた。
「見事だ、ノクティスの娘」
ヴァルテンが私の目の前で立ち止まり、その双眸に宿る感嘆の炎を隠そうともせずに言った。
「火力を誇る馬鹿どもが三度挑んで死体の山を築いた相手を、誰一人死なせずに完封してみせた。……四十八時間、一秒の狂いもなく踊りきるとはな」
「お褒めに預かり、光栄に存じますわ」
私がカーテシーを返すと、ヴァルテンは腰の短剣を抜き、その柄を私へと差し出した。
「約束通り、お前を我が領の筆頭客分魔導士として迎える。……そして、この辺境において、お前を唯一無二の存在として認めよう。称号は――『辺境の調律者』だ」
ドォンッ!
ヴァルテンの宣告とともに、背後に居並ぶ数十名の辺境兵たちが、一斉に槍と大剣の石突きを大地に打ち鳴らした。
金属の重厚な響きが谷に木霊し、屈強な武人たちが一斉に片膝をついて頭を垂れる。
力と結果のみを尊ぶ辺境の民が、心から私を受け入れた瞬間だった。
「調律者、ですか」
「ああ。破壊しか知らん王都の豚どもには勿体ない、本物の技だ」
ヴァルテンは短剣を鞘に納めると、私の肩に分厚い手を置いた。
そして、歴戦の女傑の瞳を真っ直ぐに向けて、短く告げた。
「……助かった。礼を言うぞ、エルセリア」
――トクン。
私の胸の奥で、何かが微かに跳ねた。
王都にいた頃、私の術は常に「役立たずの穀潰し」と蔑まれてきた。
誰からも必要とされず、ただの一度も「感謝」されたことなどなかった。
だが、この過酷な辺境の大地で。
私の術が、誰かの命を救い、真っ直ぐに「助かった」と求められている。
(……悪くないものですわね)
私は扇の陰で、誰にも気づかれないほど微かに、柔らかな笑みを零した。
◇
翌日、グレンヴェルド城の執務室。
私に与えられた部屋の扉を開けると、そこにはすでに山のような書類が積まれていた。
「……これは何かしら、ガルド様」
全身に包帯を巻き、びっこを引きながら入ってきたガルドが、苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「領内のあちこちから届いた依頼書だよ。『毒沼が氾濫して村が干上がりそうだ』『瘴気の洞窟で魔獣が湧いている』『うちの鉱山を調律してくれ』……昨日のモルゴス討伐の話が領中に広まって、あんたへの指名依頼が殺到してやがる」
「まあ。随分と賑やかですわね」
私は机に歩み寄り、一番上に置かれた羊皮紙を手に取った。
――南東地区、毒沼地帯の氾濫による災害救助要請。
懐中時計を取り出し、パチンと蓋を開く。
秒針は、止まることなく次の拍を刻み始めていた。
「ええ」
私は優雅に椅子に腰掛け、ペンを執った。
「次の曲の準備をいたしましょう」
読んでくださりありがとうございます!
少しでも「面白かった」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
ページ下部の
・【★★★★★】での評価
・ブックマーク登録
で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!
次回更新も楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。




