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23話 言語理解


「…ただ、いま」

「おう、おかえ、り。…お前大丈夫か?」

「全然だいじょうぶじゃないぃ…」


玄関の扉を開き、部屋に入った瞬間ぺしゃりと崩れ落ちた葵をチトは慣れた手つきでリビングのソファへ運ぶ。その手段は、以前の葵とは違い両腕を用いた所謂姫抱きと呼ばれる方法である。普段の葵ならば他所なりとも反応を示すだろうそのやり方に、流せるまま身を任せているのには当然理由があった。意識はあるが、ぐるぐると見るからに目を回っておりとても普段通りからほど遠い葵の口から零れたのは切実な思いであった。


「授業が大変すぎる…」


遂に始まった魔法学校の授業内に問題はあった。断じて、授業内容そのものが高度過ぎて追いつけていないという訳ではない。問題は、事前に想定されていた言語の壁にあったのだ。


入学が決まってから約二カ月間、来る日も来る日も共通言語の本格的な習得に挑んだ葵は、どうにか日常生活において一切支障が出ない程度の習得には成功していた。しかし、日常を優先しすぎたあまり本来触れるべきだった授業で用いられる高度な単語の理解が間に合わなかったのである。それは、単語の読み書きだけでなくこの世界の住人ならある程度知っていて当然、もしくは学園に入学できる生徒であれば理解していて当然とされる日本語では存在しない単語の存在もあった。実際の授業が始まり、仕方がないので葵は黒板に記された単語を片っ端から描き写し、一度自分の中で日本語に訳してから本題に入る。けれども、それでも分からない単語は家に持ち帰るか授業が終わってからヴィルやルシエを捕まえてどうにか解決させる。そんな動きを毎授業行っていれば、当然他の生徒に比べて単純動作が増え結果思考的疲労が積み重なってしまったのだ。勿論可能な範囲で予習や復習を行い毎回誤訳の確認をチトに依頼し、どうにかしようと努力はしているのだがそう簡単にはいかない。元より高度な知識が求められる魔法陣製作を試験の一部としている学園の、しかも最高ランクのクラスの授業が付け焼刃の知識で対応できるわけがなかったのだ。


授業の中では、知っていて当然だと葵が全く知らない内容が右から左に流れていく。基礎から理解が必要な葵にとってその前提条件は高すぎる壁となって行く手を阻み、結果葵は毎日授業が終わると速攻帰宅しチトとノートにまとめた内容を確認、そして睡眠と休息を強制的にとって疲労回復に励む生活を送っていた。


始めは面白がっていたチトも、学園に通い始めてから早二カ月、毎日死にそうな表情で帰ってくる葵を迎え続けた結果流石に心配になり、結果としてこれまで葵に任せきりだった家事を自ら引き受けるようになるまで成長していたりする。


「もぁ、あかん…こんな生活やっとれん、元の世界に戻る前に頭がしぬ…」

「お、おう…確かに解析は難航してるけど…」

「………そうや、ないなら作ればええんや!!」

「は?」

「文字の読み書きができるようになる、最強の魔法陣を…!」

「禁忌一直線の発想し始めたぞコイツ…」


勢いよくソファから起き上がった葵は杖を呼び出し速攻で白紙とペンを用意した。ソファのひじ掛けを机代わりに猛スピードで魔法陣を描き始めるその瞳の先は、明らかに行ってはいけないところに行ってしまっている。どう考えても正気じゃない状況で、それでも以前に増して上がった葵の魔法陣作成能力はチトですら素直に感嘆の声を漏らしてしまうレベルにまで達していた。


目にもとまらぬ速さで必要な文言をとにかく書き加えていく葵の技術は、本来の世界が持つ常識から大きく離れた異常なレベルに達していたが、残念ながらその様子を呆れつつ遠目で眺めるチトも同じく常識の外側にいる魔法使いである。誰かが突っ込む事もなく、魔法陣は完成の姿を見せ始めていた。


「できた!!理論上は動く筈や」

「んーと、組み込まれた要素が多すぎて暫く時間をかけてしっかり解読しないと安全性が判断できねーな。発動が失敗した場合の危険性はどんなもんだ?」

「よっし、今すぐ試そう!!」

「あれ?ちょっと?アオイさーん??」


最早止まる事の出来ない回遊魚もびっくりな勢いでソファから立ち上がった葵の不穏な空気を察知して慌ててチトが止めようと動いたが、時すでに遅し。魔法陣に魔力を流した葵の身体は直ぐに地面に置かれた魔法陣から発せられた淡い光に包まれた。そのまま光は螺旋を描くように葵の周囲を取り囲み、額が全てを吸い込むように光を受け入れていく。そうして暫く、光が収まると同時にゆっくり瞼を開いた葵の姿に我に返ったチトが杖を構えつつ近付いた。


「…説明をどうぞ」

「この世界のアカシックレコードに半強制的に侵入して、共通言語に関する中枢情報を入手。指定記録フォルダ、今回の場合はウチの記憶容量を保存先に指定し、データリソースの全てをコピーする事で言語能力の取得を可能とした。……さて、教科書!!」

「ねぇ待って、さっきからずっと何言ってるのか分かんないんだけど!?」

「…!!読める、チト君ウチこれ全部普通に読めるで…!!やった、ついにウチは、共通言語を克服したんやーーー!!」


教科書を掲げて飛び跳ねて喜ぶ葵を横目に、意図は必死に葵が作り上げた魔法陣の解析を始める。地面に置かれたその魔法陣自体は既に効力を失っており、再発動は難しい状況にあるらしい。魔法陣は所々使われた用紙に対して込められた魔力量が一定以上を超えたためショートしており現状再現は難しそうだったが、それでも読み取るくらいはできる。そうして団ぺ気に得た情報を前に、チトはその表情を真っ青に変えた。


とっても簡単に説明すると、葵はこの世界の全てを繋ぐ”大地”から言語に関する知識を抽出し、それをコピーして自分の脳みそに叩き込んだわけである。本来は共通言語のみの予定だったが、指定が甘かった結果この世界に纏わるありとあらゆる言語の情報を入手しているのだが、それ自身は現状大きな問題ではない。勿論、一歩間違えれば脳みそがぱーんする可能性が非常に高い最悪の掛けに等しい魔法陣であったことは本人も理解できていたが、それを無視して強引に魔力を送り込んだ結果無事に成功した訳である。


残念ながら興奮で素直に説明した葵の現代日本知識ベースの内容ではチトは理解できなかったが、一先ず現状は大きな問題がなかったのだろうとどうにか摩訶不思議な奇跡が発動したのだと投げやりな結論に留める事にした。もしその真意を理解されてしまった場合は葵に対して比喩表現抜きの雷が落ちていただろう行為を意図も容易く実行したのだ、という事実をここに書き記しておく。


「なんかこれ、他の言語も読めるようになっとらん?」

「えっ」


―――


「おや、”葵”ちゃん。何かやらかしたってエトちゃんから聞いたよぉ?」

「え、ウチ何かやったっけ…いや、心当たりがありすぎて分からんわ」


例の常識破壊魔法陣事件から数日が経過し、ようやく常時自動で発動される魔法陣の効果にも慣れ他の生徒と同様の条件で授業が進められるようになった葵は、上機嫌で廊下を歩いていたところを正面から歩いてきたソフィに引き留められた。今回は初対面の日とは違い、気配を隠さず視界に入る位置から近付いてきたため杖を構えることはしない。その様子にどこか楽しそうに笑ったソフィは、指先の一振りで葵が作り上げた魔法陣と恐らく同様とみられる内容が転写された用紙をどこからともなく宙に浮かび上がらせた。と言うのも、葵本人もその時は相当ハイになっていた為、自分がどんな発想で魔法陣を完成させたのか記憶が曖昧な部分が多かったのだ。


「ほら、この魔法陣。中々狂った性能をしてるよねぇ」

「…あぁ、それか。え、ソフィ君解読したん?」

「うーん、正確には少し違うかなぁ?ボクはエルフの中でも特別製でねぇ、”並行世界の自分”と記憶を共有することが出来るんだぁ。流石に言語を新規取得する魔法陣なんて見せつけられたら、解読したくなるに決まってるでしょぉ?チト君から聞いた葵ちゃんの説明の意味が理解できる世界戦を探して、記憶を共有してみたんだぁ。…世界から言語情報をコピーして自分の脳に押し込む魔法陣、当然君ならその危険性も理解していたと思うんだけどぉ…、」

「……」


どこか困ったように微笑を浮かべて、諭すように言葉を紡ぐソフィを前に葵はすっと表情を消して無言を貫く。そんな反応を気にする事もなく、宙に浮かべたままの用紙をくるくると回したかと思えば緑の炎で焼き消した。灰になって散っていく残骸の端を視線で追っていた葵は、それが地面につく寸前で風に流されて消えていったと同時にソフィに視線を戻した。



「ふふ、これ以上何を言っても、葵ちゃんにとっては野暮になってしまいそうだねぇ。安心してねぇ、エトちゃんには言わないでおくから。…だって、その方があの子が自力で新たな魔法陣の可能性に辿り着いてくれるかもしれないでしょぉ?新たな魔法の知識をこの世界の民が手に入れれば、更に面白いことが広がるかもしれないからねぇ」



「…いったい何者なんやろうね、ソフィ君は」

「ふふ、どうだろうねぇ。葵ちゃんはボクを何だと思っているのかなぁ?」



「んー…変わり者のクソエルフ」


「……へぇ、そう」



ゆるりと瞳を細めたソフィは、それ以上何も言わずに葵の横を通り過ぎて行った。遠ざかる足音を暫く何もせずに聞いていた葵は、小さく息を吐いて何事もなかったかのように廊下を進んでいく。そこに、先ほどまでの怖い程の無表情の面影は一切見せないまま。




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