「刺身」
「刺身」
萩原敦は飽きていた。
間違い探しのような毎日。
大学卒業後、何十社に面接に行ったがことごとく失敗、友人とも疎遠になった。
今は親の脛を齧るのみ。そのせいで親との距離も離れていく。
朝起きても、何かをしたいと思えない。
ただ、危険だけは別だった。
検索履歴には、事故映像と遭難記録ばかりが溜まっていく。
普通のものではもう何も感じる事ができなかった。
実にインターネットとは、実に素晴らしい手段である。
「熊肉専門料理店『美粗野亭』」
食べる者も作る者も狂っている「熊の刺身」の店の噂。
萩原が動くには十分すぎる情報だった。
”危険だからこそ食べたい”
萩原は噂の通り郊外の山奥へと向かった。
萩原はぴかぴかと光る時計を見た
10分ほどだろうか
その店は考えていた倍ほどすぐにあった。
草が屋根まで生い茂り、長年の劣化のせいか、黒くなった木造建築だった。
店先には鹿の頭骨が吊るされ、先ほどまでうるさかった虫も今はぴたっと止まり、風が吹くたび葉が擦れた音だけがした。
萩原は吸い込まれるように油で曇った引き戸を開けた。
店内に客はいなかった。
甘ったるい匂いが鼻につく
カウンターの奥には、男が一人。
痩せすぎている、それが一番の印象だ
服と前掛けが、骨にかかっているようだった。
「いらっしゃい」
その体から出たとは思えないような、暖かい声だった。
「初めてですか」
男は笑った。
その口からは妙に白い歯ばかりが目についた
「熊の刺身…あるんだろう」
自ら驚くほど萩原の声は乾いていた。
男の頬がわずかに動いたようにみえた、しかしそのまま男は厨房へ消えていった。
軽くあたりを見回すと店内は様々な動物の骨や皮が至る所に飾ってあり、こちらをただただじっと見ているように感じた。
少し経って男は厨房から皿を持って出てきた。
その肉は赤かった。
いや赤すぎた。
切り口からは静かに赤い汁が流れ落ちていく。
「熊の刺身です」
なにかがぷつんと切れた。
萩原は三日三晩何も食っていないかのように
目の前に置かれた肉に飛びついた
その肉は果実のように甘かった
腹が早く寄越せと叫びだした。
噛めば噛むほどに血生臭い。
何とかして飲み込むと吐き気がした
しかし萩原は目の前の刺身を貪るのをやめない
気づけば皿の上は何も無くなっていた。
萩原は肉が無くなった事にひどく苛立ち、頭を抱えた
「もう一つ熊の刺身を」
それを言い終えるころには歯ぎしりが止まらなくなった。
しかし男は言った。
「本日の熊の刺身は完売です。」
体が震えだした。
萩原は立ち上がった。
その目は男の首だけを見ていた。
萩原はふらふらと店を出た。
萩原は石につまづき、倒れた。
口の中はまだあの味がする。
そうだ家を建てよう
この店の近くにそうすれば毎日あれが食べられる
萩原はよろけながら立ち上がり、歩いて行った。
第一章「刺身」(終)




