『週に一日僕は――ない、でもそれが何曜かは誰にも言わない。先週は木曜だったろ?』 4
瞬間移動能力者と表参道に移動した。タクシーでだ。電車よりはマシであったし、それは一般的な交通手段ではあったけれど、何故か彼と一緒に行うと時間を無駄にしているように感じてしまう。答えの書かれた辞書が家にあるのに、それを調べるために図書館に足を運んでいるような感覚だった。
それをそのまま伝えれば、シザキは「移動時間がないってのは、景色が極端に減るってことだ」と瞬間移動が出来る人間特有の悩みを口にした。アオイには一生理解できそうもない。
表参道はブランドの街だ。特にメインストリートはパリのシャンゼリゼやサントレーノ通り、イギリスのオールド・ボンド・ストリートなんかと同じように、ここに店があること自体がブランドにとってのステータスになる。ギリシャ神殿のような店を構えるグッチに、通りを挟んで正面にあるティファニー。連なるようにアルマーニやアレクサンダー・マックィーンが並び、チェス駒のルークのような外観のボスなんかがあった。ガラス張りのアップルストアが多少雰囲気を邪魔しているが、最近の端末価格の高騰もあってアップルだってハイブランドを名乗れるかも知れなかった。
街行く人々はハイブランドの光に酔っていて、けれどそれを買いそろえられるような人間は殆ど歩いていない。観光客も多かった。そしてそれに呼応するように寿司屋が目立つ。カリフォルニアロールがその証左だろう。
アオイはサンローランを除けばメインストリートのブランドは特別気に入っている訳ではなかったが、道を少し外れれば奇抜な服が豊富にあるし、同じように喧噪から逃れるように立ってるヴィヴィアン・ウエストウッドが好きだった。創設者の墓標が盗まれるくらい魅力的で、何より天使が好きなブランドだったから。彼女は矢沢あいが好きだった。
そんなことを思い出しながら、自分の左手を見やる。右手のアクセサリーは殆ど変わらない。どころか水場や就寝時でだって外さないが、左手は気分によって変わった。今日は偶然にも、中指にヴィヴィアンのナックルダスターリングが填められている。けれどこの考えは真逆で、これを付けているから、こんなことを考えているのだろうか。
そのヴィヴィアンを通り過ぎて、メインストリートの光が届かない細道に進んでいく。しかしどこに行っても主張の強い場所で、ロードコーンですら光っている。こんなことだから洋画に出てくる日本は過剰なほどサイバーパンクにされてしまうのだろう。
「ここだ」
まるで何十年も立ち退きを拒否し続けてきたように古く半壊した、バンクシーに影響されたような落書きがされた壁の前で、シザキが立ち止まった。そこに秘密の通路でもあるのだろうかと、原核生物とも幾何学模様ともつかないストリートアート紛いの落書きを見つめる。
しかしシザキの視線を追えば、どうやら目的地は反対側の建物であるようだった。
「秘密でも何でもないじゃないか……」
そこまで著名ではないブランド店や高飛車な美容室がある一角に、コンクリートと木が互いを食い合っているような、アンティークなウッドハウスにモダン建築を無理矢理ねじ込んだ見た目の低層ビルがあった。普通なら浮いて見えるだろう、こと表参道というこの街に置いては何の違和感もない。どうやらフレンチの店まで入っているようで、調べてみればミシュランガイドに載っていた。
よくあるビルのテナントとは違って、戦後の木造校舎から剥がしてきたように趣きのある黒板が立てられていて、何の店が入っているのかがチョークで書かれている。上から順に読んでいくと【フレンチ Constantine】【コーヒーハウス 酔月】【BAR Half Dark】となっていて、アオイは落胆する。少年心を刺激するような秘密基地だと思っていたものは、洒落た場所にあるだけのバーだったのだから。
「言ってないだろ。秘密基地だとか」
「それはそうだけれども……」
どうにも納得がいかない。天井だけが見えるバーは半地下のようで、隠れ家のような雰囲気を醸し出していが、これで看板がなけれ良かったと思わずにはいられない。
「酒、飲めるか?」
「嗜む程度に」
「良い答えだ」
一階は本物のレコードが掛かっていそうなクラシックな珈琲店。外付けの階段がある二階にはフレンチが入っていて、三階はあるようだが看板もなければ黒板にも何も書かれていない。オーナーが住んでいたりするのだろうか。
珈琲店の蹴り開ければ粉々になりそうな古さの扉には、エレベーターのようなボタンが四つ付いていて、ゼロから三番まである。そのゼロ階というのが、半地下のバーなのだろう。短い階段を降りればミッドガルドにありそうなスチームパンクな扉があって、確りとHalf Darkと刻まれた半分だけ黒塗りされている銀のプレートが張ってあった。しかしその上に彫られている文字に、アオイは首を傾げる。
「ゲームバー」
「マスターがレトロゲームマニアでな。意外と人気店なんだ。カルト的ではあるが」
カルト的な人気。大衆受けしないのと同義の言葉だ。
しかしカルト映画にも名作は多いのだと言うみたいに、シザキは重苦しい鉄の扉を開ける。扉に付いている幾つもの歯車は飾りなのか動くことはなかったが、重金属が捻れるような低音と共に店内が見えた。
バックライトで色彩豊かなアルコール群を煌めかせている、黒塗りのL字カウンター。サイドにはモンスターハンターに出てくるような形の生ハムの原木が置かれていて、白髪の交じった黒髪をオールバックにし口髭を切り揃えたバーテンダーが、アイスピックで氷塊を丸く砕いていた。
マスターであろう彼からの挨拶はない。シザキも言葉はなく、アオイを先導するようにカウンター席に座った。
「アブソリュートを、ロックで」
まるで以前来た時にその言葉をこの席に忘れてきてしまっていたように、シザキが注文した。マスターは先ほどから砕いていた丸氷をロックグラスに入れる。モヒートでもないのにミントも入る。しかしそれは、シザキが来ることを分かっていたような行動だ。彼はこの時間まで暇を潰していたし、来る時間も決まっているのかも知れない。それほどの常連なのだろう。
自分も何か頼もうとカウンターを見る。ウェットティッシュはあったが、メニューらしきものは見当たらない。けれどその代わりみたいに、ブラックカラーの任天堂スイッチは置いてあった。子供が忘れていった訳ではないだろう。
店内を見れば、カウンター席の他にも革張りのソファ席と、机というよりは箱のような形をしたテーブルがある。けれど何より目を引くのは、カウンターから見て左側の壁に並べられたゲーム筐体だ。ネオジオやSAGAのブラストィティ筐体なんかが三つ並べられていて、その隣の棚にはまるでトロフィーのようにファミコンから最新のプレイステーション5までのゲームハードと、それにセットで二、三個のゲームパッケージが置かれている。コントローラーも多様で、Wiiの銃から鉄騎の専用コントローラーまであった。端の方にはクレーンゲームも置かれていて、ファミコンのカセットなんかが商品になっている。バーというよりは落ち着いた雰囲気のゲームセンターだろうか。
微かに青さが混じった照明が反射している腕時計を、その中のパーツを見透かして数えるように見ていたシザキが、アオイの様子を見て微かに首を傾ける。
「メニューはない。何でもあるからな、ここは」
「なんでもね……」
じゃあスパゲッティでも頼めば出てくるのかと思ったが、スパゲッティくらいならあってもおかしくはないだろう。ボルシチなんかはないかも知れない。しかしビーフシチューはある気がした。何故だろうか。何かが煮込まれているような香りはしない。
「ジン・トニック。オレンジジュース割で」
「はぁ? お前ガキか」
「良いだろ。好きなんだよ、オレンジジュース」
別にオレンジの味になってしまう程入れて欲しい訳ではない。あの無色のトニックウォーターを色付けする程度でいいのだが、マスターにそれが伝わるだろうか。
「あとは……ボルシチ」
ないとは分かっているが、殆どシザキへの当て付けのために注文した。オレンジジュースは幾つになっても飲んでいい。
「どうぞ」
しかし目を疑う事だが、まだカクテルだって出てきていないというのにアオイの目の前にボルシチの入った黒い深皿が置かれた。一度視線をマスターに移してからもう一度ボルシチを見つめるが、鮮やかな紅色のスープの中にはおおぶりな牛肉と各種の野菜が見える。懐疑の念が消えないので、マスターがカチリと音をたててカウンターに置いてくれたスプーンを手に取って食べてみる。確かにボルシチだ。そてもとてもじっくりと煮込まれた奥行きのある味がする。
「アブソリュートと、ジン・トニックです」
前触れなくて出てきた東ヨーロッパの料理に二の句が継げないでいると、カクテルが完成し、ロックグラスと八角柱のタンブラーが置かれる。そして将棋を指すような音を立てて、コインが一枚ずつグラスの隣に置かれた。
DARKと浮き出ている銀色のコインを摘まみ、ひっくり返す。裏は黒く塗りつぶされていた。しかしダークなのだから、黒い方が表なのだろうか。
オレンジに濁ったジン・トニックを飲む。長年の経験なんかが成せる技か、まったくの偶然なのか、それはアオイが好む配合だった。ボルシチとの相性はイマイチだが、頼んでしまったのだから仕方がない。
カウンターを見る。ジン・トニックに使われたタンカレーが置かれていて、その奥に煌めく様々な酒が陳列された棚は知らないラベルばかりだったが、ジャック・ダニエルは分かった。ジャック・ダニエルが目を引いたのは、キャップにナイトメア・ビフォア・クリスマスの骸骨がかぶせられていたからだ。そういえば、彼もジャックだった。
先客として、中年の男が2人いる。彼らが能力者だろうか。1人はコンボイの謎をプレイしていて、もう1人はネオジオのブレイジングスターというシューティングゲームをやっている。
コンボイの謎をプレイしている男が上手かったので暫く眺めていたが、ウルトラマグナスが敵に衝突し、最後の残機を落としてしまった。彼は頭を抱え、手元にあるショットグラスをあおった。見れば同じグラスが三つも置かれている。
「ここは酒を飲むとコインが付いてくる」
シザキはロックグラスに手を添え、左手でコインを弄んでいた。しかし直ぐに飽きたとでもいうみたいに、GAMEと刻まれた金属製の黒い貯金箱のような箱にそれを入れてしまう。
「これでこの店にあるどのゲームもワンプレイ出来るってシステムだ。だが昔のゲームは往々にして難易度調整が酷くてな。それにクリアしたことがあるとしてもブランクが長すぎる。そして酒が入っているせいでどいつもこいつも負けず嫌いになり、結果的にテキーラなんかのショットが売れる」
「酷いシステムだ……」
マスターは目の前にいたが、思ったままを言葉にした。酔ってはプレイも覚束ないだろう。メニューがなく値段も分からないのが末恐ろしい。しかしボルシチは美味しかった。
狼に噛まれる前はエマのアパートにいて、シザキに助けられてからもカフェオレやミルクレープしか口にしていなかったのもあって、ボルシチはすんなりと胃に収まっていく。
ジン・トニックをもう一杯頼む。今度はオレンジは無しで。そうすると何かつまむものが欲しくなるが、ナッツなんかの気分ではない。ワインでもないのでチーズや生ハムの気分でもない。何か冷たいもの、アイスなんかが欲しいが、それは手で摘まめなくてはならない。
「アイスの実とかって、ありますか?」
「どうぞ」
冷蔵庫から取りに行くどころか、何かの袋から出す仕草もなく、カクテルグラスに入ったアイスの実が出てくる。オレンジとブドウの冷たい木の実が、零れない程度に幾つも重なっていた。グラスに触れれば、それも今さっき冷蔵庫から出してきたように冷えている。
「なんでもあるなここ」
「言ったろ」
シザキの言葉は誇張でも何でも無いようだったが、こうなると反対に何がないのか気になってくる。
「ところで、あれが同胞なのか」
「いや、知らない人間達だ」
なら知っている人間達はどこにいるとシザキに問い詰めれば、彼の視線はカウンターの左奥を指した。
扉がある。それはトイレではないのだろう。プレートも何も貼っていなくて、ただただ黒い。木製なのか鉄製なのかも分からない程に黒かった。
「地下」
そこに同胞がいると、シザキの言葉は示している。
「最初から言え」
「ここの酒を持って降りるのがマナーだ」
回りくどい奴だ。そして今の言葉で、この半地下にはもう一階層地下があるのだと分かる。そこが、能力者の集会場のような場所なのだろう。
ゲームに興じている客の目を気にしながらも、アオイとシザキは扉へと向かう。よく見れば扉には木目があって、それが木製だと分かる。かと思えばシザキが扉を開ければ、その重量感から鉄のようでもあった。木目に触れれば直ぐに手の熱を奪われて、薄く木目を彫られた金属製というトリッキーな扉だった。
扉の先には踊り場があって、黒い絨毯が敷き詰められた階段が伸びていた。壁には等間隔には電気が埋め込まれているが、その全てが異なる形をしている。蝋燭型のライトに、電球、宝石型のライトやテラリウムまである。
そんな、色々な土産物屋で買ってきた光源を寄せ集めたような光に照らされて階段を下る。今度は黒く塗られた鉄の扉だと思ったが、それは鉄に似せて作られた木製の扉だった。
シザキが扉を開ける。いやにゆっくりと、少しずつ扉の先を見せていくように。
「ようこそ、同胞よ。此処が、恵まれた絶望の集まりだ」
椅子とソファだらけの部屋。それが始まりの印象だ。そこには複数人の男女が、自らのテリトリーを守る万人のように座っている。
階段から降りて正面には、様々な絵がパッチワークされたタペストリーが飾られ、両サイドに大型スピーカーがあった。部屋は五分の三程が埋まっていて、一定間隔で区切られているように見える。銀のサイドテーブルが置かれた黒い革張りのソファ、ドクロ柄でコウモリの枕なんかが置いてあるソファ、ヨーロッパの王室を思わせる絢爛なソファには隣にガラスのショーケースがあり、竹で骨組みが作られているソファの前には狩野派が書いたような竜の屏風がある。また亜種のようなものとしてデスクトップ型のゲーミングPCとマルチモニターが設置された机に、イーゼルが隣に置かれたパイプベッドなんかもあった。まるで二畳半ほどのスペースに自分たちの世界を再現しているようで、人格や個性を繋ぎ合わせたような地下室だった。




