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FREEDOM  作者: Hellmärc


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13/14

『週に一日僕は――ない、でもそれが何曜かは誰にも言わない。先週は木曜だったろ?』  3

 一眠りすれば、目覚めたときには空が少しだけ暗さを取り戻していた。

 アオイはクローゼットの前に立ち、適当なブランドの黒シャツを選ぼうとしてから、シザキが「最高にクールな服装で来い。それが正装だ」と言っていたことを思い出した。どこに連れて行かれるにしても、夜の東京を歩くのだ。格好には拘ろうと考える。

 妹のヘアオイルを借りてからハードワックスで髪を遊ばせ、ディオールのリキッドファンデで肌を整えてから、イヴ・サンローランのアイシャドウでパンクのバンドマンように目元を黒く縁取った。ラルクアンシエルのハイドと、ジョニー・デップが好きだった。


 クローゼットには右側がカジュアルなブランドで、もう片側にはハイブランドが並ぶ。そこから取り出したヴィヴィアン・ウエストウッドの柄シャツを最後のボタンまでキッチリと止め、シャネルのネクタイを締める。イフシックスワズナインのベストを着て、コムデギャルソンのワイドパンツを履いた。そしてヨウジヤマモトの異素材テーラードジャケットを羽織り、アクセサリーボックスからオメガの腕時計を選んで左腕に巻いた。最後にお気に入りの指輪と香水を付ければ完成だ。それはアオイが持っている服の中で、最もクールな組み合わせだ。問題はクールが過ぎるために人と場所を選び、あまり着る機会がないこと。

 現実味が薄れる格好が好きだ。自分の周囲だけを、其処とは別の世界にしたかった。言動と服装、不思議な当て字の名前のせいもあって、二次元くさいと言われることが多いが、それは望んだ言葉に他ならない。周囲の人間と服装が被ることを忌避し、唯一のものを好む。ハイブランドは創設者の歴史を調べ、その感性と人生が気に入ったものだけを買った。アオイにとって、良い服を着ることは歴史や思想を身に纏うことだった。だが一点物という魅力に惹かれ、ハンドメイドの作品も好きだ。無名作家の良質な作品は、ハイブランドにも似た特別感を与えてくれる。工場生産を批判する訳ではなかったが、唯一無二に囲まれていたかった。


「……はっ」


 短く、溜息を吐く。それは決まり事のような吐息で、鏡の自分に向かって嫌味の籠もった笑みを浮かべる。今日の服も、天使が気に入ってくれそうだと思ったから。けれど、もう見せられないから。何のために服を選んでいるのかと、自傷的な笑みを浮かべたくなるのだ。

 ファッションは自分の為にだとか、自らのモチベーションの為だとか、他人からの意見を否定する隔絶的な言葉は昔から流行っているが、アオイからすれば服装なんてものはどこまで行っても他人の為のものだ。礼儀の為、場所の為、嫌いな相手の為、好きな人の為、様々な理由はあるが、誰かの目に晒されなければ服などいらない。世界でたった一人になったとき、ファッションを気にする人間がどれだけいるのだろうか。一人だっていないだろう。


「行ってきます」


 夕食の用意をする母に一言告げてから、玄関を出た。二日連続で家で夕飯を食べないから、帰ったら少しだけ文句を言われるかも知れない。

 最寄りの駅まで歩いてから、着込みすぎたと若干の後悔をする。数時間前までいたヨーロッパのせいでもう七月であることを失念していた。ネクタイを緩めたくなるが、シャツとタイはカッチリと填め込まれるように着なければいけない。着崩すのは目的を終えてからだ。もっとも、今のアオイはその目的すら知らされてはいないのだが。

 メールを開き、シザキに駅に着いたとメッセージを送る。

 数分と待たされずに来るだろう。彼は片耳にブルートゥスイヤホンをしていて、メッセージに迅速に気付けるようにしているのだと言っていたから。多くのメンヘラに鍛えられて返信が早いことに定評があるアオイでも、そこまで神経質にはなったことはない。そのおかげで巨狼に襲われている現場に駆けつけて貰えたことを考えれば、その神経質さには感謝しなくてはならない。


「ハッ、いいな。邪道な正装だ」


 漲るような自己顕示欲と、自己肯定感に溢れた声がする。世界で一番自分が好きそうな声だ。

 ターンブル・アッサーのドレスシャツに、ウエストがシェイプされたアレクサンダー・マックィーンのジャケット。ネクタイはダンヒルで、左手首にはプラダのブレスレットとウブロの腕時計が見える。ロレックスでないところがシザキのイメージに合っている。カフスはヴェルサーチェで、手首からメデューサが睨みをきかせていた。良いジャケットなのに、紫の混じった黒髪のせいで歌舞伎町か麻布十番辺りを歩いていそうな見た目になってしまっているが、それはアオイが言えたことではない。


「君はリヴェラーノのスーツでも着てくるかと思ったよ」

「持ってはいるが、あれは正統すぎて遊び心がない。キートンなんかもな。ナポリ仕立ては嫌いじゃないが」


 知識の層が酷似しているからか、シザキとは軽口を言い合っても面倒な質問や解説が必要ない。最も二人とも、訊かれれば問われていないことまで解説したがる性格ではあった。

 駅構内に入ると、シザキは改札には向かわずに階段を降りていく。そして人目がないことを一応のように確認してから、アオイの肩に手を置いた。


「……此処なのか? 仲間がいる場所って」


 アオイは人目のある大通りに跳んだことに驚きながらも、まさか道行く人々も急に人間が現れたからといって、瞬間移動能力の存在について思考を巡らせることはないだろうと、焦るのは止める。目の錯覚だと思う方が利口だ。


「いや、表参道だ。だが時間が早い。少し、話をしよう」


 この通りには見覚えがあった。少し歩けば迎賓館が見えるここは赤坂だろう。確かに良い店はあるが、脇道にそれれば高価なイメージと違って治安がそれほど良くはない、そんな場所だ。


「人が多いな……君の力で跳ばせないのか」


 冗談を言ったが、シザキは「無理だ」と肩をすくめる。


「外にあるものは跳ばせない。だが、そうだな。あのビルの中にあるもの、全てをこの辺りに飛び散らせたりは出来る」


 シザキはテナントが多く入っている高層ビルを指さしてから、指先を交差点に移す。


「……発動条件ってやつか」

「それも含めて教えてやる」


 ビルの間を抜けるような道を歩き、ブーツとは相性が良くない、それなりの勾配がある坂道を登る。途中には鳥のオブジェが中央にそびえる公園があって、年齢差のあるカップルが写真を撮っていた。服装の趣味があまりに合っていないので、自然に出来たものではなく雇われた恋人かも知れないが、他人の好みなんてものは全くの未知だ。


「それで、また質問させてくれるのか」

「いや、俺の話だ。だが力についての話でもある」


 テレビ局を通り過ぎ、ACTシアターが見える。三枚のハリー・ポッターの舞台広告が貼られていた。映画にすればいいのにと思う。以前、藤原竜也が演じるその舞台を見たことがあったから、余計にそう思った。

 シザキはシアターのすぐ隣にあるパリのような町並みに、ダイアゴン横町を少しだけ持ってきたような通りにあるレストランのテラス席に座り、通りがかった店員に珈琲を頼んだ。よく珈琲を飲む男だ。飲み過ぎなのか、それともそういった香水なのか、シザキからはコーヒーフレグランスが漂っている。中毒と区別が付かないほどの愛飲家らしく、なんだか彼は話すために珈琲を、もっと言えばカフェインを必要としているように思えた。


「俺たちの力は、絶望によって形作られる」


 アオイがミルクレープとカフェオレを頼んでいると、珈琲を待つシザキが言った。


「……絶望ね」


 教科書になら太字で書いてありそうな、重要な言葉だけを繰り返す。そうすれば思ったよりもずっと早く、珈琲が運ばれてくる。シザキは「速く来る珈琲は不味い」と呻きながら、それを一口だけ飲む。そして音をたてずに、カップを木製の丸テーブルに置いた。


「二次大戦中のユダヤ人なら、ガス室でそれを味わっただろう。天皇が神を捨てた日、日本人だって体感したかも知れない。もっと軽く例えるなら、世界恐慌時代のアメリカで、嫁にアップルパイの代わりにアップルビネガーのパイを出されれば、それを味わえたかもな」

「デスパレーション・パイを食べて本当に絶望する奴がいるか? イギリス人はスターゲイジー・パイ食べてるけど」


 アオイは魔女の宅急便で、お祖母ちゃんが孫に作ったパイを思い浮かべながらに言った。食べたことはないが、相当に不味いらしい。なので食べてみたくはある。


「アメリカ人のアップルパイは日本人にとっての肉ジャガだ。元は林檎とはいえそれが酢になれば絶望もするさ。名前にも出てるだろ」


 それは味への絶望なのか、林檎も買えない経済的現状に対しての絶望なのか。後者ならまだ理解が出来る気がした。


「とにかく、絶望がキーだ。それも純度の高い絶望が」


 まるで砂金を天秤に乗せるように慎重に、シザキはスティックシュガーをさらさらと珈琲へ流し込む。茶色い砂糖の粒子が、黒い液体の中へと消えていく。なんだか底のない砂時計を見ている気分になる。


「純度ね……けれど、どうやって計る。人によると思うけど」


 アオイの意見に、彼はパチンと指を鳴らす。


「そうだ。絶望も幸福も、その個人による。ハーゲンダッツ一つで幸福になれる奴もいれば、五万するフレンチを食っても不幸せな奴がいるようにな。同時に、死を願うほどの拷問を受けても希望を見いだし続ける奴もいれば、鳩の糞が肩なんかに降ってきて絶望する奴もいるだろう」


 だが、とシザキは続ける。


「純度の高い幸福を知らなければ、絶望もまた希薄になる。落差が重要だ。そして高純度の幸福とは、幼少期の人格形勢時にもたらされる環境と愛だ」

「環境と、愛……」

「そう。環境と愛だ。それもどちらか一つでは駄目だ。富裕層の子息なら幸せって訳じゃない。貧乏人でも両親から無償の愛情を注がれれば幸せって訳でもない。金銭的余裕がもたらす自由爛漫な環境と、双方の親からの愛情。その二つが与えられなければならない。片親も駄目だ。それでは本能的に、欠損したどちらかを求めてしまうからな」


 彼の中には、幸福の絶対条件のようなものが完成しているのだと思った。理想の家族像かと思ったが、それは理想的な人格形成環境だ。


「俺は、幸福な人間だった」


 とても静かに、シザキは語り始める。それは闇の中からくみ取ったような言い方だった。


「それも一握りの、真に幸せな子供だ。母は資産家のお嬢様で、父は地主の息子で大企業の高給取り。両親の仲も良かったし、可愛い妹にも恵まれた。全てを買い与えられ、何をやっても殆どが上手くいった。出来なかったことの方が、少なかったように思う。そんな自分を幸せでないと言うことは、他の不幸な人間達に対しての冒涜だとさえ思っていた。

 だが、それは中学までだった。高校受験に受かり、家族はその祝いとしてフランスに行くことになった。当時の俺がアレクサンドル・デュマに傾倒していたからだ。大デュマの方だ。だが空港に着く前に、父が運転する車が観光バスに追突された。運転手からはアルコールが検出されたらしいが、それはいい。幸福の皺寄せが来たように両親は胸部圧迫で死に、俺と妹は後部座席にいたにも関わらず生き残った」


 それが絶望かと問う前に、シザキが話を続ける。


「問題は、この後だった。妹は母方の親戚に引き取られ、俺は結婚していなかった伯母、父親の三つ歳の離れた姉の養子になった。その伯母が哀れな人でな。毎月何千万と地代が入ってくる祖父から生前贈与で貰った金で、東京の郊外に豪邸を作って暮らしていたんだが、愛に狂っていた。片手では足りない数の愛人を作り、幾つかのホストクラブにも通っていた。西太后みたいな人だったんだ。伯母には養子になる前に、祖父の通夜で一度だけ会ったことがあったが、父は伯母を避けていた。どうやら父は俺くらいの歳の頃に、実の姉にレイプされたらしくてな。弟に欲情するような人だったらしい。伯母はその時のことを楽しそうに話してくれた。死んだ弟の幼い頃に似ている、養子にした甥とセックスしながらな」


 ミルクレープとカフェラテが運ばれてくる。注文したものとは違ったが、アオイはとにかく気味が悪いくらいに乾いている口の中を潤したかった。カップに唇を付けるが、まだ熱い。彼が嫌いなアイスティーを頼むべきだったと思う。


「あの人は愛を求めていた。伯母は美人で金持ちだったから、多くの男達から愛を囁かれていたが、そのどれも、本物だと思うことが出来なかった。恵まれすぎたんだ。幼い頃から全てを持ちすぎていた。だから他人を信用できなかったが、美貌と金を手放すことも出来なかった。それはあの人の全てだったんだ。何でもそつなくこなしたが、自分には特質すべきものがないといつも病んでいた。他の人間が苦労して手に入れようとする美と金を、最初から持っていたあの人は、生まれながらに努力ってものを奪われたのさ。


 そんなあの人が、唯一信じられるのが血の繋がった相手だった。それだけは無辜の愛なんだってな。だから弟への色情を愛と言い換え、拒絶された事を恨み続けていたあの人はその息子と交わった。高校は通わせて貰ったが、寄り道なんてせずに帰らないといけなかった。帰れば本棚とソファベッド、プロジェクターしかない地下室に閉じ込められて、満足するまであの人の相手をした。食事は毎日のように良質なものが出前でやってきたが、困ったのが寿司だろうが鰻だろうが、あの人の手から食べなきゃいけなかったって事だ。フォークや箸なんか使おうとすれば吐くくらい蹴られて、あの人は泣いて謝りながら陰部を俺に舐めさせた。しょんべんをかけられたこともあったな。あれは最低な味だった。なんだその顔? 気にするな。あの時は家畜みたいな扱いだってそりゃあ酷い気分だったが、今思えばそこそこ楽しかったからな。女を性的に満たす方法も教わった。外出は出来なかったが、地下室だってそこまで劣悪な環境じゃなかった。そこらの貧乏人どもの方が酷い場所で暮らしてるさ」


 暗くなっていく空とは対照的に、シザキは明るくなっていくような話し方をした。けれど空と同じように、その内容は黄昏を迎えていく。


「どの愛人から教わったのかは分からないが、あの人は薬に手を出した。俺とキメセクでもしたかったのかもな。だが容量を弁えなかったらしい。トリップのし過ぎて気絶して、ゲロに溺れて死んだ。最低な死に方だと思わないか? あの人が最後に感じたのは、唯一信じていた肉親からの愛じゃなくて、薬がもたらす多幸感だ。まあそれはいい。あのままだと俺も打たれてたかも知れないからな。それは御免だね。快楽なんてものはカフェインとアルコール、そして好きな女とのセックスだけで充分だ。問題は俺が地下室にいて、あの人は鍵を閉めたままだったってことだ。


 焦ったね。交わる時間になっても降りてこない。鍵は開かず、地下室にはトイレがない。スナック菓子の一つもなくて、水はペットボトルはあったがそれもカラだった。一日、二日とドアを叩き続けて手には血が滲み、叫び続けた喉は皮が剥がれたみたいにヒリついてた。電子時計があったから時間は分かったんだが、段々と今が何日目なのかも分からなくなった。空腹と乾きを無視するために小説を読んだ。モンテクリスト伯だった。何度も読み返した本で、特にファリア神父が好きだった。俺はエドモン・ダンテスのように、あの神父から生きる希望を与えられ続けた。だが生物っていうのは水がないと一週間と持たない。俺は四日は耐えた。そして恐らくは五日目に脱水症状で死にかける中、何故か伯母は死んだのだと悟った」


 急速に、世界が暗転していく。高層建築に囲まれた街の中では見えない太陽が、夜から逃げるように去って行く。「誰も助けに来ないと、理解した時だった」と、シザキが零した。


「――――絶望が――――身を包んだ。同時に、水の中にいた。溺れるほどの水に抱かれた。暖かくも冷たくもない、他人のような水だった」


 まるで知らない母親の腹に入り込んだようだったと、彼は言う。


「伯母の家の、浴槽にいたんだ。そして吐くほど水を飲んだ後、自分が力について全てを知っている状態になっていることに気が付いた。二週間くらい禁欲してから、好きな女とセックスしたことはあるか? そういう時の二度目の射精にも似た気分だった。一度目は駄目だ、直ぐに出しちまう。まあとにかく、最高の賢者タイムを迎えた後、伯母の死体を見つけ、スマートフォンにあった男たちの連絡先から、薬を売った奴を特定しようとした。だが分からなくてな、全員殺した。

 好奇心に負けて色々試したさ。宇宙や深海に跳ばしてやったり、内臓だけ目の前に転移させたりな。肺に入る前に空気を別の空間に移動させることで、酸欠にするなんて事も出来た。そして、伯母に同情した。殺した奴らには死を目の前にして親や恋人に助けを求め、神の名を唱える信心深い馬鹿もいた。だが誰一人として、あの人の名前を口にする奴はいなかった。そんな奴がいれば、見逃してやろうと思ったんだがな」


 初めて耳にする殺人の告白は、あっけなく行われた。シザキは休憩するように珈琲を飲み、アオイは話しを訊いているだけなのに三時間の映画を見たような疲労に襲われていた。頭に糖分を補給してやる為にミルクレープを食べる。味がしなかった。

 無味のクレープ生地が口蓋に張り付く。砂糖を忘れたようなクリームと相まって、水に濡れた粘土のような食感だけが口の中にあった。精神的な問題だ。本当は、とても美味しいミルクレープなのだろう。昔、妹がメロンパンの皮だけを食べてしまって、興味本位で余った中身だけを食べたときのことを思い出す。あれも酷い食感だった。


「俺は、この力を脱獄だと思っている」


 跳ぶ前の行動から、無条件の空間転移ではないとは分かっていたが、シザキは自分の力のことをそう例えた。


「アオイなら感づいているとは思うが、この力は密室でしか使えない。なにも完全に閉じられていなくてもいいんだが、俺が閉じこめられたと感じなければいけない。それに手で握ったものとか、財布の中とかは閉じられた状態だ。何でも取れる。他人の内蔵とかもな。因みに総称はないと言ったが、個人的な呼称ならある。バスの運転手とその家族、ついでに運営会社の人間をどう殺そうかと色々やってる時に、当時の俺は巌窟王と名乗っていた。どうにも呼び名が欲しかったんだ。伝説の復讐鬼に自分を重ねたかったのかも知れない。だからこの力はモンテクリスト伯や岩窟王なんて呼んでも良かったんだが、語呂がイマイチでな。だから俺はこの脱獄の力を――――《ショーシャンクの空に》と呼んでいる」


 電話ボックスでの、最初の転移を思い出す。やはり意味の無い事なんて、この世界のどこにもないのだろう。


「終わったのか……復讐は」


 彼がエドモン・ダンテスに戻れているのか、それが気になった。


「とっくの昔にな。俺は力に恵まれすぎたんだ。全員を殺すのに、一月とかからなかった」


 その力があれば、完全犯罪を遂行する難易度は瞬きをする行為に等しいだろう。勿論それにかかる時間も。しかし聞いていて、アオイは自信がなくなった。


「なあ、すまないんだが、オレは君ほど凄絶な経験はしていない。確かに絶望はしたが、他人から見ればたいしたことがない。オレの中でのみ成立するものだ」

「それがどうした。調べた限り、アオイは条件を満たしている。それさえクリアしていれば、絶望は人それぞれだ。それに、俺が転移させられないのが能力者である証明だ」


 シザキは握った手の中から一万円札を出した。それをテーブルに置いて、「この店のものだ」と言う。この店は違算金として一万円を数えなければならなくなった。


「俺にはこんな事も出来るが、お前の内臓をここにぶちまけることは出来ない。だがそこらを歩いている奴らの心臓を、ここに並べることは出来る」


 テーブルを指して、シザキは恐ろしいことを言う。アオイの手は無意識に鳩尾辺りに当てられていた。臓器は確かに自分の内にある。


「俺が思うに、これは自分の理を他人に押し付ける力なんだ。そして理の強制力は、自分の理を持っている相手には通用しない」

「つまり、同じ能力者には力を行使することが出来ない?」


 シザキは指を鳴らした。正しく理解できたようだった。


「だがシザキ、その理論だと、どうやってオレをパリなんかに跳ばせたんだ」

「例外はある。それが接触による理の強制だ。あの狼もアオイに噛みついてきただろ? 恐らくだが能力者じゃない場合、奴は噛みつかなくとも何らかの変化を相手に与えられる」


 噛まれたときに、足が獣のように変化していった事をシザキに話していた。彼が転移の時にアオイに触れるのも、それが理由だったのだろう。

 接触による干渉。アオイはミノフスキー粒子のせいで妨害された電波が、機体が触れあうことで通信可能になるガンダムの設定を思い出した。お肌とお肌の触れあい通信、そんな俗称があったように思う。


「オレに能力があるっていう確証については理解できたが、絶望については釈然としない。世の中、もっといるだろ。人生に絶望してる奴らなんて」

「そうか? 例えばどんな奴らだ」

「歌舞伎町だとかのキャバ嬢とか、売春婦とか、トー横キッズだとか。日本にだって死にそうなくらい絶望してる奴らが腐るほどいる」


 在り来たりな意見を、シザキは「ハッ」っと鼻で笑った。


「アレは駄目だ。例え遺伝的素養があったとしても、腐っちまってる。それにどうしようもない外れの集まりだ。家庭に何らかの問題があるから、あんなゴミ溜に行き着くんだ。考えてもみろ、生まれながらに不幸な連中だろ? そういう奴らは正統な幸福を知らない。端から見ればどんなに辛い経験でも、元がどうしようもない奴らだと、絶望の純度が低くなる」


 散々な言いようだったが、彼のいう絶望の純度が高くなる条件からは確かに乖離していた。


「いいか、低所得者や片親の子は能力者にならない。双方の親から金と愛情を潤沢に貰い、自分が幸福の中にあると自覚していなければならない。全ては推測に過ぎないが、能力者になるにはまず遺伝的に素養があり、金銭的に不自由なく暮らし、教育的に抑圧されず、自由を謳歌していなければならないのさ。ソイツらが絶望して初めて、力が発現する。それ以外にも要因はあるだろうが、今まで見てきた能力者たちをプロファイリングした結果、この説に至った。異論は認めるが、これが現状分かってることだ」


 同胞を探し始めてから随分と調べたのだと、彼は敗戦した国の将校が、失敗に終わった軍事作戦を振り返るように言った。言葉をスライスしたように軽薄な話し方をする彼の口から出たとは思えないような、重苦しい言い方だった。


「神ってのは理不尽でな。持って生まれなかった奴には何もくれやしない。何もかもを持ってる奴らだけが、神から更なる力を受け取れる」

「セカンド・ギフト」

「そうだ。天から与えられた二物。そう言った奴は、この力の本質をよく理解している」


 夢のない話だった。神話のような力を手に入れるには、そもそもが選ばれた人間でなくてはならないのだから。しかし考えてみれば世界のどの神話も、結局は王族や神の子供などが主人公で、元よりこの世界には夢のある話などなかったのだろう。エクスカリバーを抜いたアーサー王は王族の血筋で、十二の偉業を成し遂げたヘラクレスは全知全能の神の息子だ。何も持っていない人間は、人々が伝え聞く物語に出てくる事なんて出来ない。それが世界の理だった。誰かが何かの能力で、そんな理を世界に押し付けたのだろうか。

 「ところで」と、シザキは勿体ぶった口調で話題を変える。


「俺は話した通りだが。アオイは、何に絶望したんだ」


 聞かれるとは予想していた。だから、答えだって用意している。


「話すようなことじゃないさ……」


 それ以上の追求を拒むために、視線を逸らして、声も低く落とした。そんな様子を見せれば、シザキは「そうか」っと困ったような笑みを浮かべるだけに留めてくれる。見た目に似合わず、デリカシーのある奴だ。


「どのみち力を見れば、それがどんな絶望かある程度予想が付く。お前に必要なのは、自分の理を知ることだ」


 絶望の形が力になる。それを聞いた今でも、アオイには自分の能力がどんなものなのか想像も付かない。けれど、それを知りたいと思う。閉じ込められて死を垣間見たシザキは、その絶望から解放されるために脱獄の力を与えられた。それは絶望の具現化というよりは、アオイには救いに思えたのだ。

 ならば自分には、いったいどんな救いが与えられたのか。

 それを、アオイは知らなければならない。どんな友人や女の子達たちも、助けてはくれたけれど、救いにはならなかったから。もう、超能力にだって縋るしかない。


「夜が迫ってる。同胞達が集まる時間だ」


 黄昏れるように、シザキは空の色を確かめている。


「表参道って言ってたが、秘密基地でもあるのかよ」


 ああ、とシザキは先ほど店から盗った一万円札を、それで支払うつもりなのかテーブルに置きながらに立ち上がる。それからジャケットの皺を伸ばすように襟を正してから、どこからともなく取り出したイヴ・サンローランの香水を手首に吹きかけた。それが最後の準備だと言うみたいに。


「ハーフダーク。そこに、理力使いが集う」

 


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