第九話 送迎と案内人
馬車が動き出して暫くが経った。
個室型のキャビンは四人程度なら入れる広さをしている。分厚い黒いカーテンに閉ざされており、陽の光は入らない。
外の情報は、車輪が土や石を轢き潰していることが、部屋の微かな揺れで判別できる程度。
アンジェリカは室内の隅々を観察し、不審なものや暗殺を警戒したが、そのような気配は特に見当たらなかった。
向かいの席には、仮面の案内人が姿勢を正しくして腰掛けている。
近い距離になって分かること。
息遣いは全く感じられなかった。仮にこの男の胸に耳を当てても、心臓の音はしないのだろう。
しかしこうして面と向かい合っているのに、会話がない気まずさから、アンジェリカは取り敢えずで喋り出す。
「良い馬車ね。子供の頃は乗り物に乗ろうとしても無理やり引き摺り下ろされるか、酔ってしまうから、こういう経験ってあまりないの。この静謐な雰囲気は好きよ」
軽い雑談へ移行させたかったが、ただの独り言で終わる。
「ねぇ、あとどれくらいで着くのかしら?」
疑問を投げてもなお、仮面の男は答えない。
「三日前に歳の近い子が招かれていたはずよ。何か知っていることがあれば、答えてくれるとありがたいのだけれど」
三度目もまた、渡される回答は深い沈黙。この男への問いは全て無駄なのだろう。
その後は黙って腕を組み、暗闇と微かな振動に身を委ねた。
***
一時間ほど経ち、ひときわ大きな揺れを最後に馬車は止まった。
案内人が扉を開けて飛び出し、優雅な動きで降車を促す。
アンジェリカは警戒心を持ちながら一歩降りると、ブーツの靴裏と石畳が触れ合った。
「……」
目の前に広がるのは、霧に包まれた城下町。
周囲に煉瓦造りの家々が立ち並ぶが、どれも色を失ったかのように灰色に沈んでいる。
窓辺に灯りはなく、扉は硬く閉ざされ、人の気配は微塵も感じられない。
——この街は、死んでいる。
そう思ってしまった。
まるで街そのものが、何かに吸い尽くされた抜け殻のようだ。
「本当にここが、ディートルード王国なの?」
アンジェリカは振り返り、仮面の案内人へ尋ねようとする。
しかし、既に彼の姿はなかった。
馬車だけを残して、案内人なんて者は最初からいなかったかのように、音も魔力も感じられないまま。
「……本当に手の込んだ送迎ね」
霧が魔力感知を阻害しているのか、上手く周囲の魔力を探れない。
このまま突っ立ってるわけにはいかないので、アンジェリカは次へ思考を移す。
「取り敢えず、眷属は放っておくべきよね。少しでも情報を集めないと」
魔導陣から十羽ほどのカラスを招来させ、四方八方に飛ばした。
霧で大して見えないだろうが、気休めにはなるかもしれない。