第216話:航空技術者は時代という名の風を感じる(後編)
長いので前後編に分けております。
「――尚井さん。ちょっとした独り言です」
「何かな」
「明後日あたりまでに私がちょっとしたリストを書きます。それらの企業は今後四井に何か商談を持ちかけるか、商談が上手くいく可能性が高い企業になります」
「それは何社ぐらいあったりするのかな」
「把握する限り大企業80社、中小企業を含めて250以上」
残念ながらいろいろと記憶している俺でも、頭の中に入っている企業名は350社ぐらいしかない。
さすがに500社以上は多すぎる。
これらは多くが航空機開発関係で知っておくと有利になるような企業ばかりで、500社以上あるうちの中で航空機とは完全に無縁の企業はレッド・コーラ含めて60社前後。
それでも四井に伝えておくと、今後NUP製品が欲しくなった場合やライセンス交渉等で上手く状況を進められるのは明らかなので今のうちに伝えておこうと思う。
尚井氏がそこから何かを察するかは任せよう。
「……君も本当に隅に置けない人間だな。それで四井にはどうしてほしいと?」
「四井にどうかしてほしいというより、それらの企業の動向を私や首相に伝えてほしいということです。そして、四井においては上手く国内企業とのバランスを取ってほしい……というお願いですかね」
「なんとなく言いたいことはわかった。努力したいとは思うけど、どうしてもうちは民間企業ゆえに利益を優先せねばならない所もある」
「そうでしょうね。でも四井は今後の皇国の未来も見据えて、どういう立場として成長していくべきかを考えてほしい時期に来ていると思うんです。このままいくと四井物産が世界最高の総合商社として成長するかもしれない。ここで重要なのは輸入するばかりでなく……」
「輸出を行って皇国製造業も生き残れるよう支えていかなきゃいけないだろうな。もちろん、頭の中に常に入っているつもりだけれども、君の様子を見る限り遠くない未来でまた信じられないぐらい大きな取引の場に呼び出される気がするよ」
それは間違いない。
西条は陸軍の立場もあるが、それ以上に信用度が高いとみなして政府として四井財閥を重用する腹積もりであるし、俺もそこに否定的な感情はない。
積み上げた信頼と信用、そしてブランド力に偽りはないからだ。
尚井氏がいないと最近の大きな交渉事は冗談抜きで成り立たないからな……
「リストか……うーん。そしたらこちらも何か返さないといけない。よし、やっぱり今日君にもう1つ見せておこうかな」
「他にも何か大きな話が?」
「NUPの関係ではない。これは私が、いや……私達が独自にこの国のために何かできないかと考えて交渉を重ね、ついに結実した実績の1つ。国にも大きな影響が及ぶので近く首相にもお伝えするつもりだったんだが……先に君に見せよう。反応も見てみたいしね」
「まずはこちらをお返しします」
国のため……か。
俺の予想じゃ軍事関係ではないとは思う。
尚井氏はそういう人間ではない。
軍需関係のライセンス交渉も行うが、彼は現実と理想の狭間を生きて理想を実現するために行動してきた交渉人にして商売人。
四井物産関係で何か大きなことを独自にしようとしているんだ。
尚井氏に先ほどまで読み込んでいたレッド・コーラの資料を丁寧にしまい込んで渡すと、彼は交換する形で革でできた上質な封筒を手渡してくる。
そこには……
「ルーヴル? ルーヴルってあの?」
「ああ、正真正銘美術館のルーヴルだ。まあ中身を見てくれたまえ。君なら理解できる内容のはずさ」
なんとなく予想は出来ていたが、丁寧に封筒から書類を引き出すと、極秘という文字と共に、ルーヴルからの受諾内容と詳細が記述された内容の資料が現れた。
「こ、これは……」
内容は極めて簡潔。
四井の提案を受け入れ、モナ・リザ、ミロのヴィーナス、皇帝一世の戴冠式を含む移動可能なルーヴルの至宝を皇国に疎開させ、上野にある皇室博物館での保管並びに展示を受諾する。
以降は皇室並びに外務省や関係省庁との協議も行い、詳細な内容も詰める。
「ルーヴルが管理する至宝の中で、移動できるものを可能な限りこの国に持ち込むんですか!? 国そのものを持ち込むようなものですよ!?」
「そう、だけど今の戦況的にユーグに置いておく方が危険だ。第三帝国はまだしもイワンの連中が何をするかわからない。だから我が国で守らせてくれないかとずっと交渉を重ねてきた。良かったらこちらも見てくれ」
そう言って尚井氏が手渡した別の封筒はとある組織に送るための草案だった。
内容はNUPのスミソニアン協会とコダクローム社に向け、今の時期における美術アーカイブ作成の助力を申し入れるもので、もし万が一戦乱によって消失したとしても、美術品がどのようなものであったかを未来に残すための力添えをしてほしいという嘆願書であった。
そのための必要経費は四井から出すとも。
「美術アーカイブ作成……これはもちろん、我が国の人間や企業も参画するものなんですよね」
「もちろん。アーカイブというのは様々なカメラやレンズを使って沢山残せるだけ残した方がいい。写真というのはどうしてもフィルム、レンズ、カメラによって左右される。だから多種多様なカメラとフィルムを用意したいんだ。なんなら第三帝国のものだって欲しいさ……できるのであれば」
尚井氏の発言はやや危険なニュアンスも含むものであったが、純粋に美術アーカイブを残したいという思いはよく伝わる。
つまり彼がやりたいのは、皇国という国家そのものの国際的信頼度を一段上に引き上げたいというわけだ。
四井が出来るのは戦争ではない。
彼らが彼らなりに企業として出来る国家への貢献事業……もとい文化事業。
こういう事業を通してこの国を軍国主義から遠ざけ、文明国として成長させたいわけだ。
そしてルーヴルの至宝を一時的にでも預かるということは、それを共和国サイドが認めたという事になる。
ただ1つ気になる事があるな。
「スミソニアン協会を巻き込む理由は彼らの能力だけではありませんよね? いわゆる政治的バランス考慮やガス抜きのためですか」
「まぁね。NUPを出し抜いてやったというのが本音ではあるが、政治的バランス考慮の他にも彼らを巻き込んで責任分散をしておかないと正直厳しいと思っているからお願いしているんだ。スミソニアンからは既にうちも関与したいんだけどと直接連絡が来ているんだが、彼らは彼らで独自にホワイトハウスに圧力をかけられる立場。拒否する理由は無いよ」
「ちなみにこの話はいつ頃?」
「突然の異変が生じたもっと前なのは間違いないと思ってる」
ということはOSS(戦略諜報局)は無関係か。
実際問題OSSとスミソニアン協会がそんな形での関係を構築しているなんて話は聞いた事が無い。
スミソニアン協会は独立性が高く、OSSとの協力関係はそれなりにあったが直接的な上下関係等は一切ない。
ようは単純に四井は四井なりのNUPとの関係構築を行おうとしてスミソニアン協会とも対話しようとしていたら、突然NUPから様々な話が同時に舞い込んできててんてこ舞いって所なんだろうな。
しかしこれはすごい事だぞ。
幕末後、あれほどまで渇望していた西側文化の象徴を、預けてもいいと言われるだけの立場にこの国は成ったんだ。
そしてその文化事業にスミソニアン協会を抱き込む事はOSSとは別口でNUPの外堀を埋める事になる。
俺は先ほど尚井氏に向けてガス抜きとは言ったが、スミソニアン協会はNUP最大の文化財アーカイブ作成組織の側面もあり、彼らが関与するということはNUPの官僚機構の“文化的後ろ盾”が皇国側につくことを意味すると言って過言ではない。
協会は国家予算で成り立っていて、潤沢な国家予算の背後にはそれを支える議会の議員がいる他、スミソニアン協会の支援者、後援者にはNUPのエリート層が多く、多数の財団やメディア関係者、有識者が揃っているからだ。
OSSとは別系統の圧力源を形成できる利点は極めて大きい。
万が一ヤクチアが攻撃することになったなら彼らはこういう。
――皇国がここまで頑張って文化財疎開事業を執り行っているのに、本国は何もせず高みの見物をしながら嘲笑って人類の至宝が焼失するのを手助けするのか!――と。
スミソニアン協会の事だから、万が一本当にそうなったら関係者を通じて組織の外から圧力をかける形で「大統領とホワイトハウスのせいでモナ・リザを含むルーヴルの至宝は失われた!」――なんて本気で言いかねない。
彼らにとっては西側文化の保全が組織の理念であるため、皇国だけのせいにはしない。
OSSがこの文化事業を知ったら、時代という名の風向きが自分達のところに来ていると考えるはずだ。
あっちだけじゃない。
うちにも来ているんだ。
「――今の時代だからこそ皇国の方がいいかもしれませんね。だって多くの皇国市民は自由の女神については良く把握しているけれども、一連の美術品についてはそこまで詳しくないし、興味もさほどない。騒ぐのは美術家や学芸員達。彼らは美術品について相応の理解がある。国民は白熱しない方が、より安全に守れる」
「NUPではなく我が国が勝ち取った理由がそこにあると私も思っている。かの国は価値をわかっているからこそ、そこの国に渡ればプロパガンダに利用され、無血で支援するだけの国の状況をより許してしまう環境が整う。ならば美術品理解が十分にあり、管理能力も相応にあって、そして何よりも共に血を流す国に預けたいと考えたんじゃないか」
それだけじゃないはず。
これは意外な関係でOSSが出てくる話なのだが、本来の未来において戦中から戦後にかけてOSSは略奪されたユーグの美術品について調査を行っている。
OSSの組織の設立理念の1つには文化の保護もあったためだ。
調査を行ったのは略奪美術品調査局(ALIU)というOSS内に存在した組織で、ALIUの報告書では第三帝国が略奪して流出した美術品の相当数にNUPの美術コレクターが直接関与していて、第三帝国の密かな外貨獲得手段となっていた事が明らかになっている。
そこでは現地に一連の悪行に関与したNUPのバイヤーが密入国して商品選定と値付けを行った上での、NUP内での裏取引による略奪品裏オークションを行った証拠なども回収されており、OSSは自国の恥として一連の情報を収集し、将来的に全面公開し、これに基づいて仲介業者の事業停止やブラックリスト入り処分の他、あまりにもひどいケースでは国籍を見定めたうえでの国外永久追放処分すら行った。
これを戦中把握していたルーヴル美術館などはNUPへの美術品疎開を行わず、戦火の最中、各地での管理を行ってもいるのだ。
これにより多くの至宝は守り切ることが出来た一方、相当数の美術品がNUPに流出している事実は揺るがない。
現時点でも多くの美術品が既に流出している事になる。
皇国が選ばれたのは偶然ではない。
この国にとって西側の文化財は国の宝そのもの。
聖遺物とかと同じ扱い。
今の時代、自国の文化財以上に丁重にもてなされ、正規の方法以外での購入を行った形跡は殆どない。
本来の未来でもそうだったんだ。
その国民性を信じて、「お前にこの文化の象徴を預ける。いつか戦争が終わった時に立派な文明国となって返してこい」――と、試そうとしているに違いない。
それだけで済むわけがないな。
すぐさまスミソニアン協会だけでなくOSSのALIUも上野にかけつけてきて「可能な限りの美術品を一旦避難させましょう!」――とか言い出してくるのも予想できる。
ドナバンの事だから、この話を聞いたら仰天する事は間違いない。
ただ、OSSの組織力を増強する上で絶好の機会とも考え、即座に冷静になって、本来なら2604年に組織されるところ、前倒しで新しく組織されるであろうALIUの職員に「すぐさま皇国に向かい、OSSの関連企業に話を持ち掛けて美術品を疎開のために一旦買い取ってもらうことをお願いしつつ、それらを上野で保管して将来返す事業を一緒にやるよう四井にも求めろ」――って命じてくる。
ちなみにALIUの構成員はスミソニアン協会からヘッドハンティングされて転籍した者も多数おり、気が付いたらスミソニアン協会からALIUに組織を鞍替えしているケースもあるかもしれない。
こんなところで点と点が線で繋がるとは……
なおさらレッド・コーラについて何も言えないじゃないか。
首相補佐の立場とはいえ、一介のエンジニアには既に制御不能。
これまでの一連の努力に何かが風向きを変えさせたとしか思えない。
一連の行動が将来どう評価されるかはわからない。
でも、俺の中にある皇国の文化財を守りたい想いと、彼らが守りたい自国の文化財への思いは同じだと思っている。
ここは……そうだな、西条を説得して文化財保護法の制定、並びに文化財保護委員会か、文化庁を新たに設立してもらうしかないな。
政府も主体的に関わらないとダメだ。
いかに四井と言えども、四井だけでは支えきれない。
いい機会だ。
他国の文化財を守る流れに乗じて国内の文化財を守る流れを生ませることが出来るかもしれない。
それは俺にとって一番渇望していたものなんだ。
自然も、文化財も、守れるだけ守りたい。
そのために過去に戻ってきたのだから。
「しかし……これって黒字の事業なんですか?」
「大赤字さ。でも将来の四井の信頼を底上げする事業だ。大した痛手にはならない。いわば宣伝広告費なんだ。四井は信用を買うために出費するんだよ」
西条が重用する理由は恐らくこういう所にあるんだろうなと思いつつ、俺は尚井氏に美術品関係については最大限助力することを伝え、リストも後日送付すると伝えた上でその日は別れ、明日のための作業へと戻った。
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