第216話:航空技術者は時代という名の風を感じる(前編)
皇歴2602年3月30日。
今日は明日から行われる習志野での主力戦車の公開訓練の前日。
俺は朝から準備のために諸々の作業を行っていたのだが、そこに思わぬ人物が訪れてきた。
「――おはよう信濃君! 朝から忙しそうだな。明日何かあったりするのかな?」
「まあいろいろと……立場が立場ならご説明できるところではあるんですが」
四井物産の尚井氏である。
こういう時、普段は事前に訪れる事を知らせてくれるのだが、急ぎの用だったのか何も伝えてくる事無く技研に訪問してきたのだった。
「すまないが、少し時間を貰えないか」
「構いません。何かありました?」
いったん作業を止め、彼と共に応接間の方へと向かう。
表情から察すると、多分いい事ではあるのだと思うが、複雑な心境であるかのような顔色を窺わせる。
間違いなく何かあった。
「そうだな……どう言えばいいのだろう。何かあったかを聞きたいのは実は私の方なんだ」
「というと?」
「皇国政府は何かやっただろう? それもとてつもない何かを」
慎重に言葉を選びながら様子を伺う姿に一瞬で察した。
これはOSS(戦略諜報局)の件について探りを入れているなということを。
だが、その様子から恐らく四井に大きな影響が生じていて探りを入れざるを得ない感じなのだろう。
「私の立場から申し上げるのは厳しいですね……」
「それは十分な回答になってるよ信濃君。やはりこれは君に見せるべきだな。その方がいい。もはや私達だけで悩んでいていい領域を超えている」
一体四井に何があったんだ。
OSSが直接四井に協力を申し入れるなんて組織形態からしてありえない。
とりあえず見せてもらった方がいいと思うので、俺は静かに頷いて尚井氏の様子を伺う。
すると彼は鞄の中から大きな封筒を取り出し、俺に手渡した。
「これは1週間前にアトランタから届いた親展だ。私と四井関連企業を指名する形での……事業計画書」
これは……この見覚えのあるマークは!!!
「レッド・コーラ!?」
「4年前かな。私がアトランタに訪れた際、彼らと会合する機会があった。その時に言ったんだ。第三帝国でも大人気のレッド・コーラ。それを我が国でも子供から大人まで飲めるようにボトリング工場を作ってみたい。その際には四井財閥の総力を上げて支援する……なんて冗談半分の話をした。その時の彼らは私のリップサービスに笑顔を向けるだけだったのに、突然これが届いたんだ」
「内容を見させてもらっても?」
「構わないよ。ただ、本件については首相以外に口外しないでほしい」
「承知いたしました。それでは……」
厳重に封をされた封筒から中身をとりだし、パラパラとめくる。
そこにはレッド・コーラの詳細な事業計画が記されていた。
内容としては数年前に尚井氏が話していた件について改めて社内で検討したところ、皇国内において商機が十分あることを確認できたので、ついては皇国に最低10、最大で20近くのボトリング工場を建設したい事。
建設にあたっては四井が建設地の選定を行い、可能ならば大都市圏向けに東京や大阪の工場拠点が是非とも欲しい他、建設会社等の選定も行って事業を進めてほしい事。
現在の皇国では未だに砂糖が配給制であるがため、製造時の製造本数に制約が課されてしまう。
したがって砂糖は自前で調達するので、これを添加した状態の原液を四井船舶に運んでほしいこと。
また、原液あるいは完成製品の輸送においては四井関係の鉄道輸送網も活用したい事。
本件については現地法人を設立する予定であるが、ボトリング工場においてはフランチャイズを認めるため、参入するにあたって協力者となってくれる、将来現地法人を任せてもいい優秀な熱意ある経営者を皇国全国から探してきてほしいこと。
売上指標としては、現在ラムネ飲料と四矢サイダーが合計で年間約800万以上、その他の清涼飲料水と合わせると3000万本程度売れているが、皇国の市場推移は依然上昇傾向にあり、販売開始から5年間の間に年間500万本以上を達成することを目標とすること。
価格は現在の四矢サイダーが20銭、地域によっては25銭であるところ、15銭~20銭で全国展開を行いたい。
なお、瓶回収時には5銭を払い戻すため、実質価格は10銭~15銭としたい。
銀座等の都心部の百貨店にはボトルクーラーを配置し、キンキンに冷えた瓶コーラを提供したいので、そのための百貨店との交渉も四井の信用とブランド力でもって事前にある程度まで行ってほしい。
これにより第三帝国にて失ってしまった年間500万本分のライセンス収益を確保し、もって皇国内での四矢サイダーに並ぶ第二の炭酸飲料として不動の地位を得て、レッド・コーラの世界生産量の拡大を目指す。
なお、皇国陸海軍は本商品を所望してくることは間違いなく、これらの商品はレンドリース法対象商品として後払いによる一時的な無償提供をする事も可能。
その場合は本国からレンドリースで輸入するより大幅に安価となり、皇国政府としても受け入れやすいのではないかと推察される。
大体このような内容である。
「こんなのいきなり送られてきたら動揺しない方が不自然です」
「一通なら大したことはない。けれども、もう40通も似たような話が舞い込んできている。もちろん私達としても願ったり叶ったりだから、政府が止めない限り全力を尽くすつもりだが、それだけじゃない」
「他にも何か?」
「これまで商談を重ねていたNUP系企業の一部において交渉の進展速度が大幅に上がった。信じられないほど契約が上手くいく。普通じゃない。私の商売人としての勘としては、NUP内の何か大きな勢力が味方についた。その何かはわからない。そのための何かを皇国政府は行った。あまり変な条件を飲んでいなければいいのだが……」
さすがは四井最強、いや皇国最高の交渉人。
尚井氏の推理は完全に当たっている。
そして彼の話からして間違いない、これはOSSの支援策の1つだ。
にしたって動きが早すぎる。
判断も早い。
政府から親書の返答をドナバンに送って現地に到着したとみられる時期から2週間前後。
尚井氏に親展が届いたのが1週間前。
つまり皇国の返答に対してドナバンがレッド・コーラに協力を求め、レッド・コーラが判断を下すまで数日しかない。
なんて速さだ。
きっと同じタイミングで他の企業からも似たような進展が送られてきたのだろうことは想像に容易い。
しかし噂程度には聞いていたOSSの支援方法が本当に事実だったとは。
OSSの支援策。
それは自らが自らの組織でもって大々的に動く事は少なく、ドナバンの人脈を巧みに活用したものであることは断片的に公開された情報によりわかっている。
OSS関連企業は公開されているだけでも500社以上。
その中にはこれまで俺が頼ってきたG.Iも含まれ、金融からサービス業、製造業まで多種多様。
製造業1つとっても、食品関係から電化製品、航空機、自動車、石油製品、1つの国と言っても差し支えない程に一揃いしているほど。
当然レッド・コーラも上層部の関係者が出向という形でOSSに入り込んでいる。
ではOSSは直接これらの企業に命令を下したのかというと……そうではない。
レッド・コーラはドナバンのささやきを通して別途検討を行い、本当に商機があるから皇国への参入を決めただけ。
ここにおいて何ら悪意はない。
ではOSSは何をしたいのか、するのかというと……
1つは彼らが自発的に調査する現地での市場マーケティング調査の情報データを提供してもらい、これを独自に活用する他、彼らの調査員であると身分を偽って行動するわけである。
しかも、偽っているとはいうが情報が共有されているため、照会されても表向きは本当に調査員だったと回答されるだけ。
この調査データの共有によってOSSが何をしたいかというと、レッド・コーラを通して皇国のインフラや経済状況の把握をしたいわけである。
現代のレッド・コーラは市場調査のために物流の流れから道路事情まですべてを調査して商品展開を行う企業。
これはより効率的な出荷経路を見極め、厳密な在庫管理のためにやるもので、OSSのためではない。
だがしかし、このために探りを入れた道路事情、交通事情、トラック輸送能力、港湾設備状況、各地の購買力、食料供給状況。
これらすべてを入念に調査する結果、皇国に置かれた経済状況を断片的に丸裸にできる。
OSSからすれば、諜報員による本格的な調査や軍の協力に基づいた軍事偵察なしに“民間企業の調査”だけで皇国の社会基盤を正確に把握できるということであり、これほど都合の良い組織と情報源も他に無いことだろう。
ドナバン達OSSはこの情報から次に皇国に向けてどこをどう支援すべきかを検討し、500以上からなる企業に向けてお願いをするわけだ。
こうしてほしい、ああしてほしいと。
企業がそこに応えるかは、そこにインセンティブがあるかどうか。
OSSから得られるインセンティブは資金提供ではなく、人脈関係の結びつきの強化や人脈関係に基づいた協力、各交渉事において優位になるよう根回しする、関係組織の1つであるモルガン銀行といった金融機関より、より優れた条件での融資を引き出すといった助力ぐらい。
今回のレッド・コーラの皇国参入についても、ドナバンの息がかかった金融機関からの融資や、砂糖調達関連での優遇政策、それに加えて俺の予想では輸送トラック等の配備などの総合パッケージ化された支援があって前向きな姿勢を示しているものと推定される。
活動資金が限られたOSSにおいては、ドナバンが築いたコネクションを最大限活用する他なく、それが基本戦術であったことは後に公開されたOSS関係の資料において明らかとなっているが……
ようはドナバンが親書にて記述した、OSSのもてる全てをもって支援するという話については事実であり、OSSがまだ発足していないであろう現状においても既に状況を開始しているという事になる。
併せて、彼らの狙いは4つあると推定される。
1つは、大統領周辺の外堀を埋め、裏でのヤクチアや第三帝国への支援を止めさせる事。
2つ、皇国内での人脈構築を行い、連携を深めたい。
3つ、皇国内での国民感情を把握し、親NUP文化を根付かせ、同盟関係のアピールを行う
4つ、それを起点にNUP国内の皇国民への国民感情も底上げし、大統領周辺による危険な火遊びへの抑止力としたい
その1つが2602年……本来の未来でも最も清涼飲料水が売れてきていた時期へ合わせたレッド・コーラの国産化と市場への供給というわけだ。
くそ、歯がゆいな。
止める理由がない。
西条を揺すってレッド・コーラの参入を妨害しようものならドナバンの支援が滞る可能性がある。
むしろ逆に本件はドナバンの息がかかっている可能性が極めて高いと伝えなきゃいけない程だ。
レッド・コーラは現状輸入商品しかなく、ちょっとした贅沢品扱い。
中流階級の大人がNUPの象徴的な飲み物を稀に贅沢の一部として純喫茶などで嗜む商品。
いわゆる中流階級層以上のステータスシンボル。
あまり国内では知れ渡っていないが、知る人ぞ知る商品で、小説家や画家といった西側文化に知見があり、かつそういう象徴的な存在を手にして自らのアイデンティティとするような者が好む代物。
純喫茶でレッド・コーラを頼むだけでちょっとした知識階級層とみなされるからだ。
この国で最初に輸入されてから約40年ぐらいの月日が経つが、当時は薬っぽくて飲みづらいと評判が悪かった一方、2602年現在のレッド・コーラは随分と改良されて飲みやすくなっていて、輸入品ながら年々売り上げは上がってきている。
その上、レッド・コーラは地域ごとに原液の調合方法を柔軟に変えていて、より皇国人に親しみ安い味付けにするのは間違いなく、皇国民に良く馴染んで広く受け入れられ、間違いなく売れることだろう。
配給制によって甘味料に飢えた皇国民にとってはこれほど受け入れやすいものはない。
しかも資料を見る限り、レッド・コーラはそれをわかっているので、"かき氷等に使うシロップ"や"コーラシャーベット"等の独自製品を皇国市場向けに供給すると記述している。
まともなシロップが提供されなくなった今の時代において、こういう、ありとあらゆる所から攻めるマーケティングは効果絶大。
ということは皇国の清涼飲料水メーカーはシェアを奪われ大打撃を受けるのは必至。
国内企業を守りたいところなのだが、そうはいかない。
ようはこれが奴らのやり方ということか。
俺は政治家には向いていないかもな。
こういう時にどうしても自国優先で考えてしまう。
安全保障においては同盟関係は必須。
そこでどう妥協するかが重要。
自国第一主義では国際社会は成り立たないし、皇国も自由経済国家。
今は行く末を見守るしかないな。
しかし俺にもできることはある。




