第214話:航空技術者は外装式二流体ノズルでもって洗浄する
「――首相。現在の各国の情勢については概ね把握できました。他にも何か私に伝えねばならない事案などありますか?」
「いや?……ああ、やはりこの件はお前にも伝えておくべきかもしれんな」
西条の苦悶の表情より、さほど重要性が無いような話ではあるようだが、何かこちらにも伺ってみたいことがあるようだ。
国内関係の事案とみた。
「信濃。お前はブロマイドの問題について把握しているか?」
「ブロマイド? もしや数年前に政府が通達を出して禁止に処した女性に陸軍や海軍の軍服等を着せた写真のやつですか?」
「そうだ。2595年頃だったか。政府は若い女性……もはや少女ともいえる未成年の15~20歳程度の女性が主となって被写体として販売に供されていた女性に軍服等を着せたブロマイドの販売を全面的に禁止した。当時新聞沙汰にもなっていて社会問題にもなっていた事象だ」
「すでに7年ほど経過していますが、効果が無かったのですか?」
「当時の関係者の多くは処罰され、ブロマイドの流通網も断ち切ったと思われていた。しかし、昨今また問題が起き始めているのだ。今度はそのような服装を女性に着せた喫茶店……裏喫茶、闇喫茶などと呼ばれるもので、内部では女給によるいかがわしい接待や、個人向けの写真撮影が行われているらしい。そろそろ本腰を入れて対策が必要になってきたように思う。しかしだ、なぜこのような役務がまかり通っているのかまるでわからん。内務省から提出された報告書の内容は信じがたい」
ああ、思い出した。
いわゆる"可能性の未来"ではコンカフェなどと略され、あっちでも風営法違反から問題になっている系統の闇喫茶だ。
女性ブロマイド問題。
これはもう皇国と皇国人の闇そのものと言っていい。
開国以降、写真という技術は急速に世に広まり、皇国民の各家庭に家族写真等を飾るような事例は増えた。
その一方、この写真に妙な趣向を持つ者が群がったのである。
当時の政府の禁止の通達では「偉人を模したものや軍服を身に着けた女性」――というような言葉が並ぶが、一部の皇国人というのは既に亡くなった英雄だけに留まらず、存命中の著名な軍上層部の者を女体化するかのごとく彼らの容姿や風貌を真似た服装を女性に身に付けさせた写真をブロマイドとして販売し……
これが笑えないことに一部の皇国人にものすごい需要があるようで市場が成立しており、商売になるほどで大量に流通して社会問題となった。
現代基準で考えれば、いかに歴史上において悪政を敷いた将軍であっても、その歴史を捻じ曲げるかのように女体化して写真として発売するのは死者に対する冒とくと言って差し支えなく、この手の商品は裏で売買されるような存在であったのだが、政府を通して陸海軍が禁止の通達を出した背景には、南郷将軍に留まらず、信じられないことに宮本指令や西条といった大将クラスの存命中の現役軍人、果てや皇族に留まらず陛下すら女性化してブロマイド販売していた事実が確認できたからである。
海外の著名な王族程度なら政府も外交問題にならない限り放置していたところであろうが、あろうことか陛下にまで魔の手を伸ばし、さらに存命中の現役軍人にまで手を出した事に業を煮やした軍は政府を通して発売を全面禁止したのが7年程前。
また、関係者は全て処罰の対象となり、逮捕された。
だが、話はここで終わらなかったのだ。
この手の業界というのは需要がある限り、供給方法がより発覚しにくい形で移り変わるだけ。
いわばいたちごっこが続く。
需要があることを把握していたあるサービス事業者が供給に乗り出したのである。
それが性接待も厭わない喫茶店。
"可能性の未来"ではキャバクラ等とも呼称される存在であり、恐らくブロマイドの入手が滞った事で流れ込んできた顧客の一部が要望を出したのであろう。
そして店側のオーナーは現行犯でなければ処罰されないんじゃないかと考えたのだろう。
それまでキャバクラ的活動をしていた喫茶店の一部は、"可能性の未来"でいうコスプレ喫茶やコンカフェとなり、喫茶店に隣接する写真屋における個人撮影すら可能な状態でサービス提供を開始した。
もちろん国も黙っていたわけではなく、陸海軍や内務省も早々に状況を把握し、問題のある業態として議会の場で対策に乗り出すよう提案したりしていたのである。
ここで問題なのは、では本来の未来においてはなぜこのようなサービスが存在しており、政府が対応に苦慮していたのかが知られていないのか。
それは2603年頃からの空襲によって一連のサービスの問題に対してどうのと言っていられないほど皇国の国土がダメージを受けたからである。
そんなの後回しにしなければならないほど、空爆が市民生活に影響を及ぼしはじめたわけだ。
本来の未来においてはあまりにも常識を逸脱する内容から戦後ヤクチアによって徹底的に叩き潰されたものであるが、可能性の未来からもたらされた情報を確認する限り、可能性の未来ではいたちごっこが続くらしい。
そればかりか王立国家の過去に実在した王や皇国の実在した侍などを女体化した映像作品やビデオゲームが出て来るとか。
100年後においても何やってんだこの国の民族はと言いたくなるが、ようは戦前からずっと一部でこういうこじらせた性癖を持つ人間はいて、国ぐるみで問題になったことがあったというわけであり、今まさにそれをどうすべきか、何かアイディア等ないかと西条より問いかけを投げられている状況にあるというわけだ。
当時の皇国は常識から逸脱するような内容のいかがわしい類のものを収集したり公に見たりすることについては"乱心である"と定義し、ポルノ映画やポルノ雑誌等を徹底的に不許可として排除していったが、未来の風俗史を研究する者達の言葉を借りるならば、国外から密輸されるポルノ雑誌なんかよりも、この手のコスプレ喫茶の方がよほど頭がおかしいと言わざるを得ない。
階級や肩書を除外したらただの中年あるいは初老のおっさんでしかない者達を、なんで15~20歳程度の女性に化けさせて、さらにそれっぽい演技をさせて応対させる事に悦びを感じるのか全く理解できん。
内務省の報告書においても不気味がられているが、自分が女体化した将官を尻に敷くのではなく、女体化した将官に命じられることを好んでいるとのこと。
若い女性となった陸軍将校から命じられて何が満たされるのか、とてもではないが理解できない。
顧客の中には佐官クラスの軍人も平然といると報告書に記述されているのでその不気味さは際立つ。
この者らは西条ら上層部を普段どういう目で見ているんだよ。
軍務のストレスからそういう形でストレス解消したかったとか?
わからん。
俺の理解の範疇の外だ。
そして当時の内務省の報告書では、喫茶店のすぐ向かい側に写真屋(あるいは写真館)があるようなケースでは、9/10ぐらいの高確率でその手の問題ある接待が当該喫茶店で行われていたとされる。
これは配給やら何やらで苦しみはじめていたはずの本来の未来でも存在した話なんだ。
比較的高給である軍人を除いた場合、一般市民においては一体この手の顧客ってのはどこに接待費を支払う金を持っていて、写真屋等はどうやって物資不足の中で個人撮影が可能なフィルムや機材を調達できてたんだよ。
まさしく皇国の闇だろう。
そりゃ当時の内務省も報告書において「機材やフィルムの原材料等の調達経路についても全く不明で、理解不能」と書きたくもなる。
人の欲望というのはまさしく想像を超える力を発揮するものだ。
こんなの解決方法は1つしかない。
「一連の問題については私も多少は知らぬわけではありません。方法は1つです。風俗営業の業態について法的に定義し、国が監視・管理するしかない。業務を行う時に自治体等に許諾を得るよう詳細な情報を提出するようにし、自治体と国がその手の店舗を管理する。これしかありません。それでも完全に制御することは困難でしょうね。ただ、やらないまま無法地帯になるよりも意味がある」
「治安警察法や取締規則に基づく取締ではもはや不可能であると?」
「そうです。新しい法を制定する他ありません。名付けるなら略称を風営法。正式名称とするなら風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律……あたりでしょうね。曖昧なままにせず、定義づけして徹底管理することで一定の抑制は行えます。治安警察法は区画分け等で都市の隅にその手の店を追いやることは定義していても、都市の中心部に位置しながら、昼間は普通の喫茶店、夜になるといかがわしい接待を行う闇喫茶となるような存在を直接的に管理することが出来ない。将来においてもこの法律の隙間を縫ってくるような闇喫茶は生まれ続けるでしょうが、そこは公権力と時の政府、そして自治体が法や条例等で上手く調整して管理できるはずです」
「信濃。お前の労力をこんな事案に割きたくはないが、素案となるような法案を書き出せるか?」
「1日ほど時間を頂けたら」
「すまないが頼めるか? 具体的な取締方針等の指針もあるとありがたい。忙しい身であることは重々承知だが、国政も手は抜けんのでな」
「問題ありません。これぐらいならば手間にもなりませんから」
大した問題じゃない。
未来においてやることを前倒しでやるだけ。
本来の未来においては情勢が情勢で後手に回った事に対して、手を抜かない姿勢で挑むだけ。
こういう小さな積み重ねは西条の求心力となり、結果的に大きな事案において彼の発言力を増し、こちらが動く時において圧力をかけづらくなる。
全方位で優秀な政治家であると示すことが、結果的に国の未来を切り開く鍵となることもある。
手は抜かない。
◇
「――何々? ハ44についての懸案事項か……」
立川の技研に戻るとすぐさま新たな課題を突き付けられる。
既に戦闘機型の試作機も完成し、量産化の目途もついた重戦闘機である鐘馗の心臓部に関する新たな懸念事項についてまとめられた報告書が長島より届けられていた。
西条の件との温度差に謎の身震いを感じたが、優先順位は航空機開発であるため、即座に封筒の紐を説いて中身を確認する。
するとすでに量産ラインに乗ったハ44については、現状ではどうしても工作精度の問題等から内部のスラッジ等の汚れが運用を重ねるごとに無視できないぐらいに蓄積してエンジン出力を落とすらしく、これに対して分解清掃を現場で行うのは致し方ないが、特殊なシステムを組み込んでいて部品点数が多くなりがちなハ44は整備に手間がかかり整備時間が長くなるため、分解清掃の手間を省く形でエンジン洗浄を行えないかという懸念事項の通達と共に改善案を求める要望書であった。
強制空冷による均一なシリンダー冷却。
タンブル流が流れ込んだ均一な混合気の爆発。
これらを導入してもまだハ44は現状で未知の何かが原因でスラッジが蓄積して長期運用による出力低下を引き起こすらしい。
PEAによるエンジン洗浄剤は極めて有効であるとする一方、これを添加した航空用ガソリンですらもなおもスラッジが蓄積し、これをどうにかするにはもはや特殊な方法が必要ではないかとの事である。
ちなみに本来の未来におけるハ45は冗談抜きで手間を惜しまずに分解整備していたわけであるが、彼らがハ44でこのような要望を行うのは、現場の試作機の運用を行っている者達の声を拾い上げているので当たり前であるという部分もある一方、ハ43の信頼性が思った以上に高く、その差について愚痴をこぼされているのであろうことは想像に難しくない。
やっぱハ33の単純18気筒化って相当に信頼性が高いものだったんだな……
あのエンジンは単純18気筒化した場合の出力限界は2000馬力程度であったが、他方で無理しない構造からそういう問題は生じにくい傑作エンジンだったんだ。
ハ44は出力を絞り出すためにやや無茶な構造をしているし、そもそも2000馬力超級で最低出力2400馬力っていうのは現代の皇国だけでなく世界中を見ても最高水準であるのは言うまでもなく、設計図からは見えてこない何かがスラッジを生じさせているわけだ。
思えば親戚関係にある王立国家のセントーラスも同時期の開発時点で同じような問題が出てきていた。
これはもう、ベースエンジン固有のウィークポイントとしか言いようがない。
セントーラスは開発陣営が試行錯誤を重ねる事で問題を解決していったので、長島の技術者だって決して劣っているわけではないことから恐らく本件も時間の問題のはず。
本来なら状態改善のために現物をくまなく調べれば原因を見つけられるかもしれないので長島の開発者に助力を申し出たいところなのだが……そこに時間を割く余裕が残念ながら無い。
ならどうするか。
こんなこともあろうかと頭の中で温めておいたアイディアを使わせてもらうじゃないか。
報告並びに要望書の内容を見た俺はひとまず闇喫茶の件は後回し、設計室へと向かう。
そしてペンを握り込むと、紙の上にある機器を描いていた。
題して、二流体ノズルを用いて超微細なミスト状にさせた洗浄剤による、エンジン作動によってシリンダーを均一に洗浄するエンジン洗浄システムとでも名付けようか。
こんなところで本来の未来における自動車関係での経験が活きるとはな。
本存在は可能性の未来ではレース界隈だけでなく市販の自動車でも洗浄サービスの提供が行われていて、エンジン洗浄サービスとして一般化している。
エンジン洗浄剤を超微細なミスト状にし、シリンダー内に均一に噴霧することでエンジン内部の汚れをエンジンを作動させながら洗浄させるものである。
20世紀も後半になった頃、エンジン洗浄の問題についてはレース界隈でも度々問題になった。
組付けの精度がエンジン出力に直結し、それがタイムを数秒単位で変化させ、さらにそれが勝敗の決め手とすらなりうるレースの世界では、なるべく分解せずエンジンに負担をかけない形でエンジン内部を洗浄したいという需要が生じていた。
ただ、当時のエンジン洗浄方法はガソリンに洗浄剤を添加する方法と、液体方式でシリンダー内部に洗浄液を直噴エンジンのごとく噴霧する方式で、これは効率が良いとは言えなかったのだ。
特にシリンダー数が多いエンジンだと均一に噴霧することができず、一部のシリンダーにだけ汚れが蓄積したままとなってしまい、これがメカニックの悩みの種となっていた。(余談であるが、液体方式だと下部シリンダーにオイル等の液体の滞留が生じやすい星型エンジンでは、ハイドロロックや焼き付き等を引き起こす大きな問題となりかねない)
そこで考え出されたのが、より微細なミスト状とすることで均一にシリンダーに洗浄液を送り込み、スラッジ等を分解させる方法である。
これは本当に手に吹きかけても水気が殆ど無いようなぐらいの微細な状態で、むしろ逆効果ではないのかと思いたくなるが、洗浄剤自体が極めて強力にスラッジ等を分解するので20分ほどの施工でエンジン内部が極めて綺麗な状態とできる。
分解する手間が不要となるのでエンジンの分解回数が減り、再組立時のリスクが大幅に減ったわけである。
そしてあまりにも優秀でありスポーツカーやスーパーカーを筆頭に効果が見込める事から、自動車ディーラーなどはサービスとして成立するとしてディーラーサービスとして一般の乗用車も含めて提供するようになった。
スーパーカーの分野では車体品質維持のためのサービスとして保証維持のために定期的な施工を必須項目にした一方、一般車向けのディーラーサービスとしては知る人が知るような飲食店における裏メニューに近い顧客の希望を受けて施工するような形で。
俺はその現場にいたし、そして当然洗浄液の内容物もミスト化する方法も知っていたので、これを星型エンジン向けに調整したものを導入してしまおうというわけだ。
まずこの手のミストで洗浄する方式においては、エアガンやエアコンプレッサーを用いるものと、スプレー缶を用いるもの、2つが存在する。
乗用車向けではスプレー缶が一般的で、レース向けやスーパーカー向けではよりミストが微細となりやすい専用のエアガンやエアコンプレッサーと接続したエアスプレーを用いるわけである。
乗用車向けが性能が低いかというとそうでもなく、正直スプレー缶方式でも相当にミストは微細で洗浄能力は高い。
が、現在の皇国においてはスプレー缶を量産するような工業的余力は一切ないため、当然にしてスーパーカー等と同じエアスプレー方式となる。
これは航空機用のタイヤの空気注入や、一部の塗装等を行うために前線基地に常備されているものであり、これを応用して専用のノズルを取り付けて噴霧してしまおうというわけだ。
それが二流体ノズルである。
それもただの二流体ノズルではない。
外装式二流体ノズルだ。
二流体ノズル。
これは様々な方式があるが、仕組みとしては液体等の何かと外気やガスを用いた2つの流体を用いることで、微細なミストを生じさせるスプレーノズルである。
このノズル、実はジェットエンジンの燃焼室の進化に非常に密接に関与しているもので、未来のジェットエンジンはその多くがインジェクター部分に二流体ノズルを備える。
しかもただの二流体ノズルじゃない。
ノズルから噴霧されるミストは渦状に螺旋回転しており、これを着火することでとぐろを巻いた蛇のごとき燃焼を引き起こす。
つまり極めて高効率に空間内において燃焼活動を生じさせて燃焼ガスを生じさせることが出来るため、燃焼効率の大幅な向上だけでなく燃焼室の大幅な小型化にも貢献する存在だ。
ちなみにこの時の気流の流れはスワール流となっており、興味深いことにレシプロエンジンでは非効率として否定されたスワール流がタービンエンジンでは有効であった事になる。
それまで俺が知るジェットエンジンというのは単純なインジェクターに外部からエアを取り込んでぶつけてせん断し、これによって発生させたミストたる混合気に着火させて燃焼させていた。
しかしこれでは空間効率が悪い。
燃焼室を小型化したいのに出来ない。
真っ先に思いついたとされるのはやはりこの手の狂った発想では常に先を行く王立国家のエンジニア。
「だったらもうインジェクター時点からスワール流を伴った超微細なミストによる混合気が噴霧されれば、燃焼時間もらせん状に燃焼する事によって確保できるから、結果として空間効率が大幅に引き上がって燃焼室を大幅に小型化できるんじゃね?」――などと紅茶をすすりながら思いつき……そして実行に移して他のNUP等のメーカーも追随する事になる。
これこそ俺が知りたかった異常に小型化された燃焼室の正体。
まさか工業的には様々な分野で応用されるものをジェットエンジンそのものにぶち込んでたとはな。
自分が閑職ともいえる状況で日夜触れてた存在に将来のジェットエンジンの性能を大きく左右する存在が眠ってたなんて……気づいたのは最近だ。
可能性の未来からもたらされた情報だからなこれは。
だが、基礎たる技術情報は本来の未来に存在したもの。
今回扱うのは部品点数が最小限の2点で済み、極めて頑丈で製造難易度も低い外装式二流体ノズル。
実際のジェットエンジンでこれが使われているかはわからないが、可能性は十分ある。
構造としては内装部分のノズルにらせん状の溝が刻まれ、ここにエアが通るようにする。
一般的な金属製のスプレーノズルの外側にらせん状の溝が掘られていると思ってくれていい。
この上に外装として蓋のように装着される外装部分を被せることでこのノズルは効果を発揮する。
ようは液体を噴射する部分のノズルは一般的な形状である。
らせん状のスワール流を発生させ、極めて微細なミストを生じさせるのは彫り込まれた溝を流れるエアあるいはガスである。
なお、一般的な二流体ノズルでは液体とエアはノズルの外で合流する事が多いが、ここは当然最新鋭の流体力学を応用し、内部にて合流。(内部といっても、閉塞した空間ではなく、ノズル先端直前の混合部)
つまり混合体となったミストはノズル内部で生じてスワール流を伴って噴霧される。
正直言ってスワール流そのものはエンジン洗浄にそこまでの影響は及ぼさないが、このスワール流が更なるせん断力を生み、ミストの微細化を引き起こし、これが洗浄力を向上させる。
よってスワール流は必須。
ミストは微細であればあるほど洗浄効果が上がる事は現場にいたので把握してる。
なお、一連の外装式二流体ノズルを構成する構造体については2602年現在の工作機械でも十分に大量生産が可能で、構造も部品点数も最小限。
それでいてきちんと十分な効果を発揮するものだ。
こいつをスロットルバルブから噴霧することで、最大の効果を発揮する。
報告書でも汚れやすい部位にスロットルバルブの記述が見かけられたが、ここは本当に汚れやすく、未来のディーラーサービスにおいても主として直噴エンジンでない場合はここから噴霧して洗浄する。
スロットルバルブに蓄積したスラッジは万が一大きな欠片としてエンジンシリンダー内部まで到達したらエンジンにどんな悪影響を与えるかわかったものではない。
冗談抜きで即時ブローに直結しかねない重大なリスクだ。
さて、それではこのミスト状にした洗浄液がPEAかというと……違うんだなこれが。
洗浄液では新しい溶剤を使う。
ブチルセロソルブだ。
こいつが少しばかりネック。
これまで俺が一連の方式のエンジン洗浄システムを導入しなかった理由でもある。
本溶剤はグリコールエーテル系のものなのだが、この分野において皇国は残念ながら後手を踏んでいる。
いや、そんなどころではない。
完全に製造できる環境が整っていない。
では現時点でブチルセロソルブを大量生産している国はどこか。
NUPだ。
現状、世界で唯一大量生産している国でもある。
本来の未来ではNUPが王立国家などに大量に供給した製造補助剤で、軍艦の船体や軍用車両の塗料などへの用途を名目としてレンドリース法の下、大量供給していた。
この国以外、現時点でまともに大量生産している国家が存在せず入手用途も限られているため、情勢が情勢であったことから、これまで本システムの導入は見送ってきた背景がある。
しかし、レンドリース法で供給可能な品目については俺の頭の中にはいっていてブチルセロソルブはリスト内にあり、皇国にも供給可能で……
そして海軍だけでなく陸軍すらも軍用車両用の塗料の補助剤の名目で現在大量に供給してもらっている。
他方、実際に供されている用途としては様々。
・塗装前の脱脂
・蒸気機関車や軍艦等のボイラー洗浄
・ペンキ等の希釈
・工業施設の洗浄
・航空機部品の洗浄・防錆管理
本来の未来でもレンドリース法下で供給を受けていた王立国家が名目外の用途で用いていたのと同じ方向性で多種多様な分野で皇国内でも用いられている。
ようは現時点で供給が滞る可能性が低いので、もうなりふり構わず応用する形でさらなる用途で使わせてもらおうということだ。
もちろん、これだけ優秀な溶剤で将来においても需要が生じるので国産の機運も生じている事から、国産の前倒しも画策していく。
重要なのは、今ある溶剤で、機材で、ノズルさえ作れれば要望を実現化できるということであり……
そしてその技術は将来的にジェットエンジンの性能を大きく左右する存在に昇華される未来資産でもあるということだ。
そろそろハ44に悩まされたくない所だが、俺はハ44に賭けた以上、最後まで責任を取る。
皇国はハ44を本大戦の後期を支えるレシプロエンジンだと決めた。
将来において他の選択肢もあったのではなんて言われないようにすることが、技術者としてすべきことなんだ。




