第80話 忍び寄る狼藉者と、石化する魔法
クロフォード・ノーエランドは隠匿魔法で気配を殺しながら、例の老婆と遭遇したローゼル・イースティリアの後を追いかける。
(おいおい、マジかよ。勘弁してくれ)
明日伯爵令嬢になる貴族令嬢が、こんな街中を侍女や護衛を付けずに一人で歩きまわるなんて。
無防備にも程がある。
とはいえ、今まで子爵位という下級貴族の地位にいた令嬢なのだから、しかたのないことか。
護衛を付けるという習慣がないのだろう。
(だいたいエレナも侯爵令嬢っていう上流貴族の一人だけど、魔法でぶっ倒せるからって平気で単独行動するもんな)
クロフォードは頬をぽりぽりと掻きながら、二人を尾行した。
老婆は慣れた様子で、路地裏をすいすいと進んでいく。
二人の会話は途切れ途切れで聞こえてくる。
さっきまでローゼルは真っ青な表情だったけれど、老婆との会話が進むにつれて持ち前の明るい笑顔が出てくるようになった。
老婆の顔は見えなくても、ローゼルの横顔が嬉々としている様子から、二人の雰囲気は決して剣呑なものではなさそうだ。
潜伏任務で会得した読唇術で、ローゼルの口の動きを見る限り、なにやら魔法の話をしている感じだった。
ふうん、あの婆さん、呪術だけでなく魔法にも詳しいんだな。
っていうか、俺の時と全然態度が違うじゃねぇかよ。
(いや、これはイースティリア女官がすげぇのか……)
王城勤めで培ったのだろう、彼女は想像以上に人との距離の詰め方がうまい。
本人は無自覚なんだろうが、上手に老婆の自尊心をくすぐり、クロフォードが欲しい情報を次から次へとさり気なく聞き出してくれている。
エレナからローゼル・イースティリア女官は人懐っこいと聞いていた。
けれど、彼女は王城内では生真面目さが前面に出ていてどこか近寄り難い。
エレナ以外の他の女官たちと群れを成すようなこともしない。
どちらかといえば、一匹狼タイプ。
そのくせ、打ち解けた人にだけ見せる屈託のない笑顔や気遣い。
そこには生来の前向きな性格が滲み出ていて、そんな顔で微笑まれると、懐かない猫が懐いたようで妙に嬉しくなる。
ふと、クロフォードは、ローゼルの髪で揺れる瑠璃色のリボンに目に留まる。
(令嬢嫌いのクレインバール卿が、あの子に骨抜きになる理由がなんとなく分かった気がするぞ)
クロフォードの知っているルシアン・クレインバールは決して女性に贈り物をするような男ではなかった。
騎士たちの間では面倒見もよく、あれほど強い武官でありながら変に気取っていない、気さくな兄貴分として有名だ。
だが、どこか女性恐怖症に近い印象を受けていた。
その彼があの子にだけは態度が明らかに違う。
ルシアン・クレインバールは一生独身を突き通す。
クロフォードは、そんな気がしていただけに、勝手にがっかりしていた。
けれど、ナイトマーケットで見た時のルシアンの顔。
あんな幸せそうに笑う姿を目にしたら、もはや何も言えない。
――大好きなお兄ちゃんを恋人に取られちゃった弟みたいだね。
あの時、エレナはクスクス笑って、ローゼルの元に行った。
(くそぉ。はいはい、認めますよ。
どうせ俺は子供じみた嫉妬心をあの子に向けたわけだ)
クロフォードは不貞腐れたような顔つきになった。
だからこそ、参った。
老婆はローゼルにどこまで連れて行くのだろうか?
古本屋を紹介するといっていたけれど。
あの老婆が変な場所に彼女を置き去りにして、自分だけとんずら決め込むような真似でもされたら――
老婆の尾行どころではない。
ローゼルの安全確保が大事だ。
(そうしないと、俺、絶対、フルボッコだよな)
ルシアンだけでなく、エレナと、すっかりローゼル嬢に餌付けされている小次郎から総攻撃を食らうだろう。
これでも俺は今までどんな強敵とも戦ってきたし、天才異端児王宮魔術師と称賛されてはいるけれど、桁違いな魔法使い二人と使い魔の一匹を敵に回すほど度胸はない。
(うわぁ、マジでやだなぁ)
全然勝てる図が思い浮かばない。
二人が通りの中心の小さな噴水広場に辿り着く手前で、大柄な男たちが老婆とローゼルに近づいてくる。
頑強な体つき、男たちの顔には大きな傷跡がある。
見るからに粗暴でまともな商売で生計を立てているとは思えない風体だ。
クロフォードはさっと素早い仕草で老婆たちに近寄る。
何者だ?
ひょっとして、老婆の商談相手だろうか?
だとしたら、どんな会話が交わされるのか、ちゃんと聞いておきたい。
クロフォードはじろじろと男たちを観察した。
「よう、婆さん。
ちょうどいいところに」
「おや、お前たちかい」
案の定、老婆と彼らは知り合いらしく、打ち解けた空気が漂った。
一応彼らは魔法が使えるようだ。
だが、魔力も大したことがない。
魔法はちゃんと勉強しないと正確に発動しない。
なんとなく魔法が使える野良魔法使いだろう。
「婆さんに聞きたいことがあったんだ」
「儂に聞きたいこと?
おや、珍しいね。
何だい? 場合によってはお代をもらうよ」
思いのほか、老婆の声は張り詰めていた。
ローゼルを庇うように男たちの前に出る。
きっと男たちがローゼルを舌なめずりで見ながら、老婆とローゼルを取り囲むようにしているからだろう。
ローゼルは押し黙って、身構えたように体を縮こまらせた。
けど、詠唱をいつでも唱えられるよう身構えている。
「例のクスリなんだが、最近どうなっているんだ?
全然材料が入って来ないぞ」
男が老婆に居丈高に尋ねた。
「おやおや。
お前さんたちは知らないのかい?」
嘲笑うかのような老婆の声。
男たちは不快そうに眉をひそめた。
「昨日までユーモネア領地を通る街道が封鎖されていたんだよ。
魔物が出没したとかでね。
名高い王宮魔術師様がその原因を解明したとかで、明日には久々に開通される。
材料がこの王都に入って来るのはそれからだ。それまで待つんだね」
「ちっ」
男たちは舌打ちをし、じろっとローゼルを見た。
ギラギラとした目。
ローゼルはびくっと肩を震わせた。
「ばあさん、いい女を連れているじゃないか。
お綺麗な顔をしているなぁ」
顎に手を当て、男たちがローゼルに詰め寄る。
「大事なお得意様だ。
手を出さないでおくれ」
老婆はぴしゃりと跳ねのけるように言った。
「いいじゃないか。
少しぐらい」
「そうだぜ。
それまでこの女に俺たちの相手をしてもらいたいねぇ」
男たちがローゼルの腕を掴もうと伸ばした。
だが、その前に男は三か所から攻撃を受ける。
一つは老婆から。
杖で足の脛を打つ物理攻撃。
二つ目はクロフォード。
短縮詠唱で、彼らに静電気を走らせた。
容赦なくビリビリとした小さな電流が襲う。
そして、三つ目――。
想定外の攻撃魔法だ。
男たちの膝下が石になっているではないか。
「え? 石化魔法!?」
クロフォードはぎょっとした。
あの魔法は、単純な攻撃魔法ではない。
魔法理論の高度な全身の分子レベルの変換理解が不可欠な難解な魔法だ。
天才異端児王宮魔術師なんて呼ばれているクロフォードでも、いまだ獲得できていない魔法。
それをいとも簡単にやりのける魔法使いがいるなんて……。
(俺が知っている限りでも師匠のマインラート様と、そして、強い魔法使いと契約している精霊たち――使い魔たち)
誰だ?
クロフォードは強い魔力を一瞬だけ感じた方向に視線を飛ばした。
屋根の上。
そこには一人の人影があった。
最初、逆光で顔がよく見えなかった。
けど、あのシルエット。
やっぱり。
マルスクだ――。
クレインバール辺境伯家が代々契約をしている精霊だ。見た目は若い従者にしか見えないが、実際は何百年も生きている。
(ん? あれはなんだ?)
クロフォードは眉をひそめた。
不可解なのは、マルスクの両脇に転がる二つの人影。
どちらも白いガウンを羽織った男たちで、完全に気を失っている。
「うわぁ、何だこれは!?」
ようやく自分の足が石化されていることを自覚した男たちが騒ぎ始めた。
ローゼルも、一緒にいる老婆も目を見開いて驚く。
周囲がざわめいた。その瞬間、ふっと石化した足が元に戻った。
男たちは急に足が戻って、その場に派手に転倒した。
「みっともないのう。イヒヒ」
老婆が後ろを振り返って、クロフォードを見た。
(うわっ、隠匿魔法かけたのに、尾行していたのがバレてるよ)
だが、老婆はクロフォードが一連の魔法を発動させたと思っているようだ。
これ幸いとクロフォードは隠匿魔法を解いて駆け寄ることにした。
「おい、大丈夫か?」
クロフォードは素知らぬ顔で声を掛けた。
「え? ノーエランド卿?」
ローゼルがきょとんとする。
「おぉ、イースティリア女官じゃないか」
白々しい声で、さも初めてローゼルがいることに気づいたようにクロフォードは声を上げた。
それから、冷ややかに地面に転がっている男を見下ろした。
男たちはクロフォードから漂う殺意に近い魔力に勘づいたのか、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「あー、面倒」
クロフォードは短縮詠唱をした。
たちまち、光の輪が彼らの周辺に現れ、瞬く間に拘束された。
「ほう、なかなか」
老婆は感心するようにクロフォードの顔を見た。
「こういう狼藉者は自衛警察団行きだな」
クロフォードは野次馬たちに声を掛ける。
「おい、自衛団を呼んでくれ。こいつら婦女暴行未遂疑惑があるヤバいヤツなんだ」
「それはいかんな!」
「分かった、呼んでくる」
野次馬たちの数人が声を上げ、自衛警察団を呼びに走り去った。
「あ、あの、ありがとうございました」
ローゼルは控えめに頭を下げた。
クロフォードはローゼルと老婆に改まった顔で向き合う。
「老人と若い娘。
襲ってくれと言っているような組み合わせだな。
大丈夫か?」
「フン、あれくらいなんてことないわい」
老女はどこまでも強気だ。
「婆さんは元気そうでなによりだ。
まあ、いいや。どこ行くの?
俺、送ってくよ」
「えっと、お婆さんのお知り合いがやっている古本屋に連れて行ってもらうんです」
ローゼルが言った。
「へえ、随分とサービスがいいんだな」
クロフォードはじろりと老婆を見た。
「お嬢ちゃんは上客になるかもしれない人だから、特別なんじゃよ」
「上客になるかもしれない?」
さっきまで「死相が出ている子」とか言っていたくせに。
どういう風の吹き回しだ?
クロフォードは懐疑的な目で老婆を見た。
「そう、この子の恋人がなかなか羽振りのいい男でね。
もちろん見た目もいい。
今後も御贔屓にさせてもらえば幸い」
老婆は開き直ったように、ニッと笑った。
「こ、こ、こ、こ……!」
途端にローゼルの顔が赤くなった。
「鶏の鳴き真似か?」
クロフォードはクスっと笑った。
「ち、違います……。
恋人なんて畏れ多い……」
ローゼルは両手で自分の顔を覆った。
あれが恋人でないならなんだよ。という言葉が喉から出かかる。
(っていうか、その台詞、クレインバール卿が聞いたら泣くぞ。
まあ、あの御仁のことだからイースティリア女官が自分と恋人と断言できるようになるまで、徹底的に甘々攻撃をするんだろうけどな)
玲瓏な容貌と低い美声をフル活用して迫りくるルシアン。
赤面しながらたじろぐローゼル。
その図を頭の中で描いたクロフォードは、つい口元が緩んだ。
(それはそれで面白そうだ)
だけど、クロフォードはあえて口にするのをやめた。
代わりに老婆にアピールする。
「婆さん。俺もこの子の恋人のマブダチだぜ。
顔もいいし、羽振りもいい。
もちろん、俺も今後御贔屓にするぜ?」
だから、情報くれよ。
暗にそう訴える。
「フン。顔が良くても性根が曲がっているような奴は好かんな」
老婆は鼻をますます膨らませた。
「な……!」
クロフォードは絶句した。
(こんのババア。こっちが甘い顔をしていたら、つけ上がりやがって……っ)
やがて老婆は、はあ、と大きなため息をつき、小さく肩をすくめる。
「まあいい。あんたがとんでもない魔法使いなのは分かった。
マブダチということは、あの御仁とも仲がいいんだろう。
じゃあ、仕方がない。
リップサービスってもんだよ。
あんたにも私のとっておきの古本屋を紹介してやろう」
「おっ、マジ?」
クロフォードはそっと老女に囁く。
「あれ? でも、商談相手と会う予定じゃなかったのか?」
「その手には乗らんよ。
儂がこれから何をして誰と会うのか、そう簡単に口にすると思ったのかい?」
「ちぇ、なんだよ」
「まったく、小賢しい坊主だね。
行くのか行かないのか、どっちだい?」
老婆がぐいっとクロフォードに近づいて、顔を覗き込む。
「行くに決まってるだろ」
クロフォードは口角を釣り上げ、屋根の上にいるマルスクに目配せをした。
その背景には、すっかり晴れ渡った空——そして、やけにくっきりとした輪郭の白く浮かぶ月があった。




