51.同じくらいには幸せね
何気に最終話である。
一連の騒動が落ち着いてからひと月たったころ、エドラは母や弟妹たちと共に父の墓参りに来ていた。一周忌なのだ。雪が降りしきる寒い中、エドラは相変わらず正気を疑う格好だった。つまり、寒そうということだ。見ているこっちが寒いですわ、と言うのがマリーの主張だった。
末の妹のカーリンが墓に花を手向ける。家族五人は祈りをささげた。
一年前、父が急病で倒れたと言う報を受けた時、エドラは戦場にいた。副団長の任を解かれ、王都に急行したが葬儀には間に合わなかった。
その後の処理を終えたころ、エドラの後任の副団長が戦死したので、戦場に呼び戻された。なかなか波乱にとんだ一年だったのではないだろうか。
最後に父とどういう会話をしたのか思い出せない。きっと、他愛もない会話だったのだと思う。まさかそれが、永遠の別れになるなんて思わなかったから。
小さな歌声が聞こえる。マリーが祈りの歌をささげていた。合わせてエドラも口を開く。歌は確かにエドラの方がうまいかもしれないが、そこに含まれる祈りの力については、マリーの方が強そうだ。
「素晴らしいな、君たち姉妹の歌声は」
歌い終わった彼女らにそんな声がかかった。シルクハットを手に持ち、軽く礼をしてきたのはフルトクランツ侯爵だった。
「ありがとうございます、侯爵。光栄です」
マリーとエドラに対する言葉なので、そう返事をしたのはエドラだ。しかし、彼女にとってフルトクランツ侯爵……つまり、レンナルトの父は少し、対応に困ってしまう相手でもあった。
父の友人であったフルトクランツ侯爵は、墓参りに来てくれたのだろう。花をささげて祈ったあと、亡き友人の家族に向き直った。
「元気そうでよかった……と言うべきかな? エドラはおとといかにお会いしたな」
「……その節は、ありがとうございました」
フルトクランツ侯爵家に一泊してしまった一件のことだ。我ながらやってしまった、と思った。フルトクランツ侯爵夫人には「いやなら殴ってもいいのよ?」という結構過激な言葉をいただいたが、すでにエドラはレンナルトを殴ったことがある。
しかし、それよりも、フルトクランツ夫妻は息子の恋人がエドラでいいのだろうか。エドラははじめ、彼らの長男ヨアキムの婚約者で、生きていた彼をこの国から叩き出した人物だ。怖くて何も聞けないが。
「……世の中、何があるかわからんものだなぁ。思ったより、うちの次男は見る目があったようだ」
エドラが考えていたことに近いことを応えられ、エドラはびくっとした。
それから、二・三父の思い出話をして、その場は解散した。フルトクランツ侯爵は送ろう、と言ってくれたがさすがに断った。
「エドラ、フルトクランツ侯爵家にお邪魔するのはいいけれど、粗相のないようにね」
母ソーニャに言われ、エドラは肩をすくめて「心得ています」とだけ答えた。一応、わかってはいる。
「ふふふ。照れるお姉様、可愛い……」
マリーが身悶える。わかっていたことだが、マリーはかなり変わっている。姉の恋路を楽しげににやにやしながら見守っている。ちなみに、この子が将来王妃になるかもしれない伯爵令嬢です。
「でも……はあ。お姉様が取られてしまうのだと思うと……」
打って変わって寂しげに言うマリーに、エドラは何も言わなかった。最近、マリーはエドラとレンナルトが一緒にいると、男の方を睨むことがある。そして、その鋭い視線にレンナルトはびくっとしている。それが面白いので放っているエドラは、結構いい性格をしている。もともとだけど。
マリーの感情は、エドラにも覚えがある。アルノルトと恋に落ちた時、ため息が出たものだ。この男にうちの可愛い妹が、と思うといまだに舌打ちしたくなる。要するに、お互い重度のシスコンなのだ。
そんなマリーとアルノルドの婚約は春に行われる予定だ。この契約を交わすのは、国王とめでたく十五歳を迎えるラーゲルフェルト伯爵フランだ。今から彼は緊張している。まあ、国王が相手だから無理もないが、彼が家長なので仕方がない。
マリーはこうして婚約が結ばれるものの、エドラはそう言った契約もない。昔ならともかく、現在彼女は自ら地位を持つ騎士侯だ。身の振り方は、自分で決める必要がある。
「ひとまず、殿下とマリーの婚約が整ってからだね」
「ですよねー」
レンナルトも同意するように、まずマリーとアルノルドの婚約式が終わってからだ。それまで、エドラたちの関係が進むことはないだろう。
王立植物園に来ていた。様々な気候で育つ草花や木が植えられている。一般的な貴族子女のデートにも使われるところで、とりわけ変な場所ではない。
ただ、騎士侯の二人が来ていると考えると少し違和感がある。特に、エドラのイメージには少しそぐわない。
「とはいっても、こういうところ、嫌いじゃないでしょう?」
レンナルトににっこり笑って言われ、根っこは普通(普通?)のお嬢さんであるエドラは苦笑を浮かべた。
「あんたのそういう前向きなところ、結構好きよ」
変人である自覚はあるが、もともと普通の貴族令嬢だったのだから、エドラだってオシャレやきれいなものに興味はある。人並みに恋をして、恋人と一緒にいられるとうれしい。
「レン?」
急に立ち止ったレンナルトを振り返り、エドラは首をかしげた。口元を覆っていた手をおろし、彼はゆっくりと微笑んだ。
「エドラのそういうところ、ずるいよね」
「?」
エドラは首をかしげたが、レンナルトはごまかすようにエドラの頬にキスをしてその手を握った。
「ひとまずこれで我慢だねぇ」
これ以上手を出せば物理的にぶん殴られるからだ。最近、手が出るな、と自分でも思っているエドラだった。
まだ肌寒い初春。アルノルドとマリーの婚約式が丸一日かけて行われる。騎士団の所属するエドラは警備係になっても不思議ではなかったのだが、彼女は参列者となった。マリーの姉であるため、上座近くになる。
一応正装と言うことで、騎士服で参列しようとしたエドラは宮殿内でグレーゲルに捕まり、そのまま王妃に預けられた。いわく、「義姉上には逆らえないから」とのことであった。
妹さんの晴れ舞台なのだから、と淑女の正装をさせてくれたが、何故主役でもないのに着飾るのか。いや、きれいな格好をするのは嫌いではないが。
しかし、エドラが騎士服を来ている意味も、実はそれほど意味はない。彼女は魔導師だ。むしろ、お嬢様然としていた方が人々の油断を誘えるだろう。女性騎士と言うのは、そういう役割を求められることも多い。
「ああ、きれいだね、エドラ。惚れ直すよ」
歯の浮きそうなセリフが聞こえて、エドラは振り返った。近衛連隊の正装をしたレンナルトが立っていて、彼女はため息をついた。
「私もそっち側が良かった」
「僕はそちら側で良かったと思うけどね。君のドレス姿はなかなか見られない。まあ騎士服もセクシーだけどね」
「……」
はっきり言う。かなり引いた。
「それにしても、珍しいデザインだね」
エドラにしては、と言うことだろうか。そもそもドレスであること自体が珍しいのだが。
オフショルダーの淡い緑のドレスだ。ショールを羽織っているとはいえ、彼女の髪や目の色からして寒々しい。騎士にしては体格が細いので儚げにさえ見える。その表情が外見を裏切っているが。
「でも、本当によく似合っているよ。そんな顔じゃなくて、ちょっと気弱気な表情を見てみたいなぁ」
「サディスト、変態」
「恋人に向かってひどいなぁ。そう言うところがいいんだけど……」
レンナルトはエドラの腰を抱き寄せると、往来で堂々とエドラに口づけた。壁に体を押し付けられる。濃厚なそれから解放されたエドラは涙目だった。上気した頬、引き結ばれた唇。レンナルトは自分に移った口紅をぬぐう。
「うん。可愛いなぁ……」
つぶやいたレンナルトは、確かにサディストだった。レンナルトの唇に口紅が移ったと言うことは、エドラの方も乱れているだろう。婚約式の前に直している時間はあるだろうか。
「よし。化粧直して、幸せな二人を見に行こうか」
レンナルトが嬉々としてエドラの手を取った。そこでエドラはふと思う。
「っていうか、あなた、式場での護衛じゃないの? 責任者では?」
「ひとまず、今の僕は君をエスコートするのが仕事かな」
エスコートの相手に手を出すんじゃない、とかいろいろ言うことはあるが、ひとまずエドラは言った。
「まあ、今の私はあの二人と同じくらいには幸せね」
今までお読みいただき、ありがとうございました!
ニヴルヘイムの魔女はこれにて完結です。
読んでくださった皆様、ありがとうございました!!