三十一話︰母の日
八時間後、既に日は登り天気は晴天。
鏡の前に立った俺は、初めてさわったネクタイを弄りながら、締め方がわからなかったので『検索』をかける。
自警団のお仲間二人を洗脳したことには副産物があった。
この国における自警団は国防の全権を任されているという話だが、さらに深堀りして聞くところによれば、多くの場合パクレットさんが方針を提案し、コクリコさんが承認をとるという形であらゆる采配を決めるらしい。
なかでも重要かつ想定外な情報が、ノンディアさんが二人の決定にあまり口を挟もうとしないそうなのだ。
ゆえに、二人を支配した現在、街と国との合流は大した問題ではなくなった。俺が支配しきれないのはノンディアさんだけだ、『余計な混乱を招かないよう人々の交流は最低限にしよう』とでもパクレットさんに提案させれば、いじめの発覚リスクはほぼゼロになる。
何が言いたいのかというと、国の人間一五万人の記憶を操作する必要がなくなった。
幸運というか拍子抜けというか、大容量の洗脳を手放した結果、知性と魔力が戻ってきたのである。
疲労感はまだまだ残っているが、平時の二割程度には回復している。大雑把であれば他人の記憶を覗ける。
「うぉぉ完璧だぁぁ……!すげぇよモテる奴のオーラが溢れ出てるよ……!女を何人も堕としてきた野郎のツラだぁ……!」
そんなわけで、適当な住民の記憶を覗き見て、ネクタイの結び方を調べた結果、鏡に映る俺の容姿は内実に反して凛々しかった。
思わず静かに歓声をあげてしまう。
どうせ見せるのは男の姿──視覚情報を操って見せる幻覚なのだが、幻覚は現実の容姿と近いほうが改変の手間が少なく高クオリティを目指せる。
実際の服装がキマっているかどうかは、大変重要な要素なのである。
魔力問題について急場は凌いだが、ノンディアさん改竄に消費する魔力は依然膨大。いつどんなアクシデントで枯渇してもおかしくない。
ここで確実にノンディアさんを堕とし、かつての魔力を取り戻すことこそが、夢の実現への第一歩なのである。
八時間の間で仕込みは済ませた。
デートプランは一文字も違わず暗唱できる。不意の事態への備えとして四三通りのサブプランもばっちり。
鏡の前でくるくる回り、全身をくまなく何度も見回し、問題がないことを確認して店を出る。
万が一にも整えた髪が乱れぬよう、俺は歩いて待ち合わせ場所へ向かった。
待ち合わせ場所辿り着いたのは、ノンディアさんと全くの同時刻だった。
「おはようございますノンディアさん!!」
「あ、おは──────だ、ダアスちゃんなんでスーツなの……!?」
「なっ……………………い、今この国はビジネススタイルが熱いんですよ!これが最先端のファッションなんです!」
「そ、そうなの……?私この国にずっといるけど初耳だよ……?」
「めちゃくちゃ流行りです。いけないですよノンディアさん、アンテナは常に張っておかないと時代に置いてかれちゃいますから」
「な、なるほど……」
巧みな話術でなんとか誤魔化すところからノンディアさんとのデートは始まった。
出会い頭こそ怪しかったが、逢瀬はすばらしく順調に進んだ。
パクレットさんがあれだけ自信満々に語っていただけあって、桜並木は中々の絶景。開花日がちょうど二日前だそうだ。
見渡す限りの桃色に、俺のほうが感銘を受けてしまったくらいである。
「うぇぇ……凄いですね……!俺がこれまで見てきた森林はみんな魔物に荒らされてたんで、こんな景色はじめてですよ……!ノンディアさんは見慣れてるんです?この国育ちですし」
「…………私も初めて。子供の頃は危なくて中々外に出られなかったし、ここ数年は花なんて見てる暇なかったし………………うん、すごく、すごく綺麗だね」
「ノンディアさんのほうが綺麗だよ」
「────!?」
なんでもない雑談を交わして道を行く。
ノンディアさんはいつもより少し明るくて、それでいていつもの数倍物静かだった。
彼女は一面の花々を食い入るように見つめていた。綺麗な景色を眺めることが特別好きだったりするのかもしれない。
見惚れる彼女の、いつもより小さい歩幅に合わせるように、ゆっくりゆっくり歩を進めた。
お花見に予定の倍ほどの時間を取ることになったが、流石にそれだけではデートの時間は終わらない。
リュウジ君の言ってたレストランに足を運んだ。
魚をまるごと煮込んだのが出てきて、頬の部分が特に美味かった。ノンディアさんはめちゃくちゃ綺麗に魚を食べており、食べ終わった皿に身の繊維一つ残っていないことに俺は戦慄した。
服屋、小物屋を見て回り、ウィンドウショップに洒落こんだ。ノンディアさんはつばの大きな帽子を買っていた。空を飛んだら落ちてしまうことに後から気づき、彼女はたいそう慌てていて、俺はノンディアさんもこういうミスするんだなぁと心の中で戦慄しつつ、部屋の中にでも飾っておいてくださいと笑っていた。
ホストクラブの近くも通ったが、ノンディアさんを連れて行くにはあまりに爛れた場所ということで、入店は見送らせて頂いた。
その道中で昨日と同じ客引きに出会った。『嘘でしょあんな奇行しておいて彼女さんいたんですか……!?』と彼はたいそう戦慄していた。
最後に向かったのは時計台である。
「街頭調査の結果、『告白されるならどこがいい?』部門ダントツ一位の超人気スポットです!御感想をどうぞ!」
ノンディアさんは数日前に空を飛べるようになった。加えて以前からの職場である城は、ここよりずっと高い場所にある。
それ故、『街を一望できる』というだけのこの場所はあくまでもサブプランの一つだったのだが、花見の時の反応を鑑みた結果予定を変え、ここを最後の場所に選んでみた。
ノンディアさんは綺麗な景色を見るのが好きらしい。
ノンディアさんは眼下に広がる紅く染まった街を、黙ってじっと見つめていた。
身動き一つとらずに固まっていて、見惚れるようだったその瞳が、二分ほど経った瞬間に、唐突にぴくりと小さく揺れる。
「…………………………私、こんなことしてていいのかな」
ノンディアさんは手すりを強く握りしめいて、どうしてかその表情が数秒前より悲しそうだった。
「あぁごめんね、凄くいい景色だよ。今日はすごく楽しかった、ありがとう。ほんとうに楽しかった。もしかしたら人生で一番楽しかったかもしれないくらい」
「…………でも、私の仕事は魔物から人を守ることで、今日は仕事サボっちゃったなっていまさら思い出しちゃってさ」
「この国で人が死んじゃうのは、たいてい私がサボってる時だから」
彼女は自嘲めいた笑みを浮かべていた。
彼女の感情は読めないけれど、表情、仕草から予想はできる。
おそらくは焦りと後悔、もくしは恐怖と罪悪感。
「………………大丈夫ですって。国の周辺は野鳥を使って警戒してます。急造の監視網ですが半径一五kmは常に探知できてますし、『人間の魔物』に殺せないのが来たらすぐ」
「そうやって。私がやるべきことを人任せにして。今日こそ大丈夫だって言い聞かせて眠って、起きたときには誰かが死んでいて」
「どんなに頑張っても駄目だったんだ。一週間くらいなら徹夜もできるけど、継続的にってなるとどうしてもだめで、休んでいる間に人が死んで」
「時々は起きてる間も死んで。地中を潜ってきたり透明だったりで、あのときは私が気づくまでに八百人殺されて」
「まあ、大抵怪我をするのは兵士の人で、民間人に被害が出ることは少ないし、人殺しに近いことは何度もやってるから、死人が出るのにも慣れてきちゃったんだけど、私のせいで人が死ぬのに、まだ罪悪感は残ってるから」
「今日一日サボちゃってほんとに良かったのかなって。それだけ」
ノンディアさんは泣かなくて、じっと眼下の景色を眺めている。
「………………あーもう、ごめんね暗い話して。この話はこれでおしまい。せっかくのデートなんだから楽しく終わらせないとね」
小さな小さな彼女から、優しい微笑みを向けられる。
薄々察しはついていた。
ノンディアさんのお仲間二人は『人間の魔物』一匹になんの抵抗もできずに敗北した。
彼女達の役割は別のところにあるのだろうが、直接的な武力に限って言えばお仲間二人はクソ雑魚だ。
この国の防衛事情について、様々な人の記憶を漁ってみたけれど間違いない。この国で強めの魔物と戦えるのはノンディアさんだけだった。
魔法がある程度理論付けられており、専門の教育機関が存在するらしく、民間人の平均的なレベルは俺の街より数段高い。
けれどもやっぱり人間だ。魔物は人より魔法が上手い。ふつうの人は魔物と戦えば簡単に死ぬ。
この国でまともに戦えるのはノンディアさんだけだ。
彼女は一人で戦っていて、次々現れる怪我人、死人を前にして、自分のせいだと思ってしまったのだろう。
俺はそうならなかった。
自身の我儘に住民全員を巻き込んでおきながら、時々憂鬱とするだけで済ませ、涙なんて流せたことなかった。
ノンディアさんがこんなにこんなに悲しんでいるのは、彼女が大きな責任を背負っているからだ。
格好いいなぁと俺は思った。
「えっと…………ノンディアさんちょっと待っててください!十秒で戻ってきます!」
「………………?」
時計台の一番奥のところまで駆けて、前もって仕込んでおいたブツを持ってくる。
「………………ダアスちゃん?」
「よし、どうぞ。大事な人の幸福を願うときに贈る花だそうです」
花束だ。
今にして思うと処理に困りそうなくらい、迷惑なくらい大きな大きな花束だ。
「いつも優しくしてくれてありがとうございます」
ノンディアさんは目を丸くしてして、言葉が出てこない様子で、けれど動揺しながらも受け取ってくれた。
彼女は何も喋らない。
驚き以外の感情が読みづらい反応だが、喜んでくれているのだろうか、俺にはさっぱりわからない。
わからないまま言葉を続ける。
「…………ノンディアさん、冷静に考えてください。あなたにはなんの責任もありません」
「だってあなたは昨日一日かけてもお仲間見つけられなかったんですよ?人捜し苦手なのに、魔物だけ見逃さないなんて無理な話ですよ」
「能力が足りてないんだから、責任があるわけがありません」
「ちなみに俺は顔も知らないってハンデありでノンディアさんより先に見つけました。何かを探すって能力においては、俺はノンディアさんよりずっと凄いです」
「あと勝ってるところは魔力総量と魔法の応用力ですね。特に今みたいに周辺地域を警戒し続けるのは生き物を何匹も操るのは俺にしかできません。ノンディアさんは無敵だけど、体は一つしかないですし」
「俺は貴女よりちょっと弱いけど、貴女よりすごく優秀なわけです」
ノンディアさんはどこか呆けた様子で、俺の言うことを聞いていた。
ノンディアさんとのデートの前に、ずっと考えていたことがあった。
ホストで学んだ、『夢を見ていれば女の子にモテる』というのは、一体どういう理屈で起こるのかという問だ。
多少はマシになった脳みそで考えた結果、出てきた結論は『嘘』だった。
夢を見ている人間が夢のために行動するとき、『夢を叶えたい』という本物の願いが、そいつの脳裏に浮かんでいる。
人を騙すのに大事なのは、事実に嘘に混ぜることだ。
きっと夢を見ている人は、嘘が上手になってしまうのだ。
夢を叶えようとしているならば、自分の中に本当の情動があって、それがあらゆる虚構を隠してしまうのだ。
たとえどんなゴミクズであっても、素直で真摯で真人間であると、純真な人達は思ってくれるのだろう。
事実、俺の言動は全てが虚飾にまみれていた。
確かに俺の索敵能力は高い。魔物が国に侵入しておらず、今のところ平和というのも事実である。
けれども光速で飛ぶ魔物の前例を俺は知っている。それが今やって来たなら何をどうやっても対策は不可能。
ノンディアさんに真摯であるなら、もしかしたら俺も魔物を見逃すかもしれない、今この瞬間に虐殺が始まるかもしれないと言うべきだ。
確かに俺は優秀だ。『記憶改竄』はとんでもなく便利で、チートを生まれもった俺に『優秀』という評価をつけるのは、単語の定義上は間違っていない。
けれども俺はゴミクズだ。人を騙し私利私欲に走り他人の命を危険に晒しそれでも笑うことができるのは異常者の一言では片付けられない。そもそもノンディアさん本人の記憶を奪っている。このデート自体が惚れられるための虚飾に過ぎない。
ノンディアさんに真摯であるなら、俺は優秀だけど罪人で信用できる人間ではないのだと自己紹介し、彼女の記憶を全て戻した後、許してくださいと媚び諂うべきだ。
言っていること自体は嘘ではないが、俺はとんでもない嘘つきだった。
吐き気がするほど悍ましい。
「俺は貴女よりは弱いけど、戦わせても簡単には死にません」
「俺はすごく役に立つので、ノンディアさんが仕事を一人で抱え込まないほうがお得なわけです」
けれども俺は堂々としていた。
俺は嘘つきで、夢があったから、『言っていること自体は嘘じゃないからいいだろう』と開き直れてしまったのだ。
嘘つきでさえも救ってくれる────夢とはかくも素晴らしいものなのである。
「だから、悲しいのも責任も、一人で抱え込まないで欲しいです」
「一番優しいあなたが大好きだから、ずっと幸せでいてください」
俺はふんすと胸を貼る。
恥知らずにも最後まで詭弁を呈し続けた汚らわしい身で、ノンディアさんと対峙している。
ノンディアさんはやっぱり黙っていて、驚いたような表情で固まって、時々ゆっくりまばたきをして、こちらをずっと見つめている。
さて、夢を抱きながら喋ったわけだが、好きになってくれたのだろうか。
悲しくなくなっただろうか。安心してくれただろうか。
少しでも幸せになってくれただろうか。
様々な考えが浮かんでは消えた。
やっぱりノンディアさんの記憶は読めないので、彼女を黙って見つめていた。
ノンディアさんの表情は動かないままだ。
けれども、開いた大きな瞳だけが細かく揺れ、徐々に潤み、今にも泣き出しそうな素振りに俺は戦慄し、けれどもやっぱり泣かなかった。
彼女はすごくぎこちなく笑った。
「………………もぉ、話が長いよ」
苦笑の内、明らかに揺らぎのある不安定な声。どのような感情が引き起こしたものなのか正確に判断はつけられない。
けれども、なんの根拠もないことではあるけど、直感的には喜んでいるような気がした。
俺はほっとため息をついた。
良かったなぁと思いながら、苦笑にあわせて俺も笑った。
「………………もう、あぁもう。ダアスちゃんはほんとに男の子みたいなこと言うなぁ」
ぎこちない笑顔で笑いながら、横髪を片手で弄りながら、ノンディアさんは呟いていた。
俺の誤算はそこにある。
「────あ゛っ!?」
男の子『みたい』とノンディアさんは言った。
俺は普段から視覚情報を操り、周囲の人間に自身を男として認識させている。
みんな俺のことを男として扱ってきて、そんな状態を七年間は続けてきた。俺にとってはそれが当たり前で、当たり前すぎて気づかなかったのだ。
ノンディアさんにかけられる改竄は『いじめはなかった』ただ一つだけ。
視覚情報なんて弄れるわけがないし、そもそも彼女は『ダアスちゃん』と何度も何度も言っている。
ノンディアさんは例外的に、俺を女として認識している唯一の存在なわけである。
拷問を受けてまで頑張ってきた俺の目的は、ノンディアさんを堕とすこと。恋愛感情を抱かせ惚れさせること。
そもそもの性別がノンディアさんの嗜好と合致していなければ、成功確率は〇%である。
ちなみにノンディアさんは女の子だ。
「ひっ……!あっあっ、あ、あの、ちなみにノンディアさんの恋愛対象は男の子女の子どちらですか……?」
「────えっ?え……えっとぉ……?…………よ、よくわからないけど…………男の子?」
「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
発狂。
哀れ邪悪は目を剥き倒れる。
こんな簡単なことに気づかなかったゴリラであること。
こんな馬鹿なことに全力をつぎ込み、防衛にあてられるはずだったリソースを無駄に浪費したこと。
自己嫌悪と罪悪感が一瞬にして頭のなかを暴れ回り、俺の正気は崩れて消えた。
からだに全く力が入らない。びくびく痙攣するだけの気色悪い半死体がここにある。
地面に激突する直前にそばのノンディアさんが支えてくれたのか、「だ、ダアスちゃん!?」「ダアスちゃん!?」なんて、切羽詰まった悲鳴が聞こえる。
立派な人の腕に抱かれ、優しい人の声を聞き、ちょっぴり夢見心地になりながら、俺はびくびく震えていた。




