第1章 黒目秋人8
「お姉ちゃんにあったんだね」
少女は静かに語りかける。すっと姿が消えたかと思うといつの間にか白石の周りを駆け回っている。
笑いながらくるくる回るその姿は無邪気だが気味の悪さも感じた。
「お姉ちゃんは怒ってるの。ケモノが校舎に紛れてるから。お姉ちゃんを止めてあげて」
白石は少女の言葉に小さく頷いて西の階段へ走り出す。
階段に差し掛かると勢いよく駆け下りた。
「お姉ちゃんは簡単には止められないよ。私達は悪意に反応してるの。」
「悪意?」
西出口を無視してそのまま教員用トイレに向かう。
白石は思わず歩みを止めた。今まで無かった真っ黒な壁が出来上がっていたのだ。
あるはずのない壁をよく観察するとそれは黒い毛を固めて出来た壁のようで叩いてみると考えられないほど硬い音が鳴った。
「悪意が強ければ強いほど私達はその悪意に引き寄せられる。」
「…ねえ、幸子ちゃん。あなたがあの時おしえてくれたことは本当なの?」
少女は無邪気に笑いながら白石の肩に腰掛ける。
もちろん本当に乗っている訳では無い。重さなどはなく、触れられている感覚もない。
「うん。本当だよ。お姉ちゃんがさえこちゃんを見つける近道。」
「そう。なら、余計に何とかしないと行けないわね。」
白石は少し後ろに下がって助走をつけて回し蹴りを放つ。
しかし、黒髪で固められた壁はビクともしない。それどころか傷一つついている様子さえ無かった。
「固いわね。」
足首へのダメージを気にしながら次のやり方を考える。
先程田中に襲われた時に持っていたナタを思い出す。
そこへゾッとするほどの悪寒が首すじを撫でる。
振り向かず目だけで肩口を見るとそこには鋭い刃物の切っ先が首を掠めていた。それは取りに行こうとしていたナタであった。
「はい!コレが欲しいんでしょ?」
「…ええ、幸子ちゃん。ものに干渉できるの?」
「今はね。普段は出来ないけど、とても強い悪意がこの学校を支配してるから。こんなことも出来ちゃう。」
そう言った少女は目を見開き、光る眼光で先を見通す。
そのナタを重力など無視した力で前方に勢いよく飛ばす。すると、そのナタは黒髪の壁に突き立った。
「お姉ちゃんは悪くないの。悪いのはみんなお姉ちゃんに酷いことをした男の人達だけ。」
「ええ、その通りだわ。だからこそ、関係ない人を巻き込んじゃだめ。田中くんを助けないと。」
「その人は綾子ちゃんを殺そうとしたんでしょ?なんで助けるの?その人は悪い人でしょ?」
白石はふと考える。何故彼を助けようとしているのかを。
しかし、考える必要など無かったことに気づいた。
いつも優秀な父が言っていた言葉を思い出す。
「ええ、そうね。悪い人だわ。でも、その人がどんな
人物でも助けられる人を助けないなら人では無い。獣だからよ。
私は人でありたい。それに冴子を殺した犯人の手がかりを持ってるのに見逃す訳には行かないわ。これが本音の部分かもね。」
「ふーん。綾子ちゃんはいい人なんだね。お姉ちゃんと同じだね。
」
「そうだね。冴子はとてもいい人だよ。さ、幸子ちゃんの大好きなお姉ちゃんを助けよう!」
「うん。わかった!」
満面の笑みを浮かべ再度その瞳に力を宿す。操られたナタは黒髪の壁をいともたやすく切り裂いていく。先程まで必死に蹴破ろうとしていた自分がどれだけ哀れかと、少し悲しい気持ちにさえなりそうだった。
しかし、とても心強い味方が出来たものだ。
この異常である状況下でなんとも不思議な気持ちになる。
四宮とあった時に聞いた話は真実であったと確証をもてた。
切り裂いても切り裂いても、髪の毛が束になって塞いでくる。
無数の髪の毛が壁となり、通路を塞ぐ。
それに段々と強度が増しているようにも思えた。
「すごく、強くなっていく…私でも切れないかも…」
「何なんだ!これは?」
突然真後ろから声をかけられ振り向くとそこには見知らぬ男が立っていた。心底驚いたであろう表情を浮かべ、青い顔をしている。
頭部がハゲ散らかしており、丸い顔を垂らしている。
腹部がだらしなく出ていて、カッターシャツがその肉で張ってしまっている。
その服装を見てサラリーマンのようだと感じた。
しかし、何故そんな男がここに居るのか
田中が言っていた仲間がいるかもしれないというのはこの男達のことではないだろうか。
犯人が送ってきた刺客。
「幸子ちゃん。隠れてて」
「うん。分かった」
ふっと影も残さず少女は掻き消えた。
「き!きみはこの不気味な状況を知っているのか?」
「いえ、私も戸惑っておりまして。残念ながらどういう状況かはお答え出来ません。」
「そ、そうか。では、ここから出る方法は分かるかい?どの扉を開けようとしてもビクともしないんだ。」
白石は少し動揺したがそれぐらいのことは既に起きてる状況と合わせて理解出来ると思い、落ち着いた。
「…それよりも、あなた達は何故こんな所に居るのですか?」
「おや?たち?私は1人だが?」
「隠れても無駄ですよ。階段に隠れている大きい男の人ですよ。」
ヌルッと影から大柄な男が姿を現す。
緑色のオーバーオールをきて、赤と白のキャップを深被りしている。
高い鼻が突き出て、クルクルと回ったパーマが帽子からはみ出ている。
とても鋭い眼光がこちらを睨みつけている。
少しずつ近寄り、不敵に笑う。
「よく分かったね。ごめんね。物凄く不可解な状況では君を少し探るしかなかったんだ。」
先程までの鋭い目は嘘かのように笑顔を浮かべてみせた。
人を懐柔するような柔和な笑み。
しかし、白石にはそれは作り物にしか見えなかった。
まるで、狩りをするために殺気を隠した獣のようだ。




