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戦火とともに来た婚約者——辺境の伯爵令嬢、黒狼将軍と国を創る  作者: 藪裏柑子


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2/5

カール・ペルツという男

 それから一ヶ月後。


 ピルゼンの城に、王都からの援軍が到着した。


 千の兵。


 伯爵家の兵とほぼ同数。数だけなら頼もしい。だが、その空気は伯爵軍とは全く違っていた。


 整然としているのに、どこか荒い。


 貴族の軍にあるような形式的な威厳ではなく、実戦の匂いがする。


 血と泥を知っている者たちの集団だった。


 城内もまた、落ち着かない空気に包まれていた。


 兵が増えれば、それだけ戦は近い。


 そして同時に――


 “その男”も来る。


 ルイーゼは応接室にいた。


 伯爵と並び、静かに座っている。


 隣には母ヘレーネ。


 その表情は、露骨に不機嫌だった。


「せめて、伯爵家に釣り合う家柄であればよいのですが」


 小声だが、隠す気のない言い方だった。


 伯爵は何も答えない。 

  父は、期待していた兄が死んでから気力を失ったようだ。


(……どんな人でも)


 ルイーゼは自分に言い聞かせる。


(見極める)


 相手がどんな人間なのか。

 自分と一生添い遂げる人なのか。


 そして、その人とともに、この家と領地を守るために、自分にできることをしなければならない。


 それだけだ。


 やがて、扉の前で控えていた従者が声を上げた。


「援軍指揮官、ペルツ男爵、来られました」


 重い扉が開かれる。


 ――その瞬間。


 ルイーゼの中にあった、かすかな期待は完全に砕けた。


 入ってきた男は――


 大きかった。


 背が高いというより、“塊”のような大きさ。


 肩幅も、腕も、すべてが分厚い。


 顔は角張り、顎は張り、眉は太い。


 いくつもの古傷が、無遠慮に残っている。


 整っているとは言い難い。


 ルイーゼがこれまでに見た貴族の男とは全く異質な荒々しさ。


 物語に出てくる貴公子とは、対極のような存在だった。


(……この人が?)


 一瞬、言葉を失う。


 だが、男は気にした様子もなく進み出た。


 膝をつき、頭を垂れる。


「カール・フォン・ペルツにございます。王命により援軍を率い、参上いたしました」


 声は低く、よく通る。


 無駄がない。


 形式は守っているが、それだけだ。


 伯爵が書簡を受け取る。


 封を切り、目を通す。


 その間、室内は静まり返った。


 やがて伯爵は言う。


「内容は承知した。軍の指揮はすべて任せる」


 短い言葉だった。


 だが、それはこの場のすべてを決めるには十分だった。


 カールは一礼する。


「はっ」


 それだけ言うと、すぐに立ち上がる。


 そして――


 もう用はないと言わんばかりに、踵を返した。


 退出する。


 あまりにもあっさりと。


 その背を見送りながら、ルイーゼはわずかに眉をひそめた。


(……初めて会う婚約者に、一言もない)


礼儀を知らないのか。それとも——最初から、するつもりがないのか。


 まるで、最初から関心がないかのように。


 扉が閉まる。


 その瞬間、ヘレーネが声を上げた。


「あのような者が婿、そして後継など、冗談ではありません!」


 怒りを隠さない声。


「陛下は何をお考えなのですか。あれではまるで――」


 言葉を飲み込む。


 だが、言いたいことは誰にでも分かる。


 伯爵は黙って書簡を差し出した。


「読め」


 ヘレーネとルイーゼが目を通す。


 ヘレーネが紙を持つ手が、微かに震えた。


それだけで、書かれた内容の重さは伝わった。


 読み終えたあと、誰も口を開かなかった。


(……脅し、ではない)


 王は本気だ。


 国境の要衝であるアルゼン。それを守るためなら、ピルゼン家に何の価値も見出していない。

いや、領地を守れない貴族に存在意義はない。


 そう言っている。


 ルイーゼは静かに息を吐いた。


 逃げ場はない。


 最初から、なかったのだ。



 その日のうちに、城の空気は一変した。

 まず伯爵家の兵をまとめる従士長が呼ばれた。


 兵が動く。


 命令が飛ぶ。


 人が走る。


 止まっていた時間が、一気に動き出したかのようだった。


 その中心にいるのは、間違いなくあの男だった。


 翌朝。


 ルイーゼは早くから目を覚ました。


 外が騒がしい。


 窓を開けると、すでに庭には多くの兵が集まっていた。


 中央に立つのは――カール。


「よく聞け!」


 腹に響く声が、朝の空気を震わせる。


「ヴァイセンは来る。しかもすぐだ」


 ざわめきが走る。


「昨日までのやり方は忘れろ。ここはもう戦場だ」


 言葉は荒い。


 だが、無駄がない。


「俺の言う通りに動け。そうすれば――勝てる」


 断言だった。


 根拠の説明はない。


 それでも、兵たちはざわめかなかった。


 むしろ――


 空気が引き締まる。


 納得している。


 この男の言葉を、信じている。


(……何なの、この人)


 ルイーゼは無意識にその姿を見つめていた。


 威厳ではない。


 血筋でもない。


 だが、確かに人を従わせる何かがある。


 そのとき、後ろから声がかかった。


「お嬢様」


 振り向くと、執事が立っていた。


「すでに各所で動員と資材の徴発が始まっております」


「……許可は?」


「出ておりません。

徴発に抵抗した者には、守りたければ自分の指示に従えとだけ」


 静かな答えだった。


 だが、その意味は重い。


 ルイーゼはゆっくりと視線を庭に戻す。


 あの男は、迷っていない。


 必要だと思えば、すぐにやる。


 許可など、待たない。


(勝つために、すべて使う)


 そういう人間だ。


 胸の奥に、熱が灯る。


 怒りか、焦りか、それとも――


(……このままでは)


 飲み込まれる。


 家も、領地も、自分の役割も。


 あの男に。


 ルイーゼは目を細めた。


 逃げるつもりはない。


 だが、従うだけでも終わらない。


(誰かが止めなければならない)


 彼が見ているのは戦争だけ。

 伯爵家でも領地でもない。


 この家を、領地を守らなければならない。

 ヴァイセンだけでなく、この男からも。


 そのために――


 必要なのは、感情ではない。


 理屈だ。


 数字だ。


 現実だ。


 ルイーゼは踵を返した。


「執事、帳簿と在庫、動員予定の一覧をすぐに用意して」


「は」


「それと――」


 一瞬だけ、言葉を選ぶ。


「伯爵から正式に権限を預かります」


「正式な権限が必要です」


「そうでなければ、あの男は止められません」


 もう、見ているだけではいられない。

 私しかいない。


 これは――


 自分の戦いでもある。


 窓の外では、カールの声がまだ響いていた。


 戦は、もう始まっている。

 ここで負ければ、すべてを失う。


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