表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/8

女王の夜明け

七日目の夜明け前、船内に銃声が響いた。


 カイは廊下で立ち止まった。一発、二発それから沈黙。どこか上の階だ。セリアの側近二人がカイの両脇に立ったまま、互いに目配せをした。無線で何かを確認している。


 カイは窓の外を見た。水平線の向こうにオレンジ色の光の帯が広がっている。聖都の灯台だ。クロノス号はゆっくりと、しかし確実にそこへ向かっていた。


 この船での最後の夜が終わろうとしていた。


 二時間前に遡る。


 ダリウスが海に落ちた翌日、マフィア組織アンカーの残党が動いた。


 首領を失った組織は崩壊しかけていたが、幹部の数人が独自に動き始めていた。船内の倉庫に隠していた武器を持ち出し、民間人に紛れて上層階へ向かった。目的はわからなかった。しかしアルノの軍がそれを察知して、船内の主要通路で衝突が起きた。


 カイは乗務員通路からその銃声を聞いた。一般客が悲鳴を上げて走り出す。子供の泣き声、割れるガラス、警報音。三万人の乗客が閉じ込められた船の中で、最後の混乱が始まった。


 船内テレビは「局地的な騒乱が発生しています。乗客の皆様は客室内に留まってください」と繰り返した。しかしSNSはすでに現場の動画で溢れていた。「#クロノス号で銃撃」が世界中でトレンド入りし、各国の報道機関が速報を流し始めた。


 軍とアンカーの残党の衝突は三十分ほどで収まった。残党は制圧されたが火災が発生し、その混乱の中で一時アルノは上層階に孤立していた。


 深夜二時、帝国警察署長がアルノの部屋を訪ねる。


 後から側近の証言で明らかになることだが、署長はこう言ったという。


「殿下、今夜の騒乱で防衛の穴が生じています。警察と軍が連携すれば、殿下の安全を確保できます。機密情報も含め二人で話し合いたいのですが」


 第一皇子アルノは署長の話に耳を傾ける。父の時代から帝国警察を支えてきた人物だ。第三皇子ダリウスと繋がっていたとは知っていたが、ダリウスはもういない。署長が自分に協力を申し出てきたと、アルノは素直に受け取った。


 言われた通り側近と護衛を部屋の外に出し、二人きりになった。


 その直後に・・・


 銃声は二発だった。


 銃声から十分後、カイのスマホが鳴った。確認するとアルノの副官からだった。


『記録者カイ氏へ。至急Aデッキ第一皇子殿下の部屋へ来てください。帝国公式記録者として現場の記録をお願いしたい。軍としてこの事実を正式に残す必要があります』


 カイは乗務員通路を使って上層階へ急いだ。Aデッキの入口では副官が待っていて、無言のまま部屋へ案内する。副官の目は赤く涙で濡れている。


 部屋の扉は開いていた。


 そこには第一王子アルノが床に倒れており、胸を撃たれていた。その隣には署長が倒れている。こめかみを撃ち抜いていた。手にはまだ拳銃を握りしめていた。


 カイは扉の前で立ち止まる。部屋の中には入らなかった。入る必要がなかったからだ。その場から全てが見えた。


 アルノの顔は驚きの表情のまま固まっていたように映った。最後まで、裏切りを信じられなかったのかもしれない。正直で、真っ直ぐで、融通が利かなかった第一皇子。その真っ直ぐさが最後に命取りになった。


 カイはメモを取る。しかし手が少し震えていた。


 廊下の奥から足音が来た・・・セリアの側近だった。


「カイさん、こちらへ」


 連行されるようにカイは廊下を歩かされた。


 セリアの部屋に入ると、第二皇女セリアとその母親が並んで座っていた。


 セリアの母親、帝国最大のメディアグループ「ヴェラン通信」を支配する財閥の当主は、今夜初めてカイと正面から向き合った形になる。セリアよりも骨格が鋭く、目に熱がない。情報を扱い続けてきた人間の目だとカイは感じた。全てを知っていて全てを計算している目。


「署長が動いたのはあなたたちの指示ですか」


 カイが問いただす。


 セリアは答えなかった。母親も答えなかった。


「署長は自分も死にましたが」


「それは」と母親が初めて口を開いた。低く、落ち着いた声だった。「彼自身の選択でしょう?」


 カイはその言葉の裏を読もうとしたが、緊張で汗がにじんだ手を握りしめるしか身動きできない。第三皇子と懇意の中だった署長は、セリアに従い続けても、最後には消される運命だと悟ったのかもしれない。警察とマフィアの癒着を知りすぎていたし、生きていれば、自分の存在すらもいつかセリアの弱みになる。署長もそれを把握していたのだろう。だから結局は自分で幕を引いた。家族に危険が及ばないように確認も取ったであろうが、その証拠は出てくることはないのだろう。


「あなたは」と母親はカイを見た。「賢い記者だと娘から聞いています。ならわかるはずです。今夜起きたことは、帝国の継承戦の定めに従った結果です。それ以上でもそれ以下でもない」


 カイは何も言えなかった。


「記事を送りましたね」母親は続けた。「帝都週刊の編集長に。昨夜、私が直接電話をしました。古い付き合いです。あの記事が世に出ることはありませんよ」


 カイはその言葉を聞いた瞬間肩の力が抜け、ふと窓の外を見た。聖都の灯台が近づいている。


「・・・私に何をするつもりですか?」


 ここでセリアは初めて口を開く。


「条件があります。私の治世をこれから正確に記録してください。良いことも悪いことも。ただし、この船の上で起きたことは永遠に書かない。それだけです」


「それは・・・命と引き換えにですか?」


「そう思っていただいて構いません」セリアは微笑んだ。「ただ私はあなたを記者として尊重しています。それは本当のことです」


 カイはしばらく沈黙する。


「考えさせてください」


「ええ結構ですよ。港に着くまで時間はありますからね」


 カイは部屋に戻る前に、ルカの扉の前に立った。


 ノックをするとすぐに開いた。ルカは起きていた。ベッドに腰を下ろし、窓の外を見ていた。枕元の曇りガラスの球体が夜明け前の薄明かりを受けて白く光っていた。


「アルノが死にました」とカイは言った。


「そうですか。確かに銃声が聞こえましたね」


 二人はしばらく黙っていた。


「殿下は・・・これからどうなりますか」


 ルカは少し笑った。静かな諦めのない笑みにも見えた。


「処刑されます。これは帝国の定めです。生き残った者以外は全員」


「嫌ではないのですか」


「嫌です。でも怖くはないのですよ」


 カイは第六皇子ルカの顔を見た。これが最後になるかもしれないと思いながら。


「なぜですか」


「役目が終わったからです」ルカは球体に指を触れる。「私にできることは全部行いました。あなたに証拠を渡しましたし、例え記事は握り潰されたかもしれないけど、でもあなたの頭の中には残っている。いつか、どこかで・・・」


「書きます」カイは言った。「必ず」


 それを聞いたルカは頷く。


「知っています。だから安心して逝けます」


 カイは立ち上がると部屋を出る前に一度振り返る。


 ルカは窓の外を見ていた。聖都の灯台の光がその青白い顔を照らしている。部屋の隅では側近の一人の女性が立ったまま、手で顔を拭い泣いていた。


 カイはそっと扉を閉める。


 廊下に出るとセリアの側近が二人、ルカの部屋の前に立っていた。カイが廊下の角を曲がったとき、扉が静かにノックされる音が聞こえた。


 それがルカの最後だった。


 港に着いたのは、午前八時。


 タラップが降ろされ、最初にセリアが船を降りた。


 岸壁には帝国の旗が翻り、音楽が流れていた。出迎えの人々が拍手をしている。報道陣のカメラが一斉にセリアを捉えた。金髪が朝の光に白く輝いている。セリアは立ち止まり、カメラに向かって微笑んだ。


 完璧な微笑みだった。


 船内テレビが、いや、今や全世界のメディアがその映像を流した。「新女王セリア陛下、聖都へ」というテロップが流れた。SNSには「#新女王誕生」が溢れ何千万というアクセスがその笑顔に集中した。


 拍手が鳴り続けている。


 カイはタラップの上でその光景を見ていた。


 七日間この船で何が起きたか。皇帝が毒殺されたこと。ミラが消されたこと。オズが処刑されたこと。ダリウスが罠にかけられて海に落ちたこと。アルノが署長の銃弾に倒れたこと。そしてルカが・・・静かに、廊下の扉の向こうで。


 カイはポケットのスマホを握りしめた。記事のデータはまだ残っている。侍医の記録も。握り潰されたのは送信した記事だけだ。データそのものは、まだカイの手の中にある。


 しかし、今は使えない。


 セリアの視線がタラップの上のカイを捉えた。微笑みのまま、一瞬だけ目が合った。


 その目が言っている。



 ——わかっていますね。


 カイはスマホをポケットに戻した。


 タラップを降りながら、カイは心の中で誓う。


 いつか必ず書く。この船で起きた全てを。セリアが女王でいる限り、それは書けないかもしれない。しかし権力は永遠ではない。女王の時代もいつかは終わる。


 そのとき——。


 カイがタラップの最後の一段を降りた瞬間、後ろから肩を掴まれた。


 振り返ると、スーツ姿の男が二人立っていた。知らない顔だ。しかしその目を見てカイは全てを理解した。



「少しよろしいですか」男は静かに言った。「お話があります」


 巨大な船の中で拍手はまだ鳴り続けている。


 セリアの笑顔が世界中のカメラに映し続けられていた。


 カイは人ごみの中に、静かに消えた。


 その日の夕方、帝都週刊の編集部に一本の電話が入る。


「カイ記者と連絡が取れません」


 編集長は少しの間沈黙してから、こう言った。


「そうか」


 それだけだった。


 窓の外には聖都の夕日が沈んでいた。


 クロノス号継承戦の公式記録にはこう書かれている。


「七日間の航海を経て、第二皇女セリアが唯一の生存者として即位。帝国史上初の女王誕生。民衆の支持のもと、新時代の幕が開く」


 しかしその記録には記者カイの名前はどこにもない。


 ただ一行だけ、付記がある。


「航海中、帝国公式記録者一名が行方不明となった。原因は不明」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ