51 裏切り
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「ハ、ハラルド様がアイリック王子に剣を突き立てるなんて……!」
「なんて恐ろしい事を! この目で見ても信じられない!」
「これは明らかな謀反だ!」
王のそばにいた大臣たちが、口々にハラルドを非難した。
「な、なぜだ!? なぜ陛下が!? 陛下は、起き上がれない程の病に苦しんでいたはずでは……!?」
「ハラルド様、どうか抵抗などなさらないで下さい」
衛兵たちに剣を向けられ、ハラルドはぎりっと唇を噛んだ。
「くっ、くそ! 訳がわからんが仕方ない! お前たち全員、仲良くあの世へ送ってやる!! アスタロト! こいつらを全員、渦へぶち込め!!」
ハラルドの怒鳴り声に、アスタロトは頭上から冷たい目を向けた。
「何をしている、アスタロト! 主の言う事が聞けないのか!?」
「あのさぁ、あんた、何かカンチガイしてない?」
アスタロトは、ふわりとハラルドの目の前まで飛んできた。
「ぼく、いつあんたに召喚されたって言った?」
「……は?」
「なんかさぁ、あんた、ずーっとカンチガイしてたみたいなんだけど、ぼく、あんたに召喚された悪魔じゃないんだよねぇ」
「な…何を言っている……?」
ハラルドは目を見開いたまま、わなわなと震え出した。
「あんたが召喚した悪魔がさぁ、なんか面白そうな人間だって言うから、つい魂が欲しくなって、その悪魔のコト、ぼく殺しちゃったんだよねぇ。それで、代わりにぼくが地上に降り立ったってワケ。あんたと契約した悪魔は、とっくに死んじゃってるの。ぼくは、あんたに召喚されたフリをしてただけ」
「ま、まさかそんな……!? あの時確かに、寿命の確認をした後に契約を交わして、ワタシの目の前にお前が降り立って……」
そこでハラルドはハッとした。確かに契約は交わしたが、その時はまだ声だけで、悪魔の姿は見えていなかった事を思い出した。
「だから、別の悪魔が契約しま~すって宣言してすぐ、ぼくがそいつをぶっ殺したの! わかったぁ? あんたはぼくの主でも何でもないし、第一ぼくは、人間と契約しなくても、自由に地上に行き来できるんだよ」
アスタロトはそう言うと、宙に浮かびながらハラルドの顎に手をかけ、くいっと上を向かせた。
「ねぇ、信用してたヤツに裏切られるって、どんな気持ち?」
ハラルドの額からだらだらと汗が流れ落ち、アスタロトは心底おかしそうに笑った。
「アハハ! その顔! もっと、もーっと絶望させてあげる! あんたの策略を、ぼくは王に漏らしてたんだ。まぁ、王は既にあんたの思惑を知ってたケドね。で、王も王で面白い計画を立ててたモンだから、ぼくは王に付くコトにしたってワケ。ぼくに裏切られてたと知った時、あんたはどんな顔をするんだろうって思ったら、今、この瞬間が楽しみで楽しみでしょうがなかったよ!」
その時、ハラルドの下半身がじわじわと濡れていき、立っていられずその場に崩れ落ちた。
「ええ!? まさかあまりの衝撃におもらししちゃったの!? あんたってどこまでぼくを楽しませてくれるワケ!? ああ……あんたの絶望と悪感情、ホントにサイコーだよ……!!」
アスタロトは愉悦に浸った表情で、ハラルドを見つめた。
「ワ、ワタシは……ワタシは一体どうなるのだ……」
青ざめ、うなだれたハラルドの体の輪郭が崩れ、黒い靄に変化していった。
「あんたと契約した悪魔は、あんたの寿命をだいぶ長く伝えてたけど、それはその悪魔を召喚した場合の寿命だ。その悪魔が死んで、ぼくが地上に降り立った時点で、既に未来は変わってる。ぼくの能力で生きながらえさせてたけど、あんたの寿命は……とっくに尽きてるんだよ。ぼくによってね」
アスタロトはまるで弄ぶかのように、白く細い綺麗な指に、変化していく靄をくるくると絡め、それをぱくりと口に入れた。
「本当に美味しいよ、ハラルド。安心して、ぼくがぜーんぶ、残らず食べてあげるからね」
「い…いやだ……! やめろ! ワ、ワタシは……ワタシは王になるんだ! あの兄弟なんかよりも、ワタシの方が王に相応しいのだ!!」
跪き、靄になる自分の体を必死に抑えながら泣き喚くハラルドに、王は冷たい目を向けた。
「お前は、私の息子たちの足元にも及ばない」
「い、いやだ!! いやだぁあああ!!」
ハラルドはみるみるうちに黒い靄に変化し、アスタロトはそれを凝縮すると大きく口を開けて呑みこんだ。
「ごちそうさま」
高揚した表情でそう言ったアスタロトは、満足そうにぺろりと唇を舐め、親指で口の端を拭いた。
その頃、優里たちはまだアイリックの夢の中にいた。
「父上が、あのアスタロトとかいう悪魔と、手を組んでいたという事ですか!? それに、父上はご病気だったのでは!?」
「父上は、ハラルドを油断させるため病気のふりをしていたのだ。あと、手を組むという言い方は正しくない。アスタロトが面白がって、勝手に首を突っ込んできただけだ。アスタロトはハラルドの情報を流してきたが、私たちは全てを鵜呑みにしていた訳ではなかった。もとより、王族をわざと暗殺させ、それを目撃させるというのが、父上の立てた計画だったのだ」
「そんな危険な計画を、父上が立てたのですか!?」
「ハラルドの存在は、それだけ我々王族にとって脅威だった。権力を得る為なら手段を選ばない。悪魔を召喚したヤツの悪意は、北の国そのものを揺るがし兼ねない。父上は北の国を守る為、止む無くこの計画を立てた。初めは、父上が暗殺される役だったが、私が変更を求めた。これは……救う為とはいえ、貴様に痛みを与える自分への贖罪だと、父上に訴えた。そして、若く体力もある私の方が、父上よりも回復が早い。私も父上も、本当に死ぬつもりでこの計画を遂行する訳ではないからな。父上は最後まで反対していたが……何とか納得させた」
アイリックはそう言うと、丘にいる母の方へ目を向けた。
「だが……これは致命傷だったのかもしれんな」
アイリックはバルダーの肩に手を置いて、真剣な表情で言った。
「バルダー、貴様は仲間を連れてここから逃げろ。ハラルドはきっと今頃……アスタロトの腹の中だろう。私たちは、ハラルドの悪意から北の国を守る事が出来た。父上は大臣や衛兵を何人か連れて、共に謀反を目撃させている。後の事は父上に任せれば大丈夫だ。私のこの最悪の事態も……想定していた事だ」
「兄上! 最悪の事態とは、まさか兄上が死ぬという事を言っているのですか!?」
「私は……」
アイリックは、再び母の方へ目を向けた。母は、優しく微笑んで何か言っているように見えた。
「きっと母が、私を呼んでいる」
アイリックはそう言って、母親の方へ歩き出した。
「駄目です兄上! 待って下さい!」
バルダーがアイリックの腕を再び掴もうとしたが、伸ばした手は今度はするりとすり抜け、掴むことができなかった。
「兄上!」
バルダーの声に振り向きもせず、アイリックは歩を進めた。その時、優里がアイリックに向かって叫んだ。
「生きて!!」
アイリックは優里の声に反応し、歩を止めた。
「生きて……アイリック、あなたはまだ、こちらに来てはいけないって言ってます!」
アイリックは振り向いて、優里を見つめた。
「ユーリ、母の声が……聞こえるのか?」
バルダーが優里に問いかけると、優里は胸の前でぎゅっと手を握りしめながら答えた。
「王妃様の……優しい心が、伝わってきます。アイリック! あなたは、北の国に必要な人だって……だから……」
アイリックは母の方へ顔を向け、その優しい表情を見つめた。
バルダーも息をのんで、母へと目を向けたが、自分のせいで母を死なせてしまったという負い目が、バルダーの心をギュッと締め付けた。
その時、温かく優しい風と共に、丘の上にいた母がアイリックとバルダーの方へと歩いて来た。そしてふたりの前に立つと、右手でアイリックの頬に、左手でバルダーの頬にそれぞれ触れた。
『アイリック、貴方の強く優しい心のおかげで、バルダーは真っ直ぐ、正しく育つ事ができた。わたしの代わりに、ずっとバルダーを守ってくれてありがとう』
母はアイリックを見つめ穏やかにそう言うと、今度はバルダーの方へと目を向けた。
『バルダー、あなたは、もっと自分の事を信じて。あなたには人々を救える力がある。わたしの事も、自分のせいだと責めないで。わたしはあなたを産みたかった。今の貴方を見て、産んで良かったと……心から思ったわ。あなたは“呪われた子”なんかじゃない。わたしがお腹を痛めて産んだ、わたしの子よ』
「母…上……」
バルダーは初めて触れる母の温かさに、涙が溢れた。
『愛してる……アイリック、バルダー……あなたたちを、ずっと愛してる』
アイリックは、母を見つめ静かに涙を流すバルダーの肩を抱いた。
「母上……バルダーを産んでくれてありがとう」
アイリックが母にそう言うと、母は温かく優しい光の中で笑った。
母の優しい笑みが次第にぼやけ始め、アイリックはゆっくりと目を覚ました。
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