12 アリシャ
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「アッハッハ! シュリが、同族以外の女性を連れて歩いてるんだもんねぇ、そりゃあ処女だよねぇ~」
ルーファスは、必死に弁解する優里の肩を、ポンポンと叩きながら笑った。
(処女ってバレるのも恥ずかしいけど、それ以上に、色々誤解されるのも嫌だ……)
一通り説明を終え、息をついた優里は、ルーファスの足を見た。
「あの……それはそうと、足、大丈夫なんですか……?」
「うん、ちょっと痛いけど、この子は遊んでるだけだから! な、クルル~?」
実は、茂みに突進して行ったクルルが、ずっとルーファスの足に嚙みついていた。
(クルルに噛みつかれた状態なのに、あんな素早い動きでシュリさんに抱きついたのか……)
「キャルルルルル……!」
クルルは、容赦なくルーファスを噛んでいるように見えたが、本人は笑っていたので、優里はとりあえずそっとしておいた。
「ルーファス、なぜお前がここにいる? まさか……森で何かあったのか!?」
シュリは、少し焦ったようにルーファスに問いかけた。
「違うよ~。何もないない! 安心して。ボクはアリシャに頼まれたんだよ。シュリを追いかけて欲しいって」
アリシャという名前を聞いて、シュリは押し黙った。
(アリシャ?)
優里がシュリの方を見ると、シュリはどこかを見据えた目をしていた。
(この目……見たことある……)
優里は、過去に2度ほど、シュリのこの目を見たことがあった。
(シュリさんが、大切な何か……誰かを、考えてるときの目だ)
優里の心が、ざわざわとした。
(あれ……何だろ、この気持ち……)
優里は、自分の胸に手を当てて、ぎゅっと握りしめた。
「彼女、キミのことすごく心配して……ボクに、シュリと行動を共にしてくれないかって言ったんだ。まぁボクとしても、シュリのそばにいれる訳だし、二つ返事で追いかけてきたってわけ」
「こまめに、手紙を送っている。昨日も、心配するなと手紙を送ったばかりだ」
シュリはそう言うと、珍しく、ふてくされたようにそっぽを向いた。
(昨日……シュリさんは、私たちと別れてから、きっと手紙を出しに行ったんだ)
異世界にも、郵便局のような場所があるのかもしれない。優里はそう思って、2人の会話を黙って聞いていた。
「それでお前は、わたしたちについてくるつもりか?」
「もちろん! てゆうか、このままひとりで帰ったら、アリシャに何を言われるか……」
ルーファスは、心底恐ろしいといった顔をした。
「なぁ、アリシャってシュリの何なんだ? まさか恋人なのか?」
ミーシャが核心を突いたので、優里はドキリとした。
しばしの沈黙が流れたが、やがてシュリが口を開いた。
「……兄の……婚約者だ」
その言葉を聞いて、優里はホッとした。
(あれ……なんで私、ホッとしてるんだろ……)
自分の感情が理解できないまま、優里はシュリに話しかけた。
「シュリさん、お兄さんがいたんですね」
「そうなんだよ~。ボクが初めてシュリに出会ったとき、シュリはまだこんなに小さくて、ルドラとは本当に仲がいい兄弟でね!」
ルーファスが、自分の手を地面から4歳児くらいの身長の位置に合わせて、ニコニコしながら熱弁した。
「え! そんなに小さな頃のシュリさんを知ってるんですか?」
優里が驚いてそう聞くと、ルーファスはさらに目を輝かせた。
「こう見えて、ボクは大分年上だからね。小さい頃のシュリは、まるで天使のように純粋で美しくて、ボクは一目で心を奪われたよ!」
「そうなんですね! もっと詳しく聞きたいです!」
(子供時代のシュリさん! なんだか貴重だ!)
「ルドラ……シュリのお兄さんは、懐が大きくて、強くて優しい、真っ直ぐな人だったよ。ボクは育った環境上、小さい子の面倒を見るのには慣れてたけど、シュリは大人びてて、全然手がかからない子供だったんだ」
優里はルーファスの話に身を乗り出したが、シュリは少し低い声で、ルーファスの名を呼んだ。
「ルーファス」
シュリに名前を呼ばれ、ルーファスは何かを察したのか、口をつぐんだ。
「ま、この話はおいおいにね! それよりボクは、キミのことが知りたいな……」
ルーファスはミーシャに近寄ると、耳元でそう囁いた。
「やっ、やめろ! オレに近付くな!」
ミーシャはまたしても、優里の後ろに隠れた。
「アハハ、可愛いなぁ! 楽しい旅になりそうだ!」
ルーファスはそう言って、ズルズルと足を引きずりながら歩き出した。
優里は、ふたりが不自然に話を終わらせたことを疑問に思ったが、相変わらずルーファスに噛みついているクルルを見て、さすがに心配になった。
「クルル……そろそろ離してあげようね?」
「大丈夫だ、ユーリ。ルーファスは吸血鬼だ。傷もすぐ治る」
「いや、そーゆう問題じゃねーだろ」
シュリの言葉に、ミーシャが突っ込みを入れた。
(吸血鬼っていうのは本当なんだな……。それにしても、なんでわざわざ“暴食の吸血鬼”の真似してるんだろう……)
優里は不思議に思いながらも、皆の後について歩き始めた。
途中で休憩も取りながら、優里たちは大分距離を進め、日も落ちてきたのでテントを張ることにした。
夕飯時、ミーシャがいつもより食欲がないように見えて、優里は心配に思い声をかけた。
「ミーシャ君、調子悪いの? 大丈夫?」
ミーシャは、何やら気だるそうにしながら鼻をつまんだ。
「なんか……さっきから変な匂いがするんだよ」
すると、その言葉を聞いたルーファスが言った。
「この辺りには、温泉があるんだよ。きっとその匂いだね」
「温泉ですか!?」
温泉というワードに、思わず優里の声が弾んだ。
(この世界にも、温泉があるんだ!)
毎日水浴びをして、昨日も宿屋でシャワーを借りたが、お風呂にゆっくり浸かるということは、異世界に来てから1度もしていなかった。
「ユーリ、温泉に興味があるの? だったらのんびり入ってきたらいいよ。ここからそんなに遠くないよ。ミーシャ君は、ボクと一緒に入ろうかぁ?」
ルーファスはニコニコしながら、子供姿になったミーシャを抱き上げた。
「うわ! やめろ! 下ろせ!」
ミーシャはバタバタと暴れていたが、ルーファスはミーシャを高く持ち上げて、まるで赤ちゃんをあやすように、クルクルと回ったり上下に動かしたりしていた。
(ルーファスさんは、子供が好きなんだろうな。育った環境上、小さい子の面倒を見るのが得意って言ってたけど……兄弟が多かったのかな?)
嫌がるミーシャには悪いが、少し微笑ましい光景だと優里は思った。
ミーシャとルーファスのやり取りを横目に見ながら、シュリが優里に言った。
「ユーリ、温泉に行くのなら、念のためクロエを召喚して一緒に行け」
「はい! そうします!」
(初召喚! 上手くできるかな? ……といっても、魔力をコントロールしてくれるのはクロエの方なんだけど)
優里は、シュリと少し距離をとってから、自分の左手に刻まれた印に向かって、名前を呼んだ。
「クロエ!」
すると、印から紫色の光が溢れ出し、人の形を型取ると、そこからクロエが現れた。
「ユーリ様!」
クロエは、さっそく優里に抱きついた。
「驚いたな。キミには、使い魔がいるのかい?」
ルーファスはまじまじと優里とクロエを見た。
「お前は……まさか、暴食の吸血鬼!?」
ルーファスに気付いたクロエは、優里を庇うように前に立ち、臨戦態勢をとった。
(クロエも知ってるんだ。暴食の吸血鬼って、本当に有名なんだな……)
「あー、ちげーよクロエ。容姿が言い伝えと一緒なだけで、こいつはただの変態吸血鬼だ」
「あら? あなたは……」
クロエは子供姿のミーシャに気付いたが、優里がクロエの顔を覗き込んで話を進めた。
「クロエ、一緒に温泉に入りに行かない?」
優里がそう言うと、クロエは鼻息を荒くした。
「ユーリ様……そんな……わたくしを裸にして、どうなさるおつもりですか!?」
「いや、どうもしないよ?」
「そうだ、こいつも変態だった……」
やっとルーファスに離してもらったミーシャは、そう呟いて、近くの泉の方へ歩き出した。
「オレは水浴びで十分だ。温泉なんて、鼻が曲がっちまうぜ」
(温泉の匂い、そんなにきつくないけど、やっぱりミーシャ君は鼻がいいから、辛いのかも)
優里は少し心配しながら、泉に向かうミーシャの後ろ姿を見つめた。
「さ! ユーリ様、さっそく参りましょう! お背中お流し致しますわ!」
クロエにグイグイ引っ張られ、優里たちは温泉に向かった。
「ゆっくりしておいで~」
ルーファスはニコニコと手を振ると、くるりと体を反転させて、焚火の前にいたシュリの隣に座った。
「シュリ、アリシャたちの近況を知りたいだろ? ユーリの前では、あんまり話して欲しくなさそうだったね」
ルーファスがそう言って、シュリの顔色を伺った。シュリは焚火を見つめながら、静かに言った。
「あいつは、人の痛みに敏感な奴だ。アリシャの事も……兄さんの事も、知らなくていい。お前も、自分の生い立ちや孤児院での事は、口が裂けても言うな」
パチリと焚き木が割れる音が響き、少しの沈黙が流れた。
「……言える訳がないよ。キミもわかってるだろう?」
ルーファスは目を伏せて、少し自嘲気味に笑った。
ふたりはとても小さな声で話していたが、泉に向かう途中のミーシャの耳には届いていた。
「孤児院……?」
ミーシャは、シュリの言った言葉に反応し、立ち止まった。
俯いて少し考えたあと、再び泉に向かって歩き出した。
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