01
「真綾さんまだ残って――」
「先生、私はもう駄目みたいです」
梅雨が終わりそうになっても落ち着かない。
小中学校時代も同じようにしてきたのに高校だけ違うのは何故なのか。
「思わず抱き着いてしまうぐらいには駄目なんですか?」
「すみません」
あ、この人は先生であり姉であるからこそできることだ。
「クラスメイトの子達と仲良く話せていましたよね?」
「敬語はやめて」
「はは、もうこの教室には私とあなたしかいないから大丈夫か。それで? 真綾ちゃんはなんで不安になっちゃったの?」
「それが分からないの」
高校に入学して早くも敵がいるなんて状態でもない。
姉とだけではなく家族とも仲良くできているから家に帰りたくないなんてこともない。
ただ、学校に通わなければいけないという点がいまは少しストレスになっているわけで。
「んー真綾ちゃんは考えすぎちゃうところがあるからね」
「結局のところ自分のせいよね」
「まあ、自滅までいっちゃうわけじゃないからそこは安心できるけどさ」
「お姉ちゃんが担任の先生だったらよかったのに」
とはずっと昔から考えていたけど実現することはない、そこは姉妹だから仕方がないことだ。
仮にそこらへんのルールが緩くなって他の姉妹が担任とそのクラスの生徒という形になり、仲良くしていても微笑ましいだけで嫉妬的なことはしないけど。
「ルール的に無理だし、それは駄目だよ。ふとしたときにこういう風に話しかけちゃいそうだもん」
「姉妹でも学校ではしっかり線を引かなければ駄目よね」
だから余程のことがない限りは近づいたりはしない、教科担任でもないから危うくなることもない。
「そうっ、それに私はみんなに好かれたいからね、特定の生徒だけ贔屓するようなことはできないのです」
「ふふ、それならもう駄目よね」
「こ、これはノーカウントだよ、二人きりなら学校でも家みたいなものだから」
「冗談よ。でも、不安よ」
姉と話せているときはなんとかなっても離れればすぐに戻ってくる。
本当に戻ってきてほしい物や存在は戻ってきたりはしないのに意地悪な設定だ。
「なにかぎゅっとできる物を持ってくるとか?」
「家にあるクマのぬいぐるみとかを持ってくるわけにはいかないわ……」
そもそもこの年齢でそんなことをしていたら痛い人間に見られてしまう。
実際はぎゅっと抱きしめながら寝るわけだから痛い人間だけどそう見られたくないから我慢をするのだ。
「ぎゅっと抱きしめたくなる人を見つけよう!」
「お姉ちゃんがね」
「うっ、そんな人いないよー!」
出ていってしまったから忘れ物がないか確認をして教室をあとにした。
途中、スーパーにいこうか悩んで結局やめて歩いていたときのこと、
「犬ね」
単体で歩いているレアな状況に出くわした。
それでもいいことではないからどうしたものかと悩んでいる間に目の前で足を止めた犬、何故かこちらをじっと見てきている。
「こ、こういうときはどうしたら……」
首輪なんかもないからただの野生の犬なのだろうか。
「やっと見つけた」
「あ、この子はあなたの犬なの?」
「違う、今日連れて帰ろうとして逃げたから追ってきた」
中々に複雑な感じのようだ……。
「怖くしないから落ち着いて」
少なくとも嫌がっているわけではないようで彼女の言うことを聞いて近づいていた。
まあ、こうして飼い主になってくれるかもしれない存在が現れたのならそれでいい、これなら見て見ぬふりをしたわけではないから後でごちゃごちゃ考えてしまうこともないだろう。
「それなら任せたわよ」
「うん、止めてくれてありがと」
「ええ、それじゃあ」
よかった、問題もなく終わらせることができた――と思っていたのに……。
「あ、わんたん待って」
「ちょ、は、離れてちょうだい」
何故か先程の犬に絡まれている私がいる。
歩こうとしたその先に出てくるから踏んでしまいそうで怖い。
「ごめん、なんか気に入っているみたい」
「な、なにもしていないし、なにも持っていないのよ?」
「一目惚れかもしれない」
現実にそんなことがあるの? しかも相手は人間なのに。
でも、付いてくるのは確かで結局家まで連れていくことになってしまった。
「飼うことってできる?」
「別にペット禁止というわけじゃないけどそれは無理ね」
「それなら私の家まで付いてきて」
「ええ」
だってここに残されても困るから言うことを聞くしかない。
せっかく落ち着かない場所から離れられたのに放課後も微妙になるとは思わなかった。
「家に着いたけど離れる気配がない」
「上がらせてもらってもいい?」
「うん、その方がよさそう」
中に入ってしまえばやりようはある、そして犬もちゃんと付いてきた。
「いい? 今日からここがあなたの家なの」
分かってもらえるわけがないけど重ねていく。
こちらだけを見ているのではなく他のところにも興味を持っているみたいだからまだ希望はある。
「わんたん」
「わん」
「そう、ここがわんたんの家、あと僕がご主人様」
なんとかなりそうな感じになってきて一安心、廊下に出てみても追ってくることはなかったから帰らせてもらうことにした。
「ありがと」
「ええ」
今度はなにかに絡まれることもなく家まで安心して帰ることができた。
「おはようございます」
とりあえず挨拶を忘れなければ学校生活の方はなんとかなる。
授業の時間以外お地蔵さんのように固まっていても時間が止まることはないからそこまで怖くはない。
あと、よく分からない不安に負けそうになるだけで平和そのものなのだ。
「見つけた」
「あ、昨日の、わんたんは大丈夫そう?」
この子はわんたんみたいにふわふわしていて早くも気になっている状態だった。
上手く友達になれたら姉も安心してくれる気がする。
「うん、あの後は落ち着いてくれて色々なところを見て回っていたよ」
「ふふ、元気なのはいいことね」
「家から出るときも苦戦しなかった」
「逃げられたら困るからその方がいいわね」
駄目だ、このままだと出会ったばかりなのに変なことをしてしまいそうだ。
そのため、落ち着かないとか理由を作って離れて空き教室までやって来た。
ここは一日を無事に乗り越えるためにも必要な場所だった。
ふぅ、窓が開いていても温い風しか入ってこないけどなんか気持ちがいい。
これから本格的暑くなって弱ってしまう人が出てしまうかもしれないからこの調子で頑張ってほしいところだ。
結果、これがいい方に働いて放課後まで今日もなにも問題は起きなかった。
「はあ~」
落ち着かない場所なのにどうしてすぐに帰ろうとならないのか。
「真綾」
「あ、お姉――な、名前を知っていたの?」
声音なんかも全然違うのに勘違いをしてしまってお姉ちゃんと言いそうになってしまった。
一応言っておくとこの子の方が声が低い、姉は高めだから本当に似ていないのだ。
「ううん、加藤先生が教えてくれた」
「え、えっとそれは……あなたから聞いたのよね?」
「加藤先生の方から近づいて来た、教えてくれたのはそう」
え、昨日の時点ではまだ友達ではなかったから話していなかったのにどうしてなのか――は私がどうかしていた、ここは学校で彼女は生徒なのだから話しかけることぐらいはあるだろう。
「そういえば偶然同じ名字なのよね、こんなことってあるのね」
「うん? 加藤先生から姉妹だってことも教えてもらっているから隠そうとしても無駄だよ?」
「うぐっ」
別になにか変なことをしているわけではないからダメージはないものの、そういう情報を吐いたところで得もないのになにをしているのかとツッコミたくなる。
昨日の夜にやたらと楽しそうだったのは――いや、そんなわけがない、学校でやり取りをしていたわけではないのだから。
「まあ、こうなってはもう意味もないけど加藤真綾よ、あなたは?」
「私は柚木心、よろしく」
そうか、この子と朝に話せたのもいい方に働いてくれたのかもしれない。
あと知っていようといなかろうと姉が自然と把握してくれたということなら楽でいい。
「早速だけど昨日のお礼がしたいから付いてきてほしい」
「え、そんなのいいわよ」
「言うと思った、だけどお礼をするまで帰れないから付き合って」
け、結構ガツガツ行動できる子だということを今日知った。
言っても無駄だと判断しているのかこちらの手を掴んで前を歩いている彼女が不思議だ。
「でも、いまはお金がないからファミレスのドリンクバーで我慢して」
「それなら誘わなければよかったのに」
どんな理由からであっても大切なお金であることには変わらないのだから貯めておいた方がいい。
もしお礼がしたいのだとしたらもっと頑張ってくれた人相手にするべきだった、私なんてただ突っ立っていただけだからその資格はないのに。
「こういうのはちゃんとやらないと駄目、きっと真綾だって同じようにしてきたはずだから」
「確かにお姉ちゃんにはそうしていたわね、両親は絶対に受け入れてくれないから諦めていただけで」
「でしょ?」
でもとかだってなどと繰り返している間に着いてしまってお世話になってしまった。
「お腹空いていたら食べていいよ」
「一人で食べるのは申し訳ないからやめておくわ」
「気にしなくていいけどね」
そうは言われても気になるものは気になるから仕方がない。
あと、外でご飯を食べることをほとんどしないから実は緊張しているのもあった。
ドリンクバーを注文すればジューズが飲み放題ということは分かっているけどその機械の前でごちゃごちゃと考えてしまったぐらい。
「これが終わったら私の家に来てほしい」
「わんたんにはまた会いたいけど……」
連日上がらせてもらうのはどうしても気が引ける。
コミュニケーション能力に自信があるわけではないから彼女のご両親が帰ってきたときに困ることになりそうなのもあった。
「うん、約束」
「えぇ――あ、お姉ちゃんからメッセージがきていたわ」
「加藤先生お仕事中なのにいいの?」
「前にそれを言ったら『ちょっとぐらい休憩してもいいでしょ』と言っていたわ」
確認してみると『二人でこそこそしないように、あと放課後だけでも顔を見せなかったことには怒っているからね』という内容のものだった。
「ごめん、私のせいで怒られちゃうかも」
「謝らなくていいわよ、どうせ私達なんて家に帰れば会えるんだから」
「駄目、やっぱり学校に戻ろう」
「え、無駄に終わるだけだから――ちょっと……」
そんなに会いたいなら一人で会ってくればいいのに。
そもそもいまからいったところで会えないのにもったいないことをする子だった。
「だは~」
「お姉ちゃん、柚木さんと楽しそうに話していたわね」
最初から怖がる子ではないのか柚木さんもマイペースだった。
「うん、柚木ちゃんみたいな子は大好きだからね。だ・か・ら、困っていたみたいだから話しかけてみたらまさかの真綾ちゃんのことを聞いてきてさ~」
「その後は私を探したみたいだから最初からそうすればよかったのにね」
学年さえ分かっていればクラス数も多くないことからすぐに見つけることができる。
ましてや、教室からほとんど離れない私なんて余裕だ、その気がなくても視界に入ってきてしまうレベルだ。
「すぐにでも真綾ちゃんと一緒にいたかったんだよ」
「でも、もうお礼をしてもらったから明日からはないかもしれないわ」
「いやいや、私はずっと関係が続くと思っているけどねー」
私だってそれを求めているけどそうなったことは一度もない。
クラスメイトや後輩先輩と普通に喋ることができても一緒に遊べるような仲になれたことはないのだ。
「それで二人は同性とか関係なく相手を求めてお付き合いを始めるんだよっ」
「同性同士の恋愛って創作上の話ではないの?」
「え、いまほどノーマルに近くない私の学生時代でも女の子同士で付き合っている子達はいたけど」
「十三歳しか離れていないじゃない……」
私がこの前誕生日を迎えて十六歳で姉はいま二十九歳だ。
「それでも十三年だよ? 私がいま真綾ちゃんの年齢に戻れたら学生だよ?」
「それはそうだけど……そんな当たり前のことを言ってどうしたいの?」
「あの頃はよかった、女の子だけじゃなくて男の子だっていっぱいいたんだから」
「あの高校にだっているじゃない」
なんならその学生時代よりも興味を持たれている可能性があった。
可愛いとか格好いいとか言われているのを聞いたことがある、妹から見てもそういう風に見えるから堂々としていればいい。
「でも、手を出すことはできないんだ!」
「教師だから当たり前じゃない」
生徒に手を出す教師ということで名前が知れ渡ってほしくない。
「だからね、私は妹で我慢をするんだよ」
「実際は家でもお酒の缶を片手に『だは~』とか言っているだけであんまり相手をしてくれないけどね」
「お酒ぐらい飲ませてよ、家でぐらいだは~って言わせてよ」
「それならお風呂にいってくるわ」
「私もいく~」
まあでも、姉の場合は寝てしまうことがあるから一緒に入れるならそれにこしたことはない、地味に二階から確認をしにいくのは大変だからありがたかった。
「連絡先は交換したの?」
「まだよ、交換することはあるのかしら……」
「もーまたそうやってマイナス思考をするんだから」
あのお礼を受け取っていなかった方がまだ可能性はあったけどもう駄目だ。
いやもう本当に私がなにかしたわけではなくてわんたんが勝手に目の前で止まっただけだからどうしようもない。
その後もそうだ、家で落ち着いたのだって柚木さんのなんらかの能力のおかげだろう。
「よしっ、明日の午前中にこそこそと話しかけてみるね」
「特定の生徒を贔屓したらいけないんじゃなかった?」
「それでも妹の大事な場面だからね、自分の決めたルールぐらい破りますわ!」
嫌な予感しかしない。
明日の朝にあの子の家までいって先に謝ろうと決めてゆっくりお風呂を楽しんだ。




