エピローグ 父の愛
武蔵がその日道場にいたのはたまたまだ。
二十年前、彼の愛する二人の子供は突然姿を消した。それはまるで四十年前、妻となった百合が突然現れた代わりのように。
まるでお姫様のようなドレスを着た少女はこちらの言葉すら分からなかった。必死に互いの言葉をすりあわせ、なんとか意思の疎通ができるようになったのはかなり立ってからだった。
百合というのもこっちでつけた仮の名だ。
百合の生い立ちの説明はとうてい信じられないものだった。
百合は別の世界から来たというのだ。そこでは百合は王族の姫で誤ってこちらに来てしまったと──いつか迎えが来ると信じていた。
だが、百合の人生にその迎えは間に合わなかった。
異郷の地で果てた百合。
その代わりだとでもいうように二十年前姿を消した、妻が現れたときと同じ歳になった二人の子供。
無関係とは思えなかった。
百合を連れて行くはずだった迎えは間違えて双子を連れて行ってしまったのだろうか?
「……どこへ行った……大和……椿」
夏の日だった。大和はいつものように鍛錬をしていたはずだ。椿は道場に本を持ち込んで読みふけっていたのだろう。大量の本が同時に消えていた。
胴着と一本の木刀。気に入りの本と夏の制服。筆記用具にタオル。ともに消えたのはその程度。貯金も手持ちの小遣いも携帯もそのままだった。
生きていてくれればと、それだけを願う。
道場の片隅が突然輝いた。
直径二メートルほどの輝く円。縁には細かい模様が施されている。
「な、なんだ!」
その円から照らされた空中に切り取られたような球体が現れた。
「やった! 元の世界よ、たぶん。あ、あそこにいるの、お父さんじゃない?」
「父さん!」
球体が映したのはあの日のままの双子だった。
「椿! 大和! お前達いったい」
「父さん、あの日からどれだけ経っている?」
「二十年だ。なのにお前達は変っていない」
「時間がないから、手早く説明するわ。お父さん、わたし達、今お母さんの故郷にいるの。お父さん、お母さんが異世界の人間だって知ってた?」
椿が先手を打って事情説明を始めた。この子は昔から賢かった。
「ああ、知っていた」
「こっちの世界では三ヶ月しか経ってないのよ。お母さんも同じ。こっちでは六ヶ月前に行方不明になったの。時間の流れがまったく違うのよ。浦島太郎みたいに」
それでかと武蔵は思った。迎えは来たのだ二十年も経って。
「わたし達はお母さんを呼び戻そうとした魔法でこっちに呼ばれちゃったの。こっちの世界には欠かすことのできない巫女だし、王様の直系ってことで、帰してもらえないんだって。そっちでもそんなに経っているんじゃ今さら帰っても誰もわたし達だって信じてもらえそうもないわ」
「今は魔法で無理矢理繋いでいるが、長く持たないそうだ」
魔法が普通にある世界なのだろう。百合もそう言っていた。妻は正しかったのだ。
「お父さんにこれだけは言いたかったの。わたし達、元気よ。こっちでやっていけるわ。それから、ごめんなさい。一緒に暮らしていけなくて」
「すまない、父さん」
「つかぬ事を聞くが、こっちのものはそっちに送れないのか?」
「え? どうなの?──空間が繋がっているうちなら、光ってる円の中におけば転送可能だって。後二十分くらい。お父さん、こっちに来る?」
「いや、わしの居所はそこにはないだろう。待ってなさい」
武蔵は道場を出てかき集められるだけかき集めたものを抱えてとってかえした。まだ光っている円の中に抱えてきたものをどんどんといれる。
「これを持って行きなさい。お前ならうまく活用できるだろう」
「お父さん、ごめんなさい。さようなら」
「元気で──父さん」
「お前達も元気でな」
ひときわ円が輝いて──消えた。そこにのせた品物もない。
「行ったか」
三ヶ月が二十年なのだという。ならば約八十倍の速さでこちらの時間は流れていく。
もう会えないだろう我が子のことを思い、武蔵は天を仰いだ。
「おとおさん……」
しくしくと椿が父武蔵が送ってくれたものを抱きしめて泣いていた。大和も無言で涙を流す。
「大丈夫ですか?」
「見て、ナリスさん。これお父さんから」
「なんですか?」
「味噌と醤油とみりんとお米と出汁のもとと鰹節に昆布、米麹に種籾と大豆~その種も」
ああ、父の愛。
「えっと、確か異国の調味料?」
こくりと椿が頷く。
「種籾があればお米の栽培もできるし、大豆だって増やせるわ。それに米麹があれば、日本の調味料は大体作れるのよ」
子供の特性を知り尽くした贈り物といえよう。さすが父親。
「兄さん、和食が作れるわ」
こくりと大和が頷いた。
「お米も作れるのよ~。気候の向いたところでなら栽培できるわよ、きっと。もらった領地で試してみましょう。大豆も増やして──いつか醤油や味噌が普通に食べられるようになるわ。なんなら日本酒も造っちゃいましょうか?」
キラキラと椿が瞳を輝かせた。
「日本酒とはなんだ?」
酒という言葉に反応したのはディアボロである。
「清酒ともいうわ。このお米から作るお酒よ」
「もう事業を起こす必要はないはずだが……」
王族であることが証明された椿と大和はファルガ国王が改めて孫であることを公式に発表し、大和は皇太孫に椿は当代の巫女姫と認められている。ゆえに生活費は国庫から出ている。椿が金を稼ぐ必要などない──ないのだが、今まで開発したものでかなりの資産を得ているのだ。
「甘いわ、兄さん。『魔界から世界を救っている国』であっても他国から狙われているのよ。国を守るカードは多ければ多いほどいいの。国が豊かになり技術力が上がれば、さらに守りが固められるわ」
「……お前がやりたいだけだろう」
視線をそらして椿が笑う。
「なに、些細なことだ。異世界の酒であろうと俺は受け入れるぞ! 旨い酒に国境も異世界もあるものか! 旨い酒なら大歓迎だ」
「隊長……」
トルースという伯爵がイデアのリアンガという貴族と内通し陽月祭の式典をぶち壊そうとしたのは公然の秘密である。
表向きは一部の魔人の仕業とされているが、そうではない。そんなことが知れればイデアは各国の非難の的である。封印の綻びという衝撃的な出来事を目の当たりにした各国の王族、使者、貴族は目の色を変えてロディシアを擁護するだろう。ロディシアに対してよからぬことを企んでいた新興国も少なからずあったのだが、アレをみてそんな気も吹っ飛んだようである。
イデアはリアンガを助ける気などまったくなく非公式の使者が来て平謝りに謝り、様々な条約を呑まされやっと自国の関与を隠してもらったのである。
リアンガ、トルースは幽閉中。伯爵家は子爵に降格。跡継ぎが継いだが、他国の侯爵家がどうなったのかは知らない。
ロジニアは愛娘を襲った凶事に泣き喚きしばらく呆然としていた。ランカ姫はナリスの治療魔法もあり回復に向かっているとか。
謎の異国の剣士から皇太孫になってしまった大和はいろんな意味で狙われている。おもに社交界の姫君から。
この世界で生きていくしかないようである。
全てが始まったナリスの研究室。そこで元の世界との別れをした。
椿があたりの兵士に荷物もちをさせていた。
「さあ、行こうか」
この世界の明日へ。