17.今夜は魔猪丼ですね
「な、んだアレ……!?」
俺は呆気にとられて後方に広がるその光景を見つめる。
『ブヒイイイイッッッ』
真っ赤な毛並みをした、魔猪の大群。
若葉色の地面を埋め尽くすほどに大量の赤い魔物たちが、けたたましい鳴き声を上げながら一心不乱に向かってくる。
俺は積荷の合間から顔を出し、前席のヴェインに声を張り上げた。
「ヴェイン! 敵襲だ。後方に盛りのついたレッドボア多数。数は……悪い、ちょっと数えきれん」
「承知しました。マオ様、迎撃を頼めますか?」
「おー、了解」
報告を受けた側のヴェインには特に焦りは見られないが、その隣のオルラマさんはといえば「えぇっ!?」と素っ頓狂な悲鳴を上げている。
「レ、レッドボアだって? 大丈夫なのかお前さんたち。すぐにでも避難を……」
「どっちみち回避は間に合わないですよ。心配なさらず、何とかしておくんで。荷馬車の速度は全員そのままで!」
軽く請け負った俺はとりあえず、荷馬車の屋根の上へとジャンプで飛び上がると、そこから更に、
「よっ、ほいっ」
ピョン、ピョン、と飛び跳ねながら、屋根の上から上を移動していく。
いちばん後ろの荷馬車まで辿り着くのに、ほんの数秒だった。
「猿みたい……」
ヤミが何やら失礼なことを言っているが――まぁ、今はそれよりも迫りくる敵への対処だ。
「ちょ、ちょっと? このままじゃオレたち……死……」
屋根の下、手綱を握る商人たちが不安そうに声を上げている。
それも当然だ。既に三台目の荷馬車と先頭の魔猪の距離とは、ほんの僅か。
あと数十秒――否、数秒もすれば、間違いなく激突する。
荷台に降り立った俺は、そんな彼らに心配するな、という意味で微笑みつつ――
唱えた。
「シールド」
中級無属性魔法【防御壁】。
自分の肉体を中心として、前方にごく僅かな透明な障壁を展開。
相手の物理攻撃のみを弾くことができるが、相手の技量が自分の魔法威力を上回る場合は、障壁は容易く破られてしまう。
本来、【防御壁】はそういう、使い道の限られる魔法なのだが……俺の場合は、そうではない。
――端から端まで。
俺が両の目で認識しうる限りの、すべての領域を。
透明な防御の壁が、どこからともなく生え、どこまでも果てなく延び、悪意を遮断し、対象を守る。
つまり――それが前方から押し寄せる暴力である限り、絶対に届かせない魔法。
ただ純粋な、守るための力だ。
『イイイイイッッ!』
逃げもしない馬鹿な人間たちを呑み込むその瞬間を待ちわびていたのか、まるで嘲笑のようにも聞こえる唸り声を上げていた魔猪の群れ。
しかしその鼻先が、荷馬車に追いつこうとしたその瞬間だ。
バチイイイッッ! と見えない壁に弾かれた魔猪たちが、一斉に宙へと舞い上がる。
『ブ、モ――――っ?』
断末魔さえも、どこか間が抜けていた。
次から次へと、何かの冗談みたいに、嘘みたいに、魔猪は空中を舞い、回転し、そうして墜落していく。
ドガッ! ドガドガッ!
と折り重なるようにして倒れていく魔猪たち。
俺は手で庇を作りつつ、後続の猪たちが回転する、そんな青空を前にのんびりと叫んでみる。
「たーまやー」
……何となく。
ただ、いま目の前で起こった事象を、正しく理解できた者は居ないだろう。
何せ無属性魔法というヤツは、世界に存在する七大元素に含まれない魔法を総称して呼んでいる、極めてイレギュラーな類なのだ。
元は炎・水・風・土・雷・光・闇の七つに数えられる七属性魔法。
そこに異質な無属性魔法を加え、現在は八属性魔法と言い直されている。
魔法というものは本来、成長するにつれて自然と覚えていたり、特定の魔術書を読み修行することで習得したりするものだが……無属性魔法に限ってはこの法則には当てはまらない。
ふと、閃きを得た瞬間に使えるようになる。
かと思えば、何かのタイミングで使用できなくなる。そんな感じで、あまりに異質な魔法のため、口伝も不可能というのだから驚きだ。
また、無属性魔法の特徴は、これといった特徴がないこと。
そして使い手が非常に限られるため、その現象の意味を読み取れる存在さえ限られること。
……まぁ、手っ取り早く言うなら、すごく地味ってことである。
「――な、なんだ今の……!?」
「すげぇ……あんな大量の魔物が空に……」
「お、お前、マオだっけ……お前が何かやったのか?」
というわけで周りの反応は予想通りだった。
彼らの目には、俺が何かを唱えたかと思えば、魔猪の群れが吹っ飛んだように見えた……ただそれだけだろう。
透明な障壁なんて、張った俺自身にしかその大きさは認知できないのは当然だ。それに商人のみんなは魔術師でもないのだ。
「よくわかんねーけど、ちっちゃいくせにやるな!」
停めた荷馬車を降りてきたおじさんが、俺の頭を力任せに撫でてくる。
「ちっちゃい言うな! まぁ……役立てたならいいですけど」
護衛としての役目を果たせたのなら言うことなしだろう。
と自分なりに納得しつつも、俺は倒れた魔猪の群れを振り返る。
坂を登り掛けた途中で吹っ飛ばされた魔物たちは、ピクピクと痙攣している個体もあるが、その全てが地に伏している。
だが、その光景を言いしれぬ不安を感じていた。俺はそれを声に出しかけて――
「今夜は魔猪丼ですね!」
しかし、ヴェインに遮られる。
そんな彼の言葉に、商人たちから歓声が上がった。
+ + +
その数時間後。
俺たちは野営の支度を整えていた。傍には小さな河原もあるので、水には困らない場所だ。
食事の準備を行ったのは、驚くべきか納得すべきかヴェインである。
「私、生産系のスキルもいくつか取得しているので。調理に関してはお任せください」
と胸を張ってみせたヴェインはその宣言通り、俺が魔法鞄に入れて運んできた魔猪を手早く料理してみせた。
ちなみに食事の人数は、俺たち三人と、商人七人を合わせて合計十人。
数十匹の魔猪では多すぎるので、三頭のみを食材として用いることになった。
いただきます、と手を合わせて丼の中身を食べた俺たちは、みんな揃って脱帽していた。
「め、めっちゃ美味ぇ……」
「まさか野宿でここまでの食事を味わえるとは思わなかったぜ」
「なんか故郷の母さんが作ってくれた魔猪丼を思い出すな。ああ、母さん今頃は……グス……」
「美味しい。おかわり。……おかわり!」
そんな感じで騒がしい夕食だった。
実際、クルクの大衆食堂で食べたものより美味しかったかもしれない。
……さすがヴェイン、侮れない。
とれたて魔猪の味に舌鼓を打った後は、明日も早いのではやめに休もう、と意見が一致した。
交代制で野営を務めることになり、ヤミやオルラマさんたちがぐーすか寝始めてから、俺は寝袋の中でゆっくりと目を開いた。
まだ季節は花月の上旬だというのに、隙間から這入ってくる風はどうにも冷たい。
冷たさに押し出されるみたいに、声が出る。
「ヴェイン」
「……マオ様。交代の時間はまだですよ?」
火の様子を見ていたヴェインが振り返り、薄く微笑む。
ぱち、ぱち、と火花が爆ぜる。
なんだかその様子はとても温かそうに見えて、俺はそうっと音を立てないように寝袋から抜け出すと、切り株の上に座るヴェインの隣に腰を下ろした。
夜空を見上げてみる。
魔王城から見る星も、スフの家から見る星も。
そしてこうやって、ヴェインの隣で見上げる星も、並びは違えども、やはり変わらず綺麗だった。
ここはとても、静かだ。
「どうかなさいましたか?」
そう問われ、思わず頬を掻く。やはりお見通しらしい。
「……覚えてるか? あの、スフで遭ったベアラビット」
「ええ――もちろんです」
「俺は十六年、スフに住んでたが……ベアラビットを見かけたことは一度もなかったんだ」
本来は、スフ周辺には凶暴兎のような魔物は棲息していない。
森の中でしょっちゅう精霊を召喚したり、魔法の修行に明け暮れていた俺にはよく分かる。というか、村のすぐ近くにあんな凶暴な魔物が居たら、何人かは平気で殺される。だがここ数年、そんな事故は一度も発生していない。
そして今回の魔猪の襲撃。
……正直、偶然とは思えなかった。
「余計なこと、考えてらっしゃいます?」
「あー……」
そこまでお見通しか……。
やっぱりヴェインはヴェーリなんだなぁ、と当たり前のことを実感しつつ、俺はごにょごにょと口を開いた。
「……もしかしたらコレは、俺の所為なのかもしれない」
「マオ様の所為、とは?」
「タイミングが良すぎるんだ。ベアラビットも、レッドボアも、あるいは俺の記憶が……俺の存在に引き寄せられるような形で、現れたんじゃないかって」
しばらくヴェインは黙った。
火の粉が宙をたびたび舞い、夜の闇へと溶けていく。
「現段階では、まだ何とも言えませんが」
そう前置きした上で、静かな、そして柔らかな声でヴェインは紡いだ。
「だとしても、私は、私個人は――こうしてまた貴方にお逢いできたことを、奇跡のように幸福だと思っていますよ」
「…………」
「それだけを、ただ、願って……今まで、どうにか生きてきました。そしてこれからも。だからこそ……何者が貴方に牙を剥いたとしても、私はその全てを退けてみせましょう。私の命に代えても」
「……代えちゃダメだろ。お前もちゃんと生きてろよ」
「これは言葉の綾、というやつです」
「なんだそれ」
俺たちはひっそりと笑い合う。
ヴェインの言葉は、こっちがびびってしまうくらいいつも真っ直ぐだ。
それを聞くと気恥ずかしいような、こそばゆいような気持ちになるし……同時に確かな安心が、胸の中に広がっていく。
焦燥は、なにも晴れたわけじゃないんだけど。
思い詰めなくてもいいのだと、ヴェインの言葉が俺を支えてくれている。
「………………やっぱりふたり付き合ってる?」
「「!?」」
そして俺たちは直後、ヤミの囁きに飛び上がるほど驚いたのだった。……起きてんなら言えよ!




