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高校中退で引きこもりだった私を、みなとみらいのエリートが急かさず溺愛してくれました  作者: ちょこまろ


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11/11

エピローグ 実家とバイト先しか知らなかった私が、彼の妻になる日

実家とバイト先しか知らなかった二十一歳の優実。


そんな彼女が、佐伯尚哉と出会ってから二年が経ちました。


二十三歳になった彼女の毎日は、あの頃とは少しずつ変わっています。


けれど、尚哉の優しさだけは変わりません。


決して急かさず、彼女の歩幅に合わせて隣を歩いてくれる人。


そして今日、優実は人生で一番幸せな一歩を踏み出します。


二人の物語、最後まで見届けていただけたら嬉しいです。

 あの日から、二年が経った。


 二十三歳になった私は、今もみなとみらいのカフェで働いている。


 変わったことは、たくさんある。


 まず、後輩に仕事を教えられるようになった。

 最初は自分のことで精一杯だったのに、今では新人の子がレジで手を震わせていると、そっと隣に立てるようになった。


「大丈夫。急がなくていいよ」


 そう言うたびに、私は少しだけ昔の自分を思い出す。


 紙カップを落として、泣きそうになっていた私。

 実家とバイト先しか知らなかった私。

 みなとみらいの景色を、自分には関係ないものだと思っていた私。


 変わっていないこともある。


 通勤電車では、今でもマスクをする日が多い。

 人混みが怖い日もある。

 急に昔のことを思い出して、胸が苦しくなる夜もある。


 でも、もうそれを「治っていない」とは思わなくなった。


 怖い日がある。

 それでも、働ける。

 笑える。

 好きな人と手をつなげる。

 行きたい場所を、自分で選べる。


 それだけで、私は前よりずっと遠くまで来た。


 尚哉さんとは、恋人になって二年になる。


 彼は、相変わらず私を急かさない。


 初めて手をつないだ日も。

 初めて彼の部屋に行った日も。

 赤レンガ倉庫の中に入れた日も。


 いつも先に聞いてくれた。


「今日は、ここまでで大丈夫ですか」

「手、つないでもいいですか」

「帰りたくなったら、すぐ帰りましょう」


 恋人なのに、遠慮しすぎだと思ったこともある。

 でも、その遠慮があったから、私は少しずつ安心して甘えられるようになった。


 同棲の話も、結婚の話も、最初から押しつけてくることはなかった。

 けれど、私が言った小さなことは、全部覚えていた。


 水色が好きなこと。

 人が多い場所では、右側を歩く方が落ち着くこと。

 赤レンガ倉庫の中に入るには、少し時間が必要だったこと。

 臨港パークの海風が、私にとって特別なこと。


 ある日、彼の部屋に初めて行った時、キッチンの棚には水色のマグカップが二つ並んでいた。


「勝手に買って、重かったらすみません」

「どうして水色なんですか」

「優実さんが好きだと言っていたので」


 それだけで、私は泣きそうになった。


 高価なものではない。

 でも、私の好きな色を覚えてくれていた。


 尚哉さんの溺愛は、いつもそうだった。


 派手ではない。

 でも、逃げ道を残してくれる。

 覚えていてくれる。

 私が私のままでいられる場所を、静かに用意してくれる。


 小野寺さんは、今では時々カフェに来て、私に普通に挨拶してくれる。

 あの日、勝手に怖がっていたのは私だったのだと、少しずつ思えるようになった。


 それでも、怖かった自分を責めなくていい。


 そう思えるようになったのも、尚哉さんが何度も「怖いままでいい」と言ってくれたからだった。


 その日、カフェのシフトが終わると、尚哉さんが店の前で待っていた。


「お疲れさまです」

「お疲れさまです」


 恋人になって二年経っても、私たちは最初の頃みたいに挨拶をする。

 それが少し照れくさくて、でも好きだった。


「今日は、臨港パークに行きませんか」

「臨港パークですか」

「はい」


 尚哉さんの声が、少しだけ緊張しているように聞こえた。


 私は首を傾げた。


「何かありました?」

「あります」

「え」

「でも、歩きながら話します」


 その真面目な顔に、胸が小さく跳ねた。


 臨港パークまでの道は、もう何度も歩いた。

 最初は怖かった道。

 今でも人が多い日は緊張するけれど、尚哉さんの隣なら歩ける。


 夕暮れの海は、二年前と同じように穏やかだった。

 水面に街の光が映り、遠くで観覧車がゆっくり回っている。


 初めてここへ来た日、私はマスクの下で泣きそうだった。

 高校をやめたこと。

 いじめられたこと。

 マスクがただの感染対策ではなく、外へ出るための鎧だったこと。


 その全部を、ここで話した。


 そして尚哉さんは、私を弱いと言わなかった。


 怖いまま毎朝ここまで来て、怖いまま働いて、怖いまま帰っている。

 それは弱い人にはできない。


 あの言葉は、今も私の中に残っている。


「優実さん」


 海を見ていた私に、尚哉さんが声をかけた。


「はい」


 振り向くと、彼はいつもより真剣な顔をしていた。


「僕は、君を急かさないと決めています」


 いきなりそう言われて、私は瞬きをした。


「はい」

「だから、今日の返事も、今すぐじゃなくていいです」

「返事……?」


 尚哉さんは、少しだけ笑った。

 それから、コートのポケットから小さな箱を取り出した。


 胸が、止まりそうになった。


 箱が開く。

 中には、指輪が入っていた。


「結婚してください」


 海風が、私の頬に触れた。


 あの日、初めてここで海を見た時と同じ風だった。


「君が怖い日も、強い日も、マスクを外せる日も、外せない日も、僕は隣にいたいです」

「尚哉さん……」

「僕の人生の隣を、優実さんの歩幅で歩いてほしい」


 涙が、目の奥に溜まった。


 嬉しい。

 けれど、やっぱり少し怖い。


 結婚。

 家族になること。

 誰かの人生の隣に立つこと。


 高校をやめた時の私は、そんな未来を一度も想像できなかった。


 実家の部屋でカーテンを閉めていた私。

 誰の記憶にも残りたくないと思っていた私。

 マスクをしていないと、駅まで歩けなかった私。


 そんな私が今、みなとみらいの海の前で、好きな人に結婚を申し込まれている。


 私は涙をこらえながら、ゆっくり言った。


「私、まだ不安になる日があります」

「はい」

「人混みも、急に怖くなるかもしれません」

「はい」

「明日も、駅ではマスクをすると思います」

「はい」

「それでも……尚哉さんの隣なら、帰る場所じゃなくて、行きたい場所を増やしていける気がします」


 尚哉さんの目元が、少しだけ揺れた。


 私は、泣きながら笑った。


「結婚、したいです」


 尚哉さんは、しばらく何も言わなかった。

 それから、ようやく息を吐くように笑った。


「……嬉しいです」


 二年前、第十話の夜。

 私が「好きです」と返した時と同じ言い方だった。


 尚哉さんは、私の左手を取った。

 急がず、丁寧に、指輪を薬指へ通してくれた。


 指輪は少し冷たくて、でもすぐに私の体温に馴染んだ。


「優実さん」

「はい」

「これからも、五分ずつでいいです」

「五分ずつ?」

「はい。遠い未来も、まずは五分だけ一緒に歩くところから始めましょう」


 私は笑った。


 この人らしいと思った。


 プロポーズまでしておいて、やっぱり急かさない。

 人生を丸ごと差し出すような言葉のあとで、五分だけと言ってくれる。


「はい」


 私は頷いた。


「五分ずつ、一緒に歩きたいです」


   *


 婚姻届を出したのは、それから少し後のことだった。


 派手な結婚式は、まだ考えていない。

 たくさんの人の前に立つのは、今の私には少し勇気がいる。


 でも、それでいいと尚哉さんは言った。


「式をするかどうかより、優実さんが安心して笑えることの方が大事です」


 その言葉に、私はまた泣きそうになった。


 婚姻届を出した帰り道、私たちは臨港パークへ向かった。

 バッグの中には、今日もマスクが入っている。

 必要なら、いつでもつければいい。


 尚哉さんは、それを一度も急かさなかった。


 マスクを外すことも。

 強くなることも。

 普通に戻ることも。


 ただ、私が歩き出すたびに、隣で同じ速度になってくれた。


 高校をやめた私。

 三年間、部屋から出られなかった私。

 実家とバイト先しか知らなかった私。


 そんな私が今、婚姻届を出した帰り道に、みなとみらいの海を見ている。


 ランドマークタワーも、クイーンズスクエアも、赤レンガ倉庫も、コスモクロック21も、もう「私には関係ない場所」ではなかった。


 全部、私が少しずつ歩いてきた場所だ。


「優実さん」


 尚哉さんが、私の隣で言った。


「はい」


「帰りましょうか」


 帰る。


 その言葉が、初めて怖くなかった。


 帰る場所が、ひとつ増えたから。


 私は、尚哉さんの隣で頷いた。


「はい。帰りましょう、尚哉さん」


 海風が、私の頬を撫でた。


 怖いものが全部消えたわけじゃない。

 でも、怖いままでも歩ける場所がある。

 その隣に、私を急かさず溺愛してくれる人がいる。


 だから私は今日も、この街で息をしている。


 森川優実だった私も。

 佐伯優実になる私も。


 怖いまま、幸せになっていい。


 尚哉さんの隣で、私は明日も五分先の未来へ歩いていく。


 急かされないまま。

 愛されることを、少しずつ信じながら。


― 完 ―

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


高校を中退し、三年間ほとんど家から出られなかった優実。


そんな彼女が、みなとみらいのカフェで尚哉と出会い、少しずつ自分の世界を広げていきました。


この物語で描きたかったのは、誰かに愛されたから急に何もかもができるようになる、という奇跡ではありません。


怖いものが残っていても、幸せになっていい。


できないことがあっても、愛されていい。


そして、自分の歩幅で未来を選んでいい。


そんな想いを込めました。


尚哉は、優実の人生を代わりに歩いてくれる人ではありません。


彼女が自分の足で歩き出すとき、同じ速度で隣を歩いてくれる人です。


最初は、たった五分だけの寄り道でした。


その小さな一歩が、いつしか二人の未来へとつながりました。


これからも優実には、怖くて立ち止まる日があるでしょう。


けれど、もう一人ではありません。


そして何より、彼女自身が、自分の幸せを選べるようになりました。


二人のこれからが、穏やかで温かな毎日でありますように。


優実と尚哉の物語に、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


二人の恋を少しでも気に入っていただけましたら、評価やご感想をいただけると嬉しいです。


皆さまの心にも、優しい海風が届きますように。

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