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ビバ小野川、振り向けばXXX

湯に、右足をそろりとつけ。

その熱さにやや躊躇しながらも、一気に身を滑り込ませていく。

ざぶん。

体中の毛穴が開いて、粟立つみたいな感覚。熱が皮膚の上を駆け抜けていく。

一気に。血液が巡る。自然と息が漏れる。体が…

「溶けてく……」

思わず天井を見上げた。高い。湯船の光が反射してゆらゆらと動いてる。

湯からはほのかな硫黄の香り。ほう、と息を吐きその香りを存分に吸いこむ。

「これこれ、このお湯……含硫黄ナトリウムカルシウム塩化物泉…&含ラジウム。疲れが抜ける名湯だっ」

誰もいないのをいいことに、大きな独り言をつぶやいてしまった。

 私は今、温泉に来ている。そう。

「来たよ、小野川おんせーん!!!」


私はそそくさと身支度をすませ共同浴場を出た。

脱衣所に地元の方がいたことに気づかなかった……恥ずかしすぎる。

 だけど、久々の温泉旅というこのテンションの前に、立ちふさがるものはいない。

私の名前は幸が生まれると書いてさちう。年齢27歳。むしょく。。今いるのはY県Y市小野川。コンパクトにまとまった、小さくかわいい、素朴な温泉町。だがその湯はかわいいでは済まされない力に満ちたお湯である。一気に心身に染み渡るエネルギー、滞った気がすかっと抜けていくような……ほんとにいい……ビール飲みたい……

 つい熱弁してしまった。

ちょっとしか入ってないのにここ数日もやってたものが疲れと一緒に飛んでったみたいだ。

頭もすっきり、発汗も適度に気持ちよく、川沿いを抜けていく風がほてった体を冷やしてくれる。

豆乳ソフトクリームを食べたらそこかしこにある足湯で休憩だ。

 風薫る五月。草木も萌える新緑眼にも清かな絶好の日和。GWも終わった平日の昼前、行きかう人もあまりいない。その代わり燕がひっきりなしに居並ぶ旅館の軒先を飛び交い、時折声を交わしてる。地元のおじさんが猫に話しかけてる。なんてのどかなんだ。

「カジカの鳴き声だ」

昼に鳴くこともあるんだ。

ふぃー、ふぃーと笛のような、転がるような音色のカジカガエルの声。川のせせらぎとも相まって、体の中を水が流れていくような清涼感を味わえる。

このカエルは水がきれいなところにしかいない。そういえばこの辺りは、蛍も有名なんだった。

小野小町も見たのかな。この地の由来となる平安歌人をふと思う。小野小町を模したキャラクターののぼりが風にはためいていたのを思い出す。

たしか温泉神社?お堂みたいだったな。

温泉街の広場の裏にある、細い石段の続く道が気になってた。向かうことにする。

「?」

 顔を上げた先に光が瞬いたような気がして私は眼を見開いた。違う。その何かの動きを目で追うと、それは黒い一羽の蝶だった。それもつかの間、蝶はすう、と石段の上に吸い込まれるように消えていった。

見間違い?

上った先には木造の、小さなお堂があった。お薬師さまだった。旅館や建物に囲まれた中で、板塀で区切られた立地だけど、大きな木や石碑もある。蝶はどうやらいなかった。気を取り直してお参りすることにした。

お堂なので鰐口をつく。ぽーん、というような少し内に籠る音がする。ふと格子の内側の何かと目が合った。

大小さまざまの、無数の目。一瞬ぎょっとする。

 ああ、こけしか。

格子越しではあるけれど、なかなかの圧巻、小さなご本尊の左右には、設えられた数段にこけし、こけし、こけし!100体どころじゃないかも。一瞬供養?の類かと思ったけど、子供の成長を祈願して奉納するものらしい。叶えば一体増やして奉納する。だからこんなに増えたんだ。感謝がこのお堂に詰まっている。明るい光もさしている。怖いものではないのだ。そう、ないのだ……。

 眼をそらし気味に自分に言い聞かせて、お参りをすませた。その後ラーメンを食べて投宿しまた温泉を浴びこの地のクラフトビールと日本酒を飲んだらすっかり忘れてしまった。怖いことなどない。そう思っていたのだ、その時は。


 温泉街にガス灯がともるささやかな夜景。名残惜しくそっと障子を引き、消灯する。カジカが鳴いている。

いいな。

 布団に入り天井を見上げる。あっという間だけど、すっごくリラックスできた……寝る前にもう一回温泉、と思ったけど、このまま寝てしまおう。なんだか本当に脳みそがとろけてるような、体も空間と一体化してるような、これは多幸感。間違いない、このまま眠りにつけばきっと幸せ。

私は薄れゆく意識の中で、眠りにつく一瞬のまにまに、ふと、少しだけ薄目を開けた。

それが間違いだった。

眠気は一瞬にして消えた。絶叫した。

目の前に浮かんでいたのは、

こけし……そう、薄目で微笑む一体のこけしだったのだ。


「は!」

飛び起きたら朝だった。気絶していた?いや、爆睡していたのだ。きっとそうだ。

障子越しにも眩しい朝日。今日も晴天だ。

「夢で良かったな~!」のびっ。

朝風呂を浴びる。しみしみと熱い湯が、成分が、余すことなく染み渡っていく。

「は~ごはん楽しみだなーっ」

部屋に入る。入った。そして見た。

「ぎゃーーーーーーーーーっ!!!!」

卓の上に立っていた。こけしが。

人生で初めて腰を抜かしたかもしれない。

「え、え、なに、これ、ちょっと、マジで」指をさして叫んだ。

木製のこけしだ、よく見る普通の。十数センチくらいの……。

「夢ではないぞよ」

喋った!

テレビ?点いてない。

誰か入った?

「誰もいない。わっちとぬし以外にはだれもな」

 聴こえてる!

「は!きっと喋る仕様のハイテクなこけしかなんかで」

無我夢中で這ってこけしを手に取り、スイッチを探した。「ない、ないっ」

「痛、いたたた。これ、そのようにむさじるでない」

「喋ってるー!やっぱり喋ってる!もー嫌だ」

 民俗学サークルに入っててオカルトも嫌いじゃないけど、それはノー霊感だからこその強みなのだ。

本当に体験してしまったら、のほほんと楽しめなくなるでしょうよ。どうしてくれる。

「いいかげんに受け入れよ。ぬしに喋っておる」

 喉元に刃物を押し当てられたように、ひんやりとしたものを感じた。

これは、現実なんだ。

「あ、あなたは、いったい?」

「名はない。だが」

こけしの声が凛と響いた。今気づいたけど、少女のような声だ。

「座敷童と、呼ぶものもいる」

こけしでしょうよ?!私は心中でツッコミを入れた。

「これは仮の姿よ」なぜかこけしは勝ち誇った。

もう聴こえてようがいまいがどうでもよくなってきた。

「しかたない、今見せよう」ぺかーーと、ほんとにぺかーーとしか表現できないような作り物じみた黄色い光がこけしの周囲を包んだ。

「ええ?」光がこけしを中心に膨れ上がり、繭のように膨張し……まさに、裂けた。

裂けた繭の中には。

赤い振袖に身を包み。手を懐手のように両袖の中に入れ。真白い顔に切りそろえたおかっぱの黒髪。ほんのり紅をさした姿の、小さい女の子……なのに、まるで西洋人形みたいに大きな目を長いまつげで縁どった……こけしサイズの、女の子!

 その現実離れした光景にあんぐりと口を開けるしかない。

しかしそれは唐突にかき消された。

「切れた」

「は?!」電池でも切れたのか?

ごろり、こけしが卓上に転がった。「しばし寝る」


その後、私はひたすら食い、飲み、温泉に入り連泊の二日目を現実逃避の内に過ごしたが、夕方またこけしが喋り出し、しばしの安息の時はついえたのだった。

次話更新まで少しお時間いただきます。

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