ある一日の風景①
深い森の奥、木々が密集して陽光をほとんど遮る静かな場所に、小さな隠れ家はひっそりと建っていた。
周囲は古い樫の木と蔦に覆われ、まるで自然に溶け込むように設計された二階建ての石造りの家だ。外壁は苔むし、屋根には落ち葉が積もり、遠目には廃墟のように見えるが、内部はルーカスの魔術によってしっかりと防護されている。近くには小さな川が流れ、水音が絶えず響き、朝霧が木々の間に漂う幻想的な光景が広がっていた。
そんな隠れ家の二階の寝室では、朝の光がカーテンの隙間から細い筋になって差し込んでいる。
しかし部屋の中はまだ薄暗く、静かだった。
「ルーカスさん、起きてください。もう9時ですよ」
エレノア・レインは白いエプロンを付け、完璧に整えた朝食のトレイを持ってベッドの横に立っていた。 トレイの上ではスープがすっかり冷めてしまい、トーストも湿気を帯び始めている。
「……んー……あと三時間……」
ルーカスは布団を頭まで被って、寝言のように呟いた。
エレノアの頰がピクッと引きつった。
「ルーカスさん。朝食がとっくに冷めてます。さっさと起きてください」
「起さないでくれ……今日は研究休み……引きこもりデー……」
その瞬間、エレノアの左胸に刻まれた聖痕が淡く光る。
「……っ」
エレノアの身体が小さく震え、トレイを持つ手がわずかに揺れた。 ルーカスの寝言が「明確な命令」として認識され、隷属魔術が反応したのだ。
エレノアは唇を軽く噛み、顔を少し赤らめながら耐えた。
「……へ、へっぽこ主人……ではなく、ルーカスさん……! 本当に……本当に、いつまで寝ているつもりですか……!?」
しかしルーカスは完全に寝ぼけていて、さらに寝言を重ねた。
「うるせー……ほっといてくれ……」
聖痕が再び光る。
「……んっ」
エレノアの膝が少しだけ折れ、息が一瞬乱れた。 痛みと同時に、抑えきれない甘い感覚が胸の奥に広がる。 彼女は羞恥を堪えながら、声を抑えて言った。
「……もう、限界です……!」
エレノアはキレた。
「この怠惰なへっぽこ主人……! 少しは反省なさい!!」
彼女は右手を振り上げ、黒魔術を一気に発動させた。
『爆炎よ、我が手に集い周囲を滅せよ——《インフェルノ・バースト》!!』
ドゴォォォォォォォン!!!!
部屋の中央で大規模な爆発が巻き起こる!
炎の柱が天井まで突き抜け、衝撃波が窓ガラスを全て粉々に吹き飛ばす。 ベッドは木っ端微塵になり、ルーカスの研究ノートや魔術書が空中に舞い上がった。
「うぁーーー!!???」
ルーカスは頭から煙を上げ、全身を黒焦げにしながら叫んだ。 パジャマはボロボロになり、髪の毛は逆立ち、顔は煤で真っ黒だ。
エレノアは壁に寄りかかり、左胸を軽く押さえていた。 聖痕が熱を持ち、痛みと微かな快楽が混じり合って身体を小さく震わせている。 顔は赤く、息が少し乱れていたが、自制心で何とか立っている。
「……っ、はぁ…… ルーカスさん……本当に……本当に……! もう少し……真面目に生きてください……!」
ルーカスは半泣きで部屋を見回した。
「朝から何やってんだよこのバカ奴隷……! 寝室に中級黒魔術ぶつけるってなにしてんの!?!?人を起こすどころか永眠させる気か、なあ!?」
エレノアは聖痕の疼きを堪えながら、震える声で答えた。
「……自業自得です。 ……反省なさい」
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爆発の余波で2階の寝室は黒焦げになり、煙が階段を伝って1階まで降りてきていた。
エレノアはため息をつきながら、かろうじて無事だった朝食のトレイを持ってルーカスを促した。
「ルーカスさん、1階の食堂に来てください。冷めていますが、せめて食べましょう」
ルーカスは全身黒焦げのまま、半泣きで階段を降りてきた。
1階の食堂は、森の木漏れ日が大きな窓から差し込む、比較的落ち着いた空間だった。木製の大きなテーブルと椅子が置かれ、壁際にはルーカスの魔術書や実験器具が雑然と並んでいる。 しかし今朝は、爆発の衝撃でテーブルに薄く埃と煤が積もり、いつもより荒れた雰囲気になっていた。
エレノアはトレイをテーブルに置き、冷めきった朝食を並べた。 スープは完全に冷え、表面に薄い膜が張り、コーヒーもすっかり冷めていた。
ルーカスは椅子にどっかりと座り、冷めたスープをスプーンでかき回した。
「……冷めてるじゃねーか」
「当然です。あなたがいつまでも起きないからです。貴方のせいで同じものを食べなければならない私の立場にもなってください」
エレノアは向かいの席に腰を下ろし、腕を組んでルーカスを睨みつけた。 彼女の頰はまだわずかに赤く、聖痕の疼きが残っているようだった。
ルーカス・クロウは22歳の男性魔術師。元勇者パーティの魔術担当で、既存の魔術を弄って新しい魔術を開発するのが趣味の、極度の引きこもり志向の男だ。 魔王討伐後に死んだふりをして自由を謳歌しようとしたが、魔王の最期の頼みでエレノアに隷属魔術をかけた結果、現在はこの森の隠れ家で不本意な同居生活を送っている。
一方、エレノア・レインは魔王の実の娘であり、元魔族四天王の魔導士。サキュバスと魔王のハーフでありながら、極めて真面目で几帳面な委員長気質の女性だ。 隷属魔術によりルーカスに縛られているが、内心では彼の魔術的な才能を認めつつ、日々の怠惰さとズボラな生活態度に頭を痛めている。
ルーカスは冷めたスープを渋々口に運び、顔をしかめた。
「うわ、冷えててまずい……」
「文句を言う前に、まずは食事の恵みに感謝の言葉をどうぞ」
エレノアはため息をつきながら、自分の分も冷めたトーストを手に取った。
ルーカスはトーストを齧りながら、深いため息をついた。
「……ったく、今日も平和な朝じゃねえな」
それにエレノアは静かに答えた。
「誰のせいですが、誰の」
こうして、二人の奇妙で不毛な共同生活の一日が、冷めた朝食とともに今日も始まった。




