十九話 飛んで火に入った夏の虫は、火中の栗を投げ付ける
そこはショッピングモールから徒歩で三十分ほど──先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った、若干寂れた住宅街の外れにあった。
けっこう歩かされたあとに目の前にあったもの……それは生活感がまったくないと言っても差し支えないほど荒れた住居だった。
というか、どう見ても空き家だった。
「えへへ~。びっくりしたでしょ~?」
どう反応していいかわからず、空き家の前でただ立ち尽くしていた俺に、姫奈は悪戯が成功した幼子のように表情を崩した。
「ここ、ヒメのお気に入りの場所なんだ~。男の子って、こういう秘密基地みたいなところ、好きなんでしょ~?」
「一般的にはそうかもしれんが、少なくとも俺は興味ないぞ」
昔からインドア派だったし。
「それよりもあんた、たとえ空き家でも、関係者以外の者が勝手に出入りしたら捕まりかねんぞ。住居不法侵入罪でな」
「ここ、ヒメのおじいちゃんが昔住んでいたところだから大丈夫だよ~。たまに使わせてもらっているんだ~」
言いながら、いつの間にか手に持っていた鍵を使って、空き家のドアを開ける姫奈。
「はい。これでヒメが関係者だってわかってくれたでしょ~? こうして鍵も持っているし~」
「……みたいだな」
どうしてこんな空き家にわざわざ出入りしているのか、という疑問までは拭えないが。
「それよりもほら、早く入って~。見た目は汚いけど、中はそんなに汚れてないから~」
「中に? なんで?」
「んも~。そんなこと、女の子に言わせる気~?」
なぜか照れたように頬を両手で覆う姫奈。いや、意味がわからん。
「中に入ればすぐにわかるから~。きっとすごく良い思い出になると思うよ~」
ほらほら、と急かしてくる姫奈に、俺は溜め息を吐きつつ言われた通りに玄関へ入る。どうせ拒否しても聞きやしないだろうし、ここで押し問答をして時間を無駄にするくらいなら、さっさと中に入った方が話も早い。
それに、どうやらここが今日の分水嶺になりそうだしな。
俺にとっても、こいつにとっても。
そして、どうせ今も付いて来ているであろう光守たちにとっても。
それはさておき、実際玄関先から中の様子を覗いてみると、姫奈の言っていた通り、そこまで汚れてはいなかった。
いや、もちろん埃などは所々散見できるし、いつも土足で上がっているのか、廊下には靴跡が付いていたりもするが、壁や床が朽ちているわけではないし、空き家にありがちなゴミや窓ガラスの破片がそこら中に散らばっているわけでもない。雨宿りする程度であれば、案外普通に過ごせるレベルだとは思う。
「影山くん、先に居間の方に行ってくれる~? 一番奥のドアがそうだから~」
「あんたはどうするんだ?」
「ここ、開けるのは簡単だけど、閉める時は立て付けが悪くて大変なんだよ~」
あとでヒメも行くから~、とドアノブを握りながら言う姫奈に、俺は無言で頷いて土足のまま廊下に上がる。
そうして指示通りに奥へと向かい、ドアを開けた。
「はい、お疲れ~。ここまでご苦労さん」
そいつは、脈絡もなく俺に話しかけてきた。
薄暗い中、目の前のソファーでふんぞり返っていたその大男は、金色に染めた短髪を撫でながら、ニヤリと口端を歪めた。
「ようこそ、オレの城へ。ちょっと汚いが、隠れ家としては悪くないだろ?」
足を組み換えながら依然として下卑た笑みを浮かべる大男。見た目は二十代前半くらいで、筋骨隆々とした体躯や、あちこちに彫ってある刺青や全体的に派手な色合いの服装からして、素行が悪そうなのは目に見えて明らかだった。
そんなヤンキーじみた大男がこんな空き家にいるというこの状況。
これが一体どんな事実を指しているのかなんて、もはや言うまでもないだろう。
「で、だ。影山くん……影山くんで合っているよなぁ?」
「……………………」
「おい。黙ってないでなんとか言えよ。しばくぞボケ」
メンチを切って来る大男に、俺は肩を竦めながら口を開く。
「……それで合ってる」
「そうかそうか。てっきり姫奈から聞いていた話と違っていたのかと思ったぜ。これからお金をもらう奴の名前を間違えるわけにはいかないしなぁ」
やっぱり、そういうことか。
つまり、こいつ……否。こいつらは──
「んもー。あっさりバラさないでよ。ヒメが先にネタばらしするつもりだったのにぃ」
と。
俺の背後から居間に入ってきた姫奈が、さも当然とばかりに大男の横に座って、その太い腕に抱き付いた。
「あーあ。ヒメも影山くんの驚く顔を直接見たかったのにな~。カズがヒメの楽しみを奪うから~」
「悪かったってヒメ。こういうのは昔から苦手なんだよ。お詫びにあとでたっぷり可愛いがってやっから、それで許せって」
などと耳元で言う大男──もといカズという名の不良に対し、姫奈は顔を赤らめながら身をよじらせて、
「もうカズったら。人前でそんなこと言われたら恥ずかしいでしょー」
「いいじゃん。聞かせてやりゃあ。だいたい、これより恥ずかしいことなんて、今までもさんざんしてきただろ? たとえば、先週のアレとか……」
「もう。だからダメだってば。ほんと、カズってエッチなんだからぁ」
姫奈に指で小突かれながら、ゲラゲラと下品な笑い声を上げるカズ。
「おっと。つい影山くんのことを放置しちまったぜ」
ひとしきり笑ったあと、カズは俺に向き直って言った。
「それでよぉ、影山くん。俺らを見て、なんか言いたいことはあるか?」
「大変仲が睦まじいようで、実に微笑ましいかぎりだよ」
俺の返答に、カズは興味深そうに「ほー」と目を眇めた。
「この状況でよくそんな軽口が叩けるな。普通なら好きな女に別の男がいるとわかってブチ切れるか、落胆するかのどっちなのによー」
「もしかして影山くん、ショックすぎてまともなリアクションもできないとか? そんなにヒメのことが好きだったんだ~。でもごめんね? ヒメにはカズっていう心に決めた人がいるから♪」
「そういうこと。つまりお前は、人の女を勝手に取ろうとしていたってわけだ」
そこまで言って、カズは組んでいた足を床に下ろし、値踏みするように俺を睨み上げた。
「で、影山くんよぉ。どうやってこの落とし前を付けるつもりだ? まさか謝って済むとか思ってねぇだろうな?」
「カズってば怖い~。でも、そういうところも好き☆」
「おいおい、照れるだろ~。まったく、姫奈は可愛い奴だな~」
なんて、じゃれ付く姫奈の頭を撫でながら上機嫌に言うカズ。今しがた、俺を睨み付けていたとは思えないくらい、目許をだらしなく緩めながら。
「あ。一応言っておくけど、別にヒメ、影山くんと付き合いたいなんて一言も口にしてないからね? 影山くんが勝手にヒメを好きになって、ここまで付いて来ただけだから。つまりヒメはなんにも悪くないから、そこのところ、誤解しないでね?」
以前の間延びした口調なんて最初からなかったと言わんばかりに滔々と語る姫奈に、カズはニヤニヤと卑しく口角を吊り上げる。
「だってよ。まあ姫奈は前から思わせぶりなところがあったからなあ。しかも可愛いし、勘違いするのも無理はねぇ。だがそれはそれ、これはこれだ。さっきも言ったが、きっちり落とし前は付けねーとなあ。人の彼女を取ろうとしておいて詫びもないなんて、いくらなんでも道理が通らないだろ?」
「なるほど。もっともな意見だ」
「だろ? まあ、オレもそこまで心の狭い奴じゃねえ。慰謝料として五万ほど払ってもらえれば、今回は見逃して……」
「──が、俺には全然関係のない話だな」
俺の返答に、姫奈もカズも揃って意表を突かれたように口を大きく開けた。
そんなあっけに取られている二人に対し、俺は毅然と言い放つ。
「そいつが美人局だってことは、最初から気付いていた」
「つ、つつもた……?」
言葉の意味がわからないとばかりに訊き返す姫奈……否。こんな奴、ゴミ女で十分か。
そんなゴミ女に向かってこれ見よがしに肩を竦めながら、俺は説明する。
「恐喝まがいの詐欺行為を働く女のことだ。つまり、お前みたいな女のことだな」
「あ? なんだてめぇ。急にイキりやがってよぉ」
思っていた反応と違って勘にでも障ったのか、カズ──いや、こいつもクズでいいな。響きもそっくりだし──改めてクズは腰を浮かせて俺に肉薄してきた。
「デタラメ言ってんじゃねぇぞ、このホラ吹きが」
「デタラメじゃない。でなきゃ、こんな空き家に好き好んで入るわけがないだろ」
「だ、だからそれはヒメに誘われたからでしょ? ここでヒメとエッチなことができると思って……」
「その時点でまずおかしいだろ。この間会ったばかりの男にあっさり体を許すなんて、普通に考えてめちゃくちゃ怪しいわ。まして、お前みたいなギャルが俺みたいな根暗に媚を売るなんて、絶対裏があると思うのが自然だろ」
マンガやアニメじゃないんだからな。
そこまで言った俺に、ゴミ女は露骨に顔をしかめて「オタクっぽい見た目のくせに」と舌打ちした。
「だったら、どうして今日一日ヒメに付き合ったわけ? 最初からヒメを疑っていたのなら、わざわざこうして誘いに乗る必要なんてなかったはずでしょ?」
「こっちにも色々事情があってな。だから渋々お前らの遊びに付き合ってやったんだよ」
「ああ? あんま調子に乗んなよ? しまいには殺すぞ?」
怒りが臨界点に近付きつつあるのか、俺の胸倉を掴んで凄むクズ。
そんなクズに、俺は「へっ」と鼻で笑って、
「忠告しておくが、ここで殴らない方が身のためだぞ」
「あん?」
「今まで言わなかったが、実は朝からずっと俺たちのことを尾行していた奴らがいてな。今ここで暴力を振るったら、そいつらに通報されかねないぞ?」
胸倉を捕まれながらも、横手にある薄汚れた窓へ目を向ける俺に対し、クズは少し驚いたように、あるのかないのかよくわからない細眉を上げた。
そして不意に俺の胸倉から手を離したあと、クズは自分の口許へと手をやって「くく」と不気味な笑いをこぼした。
「くくく。尾行……尾行か。それがお前の切り札ってわけか?」
「……? だとしたらなんだ?」
「ほー。だったら良いものを見せてやるよ」
そう言って、趣味の悪い花柄のジャケットからおもむろにスマホを取り出すクズ。
それからどこかに電話をかけたかと思えば、唐突に俺の横を通り過ぎたあと、居間のドアを開けてこっちを振り返った。
「それって、こいつらのことか?」
まるで示し合わせたように、クズの問いかけと同時に開かれる玄関のドア。
そこには──
「カズく~ん。言われた通り、連れてきたぜ~」
「大漁大漁~。しかもこんな可愛い子が三人もとか、マジ興奮するわ~」
「それな。カズくんに付いて来てほんとによかったわ~」
へらへらと笑いながら玄関に上がる男三人組──その腕の中には、光守、水連寺、大空がそれぞれ一人ずつ拘束されていた。
「影山……」
「影山くん……」
俺の顔を見て、光守と水連寺が憔悴しきった表情で弱々しく呟く。
服装は乱れていないところを見るに、暴力を振るわれたというわけではないようだが、おそらく男たちから逃げようとして全力で抵抗した末に、あえなく捕まってしまったと言ったところか。
しかし腑に落ちない。光守と水連寺はともかく、大空は武術を習っているはずだ。そんな大空が簡単に捕まるはずがないと思うのだが……。
という俺の視線に気付いたのか、大空は悔しそうに歯噛みしながらこっちを見て、
「自分が追い払う前に、光守先輩と水連寺先輩が人質に取られてしまったんスよ。だから自分もおとなしく捕まるしかなくて……」
「そーゆーこと。いやー、まさかこんな可愛い子たちをゲットできるなんて、カズくんに言われた通りにここまで来てよかったわ~」
大空の肩を抱きながら、ニヤニヤとチェシャ猫じみた笑みを浮かべる赤髪の男。片側の空いている手にはナイフが握られており、逃げようとしたら刺すと言外に見せびらかしていた。
「実を言うと、ウラランたちの尾行ならとっくに気が付いてたんだよね~」
と、それまでソファーに座りながら俺たちの成行きを静観していたゴミ女が、悠然と立ち上がってクズの横に寄り添った。
「だから影山くんをここに連れ込むついでにカズに連絡して、ああして捕まえてもらったの。ちょうどいい余興になるかなって思ってー」
「がははっ。可愛い見た目に反して、なかなかえげつないことを思い付きやがるぜ。まあ、そこがお前の良いところなんだけどなー」
ゴミ女の肩を慣れた手つきで抱き寄せながら、クズが高らかに笑う。
「で、影山くんよぉ。これでお前の切り札も封じられてしまったわけだが、今どんな気持ちだ? 唯一の助かる道がなくなってしまった気分はよぉ?」
「………………………………」
挑発するような口調でゴミ女と共に詰め寄ってくるクズに、俺は黙って見据え返す。
「おいおい、だんまりか? さっきまでの威勢はどうしたよ?」
「きっとカズのことが怖くてなにも言えなくなっちゃっているんだよー。ウラランたちが捕まる前はあんなに強気だったのにね。あはっ。可笑しい~」
「どうして……どうしてなの、姫奈ちゃん……?」
と。
俺を嘲るゴミ女に対し、長髪の男の腕に拘束されながら、光守が悲愴な表情で訊ねる。
「カラオケで会った時、すごく楽しそうにお喋りしていたじゃない。LINEだって交換して、今日のデートだってウチに相談してくれたのに、どうして……?」
「あー、あれ?」
光守の切実な問いかけに、ゴミ女はクズに寄り添ったまま軽々に答える。
「ウララン、会ったばかりの人間をあっさり信用しすぎ~。あんなの、金づるになりそうな男をゲットするための演技以外になにがあるって言うのー?」
「演技って……じゃあ紗雪は? 紗雪はウチたちと知り合う前からずっと仲良しだったんでしょ? このこと、紗雪は知っているの? いや紗雪だけじゃなくて、こんなことをして周りの人が悲しむとは思わなかったの……?」
「サユ? あー、サユねー。確かにサユとは仲良しだけど、別にお互いのプライベートに口出しするほど深い関係ってわけじゃないしー。だいたい、友達でもないウラランにそんなことを言われる筋合いないんですけれどー?」
「そんな……」
けらけらと心底可笑しそうに嘲笑するゴミ女に、光守は涙目で項垂れた。相当ショックがでかかったらしい。
まあ少なくとも光守はゴミ女を友達と思っていたようだし、無理からぬ話ではあるが。
「あれー? ウララン、泣いちゃったの? マジでウケる~」
「ひどい……ひどいよ、姫奈ちゃん」
と、坊主頭の男に両肩を掴まれながら、水連寺は悲痛に訴える。
「麗華ちゃんは本当に姫奈ちゃんのことを友達だって思っていたのに……。今日だって、影山くんと姫奈ちゃんのデートをすごく応援していたのに……」
「やだー。モエモエも泣いちゃったの~? 可愛い~。もっと泣いてみて~?」
「あははははは! ほんと姫奈は鬼だな~。でも最高!」
まるでパーティーでもやっているかのように盛り上がるゴミ女とクズ。実際こいつらにしてみれば、パーティーでもしていているかのような気分なのだろう。
中学生時代、俺に嘘の彼女を作らせて心底バカにしていたクソどものように。
「でもさカズくん。おれら、こんなことして本当に大丈夫? あとでこいつらに通報されたら色々やばくね?」
長髪の男からの当然とも言える質問に、クズは「ばーか」と一笑に付して、
「そんなもの、通報できないようにしてやればいいだけだろうが。そこの女どもの身ぐるみを剥いで、恥ずかしい写真を撮るとかな。そうすりゃ、反抗する気なんて失せるだろ」
「マジで? そこまでやっちゃっていいの?」
「カズくん、マジ天才!」
「で、そのあとはこっちの自由にしちゃっていいわけ?」
「ああ。犯すなりなんなり好きにしろ」
カズの言葉に『やりぃ!』と狂喜する野郎三人組。そんな浮足立つ野郎どもに、それまでさめざめと泣くだけだった光守と水連寺がビクっと怯えるように肩を跳ねさせた。
一方の大空は、赤髪に腕を拘束されながらも、機を狙うように双眸を尖らせていた。隙あらばこいつらを撃退するつもりでいるのかもしれないが、光守と水連寺という人質もいる上で、男四人を相手にするのはさすがに現実的ではない。ましてクズは野郎どもに一目置かれている。おそらくこの中で一番腕が立つと考えて間違いないだろう。
仮に俺という戦力を増やしたところで、それでも四対二。大空と違って俺は武道経験者というわけでもなければ、ケンカ慣れしているわけでもない。力で解決できるような状況でないのは火を見るよりも明らかだ。
──そう、力だけならば。




