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文字の雨が降る国で少女は字鎮魂の祈りを捧げる(物理)

 ああああああああああ


 ぽろぽろと「あ」の雨が降ってくる。今日もまた、誰かが何かのテスト送信をしたようだ。土砂降りじゃないだけマシ。と思いながら雨傘を叩く「あ」の音を聞きながら帰路を急ぐ。地面に落ちた「あ」がガラスの割れるような音を立てながら砕けて散っていく。


「あら、おかえり。ユイナ」

 滑らかな角の無い石畳を歩いていると声を掛けられ、立ち止まる。傘を少し上げれば白い腰の高さの柵の向こう側、玄関ポーチに立っている小母さんの姿。片手に水色の子供の持つじょうろを持っている。


「おばさん、こんにちは。ただいま。今日は土砂降りの雨になりそうなんですって。だから早めに帰ってきたの」

「おや、またかい? この雨はにわか雨だと思ってたんだけれど」

「最近の天気変だと思うんだけれど」

「そうだねぇ。このまま何事も無けりゃいいんだけどね。ユイナ、早くおうちにお帰り」

「ありがとう。しばらくはまた家から出れなさそう」

「また、晴れた日にね。気をつけるんだよ」

「おばさんもね」


 手を振り、ユイナは道を歩き出す。右手を見れば黒色の荒れた海の姿が見える。雲が切れて細い光の筋を荒れた海へと落とす。切れ間からするりと何かが見える。巨大な絵の描かれた一枚板。それを目視すると共に警報が鳴り響いた。ユイナは傘を閉じ、全身がずぶぬれになるのもかまわず走り出した。空から巨大な板が海へと落ちるのを目撃する。巨大な水柱が立ち上がり、しぶきが強い雨となって彼女の体に打ちつける。傘を放り出し、石畳を強く蹴った。


「ユイナちゃん!」

 悲鳴のような声を聞き、そちらへと目をやることも出来ずユイナは駆け抜ける。水柱はそのまま津波となって町を襲う。海に近いこの町では空から降ってくる板は致命傷だ。角を曲がり、二つ目の細い路地へと飛び込む。木々のトンネルを走りながら自宅を目指す。


「ユイナ!」

 息は上がり、心臓は耳元で警鐘を鳴らすようにせわしなく打つ。足が上がらない。体が重い。石畳に滑る足が前へ進んでいるような気がしない。気持ちだけが焦っていく。それでも目の前に門が開いており、ドアが開いている。そこには心配そうな祖父母の姿。ユイナは歯を食いしばり、足を動かす。一分、一秒でも早く家へと。


「どいてぇ!」

 酸素を吐き出し、叫ぶ。心臓の音以外聞こえない。最後、地面を蹴り上げ、段差を飛び越える。玄関ポーチについた足で踏ん張り体を引き上げながら玄関へ飛び込んだ。彼女が家の中に飛び込むとすぐさまドアを閉めてシェルターの機能をオンにする。地鳴りのような音と共にシェルターに当たる水の音に、床を水浸しにしながら荒い息をつき、呼吸をするユイナに、助かった、と祖母が胸をなでおろした。


「ユイナ、大丈夫?」

 全力疾走してきた彼女はずぶぬれだ。長い黒髪が体にまとわりついているがそれどころではない。やっと声が出せるほどに呼吸が落ち着いた彼女は「助かった」とかすれた声で告げる。

「ぎりぎりだったな」

「よか、った」


 生きた心地がしない、を体験したユイナはふかふかのバスタオルで頭を拭かれながら思わず泣いた。シャワーを浴び、着替えて暖かな紅茶に甘いハニーを垂らし、ミルクをたっぷり注いで一口すするとやっと自分自身が戻ってきたかのような気分になる。


「まさか板がくるとは思わなかった」

「十年ぶりぐらいじゃないかしら?」

「海岸に近かったね。板が落ちたって事は、しばらく家から出れないかな?」

「一枚で終わればいいんだが板が降る時は最低でも五枚、酷いときは二十枚近く降るからな。政府からの発表を待とう」


 祖父母の言葉に頷き、テレビをつける。どこのチャンネルに回しても政府の会見と天候の事をやっていた。チャンネルを変えることを諦め、政府の会見を見る。


 気象観測庁の予報によると板はあと三枚降るだろうという事だった。今回は少ない枚数で済んでよかったと胸をなでおろす。立て続けに襲う津波に備え、外に出ないようにという通達と共に地下通路の開放を宣言されて、ユイナはやった。と両手を挙げた。板が降り、津波が起きたときに、一週間以上家に閉じこもっていなければならない人の中には食料などの備蓄が無い時がある。そういった不便を解消するために政府が地下通路と地下街を作った。普段は防壁が作動しており地上から地下通路、地下街を使うことは出来ない。特別な時だけのもので、ここ十年程は嵐に見舞われることがあっても地下通路を使用したことはなかった。


「これ、喜んでる場合じゃありませんよ。ユイナ」

「だって、地下街好きなんだもの! 地上とは全然違っててなんだかすごくかっこいい。別の世界の読み物で見た未来の都市って感じがするもの」

「ユイナ、お前はまた」

 祖父の声が硬くなる。ユイナは手を振りながら大丈夫よ。たまたま拾っただけなの! と言い訳をする。怒ることが無駄だと思ったのか祖父はため息をひとつ。それを見た祖母がユイナに暖かなスープとパンを差し出す。


「ご飯まだ食べてないでしょう?」

「うん。おなかすいた。いただきます」

 テレビからは、今夜八時に地下通路と地下街の防壁を開けるという通達がでていた。一月は家から出ることが出来そうに無いが地下通路があれば、町中どこへでも生ける。ユイナの通う大学にも行けるのだ。


「地下通路開放されたら行ってもいいでしょう?」

「かまわないが、気をつけなさい」

「ユイナ、お買い物頼んで大丈夫?」

「大丈夫」

 腹ごしらえをして、ユイナは寝巻きから普段着へと着替えた。小さなバックを肩からかけてエレベーターで地下玄関に降り立つ。玄関を開ければ防壁の前に降ろされているシャッターがすでに開けられていた。後は防壁が開くのを待つだけだ。背後で時計が八時の曲を鳴らす。と同時に、防壁が開いていく。


「行ってきます!」

 声を上げてユイナは地下通路へと飛び出す。空調が効いているのと、空気の入れ替えは常に行われているためカビやら湿気、埃のような匂いはしない。外と同じような空気を吸う事ができ、外よりも快適な温度に保たれている。各家から人が出てくる。近所の人たちと無事を確認しながら地下街へと繰り出していく。人が増えていくのと同時に喧騒が大きくなっていく。地下街から良いにおいがしている。すでに店が開いているのだ。一大繁華街は数箇所あり、住宅街に近いところには家族向けの大型ショッピングセンターと商店街から連なる繁華街となっている。十年ぶりの地下街にユイナのテンションは上がりっぱなしだ。地上と若干違うのは、屋台の出現だろうか。繁華街が一箇所しかなくそこ以外で個人のお店もあまり無いため、ところどころ屋台が立っている。そういったところで食事をするのもよし、お店まで行くのもよし。足元から照らす証明は明るく、無機質な空間を照らし出していた。外は大嵐だというのに呑気なものだと文句を言う老人を追い越し、繁華街へと入る。


「ユイナ!」

「カノちゃん!」

 同じ大学に通う友人を発見し、ユイナは足も軽やかに駆け寄る。人々が行きかう中で友達に合い、二人並んで歩く。繁華街は店を開けたばかりで、食事どころでは客も一緒に店内を整える。この光景も地下街ならではの光景だ。

「先生たちが深刻な表情で大学に向かったって」

 余所見をしていたユイナの腕を引っ張り顔をむけさせるともう一度繰り返した。ぴたりと、息を合わせたように二人の足が止まる。迷惑そうな顔をした通行人すら目に入らず、目を見開き、口を開けてユイナはカノを穴が開くほどに見つめた。茶色のショートカットが頬にかかる。似合わない眼鏡の奥の瞳はまっすぐユイナを射抜いていた。


「え」

「おそらく、この天候は一過性のものじゃないと思う」

「えっ」

「先生たちが深刻な顔をして大学に集まる理由が天候以外にある?」

「ない」

「学校に行ってみる?」

 カノの申し出にユイナは頷いた。二人顔を見合わせて人混みを横切り路地裏へと入っていくと小走りで大学へ向かう。路地裏も照明が行き届いているため地上ほど怖くはない。地上の路地裏を通ろうとは思わないが、地下街は路地裏を使い、近道をしていく。普段よりも早く大学に着いた二人は地下の大学門から中へ入り、中に残っていた学生を捕まえて教授たちの居場所を聞けば、会議室に集まっていると教えられてそこを目指す。学生と別れ、会議室へと向かう。


「この天候が回復しなかったら、私たちが研究している「化け物」も出てくるかもしれない。これはチャンスなのよ。教授たちなら何か「化け物」の事に関して言うかもしれないよ」

 階段を上がりながらカノが興奮気味に言えば、一緒についていくユイナは僅かな不安を感じている。それが化け物の出現に由来する恐怖かもしれない。と首を振って不安を追い払い、カノの言葉を肯定する。


使用中の大会議室のドアの前に立つと二人はドアに耳を付け、聞き耳を立てる。中の話し声は聞こえないが。人がいる気配は伝わる。時折聞こえてくるのは議会進行役の声。時折怒鳴り声のような荒い声が聞こえ、ますます二人はドアに張り付いていた。そのとき、ユイナの携帯が鳴り響く。思わず声を上げてしまったユイナとカノ。そしてドアの向こうから鋭い声がとんだ。


「誰だ!動くなっ!」

 あわてて携帯を取り出して、祖母からの電話を切る。しかし逃げるよりも先にドアが開き、彼女たちの前に姿を現したのは教授の一人。

「せ、せんせっ!」

「君たちは一体ここで何をしている!」

「すみません!教授」

「盗み聞きしていたのだな。中に入りなさい」

 冷ややかな声に顔を見合わせ、見つかった以上逃げられないと会議室の中に入れば教授たちの険しい表情が出迎える。背中を押され、司会席の傍までつれてこられ、二人は緊張で体をこわばらせる。


「私の生徒が盗み聞きをしていたようです。大変申し訳ありません」

「ビャクロ教授、その子たちはなぜ盗み聞きを」

 頭を下げる教授に二人は泣きそうな表情を浮かべる。

「君たちの考えている事など、わかっているが自分の口で説明しなさい」

 泣きそうな表情の二人に、ビャクロが告げる。会議室に並ぶ教授たちと直接講義を取っているビャクロを何度も往復して視線をさまよわせる。口を開くが声にならず、不明瞭な音を漏らすばかり。

「どういうことだね。君たちは、なぜここに来た」

 教授の一人が苛立ちを隠すことも無く、強い口調で質問する。


「そ、それはっ」

「私たちの研究テーマが「ローノスファイ」についてだからです。先生方が集まって会議なさるということは、ローノスファイについて何か聞けるかもしれないと、盗み聞きしました」

 ユイナが一息に言い切る。彼女の言葉に、教授陣がざわめく。今まで何を聞いてもはぐらかし、存在すら否定していた教授たちの態度とは思えず、二人は顔を見合わせる。

「申し訳ありません!」

「申し訳ありません!」

 二人とも頭を下げ、謝る。しかし教授たちのひそひそ話は漣のように広がっている。彼女たちの謝罪を聞いているのかも怪しい。カノが口を開く。


「先生方、ローノスファイは実在するのでしょうか?この国の中でも先生方は権威ある方々です。政府と同格といわれる気象観測庁の最高責任者である先生方が何も知らないはずがありません。今、先生方が動揺なさっているのはローノスファイが実在するという何よりも証拠じゃありませんか?」

「カノ君、口を閉ざしなさい」

 ビャクロがカノを叱れば、カノの言葉に苦々しい顔をした教授たちがお喋りを止める。恐ろしいほどの静けさが会議室を包み込んだ。

「申し訳ありません」

「申し訳ありません」

 もう一度、謝罪をすれば、近くの教授が咳払いをした。

「カノ君とユイナ君。君たちには真実を告げよう。特にユイナ君は切っても切れない存在であるから」

「フォン学長、よろしいのでしょうか」

 ビャクロが驚いて声を上げる。フォンは大きくひとつ頷いた。

「このままでは、地下街もろともこの国は滅びてしまう。その予兆がすでに出ているのだから」

 フォンの言葉に、カノとユイナは驚いた表情のままフォンを凝視するしかなかった。

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