僕にとって経験としての音楽と文学
つまらないことを言うようだけれど、“音楽”と“文学”との共通点というか、また、その表裏一体であるところの相違点について、最近よく考える。
それはもちろん言うまでもなく、曲を聴くという行為と、本を読むという行為とだが、それらは僕にとって、大切な“二大必須行為”と言ってもいい。仕事や社会、家族や友人がどうでもいいということではけっしてないが、ともかくこの2つは、特に独りで過ごす際には重要だ。孤独に対する唯一無二――唯二無三?――の“救い”と言っても言い過ぎではない。
だからといって、僕ごときの人間が、定義や概念、発祥や歴史、将来や展望などを語っても、たいして価値のあることが言えるとは思えない。だからそうではなくて、これらの行為が、僕個人にとってどんな経験になって、そして、それを人生に活かすにはどうすればいいのかということが指摘できれば、少しは役に立つ話しになるかもしれない。
であるからして、経験としての音楽・文学、もしくは生き方としての音楽・文学という持論を語らせてもらう。
音楽と文学、どちらが先に自分のカラダに馴染んだかというと、これはもう明らかに前者である。
よくあることかもしれないが、幼少時代はアニメの主題歌にハマリ、ついでアイドルの歌に狂喜し、そしてバンド演奏に憧れた。学童期から青年期くらいにかけては、文学なんていうものにはまったく興味をもてず、むしろ音楽とは対極に位置する存在と考えていた。
曲を聴くことはできるけれども、本は読めない。
考えるまでもなくそれは当たり前のことで、聴くことは受動的に可能だけれど、読書には能動的な姿勢が必要である。両者の隔たりには、メートル級の壁が存在していた。
ただ、聴き方に関して冷静に捉えてみると、それは、歌詞よりもメロディー、楽曲よりもビジュアルやパフォーマンスを重視していたような気がする。アニメや歌手を鑑賞しながら、あるいは眺めながら聴くことで、楽しみは、より倍増した。
山下達郎とか中島みゆきとか小田和正とかいう、歌曲に自信のある人たちは、メディアに出ることがなかったので、曲もさることながら、よりミステリアスさを感じたものである。
繰り返しになるけれど、音楽を聴くという行為はラクな営みだったということでもあるが、エンターテイメント的にも興奮度が高かった。
そんなこんなで、アニメソング、アイドルによるニューミュージックを卒業した後における僕の好みの音楽は、シンガーソングライターと言われるような歌い手から、さらにバンド演奏によるロックミュージックへとシフトしていった。
高校生くらいのときは、洋楽を含めたハード系の音楽か、もしくは、YMOに代表されるテクノに興味を抱き、取り憑かれたようにそれらを聴いた。
大学時代はご多分に漏れず、“軽音学部”に属し、ロックバンドを組んだ。ヴィジュアル系バンドの最盛期であり、それほど長い期間ではなかったけれど、楽器演奏にもチャレンジした。
とまあ、そういうことで、音楽鑑賞が趣味という人にとっては、ありがちな経緯だったと思う。が・・・・・・、聴いてきた楽曲や、好みの調べといったものは、人それぞれ異なる。
旋律というか、つまり、“音による時間の表現”の魅力というのは、言うまでもないことだが、もっとも身近に存在するエンタメというか、芸術というか、文化であるが故に、要するに想い出と一緒にあるからである。
ここからちょっと個人的な話しをさせてもらうが、小学校時代、女の子とはじめて観た映画は、『キタキツネ物語』だった。
かなり古い話しで恐縮だが、もっと正確に明かすと、一緒に観たクラスメイトのユウコちゃんは、僕と仲が良かった僕の友だちのことが好きで、「映画に連れてってあげるけれど、カツヒコくんも誘ってね!」と言われたのだ。僕はダシに使われただけで、ユウコちゃんとユウコちゃんのお姉ちゃんと、カツヒコくんと僕との4人で観に行った。
だから、その挿入歌であるところの“赤い狩人”を聴くと、僕はいまだにそのほろ苦い記憶が想い出される。
世の多くの男子がそうであったように、サザンの“夏をあきらめて”を聴けば、大学時代、付き合うまでには到底およばなかったけれど、好きだった他大学の女子大生のエツコさんを想い出す。思いきって彼女をドライブに誘った僕は、自分で作成したサザンのテープをずっとかけていた。そして、そのテープを、帰りがけに彼女にあげるというイタい行為を働いた。湘南海岸に沿って走った国道134号線の記憶が、直ちに蘇る。
ラブホでアイちゃんと一緒に観た『マディソン郡の橋』のテーマ曲を聴けば、当時のエロが想い出されるし、globeの“DEPARTURES”を聴けば、バブル時代、僕にとっていい時期に付き合っていたトモミとの生活を想い出す。
音楽は記憶を連れてやってくる・・・・・・。もっというと、記憶は音楽とともにある。
それがきっと、音楽の最大の魅力だろう。どんな人にも、忘れられない想い出の曲のひとつや、ふたつはあるものだ。
好きな人が好んで聴いている曲があれば、好むと好まざるとにかかわらず、まるごと全部好きになる。気になる人が聴いていれば、自分も聴いてみたくなる。憧れの人がいれば、どんな音楽に興味があるのかを探ってみたくなる。
だから僕にとって女性に尋ねる「好きな曲って何ですか?」の問いかけは、半分告白に近い。
そんな想い出の曲が蓄積されてくれば、年齢を重ねるごとに聴きたくなる曲が増えていくのは当然である。
「最近、あまり良い曲がない」とか、「どれも似たような曲ばかりだ」とか言う人がいたとしたら、それは単に、想い出に残るようなイベントがないだけだ。一緒に音楽を楽しめる友人なり、家族なり、恋人なりが身近にいないだけだ。
だからいま僕は、昔の歌に再び聴き惚れているのかもしれない。
今夜は、SIONでも聴こう・・・・・・か。
音楽の話しだけで、だいぶ紙面を割いてしまった。文学の話しはまた次回とする。




